明日のドアをノックして

過ぎゆく時の中で、夢の扉をあけましょう

ライブドアについて書いてみる

2006年01月25日 | Weblog
ライブドアについて書いてみる

ここ10日程日本中は「ライブドア」パニックに揺れた。
しかし、堀江貴文の「逮捕」によって「ライブドアショック」はある程度沈静したかのようにみえる。市場は安定傾向にあるように見え、マスコミのライブドア報道もこれから激減していくだろう。

だが、株の暴落に、いままでの「投資」の大半を失った人は多いだろう。降って沸いた「青天の霹靂」の出来事に、我を失って茫然自失の人も居るのかもしれない。「株は怖い!」と今更ながらに気付いた人もいるかもしれない。堀江貴文に「お金」も「心」も捧げてしまって途方に暮れている人もいるかもしれない。

堀江貴文という「虚構」が作り出したものが「幻影」であるとするなら、それを阿片を吸うように「溺れて」いた人には、その「毒」を解毒するにはかなりの時間が必要であろう。その「毒」を解毒出来る人はまだ、これからの「手立て」はある。心配なのはその「毒」を解毒出来ない「弱き者」である。自身の「希望」を、自身の「夢」を託した者にとっては、この「幻影の崩壊」を理解が出来ずに、あるいは頑なに信じたく無いために、心に不安定を助長する。

この「不安定さ」がこの人らに「現実からの遊離」を出現させなければと、思う。全てが「幻影」だったならば、個々の心に内在する投影された「像」もまた「幻影」なのだ。それを「かつての」実態物として捉え続けるならば、本当の「カタチ」を作り上げることは出来ない。人を信じることが「不可」になったのならば、自分の信念で自分の「像」を作り出さなければならない。受動することだけを良しとするな。自分の心でものを見ろ。

と、思う自分がいます。




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