goo blog サービス終了のお知らせ 

種々

世界の片隅でキラへの愛をこっそりと囁くブログ

三隻同盟

2014-08-03 10:22:56 | SEED DESTINY
運命での、アスランとの再敵対。カガリが二年で成長できなかったこと、キラとラクスの葛藤。その根っこは三隻同盟にあるのではないかなーと。



三隻同盟、アークエンジェル、エターナル、クサナギ。
三隻の艦と、4人のメインキャラという構図から単純に見えることは、一人余る。

アークエンジェル代表は、キラ。唯一絶対のエースパイロット。
エターナル代表は、ラクス。クライン派代表。
クサナギ代表は、カガリ。アスハを継ぐ者。

問題となるのは、その艦と、その代表者との間には、利害の不一致があること。

キラはAAを守るという立場にあるけれど、彼個人の戦いたくない、アスランと殺しあうようなことはしたくない、ラクスを側で守れない、という部分で反目する。
ラクスは、クライン派という組織に対する責任は、何もせずに静かに暮らしたい、キラを戦場に出したくない、という想いと反目する。
カガリは、”現状は”能力的にも心情的にも、そこの艦を努める器量がない。

そういう意味では、AA/キラ エターナル/ラクス、クサナギ/カガリ という段階で、
すでに「6個の立場」がある。

そして、AA⇔キラ、 キラ⇔ラクス、エターナル⇔ラクス、クサナギ⇔カガリ AA⇔ラクス、 エターナル⇔キラ キラ⇔カガリ等々の組み合わせにおいて、
要求が必ずしも一致していない。
例えば、クライン派にとっては、キラは ラクスが引き入れた凄腕パイロットでしかない。
逆にAAにとっては、ラクスは、キラの彼女、くらいの立ち位置だろうし。
キラが、カガリを守るか、ラクスを守るかで、運命では板ばさみになっていた。
そのあたりを押さえておかないと、運命でのキララク描写での13話や39話でのラクスの憂い顔(罪悪感)の出所がわからないし、
26話(とくにスペエディでの)キラの必死さの意味合いがわからない。
キララクとか、AA派とか、オーブ側とかで一緒くたにしちゃうと、
ただの旧陣営VS新陣営の2色になっちゃうのではないのではと。


ただ、そこでは、アークエンジェルはキラのホーム、エターナルはラクスのホーム、クサナギはカガリのホームという現実もまたあり、
同時にアスランには、”ホームがない”という実情がある。

AA/キラ エターナル/ラクス クサナギ/カガリ
というのは、組織と個人であり、基本的に、キラもラクスもカガリも、その”組織”(それが法的公的に存在根拠を持つものでなくても)に従属する立場であり、
”合流した”アスランがやるべきことは、”どの組織が”自分の望む道に一番近いか、ということを見定めるか、
もしくは、第四の道を自ら築き上げるか、だったんだと思う。

アスランが、戦後、居場所を作れなかったのは、
もともとアスランのホーム、だけがなかったことと、
同時に、自分の居場所を、キラか、ラクスか、カガリかという個人対個人の関係に求めた部分だと思う。
それぞれ、幼馴染、元婚約者、そして敵から、知己へ。親友の姉から、恋人へ。
ただ、そこには、アスラン自身が、”そこにある価値観”にたいして自分自身が、どう居場所を定めるか、の意識(覚悟)がない。
もともと利害が完全に一致してるわけではないこの三隻を繋ぐ”平和への想い”というものが、アスランもまた求めたものだったけれど、
広義でみえば、それを追うなら、それこそザフトや連合も含まれる。
自分(達)にとって都合のいい状態で固定された世界を平和というなら、すべての陣営が平和を求めていたわけではあるし。

キラ達が、どう彼らの所属する”組織”に、どう”縛られれているか”の理解がなかったこと。
そして、なぜカガリとアスランが、三隻同盟時代に関係が近づいたといえば、
二人の気持ちの触れ合いと”並行的に”
カガリが、自身のホームから逃げていたという現実がある。

父を亡くした後のカガリは、今までのカガリ、とは違っているのだと思う。
キラの身を案じて泣き崩れるカリダの姿を見ていながら、その彼女と明らかに別人の”母親”の写真を、あっさりキラに見せてしまったり、
倒れた直後のキラに、その写真を手に詰め寄ろうとしたり。
不思慮で無神経な行動を見せている。
父の死の衝撃、自分がウズミの実子ではないこと、目前にせまった、オーブ代表としての立場。
軍服を着ようとしない、艦長席に座ろうとしない、ある程度大きな戦闘の後、自艦をすぐに離れて、キラ達のところに来てしまう。
カガリの”逃げ”については、そう思わせる部分がある。
ルージュに乗る段において、ある程度腹をくくったのだと思う。
「カガリのお父さんはウズミさんだよ」「すこしまってやれよ・・・あいつ、ボロボロだ」
キラに期待した部分はあったと思う、ウズミの代わりを。
だけど、キラを庇ったアスランとラクスによって、カガリは”兄妹に頼る”道を塞がれた。
「守るから、弟かもしれないあいつも」
それは本心でもあるし、決意でもある。アスランの中の気持ちが、組み変わるほどに、”またカガリに惹かれた”(無人島や43話に続いて)のは、その姿勢だろうなと。
ただ、そこには、カガリが、諦めさせられた(キラ=兄か弟か、に頼ること)からこそ、そう決意せざるをえなかった側面もあるし、
強がり、もあるとおもう。
アスランはそこには気付ききれなかった部分あるのだと思う。
カガリの中の、父の不在の大きさに。カガリにとっては、ただの庇護者ではなく、自身がオーブ元首という立場を埋めなければならない。


キラとラクスとカガリの”背後にある組織=責任”
戦後、アスランはオーブを選んだわけだけど、これは、ただキラとラクスが”くっついた”ことにより、
アスランが、戦前からの付き合いのキラやラクスと一緒にいられなかった、ばかりでもないと思う。

三隻同盟のそれぞれの立場はなんだったのか、そしてそれは、なにを敵としていたのか、という部分でみると、一面ではわかりやすい。

AA→アスランが理解するという意味では論外。ひとつには、AA自体には背負う思想があるわけではない。ハルバートンの意思を継ぐ、というマリューの意思がメインではあるが、
それを他のクルーが共有していたとは思いがたい。
マリュー、ムウ、ナタル。
マリューは、ハルバートンの遺志を継ぐ。ナタルは、軍人としての勤めをはたす。
そして、AAの”空気”を一番方向付けていたのは、ムウだったかなとも思う。
ある意味において、自分たちが生き残ること自体を自己目的として、
そしてそこに搭乗してるクルーの個々の感情的な対立や共感、縺れ合いを経て、AAという艦を作っているので、
それを”共有している”人間同士でしか、AAという艦の価値観を持つことはできない気がする。
そのあたりは、連合(ハルバートン)の思想を脱し、ウズミの思想をいれ、望んで残ったオーブ解放戦以降においては、そのあたりも薄れたし、
運命においては、カガリの艦としての意味合いを強めていくから、また話が変わってくるけど、無印段階ではまだアスランが、理解、共存できるようなものではない。

エターナル→コーディネイターのアスランが所属するならここだろ、と思いそうだけど、実はそうではない。
なぜなら、クライン派が”対していたもの”は、ようは、やや乱暴に言うなら、”差別主義者のコーディネイター”だったから。

AAの敵はザフト、エターナルの敵は、主戦派(というか、ナチュラル殲滅派)のコーディネイター。
では、クサナギの敵は誰か、といえば、アスランが”経験した範囲”でいえば、それは連合である。

クサナギ=オーブの思想自体は
「他国を侵略せず、他国に侵略させず、他国の争いに介入しない」
「種族を問わず、オーブの法と理念を守る者なら誰でも受けいれる」
というやり方で、今の世界のやり方に対して、自分の立場を宣言し、ナチュラル対コーディネイターという図式を解体しようとする立場であり、
純粋にその思想に対していえば、決してアスランと価値観(=コーディネイターがナチュラルの上)と親和性の高いものでもない。
ただ、この段階において、連合を敵としていた(連合に攻め込まれた)という点でみれば、アスランにとっては、AAやエターナルよりとっつきやすいように誤解するのも無理はないのではと。
三隻同盟中は、ジャスティスパイロットとして、エターナルに所属していたアスランだけど、
戦後は、オーブに身をおき、カガリの側で力になることを選んだわけだだけど、
ただ、戦後は、連合(地球の国国)と”仲直り”することになるオーブ、
そして敗戦国として、弱い立場にあるオーブでは、アスランが自分の居場所を感じるのはまた難しかったのではと。

アスランは、陣営移動を繰り返したというけれど、こと”連合を敵とする組織に身をおいてきた”という見方だとわりと一貫してる。
(無印4クールでは、連合という枠組みを超えて、対ナチュラルまで裾野は広がってしまっていたし、
逆に運命1クールでは、オーブが連合に屈することになり、ザフト側は、より核をしぼった”対連合_”状態になるし、
(それが狙いだと思わないが)
母の仇(正当な怒りと恨み)自分達に害意を持つ、自分たちより劣ったものが(差別意識)巨大な武力を擁している。
アスランの戦いには、プラントを守る、世界をよりよくする、キラやカガリを守る、いろいろあるけど、
根っこの部分で「ぜんぶれんごうがわるい」という感覚は本音かもなと。

キラが、AAを守るという義務、から外れたのは、39話が心情的な部分だけど、
アークエンジェルが正式にオーブに編入された45話かと思う。
んで同じ話数で、連合が敗北し、ブルーコスモスの盟主が死んだ。(とどめは48話として)
キラとアスランが戦う理由が実質なくなった話数で、
キラとアスランがかつて共に過ごした月を見ながら、一緒に話をし、
ふたりの対立を初期から見守ってきたラクスがそれを見る。
・・・・といっても、そういう見方もできるかもしれないレベルだけど。

無印でのアスランAA合流と、運命でのダーダネルスでの、ムウとキラのアスランへの問いかけは、
アスランを仲間に引き入れたいわけでも、アスランを心配してるわけでもなくて、
あれは、AA代表としてのアスランの”意思確認”に過ぎなかったと思う。
無印では、「とりあえず味方として扱う」と判断し、
運命では、「敵として扱う」として判断したんだと思う。
そのあたりは、トップを女性として掲げつつ、だからこそそのあたりの判断を男側代表(無印はムウ、運命はキラ)
をしてんだろうなと。

destinyリマスター最終話「選ばれた未来」②

2014-05-04 23:09:11 | SEED DESTINY
③answer/大人に対峙する少年の物語。

キラと議長が対峙してるわけだけど、例えばデュランダルは、階段の上にいる
二人は、まるきり対称の立場として、そこに立っているわけではなく、非対称性がある。
もっとも平たい言葉でいえば、大人と子供の対峙。

キラの思想遍歴は、無印以降、彼が出会ってきた沢山の大人によって、形成されている。
キラの”変化”といえば、ラクスに諸因があるように、あまりに思われがちだけど、
実は、ラクスは、キラの思想価値観的な部分には、あまり影響を及ぼしていないと思う。

ラクスとフレイというのは、キラにとって両翼的なヒロインで、
ラクスが、理性をベースにした、暖かな肯定者として伴侶として、キラの生を支え、
フレイは、感情、基本的には負の感情(後悔、怒り、恐怖、強迫観念、闘争本能、生存本能、劣情、殺意)を搔き立てることにより、
極めて難しい局面から、悉くキラを生還させるエネルギーを齎してきて(そしてそれによってキラは生き残ったものの満身創痍になった部分もあると思う。一種感情のドーピングみたいな部分あるだろうし)
その存在は、意味合いは違えど、原動力、モチベーション、理由として重要な役割を果たしつつ、

しかし、キラの思想的な部分は、フレイやラクスによって齎されるわけではない。

無印序盤からの、キラの”大人”との関わり。
大人というのはつまり、人生の先達であり、彼ら彼女らは、彼ら彼女らの人生での経験と思考によって、
各自がそれぞれの立場や価値観を持って生きている人達。
大人というのは、正しいものとしてそこに存在してるわけではないけれど、
キラの先達として、そこに存在してる。

「君はできるだけの力を持っているだろう。だからできることをしろよ」
「だが君は裏切り者のコーディネイターだ」
「意思のないものに、なにもやりとげることはできぬよ」
「ならどこで終わらせる?どこで終わらせればいい?」
「このまますすめば、世界はやがて、認めぬもの同士が際限なく争うばかりのものとなろう。そんなものでいいか!?君たちの未来は?」
「なにを知ったとて、何を手にしたとして変わらない!最高だな人は」
「これが定めさ!知りながらも突き進んだ道だろう!正義と信じ、わからぬと逃げ、知らず、聞かず、その果ての終局だ」
「それが人だよ、キラ君」

