トモニ ミチスガラ カムナガラ

友に 共に 黄泉帰る道すがら 神ながら

自然免疫を高め 健康を取り戻す 実践の記録

友に捧げます

お知らせ 投稿を少なめに

2023-10-31 10:39:05 | お知らせ

 

この頃は、嬉しいことにたくさんの方々に当ブログをご覧いただいている

心より感謝申し上げる

さて、当ブログの目的は二つ、心身の回復と、霊性の向上によるこの国の人々の進歩発展をめざしている

だが、現在、当ブログの目的の一つである方の霊性の向上に必要な情報源、自動書記は停滞している

これは、私の修行不足が起因している

よって、修行に時間が必要のため、ブログ更新頻度のペースを落とすが

毎週日曜更新の原則は守る

 

自動書記が軌道に乗れば、毎日更新してもし足りない程の情報量を神霊より賜るようになるだろう

それがまた再開されれば、これらのことが本当だったと証明される

そして、今は半信半疑の方もご納得されるだろう

現在、S神社の幸の神、わが師匠・大輔たいふ、私せうは、日夜、皆様に神憑書紀を再開できるようがんばっている、残すは、私のレベルを上げるだけとなっている

どうか、神憑書紀の再開まで皆様には、ぜひ応援をお願いしたい、すべてお見通しの神界からそれらの応援がさらに神霊のお力を増幅させることは間違いないからである

人が神様を必要とするように、神さまも人を必要としている

神さまは、人がいなければ、人は、神さまがいなければ

成り立たないのがこの世界

共に 輝く未来を目指して

 

では


カナリヤ男ラジオステーション11 すべての現世修行者への応援歌

2023-10-30 09:23:44 | 花鳥風月

 

DJカナリヤ男のラジオステーション、こちらは末広がりの88.8MHzで素敵な音楽から、良い意味で「気が抜けそう」なものまで、深い意味は無く脱力系、リラックスモードでお届けしている

今日は、ブログ主からF氏へのお手紙とリクエストだ

 

F氏へ

お便り届きました

ブログも拝見しています

 

以前より、見違えるように回復をされているご様子で、嬉しい限りです

やはり、人間の回復力は素晴らしい物がありますが

若さがさらに回復力を大きくしているように思います

 

この世に生を受け、どのような修行を選ぶかは

本人に託されているのではと、最近信じるようになりました

普通の修行は各駅停車で、F氏は超特急を選んで、修行の段階を一気に進めているのでしょうか

 

人生はあっという間だなぁと、この歳になるとひしひしと感じます

だから、人生で学べるなら出来るだけ沢山修行したいと思うのも無理は無いとも思います

しかし、超特急を選んだことは、精神が強靱で無ければ考えつかないこと

あなたが思うよりも、あなたの精神はお強い

その選択が証拠でしょう

 

あのイラストは、とても感動しました

なぜかというと、自動書記が障壁に当たっていて、今大変な状況です

本当に不出来な弟子で、申し訳なかったと反省し、それだけでなく、師匠の慈悲深いお心を汲んでいなかった、ただ文字を書き写すことばかり考えていた

そういう私の鈍い感性がひとつの弱点で、滞っていたともわかり、「精神集中の修行」がさらに必要とわかりました

つまり何が言いたいのかというと、あの大木は師匠で、その回りを幾多の障害をはね除けて力強く飛躍せよという啓示なのかと思いました

それから、以前実践されていた、「瞑想」についての方法をできれば教えて頂きたいです

たぶん、F氏のされていた○道はスポーツではなく、神事ですから、競うのではなく、奉納のようなことで、神さまに向けて意識を集中するための、精神集中の強化でしょうか

無理なく、いつでもよろしいので、よろしくお願いいたします

 

 

がんばる方々へ

F氏への応援歌

現世で生きるすべての修行者への応援歌 

美空ひばり 「人生一路」 聴いて下さい

 

 


死んだら何処へ行く?4 神道の禊祓の意義

2023-10-29 08:23:02 | やりおる!!山蔭神道

 

私は、線香やお香が苦手である

臭いが服に、髪にあらゆるところに付いてしまう

そんな理由で、不要になった線香を近所の方にお譲りしようとしたとき

お一人目の方は、仏壇はあるが線香は焚かないという、理由は私と同じで臭いが嫌いという

しかし、お墓用にならとのことで、差し上げた

もうお二人目の方は、ご家族の方が線香の臭いが嫌いで、ごく稀に一本焚いても決まった銘柄で、かつ家中の窓を全開にしてとのことで、不要とのことだった

線香が嫌い派が多いことに驚いた

 

 

