最近、あなたは空をただじっと眺めた時はいつだろう
雲のかたちの違いがいくつわかり
小鳥の鳴き声の違いがいくつわかるだろう
忙しさの分だけ
自然の中にある様々な違いがわからなくなる
時速何キロで雲は移動しようとか
何分間小鳥はさえずろうとかはなく
自然にまかせて、何となく、良い頃合いで
数字で何かを計っているわけではなく
ただ、そこには必然性がある
現代人がもう感じることの出来ない必然性が
著作名 生きる
著者 小野田寛郎(おのだ・ひろお)
株式会社PHP研究所
<著者略歴>
小野田寛郎(おのだ・ひろお)
大正11年(1922)、和歌山県生まれ。昭和14年(1939)に旧制海南中学卒業後、貿易商社に就職し中国に渡る。昭和19年(1944)9月、陸軍中野学校二俣分校に入校、12月にフィリピンのルバング島に派遣される。以後30年間、作戦解除命令を受けることなく任務を遂行し、昭和49年(1974)に帰還。昭和50年(1975)4月、ブラジルに渡り牧場を経営。昭和59年(1984)、子供たちのキャンプ「小野田自然塾」を開設し、理事長を務める。平成26年(2014)1月、逝去。
故小野田寛郎氏も、戦後の日本を憂慮しておられた
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
本書p145~
時計のない生活
自然の中では、時計はない。
時計はないけれど、一日は肌で感じる。むしろ、時計に依存している一日は、風のように過ぎ去ってしまう感覚がある。この一日、その一日、という一日の色や感じ方がなく、一日一日は、やがてひとつにつながって、何日かわからなくなる。
しかし、自然の中では、その日、その日に、においと光と皮膚の感覚が、それぞれ違う。それほど、自然の世界はすべてが生き生きと動いている。
身体も同じ。日没とともに心も身体も眠りに入る。自然と一体になることで、自然を受け入れることができる。自然の恐ろしさも理解できる。自然と対話もできる。自然から力をもらうこともできる。