キラは、誰が正しいかとか、誰が間違っているか、そういう意味で、誰かを選ばない。
全ての言葉は真実を含んでいて、それを正しいか間違っているかを決めるのではなく、
それをどう取り入れ、どう受け入れ、どう否定し、どう抗うか。
そういう意味では、彼らは等しく、キラにとってライバル的な存在であるといえる。

(逆に、シンやアスランにとっては、大人の男性というのは、彼らにとって”保護者候補”なんだと思う。
いい保護者と悪い保護者の別はあっても、シンやアスランには、大人の言葉に自身が対抗しなければならないという意識が乏しく、
他人を、トータルとして白か黒かでしか判断できない。
アスランやシンが、誰が強いか、誰が正しいか、というキラよりも単純な世界にいるのも、
ある意味では同年代しかライバル(思想的な折衝者)として認識してない部分ある気がする)
それは14歳で家族を理不尽に失うという形で、子供であることを無理やり中断させられたアスランとシンに対して、
すくなくとも、16歳までは子供でいられたキラの違いもあるかもしれない。
10代の2年は大きく、そして特にコーディネイターにとっては、15歳というのは、成人と未成年を分けるラインでもある)

このシーンにといて、ギルバート・デュランダルという男は、
無印時代に、キラがあった様々な人間の、再来であり、集大成として存在してる側面がある気がする。
言うまでもなく、特にクルーゼ。
デュランダルという人間が打ち出した運命プランというのは、
その価値観のベースを、クルーゼと同様の姿勢においてる。

1クール終盤、キラがフリーダムに乗る前後に、クルーゼの回想をしてる部分からも、
キラがクルーゼの呪縛に囚われていることは容易に窺える。

「それでも、守りたい世界があるんだ」

かつてキラが、クルーゼに言った言葉は、いわばレスポンスであり、反応。
今回は、アンサー、答えになる。
無印終盤の時点で、キラにとっての材料はすでに揃っていていわば仕込み、も終わっていた。
無印以降は、一種の成熟期間みたいなもので、
キラの想いはクルーゼに言った言葉として完成してるけど、それをさらに纏めたものが、
今回のキラの言葉かなと思う。

キラの思想というのは、
人間観としての側面と、方法論としての側面があり、
人間観として見せているのが、
先の戦争での、友人たちの差別意識に苦しんだことに端を発した、
とくにクルーゼによって突きつけられたもの。
方法論としては、すべての人間が理解し合い手をとりあうのは不可能ということを前提にした、
オーブの理念に現実的理想とみなした、対戦争への姿勢。

キラの戦いの答えを”不殺主義”ないしは”武器破壊”に求めるのは、誤読中の誤読で、
その本質は、
”他人の命令で戦わない””他人の感情で戦わない””他人の大義で戦わない”くらいのところだと思う。

キラが極力コックピットを狙わない、戦い方をするようになった経緯というのは、
最初、フレイに、本気で戦っていないと面罵されたところから、頑張ってるから苦しんでるからという感傷を捨てて、
守るためには(結果を)殺さなければならない、という意識に、そして
バルトフェルドに、パーサーカーと指摘されたことや、どこで終わらのか?と問われたところから、
必要な結果をだせば必ずしも殺す必要はない、という推移なイメージ
監督もコメンタリで、キラは殺す時には殺すといっていますし。

いわば、キラは、他のキャラに比べて、戦いを手段的な部分に落とし込んでる部分は強いと思う。

キラが”戦い方を変えた”のは、実は、フリーダムに乗ってから”ではない”と思う。
キラが戦い方を変えたのは、無印でオーブに立ち寄って以降、
あの「キラ」の回からだと思う。

キラはオーブで自分のルーツ、立ち位置を整理した。
オーブという国への理解。
フレイとの偽りの関係の清算。
アスランが、敵ではなく、大切な友達であると認識すること。
両親と会う、こと。

オーブによって、キラの立場がなんら変わったわけではなく、
相変らずキラは、連合の兵士として、AAでストライクで戦わなければならない。
だけど、キラは、あそこで自分の居場所を確認した。
あたかも、地図の上で、今自分がどこにいるか指を差して確認するように。

あの回で新規作画になった、最後キラの静かな表情は、確かにやっと正解が描かれた感じは確かにある。
そして、自分の立ち位置を確認した(確認しただけで、なんら展望が見えたわけではないけれど)
キラは、次の戦闘でザラ隊を圧倒した。間違いなく、キラは殺せたはずだと思う。イザークもディアッカも、アスランもニコルも。

しかし、先の対面で、キラとは逆にザフトの軍人であることから、
キラへの未練と情で、今までの戦闘で決めかけていた腹を揺さぶられたアスランは、
軍人として、隊を預かるものとしての責務より、個人の意地と心情を優先させ、
死なせなくてもいい局面でニコルを死なせてしまった。
キラにとっても、戦い方を変えたまさにその戦闘で、今までの戦闘においてもっとも殺したくない相手=アスランの友人
を手にかけてしまった。
それがオーブで固まったキラの自分の今の立場への理解をぐちゃぐちゃにしてしまい、
そしてそれが次の戦闘で迷いとして現れ、戦闘に梃子摺ったことにより、今度は守りたかった重要な一角=トール
を眼前でむざむざと殺させてしまった。

「僕は死んだはず」

ラクスの元で目覚めたキラは、もう一度、自分の立ち居地を、気持ちを、立て直す。
オーブで得た認識、
ニコルの死によって得た認識、
トールの死によって得た認識、
それらもまた十分に踏まえたうえでの、ラクスとのやり取り、ラクスの想いも受けた上での、フリーダム搭乗以降のキラ。
立ち寄ったオーブで、オーブ、ないしはウズミの思想により触れることで、
オーブという国のあり方にひとつの答えを見る。
その意識は、運命において、強引な手段をとってでも、カガリのオーブの理念を継続させる、という姿勢で現れる。


運命のキラは、

国家間の戦争への答えを、オーブの理念に求め、
一人の人間として自分の存在への肯定と幸せを、ラクスとの今と未来に求め、
そして、主に先の戦争において、クルーゼに突きつけられたものへの、決意表明を、
メサイアでの議長への言葉で示した。



キラもまた、未完成な大人のひとりに過ぎない。
だから、ここはキラにとっては、経過点に過ぎなくて、
だから、キラはここを立ち去っていく。


キラの変化や思想をラクスに求めるのは、因果としては的外れで、
(キラが自分自身や自分の行動に向き合うという意味合いではラクスは極めて重要なんだけど)
キラの”仕事”を理解するのに、その奥さんが家でどんな食事をさせているかを調べて、
因果がわからない、内容がわからない、と言い募る愚に等しい。
ラクスとの関係は、フレイを守れなかったトラウマの部分を押さえておけば、
あとは結婚して落ち着いた(イメージ)とだけ見ておけばいいくらいだと思うし、
キラの言動や行動を追うには、ラクスではなくて、
無印時代のキラの大人との対立・対峙を追うべきだと思うし、
種シリーズのベースは、やはりキラの、
少年が、大人と接し、ぶつかっていくことで、成長していくひとりの少年という王道の物語だと思う。





※リマスター感想にお付き合いいただいてありがとうございました
ただ、コメンタリーで実はけっこ色々心が折れてるので、ちょっと潜るかもしれないですが、
やっぱちまちま今後も益体のないこと書いてるかもしれないです・・・
ではでは

destinyリマスター最終話「選ばれた未来」①

2014-05-04 23:08:02 | SEED DESTINY
個人的には、メサイアの場面で、感じられる意味はみっつ。個人的に←大事なことなので二回言いました。

①自由対運命という作品主観テーマの対比。

②そしてもうひとつは、母性の相対化。
なぜ、タリアだったのか、というのは、選ばれなかったデュランダル の救済という側面もある反面、
タリアが、デュランダルを救う為にここに訪れたというのとは違うと思う。
当時のインタによると、彼女は”母として”ここにきたと。世界をこんなふうにしてしまった責任、違う未来を子供(次の世代に託したい)という願い。

タリアが、デュランダルという男に責任を感じていたのは確かだと思うし、ひとりの女性として好きだったのも事実だろうけど、
じゃあ、子供よりデュランダルが好きだったとか大事だというわけではなく、
母としての彼女が、その意識から、ここに足を運んだというのはあると思う。

こことかなり似た文脈にあるのは、ウズミの死。
このシーンでは、イベントで、石田さんが4クールで印象的だった場面としてあげていて、それは当時こうゆう説明を受けていた
「ここでオーブと共に残る人がいるじゃないですか。残る人は老人ばかりなんですよ。こういう世界にしてしまった責任は我々がとろうって人ばかりなんです。ウズミさん偉いな、と思ったの。我が子を助けて、自分達は残って」
てたみたいで、批難のされ方も、似てる。未熟な子供(カガリ)に国を託すのか、幼い子供を置いていくのか?

ウズミやタリアが、この世界の(具体的にいえば戦争)状態に対して、責任があるわけではなく、
彼らはその中で、完全ではないにせよ、自分の立場に対して責任を果たしてきた人間でもあり、
本来、彼らが死して負わなければならない責任はない。

わりとテーマ的な意味合いが濃い部分だなと思う。
例えば、現状を齎した人間、それは無印だったらパトリックやアズラエル、運命だったらジブリールやデュランダル、という人間だけを糾弾し追放してそれで良しとしたくはなかったんだろうな、というか。
無印のウズミ、運命のタリアというのは、彼らを(彼らの画策による世界の動きを)止められれなかった、あるいは彼らにその選択や行動をさせた、
そして、彼ら(パトリック達)が作ろうとした世界に対する明確な反意も込めていると思う。

残してきたもの、残してきたものにだってあるはずの大きな責任。

似た文脈では、ナタルとレイか。
「貴方はここで死すべき人だ私と共に」

同時にそれは、貴方に撃たせないという意思もあって、マリューやキラを庇い、そして二人に託してる。
(そういう意味では、ウズミにせよ、タリアにせよ、ナタルにせよ、キラ以上にマリューというのは託されている人な感じもする)


ただ、タリアとウズミは、その局面で本当に死ななければならなかったのか?という意味合いでは、
よりテーマ性が濃い。

”この時代に対する責任”という観点でみれば、無印では、その対象はウズミという為政者だったけど、
運命では”母親”に降りてきたともいえるかもしれない。
冒頭、シンによるアスハの糾弾も、アスハ(為政者側)の罪を鳴らすというばかりでなく、
一般市民、であるシンもまた特に力を持った今は、責任の主体としてその罪を問われる立場として引きずりだされてる続編でもある気がする。

カテゴリ依存への批判を積み上げてきた作品が、最後には、その批判を聖域たる母親、というものに及んだ側面もある気がする。
私には難しいことはわかりません、ただ私は母として子を慈しむだけ。
その姿勢は、間違ってはいないけれど、反面、社会に対する無関心の裏返しにもなりえるし、
女が子供を生むことは、国家にとっては、戦時下において、兵士の補充に他ならず、
またその母親が、子供をどう育てるかというのは、国家体制において重要な意味合いを持つ。
母性が、戦時下において、戦争への共犯・協力者として仕立て上げられる可能性を見れば、
母であると同時に、ひとりの人間として、その国家を構成する一人として、
主体的に、現状に対する疑問をもって行動し、自らの責任で行動したときに、なにが変わるか。なにを止められるか。

多分、タリアの行動ないし選択を、賞賛されるものとして描いてはないと思う。
それは、ドラマCDで、残された息子が、自分を母親に捨てられた子供のイメージとして強く捉えていて、
タリアの行動は、母親として間違った行為だという前提で描いてると思う。
タリアという人が、今の世界の情勢や、ギルバートというかつて愛した一人の男に対する責任、
それをどう捉え、なにに落とし前をつけたか。
もし誰もが、国の為、同胞の為、家族の為、子供の為、友達の為
と言い募り、おこった結果に対して、自分は間違っていないと居直り続けるならば。世界や社会の為に対して誰にも抗えなくなるのではないか。
そんなメッセージ要素が強い場面かなとは思う。
誰かの為とする人間は、容易に誰かのせいにもする。

母体から生まれていないキラ、母も父もないというレイ、
彼らこそが、デュランダルを否定し、そして母であるタリアが。自分の属性ではなく、彼女自身の生暦の中で、
彼女の選択によって半ば副作用的に導かれた結果に対して、向き合うことにより、
母、というものが絶対的なものではなく、相対的なものとして描かれてる気がする。