それもそのはずで、和食においては、強い匂いや刺激の強い味覚のものは無い、あってもその程度は外国料理とは比べものにならない程低刺激だ

外資系の経営のホテルは、サービスのつもりだろうが、アロマの匂いがきつく髪、服とあらゆるところについてしまう

ホテル内の高級日本料理店へ行く前に変な匂いが付いたら料理は台無しだ

こんなホテルに行った後は、「早く一風呂浴びたい」と感じてしまう

匂い一つとっても、日本人の感覚は鋭い

自然であることと、不自然なことの差に敏感であるともいえる

自然な状態を完璧なこととする感性は、自然な状態に戻すことを良しとする

「祓い浄め」をしたくなるのは、「不自然がダメだから、自然にする」という感覚も含まれているように思える

人間も動物なのだから、不自然な環境は身体に良い訳はない

頭で考え出したことは、「信仰心」や「高級感」という理屈などを付ければ、一見説得力がありそうに思えるが、頭で考えた人工的な理屈は、自然な素直な感性からすれば、所詮、不自然なことであって、やはり長くは続かない

古代より続く太古神道がしっくりくるというのは、一言で言えば「無理がない」のである

日本人の感性からして自然なのである

 

「神道の生き方」は絶版、現時点で古本は存在するようだが、やはり数は少ないのでいつ入手困難になるかわからない

故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた

僭越ながら一助となるべく

山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の生き方」学研パブリッシング社p ~

心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく

 

 

p250 3行

神道の極意は禊祓にある

正しい信仰という意味では、現在、世界を支配している宗教は、ことごとく正しい信仰であろうが、それを、より高次元の世界からながめるならば、どの段階・どの次元で正しいことなのかが問われることになる。したがって、すべての宗教に、高さのランク付けがされるわけで、きわめて差別的な結果をもたらすが、しかたのないことである。

中世日本の法律である『延喜式』の斎宮さいぐう(伊勢神宮斎主さいしゅの宮)の条においては、毎日の神事のなかで、次の言葉が忌むべきものとされ、言い替えられていた。

「仏を中子なかご(厨子ずしに入っているので)、経を染紙そめかみ(事実、黄土色の紙である)、塔を阿良良伎あららぎ、寺を瓦葺かわらぶき、僧を髪長かみなが、尼を女髪長めかみなが、斎食ときを方膳かたしき、死を奈保留なほる(直る)、病を夜順美やすみ(息み)、哭く(泣く)を塩垂しおたれ、血を阿世あせ(汗)、打つ(鞭打刑)を憮づ、宍ししひら(獣肉)を茵くさびら、墓を壌つちくれ」と言え、と。

この忌詞いみことばは、斎宮においてだけでなく、宮中神事のある期間は厳重に守るものとされていた。これが神道の感性であって、文化としての仏教は認めるものの、仏教を清浄なものとは認めないというものである。

これは、文化(哲理・人生訓・建築・造形芸術・絵画)としては、受け入れるものは多々あるが、感性としては受け入れられない霊性であるとの差別である。これはあまりにも鋭い峻別だが、人工宗教の霊性の位階とすれば、しかたもない。

峻別といえば、太古神道の禊と現代の神社神道の禊にも、大きな感性の差があり、このため、後生世界に入った人々(帰幽きゆうの人々)を祀るにあたっても、祓い浄めの作法が異なる。たとえが、山蔭神道などの太古神道の場合は、神葬祭で用いる祓麻はらいぬさは八本におよぶ。執物とりものである祓麻を使い捨てにする感性によって、祓麻は祓戸はらえど大神の憑代よりしろとされるのだ。祓麻は汚れを吸い取る物で、消耗品として何本でも使い捨てにしないといけない。このことは、神学や哲学が立てる倫理ではなく、事実にもとずく感性にある。

かつて、伊勢神宮の御師おんしたちは、参詣者の祈禱に用いた祓麻は、そのままお持ち帰りをさせて、他の人には用いなかった。その祓麻を祓はらい筥ばこに入れて持たせたのであって、もう二度と使用しないという意味をこめて「お祓い筥にする」という言葉が生まれた。このことも重要な事実で、参詣者たちは祓い筥を大切に扱い、伊勢大神宮のみしるしとしたのである。

こうした感性があるということは、神道は教祖がつくった人工的な哲学ではなく、きわめて自然なものであり、そのランク付けは高貴上品なものであることを示すものである。

かくて、太古神道の信仰心には、祓い浄むることの重要さを強調する面が強く、後生世界(死後世界)では光華明彩なる神霊に近侍きんじできる日を求めて修行するのが、神道人の後生とされる。

そして、それらの霊人たちは、意識を高め、感性を浄める修行を惜しまない後生の生活があるとしているわけで、後生の霊人は、霊神として崇められるまで浄化しないといけないといわれるわけである。

また、かくあるごとく祖霊祭祀(先祖供養)を行うのが、太古神道の方式であり、これが人の進化・向上をうながす祭祀とするものである。だが、今の神社祭式は、こうした感性を失っている。それは、明治以降の神道が、人工的な宗教に転落したからであろうと推測する。