ドラマCD4感想

2014-04-27 22:01:23 | SEED DESTINY
ネタバレ


わりと考えすぎだ的な部分めっちゃ多いです。感想というより、背景予想記事ですので、
純粋にドラマCD楽しかった感想を読みたい人はまわれ右した方がいいです。






パジャマパーティーというより女子会であり、そして実相は新入生歓迎会だったかな、という印象

3巻の男子会が、シンとアスランの仲を心配した周囲が用意した会なら、
こちらはルナとラクスを取り持つための会だったと思う。

どうも終盤のシンの言葉から察するに、ルナがラクスに怯えてるっぽいのは、
周囲にも察せられてっぽい、
シンがキラ相手にルナのことを「俺の彼女が~」みたいな言い方で話題にしてもいるっぽいので、
ある程度キラにもその事情は伝わっていたかもしれないと。

どうも、シンやルナマリアがオーブにきているのは、戦後の安全保障のプログラムの一環としての
交流出張みたいな感じらしく、ラクスはそこで重要な役割を担ってるっぽい。

多分だけど、キラやメイリン(やシン)が心配していたのは、ルナのラクスへの隔意。
ラクスが心配してたのは、ルナマリアの現在の立場の心情だと思う。

故郷であるオーブに出向という形で戻ってきたシンの心情も複雑ではあるけど、
これはもうどこまでも本人の問題、
ただ、ルナ自身には、オーブという国に対して、特に思い入れはない。というよりも、
戦中のことをいえば、セイランのやったことといえ、連合に売り渡された過去もあるし、
オーブ軍の派遣、それによるAAによる戦場介入によって、ミネルバは多大な損害を受けてるし、
彼女自身も負傷してる。
ルナマリアがそれを引きずってることはなくても、彼女自身オーブという国に対して好意的である理由はないし、
もともと選民意識の強いプラントのコーディネイターにとって、オーブという国の印象は、
先の戦争の因縁をおいても、それほど好意的な国ではないはず。
おそらく、交流出向に自主的に参加するザフト兵はおそらくあんまいないと思う。
命令だからというならまだわかりやすいけど、ルナの場合は、ただ「シンが心配」の一念で、これに参加してる。
ラクスとしては、わりとその辺りが気になっているのではないかな、と。
あの「愛していらっしゃるなら」を連呼してたのは、その辺りのルナの心情が気になっていたのではないかと、
ラクス自身に覚えのない感情でもないだろうし(無印後オーブで二年キラを支えてた)
プログラムの中核にいる人間としての、ルナの心情も気になると。(心配というと驕ってるように見えるけど、
どっちかっていうと、同郷でもあり、同胞でもあり、同性、そしてなにより同じプログラムの参加者として、同志のして、
ルナとは協力しあっていきたいという心情は強いんじゃないかな。
キラとシンという、有能なパイロットかつ、心の傷を負った(戦争の中である意味での故郷(変える場所))を亡くした恋人をもつ同士ってのもあるのでは??とも)

一方、キラは、ラクスがある意味誤解されてるって部分が気になっていたんだと思う。
キラが、カガリではなく、ラクスの近くにいることを選んだ理由のひとつは、
プラントにおいて、ラクスの虚像が独り歩きしてることへの懸念はけっして少なくないだろうし。
万人に理解されることもできないし、ラクスにしても、場合によっては自分の名やイメージを利用することに躊躇いはないだろうけど、
ルナはわりと身内に近いだろうから、そのあたりは一度抑えておきかった気がする。

私も、キラが着ぐるみ被ってにゃんと言ってみせることを、素で普段してるのは思わないので、
あの着ぐるみの意図というのは、階級とか立場とか、そういうのをこの場において無効にする為の小道具だと思う。
キラもラクスの為に頑張った!んだと思う。
本来なら、女子会といいつつ、キラがいるのはなぜに?となるわけだけど、世話役=ネコちゃん=キラでない、という
強引な論法でキラがそこにいたのも、
誤解されるラクスが心配である、というのと同時に、
どうもキラの方がまだルナマリアとは面識がありそう・・・
というか、シンとキラが意外にすでにそれなりにすでにコミュニケーションとってそうなので、
そのあたりの繋がりで、ルナとの仲介役だったかな。
初め、女子3人の女子会でことで、三人がそれぞれの彼氏(キラとアスランとシン)についての話になるかと思って、
あまりキララクの話題がでなかったことにしょんぼり感があったんだけど、
キララク夫妻(仮)がホスト役になって、メイリンとルナマリアを呼んだ。
目的は、ルナマリアとラクスの対面、といった感じだったかな、と。

アスメイ絡みでは、
メイリン→アスランについては、予想通りの感覚かな。一部先走った、メイリンはアスランに恋焦がれていて、
それゆえに脱走を手伝い、彼に着いて行った、という論には保留をかけた感じがしつつ、
アスランがけっこうメイリンを気にしてる様子も垣間見えたので
(本編は、脱走に至るまでと、脱走以降、メイリンがアスランを見てる、という場面は凄く多いんだけど、
アスランがメイリンに気にかけたり、声をかけたりするのは、メイリンの方でアスランを助けた時だけなので、
アスラン→メイリンがいまいち見えにくかったけど、俺もメイリンが心配だから、という理由で出向く辺り、
けっこ気にかけている感じがするし、ただの義務感だけでもなさそう。
ドラマCD、結局アスラン女性関係については、決着はつけてないけど、
アスメイ的な補完はしたと思う。
現在の感触では私は、まずアスカガ決着にするだろうな、と思っているけど、
アスメイ的な所を補強した感触。

キラがメイリンがアスランを好きという認識がなかったことには、「鈍っ」と思ったけど、
状況から「メイリンが命がけでアスランを助けた」「今もアスランについてオーブにいる」というところから、
メイリンはアスランが好き、という判断をしてるルナマリアやカガリに対して、
それが恋慕とかそう言った感情ではない、というのがキラの見解だったのかもな、とは思う。
メイリン自身も、自分の感情のくくりを冷静に区分けしてるし、他人のそれも見てて、
アスランとカガリが、恋愛といえる感情でまだ細く繋がっていて、
自分がアスランに向ける感情や、アスランが自分に向ける感情はそれとは違うことはわかってる。
かといって、アスランとカガリの関係に対して干渉するつもりはないし、こうなって欲しいという願望みたいのもない。
アスランが好きで支えたいという気持ちもある、アスラン自身の自分の負い目もわかってる。
一番ストレートなところでいれば、なるようになるだろう、というあたりが正直なところな気がする。
カガリが決めること(アスランよりも国も選ぶ)カガリのその決意が見える言葉を直接受け取ったのはメイリンだけだし、
「あいつ頼むな。私は一緒に行けないから」
それに対して、アスランがどう思っているか、「今はこれでいい」察してもいると思う。
「これは私の問題」「これはアスランさんの問題」「これはアスハ代表の問題」と分けて考えていて、
メイリンはアスランと未来を歩きたがっている、がアスメイ好きな人の願望なら、
メイリンは、アスランとカガリの仲を応援したいと思っている、というのがアスカガ好きの人の願望だと思うけど、
わりとメイリン自身はどっちからもニュートラルな立場にいると思う。


ところで、なぜラクスが、ああゆう風に思われるというのは、
ラクスどうこうというよりも、力あるものの宿命というか、

力あるものに対しては、人は2種類の思いをいだくのではないかと思う。
ひとつは「自分になにかを与えてくれるかもしれない」
ひとつは「自分がなにかを奪われるかもしれない」

キラも力を持っているけど、周囲が認識できる、キラの力というのは極めて即物的=MSを扱わせたら当代彼にかなう者はいない
(それが物語を通してのキラの苦しみにもなっていたんだけど
「僕がどんな気持ちで戦ってきたか誰も気にもしないくせに」「こんなことばっかりやってます。できるから」「力だけが僕の全てじゃない」
カガリも期待を背負っているけど、カガリに求められることは、大変だけどわかりやすい。
オーブの理念、国土、国民生活の防衛。
しかし、ラクスの立場というのは象徴的であり、彼女になにかを求めている人間は、
「自分が彼女になにを求めているのかがそもそもわからない」という状態になりかねない、
その要求は、際限がなくなり、実現性の有無も自己検討されない。悪い結果や、不満をひたすら転化されかねない危険なものであり、
そういう意味では、ラクスというのは難しい立場であり、そういう世界に彼女は身をおく。
ミーアの件で、よけいラクス・クラインはなんだったんだろうという状況があるし、
彼女の知らぬ人ほど、そのベースを自身の期待にして、そのラクスイメージを組み立てる。

そして、彼女と接点がある人間は、自分がしてこと(しなかったこと)を、
相手に”知られている”ことから、相手からの報復に怯える。
それは、コペルニクスでのミーアにもあった心情が気がする。

力あるものからは益を得たい、だけど力あるものに知覚されることは恐ろしい。
なにか、すこしでも、覚え、があればなおさら。

ある意味では、ルナのように、怯えてくれていた方が害が少ない。
世界中で、ラクスが正確に理解されることは不可能であり、またその必要はないけれど、
直接対話すれば、解ける程度の認識のズレはほどいておくに限る。
ラクスのキャラが、ちょっと違ったのは、わざと”ルナのイメージするラクス・クライン”をなぞっていた気がする。
ルナ自身のイメージと、実際に話してみた彼女との差異を認識しやすくするために。

お酒と美味しい料理、恋話という道具と、ひと夜の時間。
最初の緊張を解くための、着ぐるみと動物語。その世界観作りのパフォーマーとしてのキラ。
ラクスを守る、という想いのキラにとっては、かなり本質的な”仕事”だったかと思う。

そしてやっぱめっちゃきつかったんだと思う。
アスランとシンを迎えたキラの声のトーンの違い。
目論見通り、ルナもだいぶ打ち解けたので、
多分近日中は、彼女達についてのろけまくるアスキラシンと、
彼氏達について、愚痴りまくるメイラクルナの、今度こそ、男子会と女子会の開催は近い・・・!と思う。

あと、キラとメイリンが、奇しくも、着ぐるみを着るか着ないかという命題で、
選ぶのは貴方テーマをなぞっていたなと。

運命リマスター49話「レイ」運命リマスター50話「最後の力」

2014-04-13 15:21:12 | SEED DESTINY
ラストはキラのことでまとめたいので、あまり話数関係なく、その他キャラについての感想をさらっと(正直)

最終戦については、
戦っていくことを宣言したキラ以外のキャラについては、救いのためのシーンになってる印象、
議長、レイ、シンあたり。

議長に対しては、タリアに選ばれること。
レイに対しては、シンに選ばれることと、キラの明日に希望を見ること。
シンに対しては、アスランがちゃんと向き合ってくれたことと、ステラの言葉。

種ではわりと、感情の仮置き場、ともいうべきものがある気がする。

仮に、緊急避難的に、物事の因果を決めつけたり、誰かを憎んだり、逆に依存したりすること。
それを経ずに、いきなり、正しさ、にはたどり着けない。

フレイは、キラやコーディネイターのせいにすること。キラがコーディネイター”だから”本気で戦ってくれず、”そのせいで”父親が死んだという、そのせいにすること。
キラは、フレイの自分への気持ちが本当だと思い込むこと。「フレイや優しかったんだ」自分を守ると言ってくれた唯一の人。

アスランは、プラントを守るやナチュラル蔑視の感情、キラを否定し、特にニコル戦後、キラを殺したいほど憎むこと。
そして運命では、議長やザフトで望まれ、肯定されること。
カガリは、一度オーブ国政から離れ、AAに保護され、キラに今までごめんね大変だったねと、抱きしめてもらうこと。
シンは、オーブやアスハを否定し、そしてステラを殺した相手をキラとして、フリーダム攻略に意識を集中させること。
レイは、議長やクルーゼに大切に育てられること、シンが自分もレイと同じ気持ちだと言ってくれること、

それらは経過としては確かに必要だったんだな、と思う。ただの間違いや寄り道というわけではなく。
ただ、
「間違った・・・間違ったよね、僕たち」

という言葉のとおり、その仮置き場というのは、仮にすぐにおける場所だからこそ、
決めつけや思い込み、事実誤認、依存、嘘、そういったものも多分に含んでいる。自分とって都合の悪い側面はみないうえでの、
その時の彼らの真実だから。
そこからいかに離脱するか、あるいはそこを本物にするかの経過が描かれるイメージ。

(・・・キラの場合、フレイとの関係を本物にすることはできなかったけど、
傷つけあった・・・というか、フレイとの関係から植えつけられた自分を責める心情(守れなかったトラウマ)を、
ラクスとの関係に多かれ少なかれスライドしてる印象はあるし、
シンルナの場合は、二人の関係の中で、変異を経て(アカデミーの同僚→姉と弟的な気遣い→不安定な恋人→共に歩く人的な?)いくのなら、
アスカガが、焦った二人の関係を本物にするか、あくまでパートナーな別の人にするか、
そういう意味じゃ双方の先例があるから、どっちに転ぶかわかりにくい・・・。)

それが後からみて、後悔をもった過ちとして認識されるものになったとしても、
その時には、確かに必要だった場面や言葉というのは確かにあって、

アスランは、ホワイトシンフォニーでラクスの糾弾を受ける前に、カガリとの感情共鳴と肯定される経験を無理だったと思うし、
逆に、今回改めて、ラクスやカガリと向き合う前に、プラントで、どんな思惑であれ、議長に君は君だ、と君には負い目はないと肯定してむらう経験は絶対に必要だったとは思う。イザークやミーアに望まれることも。

議長、アスラン、レイ、シンは、 最終話では、奪われた者、選ばれなかった者として登場する。

そしてその帰結こそが描かれる。

シーンごと新規になったシンステだけど、ここはキャラの表情以上に、
背景が個人的には大きいんじゃないかなと思ってる。宇宙の深淵から、水面が描かれる。
これはおそらく、ステラの水葬と、回想と共にシンが落ちていく演出の回収かなと。

ステラはシンを引き上げるわけではない。
キラにはフレイの言葉は聞こえず、フレイの姿は見えない。ただ、フレイが伝えたい言葉を言い、居たかった場所(=キラ)に帰るという、
フレイの救いとして描かれる反面、
シンにはステラの姿は見え、言葉は聞こえるけれど、ステラに触れることはなく、距離は遠ざかっていく、
ただその姿そのものが光になる。

ステラの言葉の解釈は、正直私には無理だと思っているけれど、
変化の肯定はあるかな、と思う。
昨日、今日、明日。 過去、今、未来。
それは、昨日と今日が違うからこそ、昨日と今日は違うと認識でき、今日と明日は違うからこそ、今日と明日は認識できる。
ラクスの、自分以外の誰にもならないからこそ、自分や他人とであえる、というのと
価値観的には共通だと思う。
「あなたを見つけて、私は幸せになりました」

価値観の変容は、時間の経過、人との出会い、人との関係性の変化、自分の気持ちの変化そういったことの
相対性の中に絶えず、あり、その変化は、それは人によっては負荷になり、人によっては希望になる。

「変わっていける明日。それが僕らの選んだ未来」

よりよくなるかもしれない。より悪くなるかもしれない。
それも、もしお互いが離れてる間に、変わってしまったら。
だから、願うし、誓うし、約束する。

アスランがキラに贈ったトリィ。ラクスがキラに託した指輪。アスランがカガリに渡した指輪。キラとラクスのお互いへの約束。シンがステラに渡した貝殻。
そして、また会える。また会いたい。帰ってきて。かえってきます。もう会えなくても、幸せになって。

曖昧で不確かな中で、唯一起点になりえるものは、今の気持ち。だから、今も強く肯定されている。

「こうして今君がここにいる。それが本当にうれしい」

45話で抱き合う、アスカガや、お互い抱き合って泣きあうことしかできないシンルナもそうなんだとは思う。







レイとキラ。アスランとシンについては、今話で決着をつけてる。
キラはレイの命を君のものだと肯定し、逆にいえば、レイの選択はレイのものだという、君の本当の望みは本当にそれなのか、
という問いかけがある。

あってはならない存在という自己イメージ
「僕は・・なんだったんだろう・・・生まれてきちゃいけなかったのかな」
「あってはならない存在だというのに」
「だからあなたも消えなくてはならない。俺達と一緒に」

「でも違う、命はなんにだってひとつだ。だからその命は君のだ。彼じゃない」

キラもまた、クルーゼの呪縛に囚われてきた人だと思う。

君はこうするべきだ、君はこうなるべきだ、そうでないなら君はいらない。そうである君は死ぬべきだ。
誰かに言われるまま、それに従うのも一つの道で、
例え、それが否定の言葉でも要求でも、自ら選び、自ら抗う必要はなくなる。


「知らぬさ。人は自分の知ることしか知らぬ」

クルーゼの知ってること。キラの知っていること。レイの知っていること。
そこに差があるなら、そして同じことからも、そこから想うことが違うなら。

なにを望むか、なにを選ぶか、そして選ぶことに伴う痛みと代償。

「彼の明日」

知っていることで、自分の感情で、選んだことを、選ぶために、そうせざるをえない場面がある。

「だから僕は、あなたを撃たなくちゃならないんだ。それを知っているから」
「戦わずに済む世界ならいい」
「でも、僕は」

レイの知っていること。クルーゼ。ギル。そしてシンにルナマリア。
彼らとのかかわり、彼らを見てきたこと、彼らと共に過ごしたこと。彼らがレイにしてくれたこと。

「だけど僕達はそれを知っている。わかっていけることも。変わっていけることも」

キラの知ることは、レイもまた、レイ自身の関わりと生の中で、知っていることだったから、だからレイもまた議長を撃たなければならなかったと。
知っていることを知らないふりをすることはできず。知っているからこそ、それが希望になる。
「いつかは、やがていつかはと」「そうして未来永劫血の道を行くのだろう、君たちは」「でも誰も選ばない」「私の言っていることは本当だよ」
クルーゼの言葉も議長の言葉も真実で、そして、彼らの言葉しか知らぬ(そして彼らによって大切なものを奪われ脅かされてきた)キラにはわからない、人としてのクルーゼや議長を知ってるレイは、
彼ら自身の願いや望み、矛盾も願いもある、一人の人間としての、彼らの望みすら背負って、議長を撃つ。



「お前は本当は、なにが欲しかったんだ」

正しさで、シンに対峙してきたアスランが、自分と重なる部分を持って、シンと対峙する。
自分が何から逃げてきたか、もう取り戻せないものを、もう取り戻せないと受け入れること。

奪われた自分、自分の傷、だけど、その先に、奪う自分と傷つける自分がいる。
怒りと傷の在り処を直視すること、力のない自分、自分の望みを叶えてくれない誰かへの怒り。すり替えてみないようにしてきたもの。

その怒りの本当のわけ。その傷の本当の在り処。生涯埋められない損失。
その場所を正確に知ること、それと向き合うこと。それが、生涯取り戻せないことであることを突き付けられてなお。



以下は愚痴。



この場面での、アスランとシンの描写を見てると、なぜ彼らが運命の主役になれなかったのかというのを想わざるをえないというか、
(作り手側の意図としては、シンとアスランの物語であるという意識とは、見方が離れた部分で)
それは別にキラが目立ったからではなくて、
アスランとシンに物語の当事者能力がなかったからだと思う。
彼らの物語の〆は、被害者としての彼らの決着だった。

奇しくもこの回は、イベント上映だったともあったから、その時の感想絡みで、恨みを込めて書かせてもらうけれど、

ステラをベルリンに、カガリを結婚式場に、ミーアをコペルニクスに導いたのは、
直接的には、ジブリール、セイラン、議長だけど、
そこにいたる道の分岐点に立ち会っていたのは、間違いなく、シンとアスランであり、キラじゃなかった。
キラは、彼女らの道の行き止まり、に立ち会ったに等しく、
ステラを戦場に返したのはシンだし、
議会で孤立してるカガリを見捨て、ミーアの嘘を放置したのはアスランであり、
彼女らの生き道を変える局面に立ち会っていたのは、キラではなく、アスランであり、シンだった。

アスランが、居心地の悪さ、居場所のなさを我慢して、カガリの補佐を続けていたら、君は正しいといい続けていたら、
シンが、もし、連合にステラを返さず、ステラの待遇改善を、ザフトの中で根気よく主張できたら、
アスランが、ミーアのことを最初からしっかり向き合い、その危険性を認識できていたら、

無理な要求ではあると思う。だけど、それを「できなかった」「やらなかった」「それゆえの結果」に向き合う責任は、
本当にアスランやシンにないのか。

だけど、作品としての演出で、彼らはその責を問われなかったし、彼らがやったのは、
行き詰った彼女らの場面に介入したキラを責め憎むことだったと思う。
フリーダムを殺しにかかったシン、ダーダネルスで、カガリとキラを責め立てたアスラン。

そうしないと話が回らなかった、というのは正直なところだと思う。

キラがカガリの結婚に介入し、オーブの軍に語りかける役割の補佐を務めたことで、
カガリとアスランの物語は、

カガリとキラ、キラとアスランの物語に分断されたし、
キラがステラを殺し、そのキラをシンが憎んだことで、
シンとステラの物語は、
ステラを殺したキラ、その仇を討とうとするシンとキラの物語に分断された。

アスランが、こうしたから/こうしなかったから こうなった。
シンが こうしたから/こうしなかったから、 こうなった。

その観点がドラマの観点にでてこない以上、彼らの物語は、ほかのキャラの客体としてしか回らなくなると思う。

ミーアについては、アスラン自身が「俺が認めなきゃよかったんだ。こんなことは駄目だと」と自分を責めてるけど、
44話と46話、ラクスとミーアの対比に見せたゆえに、
今までのこの作品のやり方(とりあえずキラのせい)に慣れきった視聴者は、相変わらずキラとラクスを責めてる場合が多い。
カガリ誘拐の中の人の分析とか、ステラの死に対しての無遠慮な「ひどいね」の言葉とかね。
ステラのことだって、アスランがもっと真剣に、シンやステラに向き合って上層部と兼ねあう道を探れていたら、
また違った経過になったかもしれないのに、
結局手だてがなくなってから、キラにお鉢が回ってきて、強引な手法で処理したら、今度はそれが批難や揶揄の対象になるんだと。
ステラの件については酷だけど、
カガリとミーアの件については、アスランにそもそもお前の不始末だろうがと胸倉掴んで言ってやりたい。
アスランにはキラみたいに非常識なマネできません、とかその非常識なマネをするハメになったのはそもそもお前にも原因あるだろうが。
キラに後始末つけてもらって、二人はライバルとか笑わせてくれる。
キラが最初から動いていればよかったというならば、アスランは初めからなにもするべきでもしようとするべきでもなかったんだ。

アスランの脱走の問題は、脱走したことじゃなくて、一度裏切った場所に、前と同等以上の待遇で戻れることで、
なにをしてもしなくても、同じなら、その選択にも悩みにもドラマとしての価値なんてあるのか?
人を殺しても恨まれず、裏切っても信頼を失わないとか、アスランなんでもありだし、悩むことってそんなに上等なの?

アスラン側の説得力を持たせるために、24話のキラは、かつてニコルを殺した人間として、42話のラクスは、かつてアスランを裏切った女として引きずり出されてる感じもするのが不愉快。
ミリィが立ち会ってることやなんかで、アスランがかつてトール(キラの友人)を殺したことや、偽物容認という間接的なやり方で、
ひとりの人としてのラクスを軽視し、ラクスやシーゲルが歩んできた生き道を愚弄したことを、自覚もなく棚に上げてる身勝手さの示唆もあるかもだけど、どっちにせよあんま伝わってないよねとは思う。



戦後、本人たちは自覚してるから、合流以降キラを責めない。だけど多分それは伝わってない。
どうせまた、キラ贔屓だの洗脳だのと言われるんだろうなと。






DESTINY リマスター48話「新世界へ」

2014-04-13 12:22:24 | SEED DESTINY

シンとレイについて書くべき話数ですが、ここはキラ以外はどうでもいいというスタンスなので(ry


○キラが自身に戒めてきたものはなにか


「戦うしかない・・・か」
「キラ?」
「向こうもそう思っているんだろうなって思って」

運命になってからの、キラの言葉の端々には、ひとつの思想がある。
自分(達)と、相手(側)が自分とまったく違う存在である、自分とまったく違うものを求めている、
そうゆう風に考えないこと。

「僕達は多分みんな、きっとプラントも地球も、幸せに暮らせる世界が欲しいだけなんです」

性善説とか理想主義というのとは違う、
人はそんなものかもしれない、ということを踏まえたうえでの、
自分がそれを”裁く”ことへの戒め。

自分は正しいが相手は間違っている。
自分は平和を求めているが、相手は求めていない。
相手が間違ったことをしているから撃つしかない。


「お前達だって連合がここでなにをしているか知っているだろう。それはやめさせなくちゃならないんだ」
「悪いのは全部地球軍なんだ、あんただってそれと戦うために戻ってきたんでしょう!?」


「彼らは言葉の聞かぬのですから」
「聞かぬから、だから撃つしかないと。あの国に刃を向けることが」


自分に夢があるように、相手にも夢がある。
自分に望みがあるように、相手にも願いがある。
自分に大切な人がいるように、相手にも大切な人がいる。
自分にエゴがあるように、相手にもエゴがある。
自分に間違いがあるように、相手にも間違いがある。