 


神さまのつぶやき25 やさしいもの うれしくなるもの 

2023-10-28 08:06:52 | つぶやき

 

カタカムナ 一文字思念

「カ」 潜象(目に見えないけれど存在する)存在、潜象のチカラ、宇宙

「ム」 六(数字)、六方環境(上下、前後、左右のこと)、六方界=現象界

「ナガラ」 カムが何回も「カ」としてあらわれる 

 

 

どうしたら 美しくなれる

どうしたら やさしくなれる

 

神のココロのままに 生きれば

この世のすべてのものは 神の使いのものとなる

神ながらで生きることは

己の幸せを叶えるだけではなく

この世を よりやさしい 美しい世にするため

 

神の使いを探さなくても あなたの周りには

神の使いでいっぱい

 

あなたにやさしいもの あなたを元気にするもの

見慣れた野菜

あなたにやさしいもの あなたがうれしくなるもの 

ありふれた道端に咲く小さき花

 

みんな神の使い

 

始めは難しくても

神ながらで 少しだけ生きてみよう

あなたのために みんなのために 神さまのために

 

どうしたら 美しくなれる

どうしたら やさしくなれる

 

 

参考書籍

宇野多美恵解釈・総集編

日本の上古代文明とカタカムナウタヒ (第一巻~第三巻) 潜象物理学会

 

<相似象学会の書籍販売について>

これまでは、宇野先生のご意向もあり、縁ある方々に読んでいただけるようにとアンケート記入をして戴いておりましたが、先生亡き後、そのアン ケートを読んでいただく方もな...

nawaprasad ページ!

 

 


神霊と霊界階層と祈願と奇跡

2023-10-27 08:56:51 | やりおる!!山蔭神道

 

引用部分が長文になって、ひとつの記事に収まらないので

こちらに引用文のみ掲載しておく

 

「神道の生き方」は絶版、現時点で古本は存在するようだが、やはり数は少ないのでいつ入手困難になるかわからない

故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた

僭越ながら一助となるべく

山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の生き方」学研パブリッシング社

心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく

 

p278 9行

霊界は直感では見えない

見出しのとおり、霊界は直感能力では見ることができない。

ここで重要なことは、霊界は幾十層もの階層に分かれている世界であり、そのうち一階層も横に広がりがあり、山あり谷ありで花園もあれば湖もあり都会もあるわけだから、ある霊能者が「私はあそこの世界を見た」と言っても、その階層のことごとく一部の部分にすぎないということである。

霊界については、上層世界が二十一層で、下層世界が十四層に分かれており、下層世界は地下世界とみればよい。

上層世界にいたっては、最上層は“透明融合”の世界だから、訪れても自分一人の世界になってしまう。つまり、仲間や社会がほしい人は、下層世界の社会、つまり、個別の人格が必要な世界を訪れて、満足し理解するしかないわけである。

明治の神仙・宮地水位みやちすいいの訪れた神仙界は「幽界」だから、薄明旦暮で静寂が漂う世界である(幕末の仙童寅吉せんどうとらきちや明治の神仙普明ふみょうや河野至道しどうなどの話も伝えられているが、彼らは天狗界の住人で、神仙界の人ではない)。

幽界の上位層は、太陽は輝いてはいないが、五色の花が咲き乱れる春景色の世界であり、きわめて心地よい世界である。さらに上層にいたると、そこはすべての物体が淡い光を発している世界で、色は淡色である。さらにその上位層に入ると、透明感が漂う世界がある。もうそこは、融合の世界に入っているので、たとえ私たちが招かれても、そのあたりに神人がいることすら感じられない孤独な世界である。

かく見るとき、神霊とは融合体であり、巨大エネルギーを発する存在で、行動を起こすときは、分離することもあり単独のときもあるわけで、いかなる悪魔の猛霊といえども反抗することはできない。

『西遊記』の孫悟空は、一時間に十万八千里(五万四千キロメートル)を飛べる觔斗雲きんとうんで走り回り、ここらでよかろうと、大きな一本の柱に「斉天大聖せいてんたいせい(孫悟空)ここに到る」と書いて飛び帰り、釈迦如来に報告した。釈迦に「ここか?」と示されたので、見たところ、それは柱ではなく、釈迦の中指に書いていたという。

孫悟空は、釈迦の掌の中を飛び出してはいなかったというのである。暴れん坊の孫悟空も一握りに締め殺されるところであったわけで、高貴な神霊とはかくも広大なものである。

これらのことを法則世界の実相というのであって、断じて自分の霊能を世界一などと思わぬことが大切であろう。

しかし、法則をよく知って、霊界各層の神霊に敬い奉り、志篤あつく礼儀正しく法則に背かぬように願い奉るならば、各種の祈願が通達して奇蹟が起こるというわけである。