「それでも、守りたい世界があるんだ」
「実際正しいんだろうし」
「そうなのかもしれません。でもそうならない道を選ぶこともできるんだ。それが許される世界なら」


世界を、正しいものと正しくないもので分けるのが、議長、プラントサイドの思想なら、
世界を、自分と自分でないものに分けるのが、キラ、オーブサイド。

「他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない」

オーブを、平和の国とか、理想の国とかいう前提でみてると、どこに軸があるのかわかりにくいと思うけど、
オーブがどう誤解されてるか、というのは、序盤のシンやキラ(=戦争をしたくないからオーブを選んだ)というところでスタートし、
理解し支持したキラ、
逆の道を選び、そこでより以上の悲劇に加担したシン、
反発と共感、理解と無理解双方を抱えたままで、オーブのトップを務めることになったカガリ、というのは、
種シリーズの軸のひとつだと思う。


プラント、オーブの思想をそうだとすると、
プラント側の問題は、正しさをどこにおくか、というのが問題になり、
オーブ側の問題は、自分とは誰か、ということが問題になる。


プラント側は、自分たちの正当性を、無印から運命前半まで、ナチュラルより優秀な自分達、連合やブルーコスモスの非道に虐げられる自分達という
自己イメージに依っていたと思う。
「なんの罪のない人々が殺されたんだぞ、子供まで。それで黙っていられるか」
「連合がここでなにをしているか知っているだろう?それはやめさせなくちゃならないんだ」
「ロゴスは別です。あれはあってはならぬもの」
他者依存の規定であり、おそらく、彼らは、”敵”を失った時に、自らのアイデンティティも失う可能性は高い。
そしてまさに、その敵を失った時に(45話で果たされたロゴス殲滅)
議長が提示した新たなる正しさ。自分の中にある理由と、自分の内にある理由。それが遺伝子。
連合側の明らかな非道、というのは正義を実感するにわかりやすい、ただ、そこには物事の単純化もあれば、そしてなにより敵を供給しつづけることはできない。
より永続的で客観的な指標こそが、遺伝子による管理ということになる。


個人的な解釈による、運命プランの肝は、価値観の統一にあると思う。
運命プラン下において、悲劇とはなにかといえば、それは人の死ですらなく、価値観の衝突と、葛藤。
それは、他者との関係においてもそうだし(身近な相手にせよ、会ったことも会うこともない他国の人間にせよ)
自分の中にあってもそうで。

なにを選ぶか、なにを望むか、そしてそらを選び、望んだことで失うものはなにか。

オーブは、理念を選び、結果として国を戦場にし、国民に犠牲を出した。
オーブは、同盟を選び、結果として、異国の地でオーブと関係ない戦いで兵士を死なせ、ザフトを敵とし、再び国を焼かれた。

タリアは子供を選び、デュランダルを選ばなかった。
キラは、同胞よりも、目の前の友人を選んだ。
ラクスは、国に定められた相手より、自分の想いを選んだ。
カガリは、アスランよりも、自分の幸せよりも、国を選んだ。
アスランは、ザフトの兵士であることよりも、ひとりの人間であることを選んだ。

他方、選ばれなかったことにより、自分には選択の余地なく、ただ選ばれなかった事実のみを背負う人間がいる。

キラに選ばれなかぅたアスラン、ラクスに選ばれなかったアスラン、カガリに選ばれなかったアスラン
(そこには、アスランの方で、自分は彼らに選ばれるはずという怠惰ともいえる慢心がキラ達の立場や心情に寄り添わせず、キラ達に諦めさせた側面も十分にあるんだけど)
そして、タリアに選ばれなかったギルバード。
オーブの選択により、家族を失ったシン。
カガリの選択により、異国の地で無駄ともいえる死を迎えることになった多くのオーブ兵。

初めから選択の余地のなかったステラたちエクステンデット。
自身の選択により、自分を破滅に導いただけでなく、周囲の生き道も大きく変えてしまったフレイの選択。


選ぶ人間には、選ぶ葛藤があり。
選ばれなかった人間には、選ばれなかった事実が残る。

初めから、選択の余地などなければ。

運命プランは人の死を最上の悲劇としてカウントしない。
プラン実行にもっていく為のこの多量の死を強い、そしてレイが、自身やクルーゼ、キラをあってはならない存在だとみなしていたことからもそれはうかがえる。
世界の求める基準や定数からはずれた人間には速やかに死んでもらう、
その滞りのなさ、こそを標準とするプランだとは思う。どちらかといえば、強者に合わせたプランだとは思う。

「本当に不幸だった。彼は。彼がもっと早く自分を知っていたら、君達のようにその力と役割を知り、それを活かせる場所で生きられたら」

「人は自分を知り、精一杯できることをして役立ち、満ち足りて生きるのが一番幸せだろう?」





それと逆をいくのが、キラとラクス、オーブの思想。

「オーブの理念と法を守るものならば、誰でも入国、居住を許可する国」

「僕もコーディネイターですから」「あなたが優しいのはあなただからでしょう」
「私はラクス・クラインですわ。キラ・ヤマト」
「なんであれ、望む心が貴方ですわ」
「人は自分以外のなにものにもなれないのです。だからこそ出会えるのでしょう。人と。そして自分に」
「命はなんにだって一つだ。だからその命は君だ。彼じゃない」

他国と自国。自分と他人。自分とはなにか。
そのベースになるべきものを、常に自分で設定し、”選び続けなければならない”

選ぶ余地をなくすことが、議長側の思想なら、
選び続けることが、キラ側の思想になる。それは自分は何者かということすらも。むしろ、何を選ぶかそのものことが、自分であるということ。
そこには、正しさという基準すら、絶対的な基準にはならない。選んだことで、他方を失い、他方と軋轢をうみ、誰かに嫌われ、誰かに恨まれる。
そこにこそ、人の尊厳があると、果たして信じることができるかどうか、かもしれないな、とも。


運命リマスター47話「ミーア」

2014-03-18 23:05:20 | SEED DESTINY


○演者としてのミーア(とアスラン)

運命プランの演出意図としてのミーアと見ると、
運命プランは、遺伝子を基準にするので、ラクスの役割=ミーアと見ると、いまいちピンとこないんだけど、
役割としてみれば、わかるというか、
要はミーアは、アイドルとか偽者とかで見るよりは、女優としてみたほうがいいんだろうな、という感じはする。

ラクス・クラインという役名。議長が用意したものは文字通りの脚本なんだろうと。
ミーアに、ラクスを騙ることへの(ラクスに対する)罪悪感が乏しかったのも、
配役感覚だったのもあるのではないかと。

アスランとミーアについては、どこか劇場的というか、
他人を観客としか思っていない感じがどこかある。
二人とも善良な子であることは疑わないけど、主役の自分と、それを見る他人。
こうでありたい自分のイメージがなによりも軸で、
周囲の人間は、こうであるべき存在として、周囲に配置される。それは恋人役であり、敵役であり、悪役であり、仲間役であり。
自分が楽しませてあげたい。なにかしてあげたい。
自分が楽しませてやっている。なにかしてやってる。

気に入らなければ席を立てばいい。

その舞台の長は議長であり、彼の筋書き通りに演じれば、皆も喜んでくれる。
そして彼以外の人間を気にすることはない。
そして彼女に見える範囲は、自分を見上げる観客の視線まで。劇場の外は、彼女にとっては存在しない。

ミーアも、アスランも、自分の放った言葉が誰を殺し、自分の知らないところで、誰にどんな葛藤があるか、この舞台から放たれた銃が誰かを殺してる
そんな現状認識がどこか稀薄に見える。

アスランは、カガリやキラに、舞台裏を支える役割を期待していた気がする。
だけど、カガリがいたのは、アスラン以上に過酷な現実であり、アスランの選んだ陣営の放った銃はオーブ兵を殺している。
アスランとミーアを主役とする舞台装置が世界の中心なのではない。
アスランとミーアのいる世界と地続きで、彼ら以外の人間は、数十億の人間が、同じ現実を生きている。

彼らの舞台を破壊したのは、キラとラクス。
セイバーを切り刻むことで、アスランの自己認識とミネルバとの立場を壊し、
世界にラクスが二人いると知らしめることで、ラクス・クラインの役名を無効にした。

アスランとミーアの、ヒーロー願望、ヒロイン願望はこのあたりで崩されたと思う。

アスランとミーアについては、
人は権力の傘のしたにいるときや、匿名のときに、どう無責任になりえるかって部分も掘り下げればあると思うんだけど、
ラクス-ミーアの物語にシフトさせ(かつ議長を悪役にして)表面的には綺麗にまとめたなという印象も。





序盤の感想で、カガリが、ウズミの仮面をかぶっているように見えると書いたけど、その印象は最後まで変わらず。
アスラン、ミーア、カガリ、そしてユウナは、なにかしら”演じた”人だったと思う。

無印のテーマが、カテゴリ依存批判として、個人と組織の対比なら、
もう少し、ここの個人的なケースとして、組織に所属するよりも、もっと卑近でさりげないやり方で、自分をなにかに預けること。

それは「自分の言葉で話さないこと」

序盤、ドレスを拒み、父と同じ服に身を包み、年にも立場にも現状にもそぐわない”強気な態度”で、
自分の近臣すら顔を見合わせるような態度を議長に対してとっていたカガリ。
ユウナが、対ロゴス宣戦以降、状況の逆転に気付かず(対応できず) かつてのウズミと同じように、
ジブリールなどオーブにはいないと対外的に言いはなかったユウナ。

あの時とは政府も状況も違います!

カガリは、ユウナに、かつての自分の姿を見たと思う。

誰しも、自分の能力を超えた事態に直面すれば、なにかに”依存”する。
常識やルールを盾にものいうこと。
誰かを引き合いにだすこと。誰かの言葉を引用すること。
「自分だけじゃなくてあいつもやってるじゃないか」
「皆もそうしてる」
「命令だった」
そんな物言いもそうかも。

議長の用意した脚本を読むミーア。

そしてアスランもまた演じていたんだと思う。”ザフトのアスラン・ザラ”という役割を。
シンは、アスランの”個人的な体験”を聞きたかったんだと思う。
だけど、ザフトに戻ってからのアスランは、
「そこでなにをしてるんです?」「なぜ戻ってきたんですか?」「平和に暮らしてる人達は守られるべきです」

オーブで護衛をやっていたアスラン(アレックス)は、ザフトに戻ってきたアスランは、キラとシンのいる日常を破壊したまさにその戦場に、武装した人間として存在していたアスランは、
彼個人の言葉でそれに答えなかった。
無言か、もしくは、他人の言葉の引用か。

「お前にはそう見えるだろうな」「そう思いたければ思っていればいいさ」
そんな物言いではぐらかしながら。

母を殺された怒り、幼馴染と敵対した痛み、幼馴染を殺した後悔、父の姿に感じた恐怖、もしアスランが、それらをシンに語れていたら。

「俺たちは軍の命令ででるんだ」
「連合がなにをやってるか知っているだろう。それはやめさせなくちゃならないんだ」

前者は、シンに言葉を発するにあたって、軍の命令というものに説得力を委託し、
後者は、キラに言葉を発するにあたって、常識というものに説得力を委託してる(そしてこの一言からもアスランがオーブの理念を理解してないのがわかる)

そういう意味では、ルール依存、常識依存のアスランの言葉が”わかりやすい”ことは当たり前なんだよね。

自分の言葉、自分達だけにわかる”言葉”というのが、同時に他人からみて”わかりにくい”というのも当たり前。

「カガリは今泣いているんだぞ」「キラは敵じゃない」

あたりはその筆頭かな。ネタ台詞として消費されやすい言葉だけど、これはなにも依存しない、彼と彼らの言葉であると思う。

ただ文脈を共有するキラからアスランの言葉は、アスランに通じたけれど、
文脈を共有しない(アスラン、シンに対して自分のことなにも言わないからね、アスランもシンのこと知ろうとしないし)シンには、アスランの言葉は通じなかった。

(アスラン脱走後は、アスランも、自分の体験をベースにして、ものをいうようになったから
(17話の段階でも、自分の体験も踏まえているんだけど、結局軍の威信をバックにしちゃったからね)
まだしもシンに届くようになったんだけど、
逆に、シンが今度は、フリーダム打倒の根拠や、アスランとメイリンを殺したことの正当化に、軍を利用するようになっているから、
シンの方で今度は、アスランの言葉が通じにくくなっている。)

中盤から、アカデミーでともに過ごした経験や、そしてステラの件もあって、シンとレイのほうに共通文脈ははるかに強くなってる。
そういう意味では、シンがアスランよりレイの言葉を信じるようになるのは当たり前。
言葉は、ただ言葉としては存在し得ない。
その言葉が、どうゆう想いからでているのか、というのが読み取れないと、自分自身を託す気にはなれないだろう。
(それは、49話の、だからその世界はお前が守れという言葉に託されたレイ自身とシンの想いが重なることがわかっているから、
シンは運命プランへの不審を超えて、レイの想いを背負おうとしたんだし)


ウズミの真似をしていたカガリ、ラクスの役を演じていたミーア、組織や社会の常識に依存しようとしたアスラン。

カガリはウズミの言葉に、ミーアはラクスの言葉に、
そしてアスランは、自分の軸たるカガリへの想いと、キラの行動と、ラクスの言葉によって、
自分に帰ると、そんな道筋な気がする。




○感情移入する者としてのラクス(とキラ)

アスランとミーア、カガリの、なにかに依存する心情が人間らしい感情なら、
こちらもまた、誰かに感情移入するという、あまり道筋だっていない人間らしい感情で動いている気がする。

個人的には、キラにとってのもっともベースになる相手が、フレイとラクスなら、
ラクスにとっては、キラとミーアだと思っている。

ラクスからミーアへの心情というのは、好きとか嫌いとか、ある意味での”評価”の視点ではなく、
ただただ感情移入かな、と。

ミーアを助けようとしたラクスの心情、ミーアの死と想いにとめどなく涙を流すラクスの心情を、
あまり”合理的”に考えようとすると、すこしズレる気がする。

例えば、ラクスがミーアに罪悪感を持っているから、とか、あるいはミーアが好き(羨ましい)からとか。
そういうラクスに対して、自己否定感情を持って欲しいと思っている層は、そういう解釈に陥りやすいと思うし、
それは、ラクスは自分の望む生を生きていない→ラクスは自分の生き方(感情や思考の持ち方)を厭うているとか、ラクスはキラのことが好きなわけじゃないとか、
という解釈にも乗りやすい部分ある気がするけど、

なぜ、ラクスはミーアに感情移入するのかっていえば、ミーアがラクスに対して強い感情を持っていたから、というシンプルなその一点だと思う。
そのあたり、キラからフレイの感情も似てるというか。

自分に対して、どんな形であれ執着を持っている(それが相手側の都合からでてる、そして相手が利己的に利用(使用)したのだとしても)
自分の存在が、相手の人生を変えた(それが、本人たちの与り知らぬ部分で勝手に勧められたことでも)
自分の行動が、相手の人生を変えた(もし、自分が、彼女を助けることができていたら。彼らがその直前、最後で油断したのも事実だから)

だから、フレイを必死で助けようとした→だから、キラはフレイが好きなんだ。というのは、
逆に、彼らの人間らしさ、を否定してると思う。
キラが、そしてラクスが、好きな人間なら助ける、好きでない人間ならどんな目にあってもいいという人間なら、そんな”合理的”な人間なら、
彼らの人生はもっとシンプルだったと思う。
キラは無印で早々アスランの手をとっただろうし、ラクスは戦後、すぐにキラとまた静かな生活に戻ってもよかった。

自分の腕を掴む人間がいる。その必死に掴む手の爪が、自分の皮膚に肉に食い込んで血を流していたとしても、
その込められた力と、必死の、傷ついた、その表情を、その様子を目の当たりにして、
”どう思うか”それこそが、キラやラクスの人間性である気がする。
相手の行動の是非ではなく、相手への好悪とは別次元で、まさに”その相手が自分であるその時に”


キラにしても、ラクスにしても、もし、”自分が当事者ではなかったら” フレイやミーアの行動に対して否定的な感情を持ったとおもう。
そういう意味では、今回、キラは一歩引いた態度で終始いるのは、そういう面もあって、
ミーアと話がしたい、ちゃんと落とし前をつけたい、心情的に追い詰められているなら、命が危険にさらされてやるなら助けてやりたい、
そういうラクスの心情を最大限汲んで、ラクスの身が危険に晒されること承知で、ミーアとの接触に賛成した。
その反面、ミーアの死に傷つき、止めなかったアスランの懺悔を、キラは否定しない。
「おれが最初から止めておけばよかったんだ。こんなことは駄目だと」「うん」
そして、アスランの後悔を(あとになってみなければわからない。ラクスが狙われたりしなければ自分も議長を信じていたとフォローしつつ)
「ラクスがこうだって決めつめられるのは困る」といっていますし、
ミーアの死に際にもそれほど動揺を前面にはださない。

ちなみに、キラのこうゆう態度を、無印と比べての変わりようとみる人もいるけど、
個人的には、オーブの、トダカの特攻を見守る様子や、ミーアを見送る表情、レイを置いてきた心情。
そのあたりの、トダカもミーアも、レイも、ある意味エゴで自分の思いを通そうとした。
トダカは、オーブの為にミネルバを落とそうとして、ミーアは自分がラクスになるために、ラクスを殺そうとした、レイもまたプランの為にオーブを撃とうとした。
そして、彼ら自身の想いやそしてやはりエゴの為に、トダカは死んでいき、ミーアはラクスを庇って撃たれ、レイはキラを庇って議長を撃った。
彼ら自身が選んだということ。たとえ銃の向きを変えたのだとしても、それは彼は自身のエゴであり、望みであり、答えであるということ。
彼らが自分で選んだことだから、というどこか突き放した視点とともに、

同時に、奇しくも、そうやってトダカが、ミーアが、レイが、命を引き換えに守ったものは、キラもまた命と替えてもいいと思うほどに、守りたかったものであるということ。
それは「カガリに託したオーブの理念」であり、「ラクスの命」であり、「変わっていける明日」であるという。
そういう意味では、死んでいく彼らの姿というのは、キラにとっては理解と納得、共感のいくものであり、ある意味では同志的、
そこに自分の姿も見てるからこそ、あの表情な気がする。同時に、だからこそ、託された、という想いとともに。
トダカの死に泣くカガリ、ミーアの死に泣くアスラン、レイを呼ぶタリア。
彼らにあるのは、トダカの為に、ミーアの為に、レイの為に、自分のせいだという想い。自分がこうしていればという後悔。こうしてやりたいという心情。
それは、トダカやミーアやレイを客体として見たうえでの、自分の心情ベースの感情発露なら、
キラは、相手に自分を重ねた上での、感情移入と、託されたものへの覚悟を秘めてる感じかな、と。

ラクスはミーアの想いと人生そのものに感情移入し、
そのラクスの感情はかつての「僕が傷つけた。僕が守ってあげなくちゃならない人なんだ」という心情と似たものであると思う。
キラは、そんなラクスに感情移入し、そしてラクスを守ったミーアに感情移入してる。(そして同時にラクスを利用しラクスを殺そうとしたミーアへの冷たい視線もないことはないとも)




○あと運命プランに対しての個人的解釈を書こうと思いましたが別記事にします・・・

destiny リマスター46話「真実の歌」(本編外)

2014-03-03 01:06:35 | SEED DESTINY
本来ならここはラクスとミーアについて書くべき話数なんだけど、
ここの回ではキラ達の買い物シーンについて突っ込まれすぎだorz と気になっているので、
キラ以外はどうでもいいというスタンスの当ブログとしてはむしろそちらを主観的にも擁護しなければ、
という意図で今回は書きます。

あくまで主観的なものなので・・・(予防線)
ある意味”本編”に欠片も触れてないので伏せときます。


※時期

前提として、45話で一度戦争が終わっている。
経過としては、コーディネイター側テロリストが地球にユニウスセブンを落とす→それを口実とした、地球側のプラントへの無理な要求及び開戦→ザフト応戦しつつも、
もともと核で早期決着をつけるつもりだった連合側は、核を防がれた後、長期化する戦争状態の中で、むしろ各地の疲弊と反乱に悩まされ、泥沼化。
(あまり本編じゃでてこないけれど、Nジャマーで地球の主要エネルギーを奪われ、、先の戦争の疲弊、今回のブレイクザワールドの被害によって、
地球側がどれだけズタズタかというと想像を絶するものがあると思う)

そのブレイクザワールドからの報復で始まった戦争は、その状況を経て
議長の33話の演説により、対ロゴスへと色合いを変えて、その首魁のジブリールを、先の45話で落としている。
(47話の冒頭で、議長がこれを滅ぼすことができた、と言っているので、45話の段階で、プラント側は軍を動かす大義を失っている)

オーブ(AA)の動きとしては、議長の思想と作りたい世界の輪郭を見抜いた上で、
”この戦争(対ロゴス)”がプラント(と賛同者)の勝利で終わった後、情報収集の為にAAを宇宙に上げている。

議長が地道な啓蒙活動の上で、段階的に賛同者のみでの運命プラン実施を行っていれば、
AA側も特になんの行動も起こさずオーブに帰り、対決の論陣を組み、方向性を考えたかもしれない。この時点では可能性の話で、
あくまでプラントの議長が相手であるから半ばとりあえず、宇宙にあがった(クライン派の牙城も宇宙だし)し、
場合によっては数年単位の長期戦になる可能性もあった。

となると、いわば世界全体の空気が弛緩してる時期ともいえる。ジブリールが死んだ後で、
これで世界は平和になると皆が思っている時だからね。(もちろん議長にとっての本番はこれからだけど)

監督いわく、この買い物については、キラが気を利かせた。ラクスも普通の女の子ということです、ということだけど。
主にラクスの息抜きが目的ではあると思う。
これからしばらくまた戦艦暮らしではあるし、
もともとのAA搭乗も、ラクス暗殺がきっかけで、その流れのまま宇宙にあがってる。
宇宙に上がるときや、オーブでの演説などの”移動”以外じゃ、ずっと戦艦くらしじゃ気がめいるのも当たり前。
自分が殺されかけた、自分が命を狙われ続けていて、その相手も目的も不明瞭。自分が命を狙われたことがきっかけで、キラがMSに再度のって戦うことになった。
そして、ラクスをはじめとして、周囲の人間が”いざとなったらキラが再度戦うことを前提とした”戦力を秘匿していた。
ラクスが感じていた心痛やストレス、プレッシャーはかなりのものだったと思う。
ただ、逆に、議長側の目的が見えてきて、かつそれに対する姿勢も自分の中でも決めて(私にももう迷いはありません)
世界に対して姿勢を示し(私はラクス・クラインです。私は議長を支持しません)懸念だったアスランとカガリも、彼らなりに決着をつけ腹をくくり、
対運命プランに対して、皆の心情も一致した(44話)
ラクスにとっては、13話以降、方向性が定まってるという意味では、一番心が落ち着いてる時期だったと思う。
”おしゃべり”がでてる同年代の同郷の女の子とも一緒になったわけだし。

※場所

んで、場所がコペルニクス。中立都市であるといっても、戦争の兆しが現れるとコーディネイターが次々とプラントに引越し、
そして今回も、オーブ軍所属のAAが正式入港できるあたり、ナチュラル側の土地柄であることは容易に窺える。
逆にいえば議長が”市街地(市民の目のあるところ)”で、危険な介入や行動ができないことは明白であり、
この買い物シーンがラクスの身を危険にさらす可能性はゼロとはいわずとも、
それは通常の生活を行っている市民が犯罪に巻き込まれるレベルに比べて突出してるとは言いがたい。
(そもそも、サラのやり方も、人気のない場所に誘い出す、という判断をしてるわけだし)

だから、この買い物シーンへの批判は、

とにかくなにかあったら被害者側の落ち度を探さずにはいられない自衛厨の正論きどりのセカンドレイプ的な上から目線ないしは、(女は夜歩くな的な)
とにかく、個人の私的な時間や余暇について過度に批判的な不謹慎厨の言い掛かりってふうにしか見えないんだよね・・・。
そんな目くじら立てるようなことかな?と・・・
リスクがあるのは事実としてのも、それは心配からでてるわけじゃなくて、
相手を批判、コントロールしたいだけの、叩きたいだけの批判なんだよね。

正論であるを根拠に、他人に無制限の我慢させて平気な人間っていうのは、正しいわけでも厳しいわけでもないと思う。
他人を支配下においてジャッジして、自分が安心したいだけだと思う。

そりゃ、ラクスが戦艦から生涯でなければ安全だろうし、しかし現実的にそんなことが不可能である以上、
リスクを天秤にかけたまでのことで、リスクが比較的すくない時期と場所にちょっと気分転換したというだけのこと。
一応アスランやキラが護衛についてたわけだし。

ラクスが姿を見せた以上、この世界には、”ラクス・クラインの名と姿を持つものが2人いる”
となれば、偽者の匂い濃厚なのが、今議長側にいるラクスのほう、
そんなことは世界中がわかっている中で、
議長の権力の及ばないところで、ラクスを害するというのは、誰にとってのリスクかといえば、議長にとってのリスクになる。

危ないだろ?ってのの視点の気に入らないところは、
相手側(議長)がその程度の想像も働かせず、
人目も気にせず邪魔な人間を殺しにくる人間である、という判断は、
相手を、敵を、”非人格的な存在””非知性的な存在”として看做す、という意味合いでもなんか釈然としないんだよね。
結局「相手は話を聞かないから殺すしかない」「相手には理屈も正義もなくこちらを殺しにかかってくる存在」と看做してる感じがね。

議長は、ラクスのことも、フリーダムのことも、”秘密裏に”消そうとしてきた。
13話では、暗殺部隊を送り込んだし、
フリーダムに対しても、プロパガンダの画面から消し、インパルスの勝利という戦中最大の戦術的功績についても、お得意のプロパガンダに一切取り入れていない。
先の戦争の英雄、ラクスとフリーダム、が人の口の遡上に乗ったときに、上手くコントロールするだけの自信がなかったんだと思う。

「キラ君にも言われたでしょう(中略)撃たせるのが目的かもしれないと」
「誤魔化せるし、一石二鳥じゃない?」

というあたり、キラは議長の情報戦という観点でのやり口をよくわかっているし、
議長が、闇雲に第三者の目のあるところで、こちらを害するような”馬鹿な真似”をすることはないだろうということはわかっている。
それこそ議長の目的が頓挫して自棄になってるならともかく、
偽者を使っていたことがバレるという誤算はあっても(キラやラクスが今に至るまで生存してることも)
とりあえず、世界の支持は概ね議長にあり、ロゴス打倒という議長にとっての目的の道筋も、それによって軌道修正を迫られることもなく、順調にすすんでる。

すくなくとも、ダーダネルスでアスランにあうときは、僕一人で行くって言ってるわけだし。
リスクの中身は違えど、
アスランに会う、より、今回の買い物の方が安全って判断をしてるだけだと思う。

仲間や部下のメンタル的な負荷を軽視する人間につくことは不幸でしかないしね。
人間として必要な肉体的精神的な休息を度外視する人間ってただの無能。

んで、ミーアのハロを見たときの判断は、それとはまったく別の判断になる。
もともと、ミーアがコペルニクスにいるなんてキラ達が思うはずもなく、
これは、メンデルを見張っていた議長の思惑と同一上にあり、彼らが宇宙にあがったら、コペルニクスに立ち寄る可能性は高いと踏んで、
ミーアをここに送り込んでいた可能性もあると思う。

私的な外出に対する判断と、
このミーアの誘いに対する判断はまったく別の話になる。

ここで迫られる判断というのは、
”ラクスの身を危険に晒してでもミーアと接触を図るか?”もしくは、
”ミーアを見殺しにするか”の二択になる。

もし、あくまで議長が”偽ラクス”を、民衆に都合のいいラクスとして使い続ける気があるのなら、手元においているはず。
こんなところに寄越して、ラクスに対する囮に使っている以上、
議長がミーアを、対ラクスとしてのもう一人のラクスとして、二人が共存(対立状態とはいえ)する方向でいかず、
どちらかが死ぬしかない、という方向で事を起こそうとしていることは察せられるはず。
(ミーアも、ラクスになりたいなら、ラクスを殺せ、と唆されたわけだし)

ここで誘いに応じない=ミーアの死を意味することはかなり蓋然性の高い前提として考えなければならない。
むしろアスランの方が、「なにが狙いかわからない」(そんなのミーアを囮にしてラクスを誘い出して殺すことが目的に決まってるだろ)
「俺一人で行く」(=敵の狙いに応じる気はない=ミーアが殺されても構わない)というわけのわからない言動+判断をしていたわけだが。
ミーアに、いずれ君だって殺されるって言ったのアスランじゃん。今が、「いずれ」なんだよ。
ここの脚本の意図はほんきでよくわからない。ただ、暢気なラクスとキラの判断のせいでミーアが殺されたと視聴者に思わせたいの?
(助けてラクス様、という文言がある以上、”敵の狙いはラクス”なのは明白)
偽者だと衆目の目にされされた今、ミーアにアドリブきかせる頭がない以上、議長にとっては、自分もミーアに騙されてたんだと切り捨てるか、
死せるミーアの遺体を、偶像化した方が使い道はあるわけで。
アスランの認識どうなってるの?

オーブでラクスが姿を現さなければとかいう人いるかもしれないけど、そもそも議長が偽者なんて用意するべきじゃなかったし、
ミーアが受けるべきじゃなかったし、アスランが容認するべきじゃなかったという方がはるかに前提となるべき議論だろうと。


最後、戦術的な判断。
アスランは確かに目立っていたけれど、キラが役にたっていなかったわけじゃない。
むしろ、”敵の銃撃がとまる=手榴弾を使うことを察する=女性達を避難させる”という1シーンを見るだけでも、
キラの判断力の凄さがわかる。
あの手榴弾でラクスが殺されていたら、それこそ意味がない。
アスランが、自分だけ突出した判断こそを個人的には問いたい。
というのも、いくらアスランが”敵を倒した”ところで、本陣(ラクスとミーアのメイリン)を落とされたら意味がないから。
防衛ばかりじゃ遠からず追い込まれるのは事実だけど、この場合はそれは当たらない。
なぜなら、すこし持ちこたえれば、ムウが暁で駆けつける段取りになっていた。
そういう意味では、防衛に徹して時間稼ぎというのがとるべき選択になる。

アスランが敵を減らし、キラが”本陣”に留まって女性達を守るという認識が共通でできていたらなら、それはキラとアスランで役割分担の話になって、
アスランだけが頑張っていた、というのはお笑い種の話でしかないし、
アスランが、キラもまとめて戦力外として認識して、敵を倒すことで状況片付けようとひとり突出したのはただの判断ミスってことになる。
(キラが留まって守ったからその判断が問題にならなかっただけで、それは本編の対カガリに対する行動と同等なものがある。
いくらカガリの為といえども、離れたことで結果として見殺しにすることになったアスランと、それを補ったキラという形で)

この回でキラの判断が間違っていたものがあるとすれば、それは”敵”の動きを完全に封じなかったこと(ムウがきたことで油断したんだと思う)
それに対しては、アスランに対しても同罪なので、
すくなくとも、巷で言われがちな、アスランの判断だけが正しく現実的で、行動面でもアスランだけが頑張っていた、というのには少なくともあたらない。



DESTINY リマスター45話「変革の序曲」

2014-02-23 22:40:23 | SEED DESTINY
シンカッコいいよシン♪(v〃∇〃)ハ(〃∇〃v)


____45話感想終了


44話、45話、46話から窺えるキラ→アスランが、このあたりの一番の見所だと個人的には思っている。
キラが、アスランが対運命プランについて、反対の姿勢を示すことに対して、かなり嬉しく感じていることが感じ取れる反面、
アスランから距離を置こうとしている様子がうかがえる。


44話、運命プランについて話すAAでのブリッジで、対運命プラン反対の口火を最初に切ったのはアスランだった
「おれは、そんなに諦めがよくない」
「だよね」
(キラとラクスは、ここで彼ら個人としての決意表明をしていない。多分、キラは出自も含めた個人的心情から、ラクスは決意がミーアの死に絡んでという構成上の都合もある気がする)

「望む力を全て得ようと、人の根幹、遺伝子にまで手を伸ばしてきた僕達コーディネイターの世界の究極だ」

世界の究極としてのシステム=運命プラン
これを言った時に、ラクスが気遣わしげにキラを見てるが、
ここにはおそらくラクスにしか気付かないもしかしたら自嘲にも近い緊張がある気がする。

おそらく、どちらかというと周囲の人間は、それほど運命プランに恐れを感じていなかったかもしれない。
その実現性という意味合いにおいて。
机上の空論を相手にしてるような、優等生が絵空事として理屈のみで練り上げたような。

だけど、キラは、このプランに遥かに先んじて、すでに”実行済であることを知っている。

”それを知っている”
”人は、それをすることを””それが(技術的に)できることならば””どんな犠牲を払おうと”
自らの存在そのものを根拠にして。

最高のコーディネイター。遺伝子を神とした”個人としての究極が”キラ自身であるなら、
運命プランは”その考え方”を突き詰めた先においての、”世界としての究極”

キラ自身がその存在によって自身に内包する価値観が、今度はキラが所属する世界、外側において具現化しようとしている。
それが正しいと信じ、それが至高と信じ、その実現の為なら、どんな犠牲も払わないと、かつてキラを作り出す為に行われれたことが、
今度は世界レベルで行われようとしている。

キラはただ、個人としての好悪の感情で、そのプランを結論づけることに躊躇があったのだと思う。

「僕が決めていいのか?」

その価値観の結果生み出された自分が。その価値観が普遍化すれば、もっともすぐれた者として運命づけられる(たとえデュランダルに排除されたとしても)自分が

「世界は貴方のもので、貴方もまた世界のもの」

キラにとって、自分自身と世界とのあり方は、自分の存在を世界に位置付ける意味において、あの時から重要な役割であり、
そして、ラクスの示した姿勢により、キラ自身の大切な人、大切な人の命や願い、大切な人との関係のおいて、
自己規定をすることとしてきたキラにとって、
世界を遺伝子によって律することは、自分自身のアイデンティティをも組み直すことになる。

「知れば誰もが望むだろう。君のようになりたいと。君のようでありたいと」
「ゆえに許されない。君という存在は」

すでに生まれ落ちた人間が、キラのようにはなれない。
最高のコーディネイターを作り出す技術もすでにおそらく失われている。

しかし、その価値観を個人に実現するのでなく、
その価値観を世界に具現化すれば、競争はなくなり、秩序の中で、人々は存在することができる。

その世界を”自分が否定していいのか”
その価値観を、すでに自分の中に抱え込んだキラが。
その世界を、自分が取り上げてもいいのか。自分は否定の旗頭になっていいのか。


だから、キラにとって、一番身近な他人、であるところのアスランが、プランに反対の意図を示したのが、ものすごく嬉しかったんだと思う。
キラの出自を知っているラクスがでもなく、
「キラの生まれについて全く知らないゆえに、キラの想いとはまったく関係ない所で、プランに対して反対の姿勢を示したアスラン」
が、キラの背中を以降おしていくことになる。

「未来を決めるのは、運命じゃないよ」

最初に決めるのはキラは自分であってはいけなかった。
自分にはその資格はない。
でも、誰か一人でも。最高のコーディネイターでもなく、その存在を知らない人間が、
その価値観を否定してくれるなら。

ラクスは、知った上で、キラを救い、アスランは、知らぬが故に、キラを救った。


同時にしかし、キラはアスランとの離別を決意しだしている。

かつて、アスランと共に過ごした月を見ながら
「それは夢があるからじゃない?」
「願いとか希望とか。悪く言っちゃうと欲望?」
「でもそういう事でしょ?ああしたいとか、こうなりたいとか。みんな思うからここにいられないんだ。アスランだってそうじゃない?」

「ある意味ずっとここにはいられるよ。ってかずっとここにいろってことでしょ?」
「それなら確かに何も起きないからこんな戦争も起きないだろうけど」

「でも僕は…」


かつて共に過ごした月において、アスランに
「大丈夫だよ、アスラン」
「もう僕もラクスも。だからそんなに一人で頑張んなくていいから」

「ね?」



かつての月を見ながら、ずっとここに留まるのは嫌だと。僕ももう大丈夫だから、というキラは、
おそらく、アスランに対して、距離をおこうとしてる。
自立でもある。
でも、多分、アスランとの敵対を通して、お互いの大切なものや、お互いに望むことが、子供の時のようには、もう一致していないことをわかってる。

例えば、アスランが、またもラクスやカガリの命や信念を脅かす存在になるならば、キラは容赦なくアスランを切り捨てるだろうと。

「僕は行くね」「僕はもう大丈夫」


「これって我が儘?」

アスランは、多分、キラの意図をわかりきっていないし、それでもなおキラを子供扱いするアスランに、キラは救われてる部分も確かにあるんだと思う。





キラ→アスランと、
アスラン→カガリ

45話のハグについちゃ、個人的には、今を抱きしめてる解釈。
別れのハグとか、未来を約束(覚悟)を決めたハグとかではなくて、
ただ、今ここにいる相手、今ここにある気持ちを抱きしめている。

アスランの傷に気付かず、ユウナとのことで、アスランに居心地の悪い想いをさせてきたカガリへの苛立ち、なにもできない自分への苛立ち、その過去と、
そして、それを力のある自分になって昇華させて、将来カガリの隣に正式に立つ自分を、その未来を望んだ8話の時の指輪と別れとは違う、
過去の清算でもなければ、未来への誓いでもなく、ただ目の前の相手の存在と、その抱えているものへの激励。

カガリは、オーブを背負う、アスランは、運命プラン対抗の尖兵として、前線に立つ。
カガリは、将来やはり国の為に結婚するかもしれない。
アスランは、将来近くにいてくれるメイリンを選ぶかもしれない。

ありえるかもしれない未来、今までお互い力になってやれなかった過去、全てを棚にあげて、
ただ、目の前にいる相手を抱きしめ、相手を激励する。

当時の感想で、キラは未来、アスランは現在、シンは過去を象徴していて、ヒロインもそんな感じ的な考察みたことあるけど、
ここではそんな感じかなー。

以降、アスラン恋愛”描写への”愚痴


・・・・関わったヒロインが多すぎる・・・orz
ひとりひとりとの関係はいいのよ・・・それに、基本的には誰とも恋仲になっていません、というのも、納得できない話じゃない。
だけど、繋ぎがね・・・。

ラクス‐カガリ‐ルナマリア‐ミーア‐メイリン と五人orz
多分製作者はアスランは誠実ってところに自信あったんだなぁと思われないでもないけど(当の製作者側がキラと違ってアスランは、という認識が伺えないこともない)
誠実ってのは、本人の性格じゃなくて、実際の行動の積立でしか表現できないわけで・・・

今となってはルナマリアはシンのヒロインとして確立してるけど、

勘違いの恋も、ラクスとの(形式上とはいえ)婚約関係がなかったなら、見てる側もそういうこともあるかもな若いし、くらいに認識されたかもだけど、
ラクスに実質半ば一方的に婚約破棄された後というのが・・・こう。
4クール、宇宙にあがってから、数カ月単位で一緒にいてはいるけれど、
作品からそれは見えないし、

描写解釈の難しい所は、ラクスがキラにいったからカガリとって雰囲気がどうしても強いことかなと・・・
「君は俺が守る」のくだり、
ラクスとキラの視線(ちょっと先行ってて)に送りだされた後に、だしさ・・・
戦争が終わった後の、”帰る場所”について不安になったからって思われても仕方のないタイミング・・・
アスランのきっかけとしては、そこじゃなくて「私も出る」「死なせないから、お前も」「弟かもしれないあいつも」
のあたりの、”共に守る相手”として、ラクスのように、待つ相手ではなく、ともに戦える相手として、カガリに”惚れた”とみるか
(男前な子だからアスランも惚れるのに~の監督ツイッターも以前あったし)

運命8話において、アスランがなぜザフトに戻ったのかっていうのも、正直、今回はその前提でみたけど、
カガリの力になりたくてザフトに戻りました、とか普通に意味不明レベルで、言い訳臭いし嘘くさい。
ナチュラルとコーディネイターとの緊張が再び高まった今、やはりコーディネイターのアスランはコーディネイターの為に戦いたくて
ザフトに戻ったという方がはるかに説得力がある。
ミーアとの存在、そして議長絡みの描写で、ラクスとの婚約関係を再度演出したことで、
アスランは本当はラクスが好き、本当はラクスと結婚したかった。
そこまでいかずとも、本来はラクスと結婚できるはずだったアスラン、の印象を強めたし・・・。



制作側は、アスランは誰が好きなのか?という一見スキャンダラスな興味に辟易してるかもだけど、
”アスランは無印終盤からずっとカガリが好きで、運命終盤にいたるまで(カガリに苛立ちを感じることもあれど)基本的には気持ちは深まりこそすれ一途にカガリを想ってる2
事を前提にして見るかどうかで、アスラン解釈は、180度といっていいほどその景色をかえる。


①好き前提
「俺は馬鹿だから以降、ラクスには、きっぱり諦めて未練もない。美しい少女に対する少年らしい憧憬はともかく、相手の人格込めて求めるほどの恋心はそれほどはなかった。
父親の事を気遣ってくれ、ストレートな言葉で悩みを言い当ててくれるカガリに、また自身も戦場にカガリに本心から惹かれていた。
カガリの力になりたくて二年頑張ったけど、ナチュラルの国のオーブでは自分の居場所を作れず、
自分が力を最大限発揮する為の、いわば手段と割り切ってザフトに復帰。
将来カガリとの結婚を、自分でも周囲にも認められる為に、という誓いも込めて、カガリに指輪を渡す。
だけどカガリ(キラ及びAA,オーブ)の裏切りに立て続けに直面したこともあり、態度を硬化させ、背を向けたものの、
根本の気持ちは変わらない。
本来は、彼女の為の成果と共に帰りたかったが、プラントが行こうとしてる方向性に疑問と危機感を抱き、
本来自分の求める場所に命がけで帰り、そして今度は自分の気持ちを見失わないように、例え将来報われなくても、カガリの背中を追い続け、
カガリの力になれる自分を求め続けると決意

②気の迷いだった前提
本当はキラとラクスを取り戻したくて脱走したものの、キラとラクスはお互いこそを居場所と定め、アスランは居場所をなくし、
キラの姉でもあり、キラの死や父とのことで苦しみを共有できたカガリに居場所を求め、
戦後、結局プラントには戻れず、キラもラクスも、アスランを気に掛ける余裕もなく、
戦犯である父の償いの為にも、自分に仮にも身分を与えてくれたオーブにて頑張ろうとしたものの、
今度はカガリですらが自分を見てくれず、
戦前のキラやラクスとの関係、プラントへの立場への未練を引きずりながら、またしても戦争へ。
プラントこそが自分の居場所であり、責任であると思い定めるも、そこで受け入れられるか不安もあり、カガリへの気持ちも本当だと思ったから、指輪を置いてゆく。
父と同じ立場の人に自分を認められ、ミーアとの関係の中で、かつて信じたラクスとの婚約を、仮初とわかりつつも取り戻せた気がして、
もうオーブやかつての仲間の元には戻りたくないとして、
そしてやはりオーブやAAには共感できず、ザフトこそが正義で居場所だと信じるも、
議長にとっては自分は戦士としての価値しかなく、また自分一人ではザフト全体の動きに対抗できないとして、不本意ながら脱走。
それでも、ラクスとのわだかまりもとけ、そして自分を献身的に支えてくれるメイリンという新しい恋人も得て、
カガリとの”勘違いの恋”ももう必要ないとして、これからはお互い仲間としてやっていく。



・・・・正直後者は、悪意に悪意を重ねた上ではなくて、ぱっと見そう見えてもおかしくないのではなかろうかと・・・orz
個人的には、勘違いの恋発言は、視聴者側が”どう誤解するか”という部分も込みで考えないとうかつすぎる発言だったと今でも思う。
そこを疑わせたら、アスラン評はそうとう変わるわけですよ。

現在の”布陣”もそうとうアレだと思う。
というのも、当人達の気持ちを”まるきり無視した上でいうならば”

アスランとメイリンとカガリ、メイリンとカガリというのは、アスランの本命に対して選びえない補助として機能しちゃう・・否応なく※当人達の気持ちとは別の話として

カガリ‐メイリンと選んだのでは権力にコミットできない
メイリン‐カガリを選んだのでは、自分を見ててくれない

お前どっちかに選べや(ノ ゜Д゜)ノガターン|____|

だから、メイリンがあの後そうそう、プラントに帰り、アスランはカガリとオーブに戻る、って展開だと思っていたら・・・
メイリンもオーブで、アスラン面倒みてもらっているとか・・・お前・・・・
公的にはカガリに面倒みてもらい、私的にはメイリンに面倒みてもらうのか・・・
お前・・カガリやメイリンを守ったことがあったのか!?アスランが守った、あるいは救った相手に面倒みてもらうならまだ百歩譲って・・・(苛々)
という印象を禁じえない・・・・


問題なのは、そう問題なのか、ありとあらゆる所でキラ(キララク)が引き合いにだされるところなのよ

一番不愉快なのは、婚姻統制絡みの設定が復活する展開可能性だけど、
Cファンには、キララクは安泰なのにとか、キララクのせいでとか八つ当たりされたと思いきや、
キララクとアスカガのセットを期待されるし、
未だに、フラフラしてるキラと誠実なアスランなどという、本編展開によってとっくに瓦解した(というか逆転した)対比で語られるし、
無印のキラに比べれば、アスランのなんて(20話のミーアの夜這も笑い話でしょ?)みたいな押し付けも感じないでもないし、やっぱアスランは誠実だから(はあと)的な。(どこが?)
そもそもキラがラクスをとっちゃったのが発端でしょ、無印でアスランは可哀想な想いをしてるんだから、的な言い訳じみた雰囲気感じないでもないし
上記五人は、すべてアスランを守ったり救ったりした女性なのに、誰がいいとかいう感じも不愉快。

すべてがウザい・・・・(総括)

正直なこというと、8話の段階で、アスランはカガリとオーブから逃げたようにしか見えなかったから
誰を好きだとしても、自分が守るといった女の苦境から逃げる男が、誰が、好きだからどうなんだとどっかでおもってる・・・だから対カガリにたいして挽回してほしいってのもね





DESTINY リマスター44話「二人のラクス」

2014-02-11 14:22:33 | SEED DESTINY
わりと主観的な話だけど、今回で最終話に向けて、
いっきにいくつかの構図を作った印象。

というか、キラとラクスに、対議長に向かわせるための、状況作りとして、

ひとつがレクイエム。
これは、オーブ・クライン派が、対プラントへの大義としてレクイエム排除として掲げるため、という必然があるかなぁ、と。
ただ、撃ったジブリールと、知りながら放置し、かつ後に修理して自身も使った議長の”危険性”の演出もあるかも。

そして、対ミーアにおいて、ラクスの対議長に対しての動機付けを強める為というのは、監督も最近のインタでいっていたか。
わりと物語の終結に向けて、今までの積み上げてきたものから、多少舵をきった印象があるかな。
アスランとカガリの物語がとりあえず決着をつけて、アスラン―シンは継続しつつ、
キラ(ラクス)-レイ(議長)に軸を移したかんじかな。


ただ、レクイエムのストーリー上の役割はともかくとして、
構成がマズすぎると思う。

前半レクイエムやって、後半AA側の決起回やったから、とりあえずジブリールとレクイエムだろうという総突っ込みを受けることにorz
そういう意味じゃ、同じ話数にやらんでも感が半端ないorz

次の回でキラが「欲望?」って言っているけど、議長が運命プラン発表のときに、「人の無知と欲望です」って言ってたけど、
議長が実際に運命プランをぶちまける前に、キラやラクスが、ある程度運命プランの輪郭を見抜いていて、
その上で、対議長の姿勢を固めておく、という展開にしておきたかったんだけど、
あれだけの惨劇の後で、対運命プランに話が飛ぶAA組に対して、不審や嫌悪がでてくるのは必須だったと思う。

種シリーズの起点が、血のバレンタインの悲劇であることが貫いている以上、
レクイエムだけで、2~3話使った方がよかったレベルな気がする。
アスランにとっても、対キラ(AA)との対立は、ユニウスセブンが対立軸になっていたし
(ただ、アスラン自身が特にダーダネルスで示した姿勢により、すでにユニウスセブンを背負うキャラではなくなっているのも事実なんだけど)
作内では、ジブリールとオーブと、あとは撃てなかったルナマリア、レイ、シンの責任を強調してるけど、
普通に考えれば、これだけの惨劇を防げなかったプラント上層部の首が軒並み飛んでもおかしくないだろと。
議長が、プラント防衛よりも、是非はともかく、地上政策を優先してきたのは事実。
国土や民を守るよりも、理想を優先したのか!?という視点は、
まさにシンが、序盤でカガリに突きつけた課題でもあったはずであり、
そこに立ち会っていたアスラン、そして、プラント防衛をないがしろにした議長に、他者のすり替え、脱走兵の復隊を許可という逸脱行為を受容してまで、
支持してきた議長の政策のもたらした結果。
アスランは、ニコルの死にも父母の死にも報いなかったという結果になった。
その無印からのドラマの積み上げがある以上、なされるべき描写に正直、失敗してるというか。
プラント側が、対連合(ロゴス)の最終追い込みの大義の為、
そして、最終的にクライン派+オーブ側が、対プラントの大義の為、
というその必然性の為に、個々人のドラマのみならず、事の軽重の描写バランスまでおかしくなっている。
血のバレンタイン以降、コズミック・イラ上の起こった無差別虐殺については、血のバレンタインが、一番犠牲者数が少ない。
Nジャマーによるライフライン破壊による間接的虐殺。
ブレイクザワールド。レクイエム。
運命のほうの問題のひとつは、無名の大勢の人間の死、を背景として扱いすぎたきらいはあると思う。


ただ、振り子のように、加害者と被害者の間を行き来するプラントと(作内描写において、エイプリルフールクライシスが隠されてるんだけど)
ラクス・クラインの役割というのは意外と密接してると思う。

なぜ、運命のおいて、ラクス・クラインの影響力が強いように見えるのか。
彼女自身が、クライン派、そして彼らが保有する武力に対して、”アクセスできる立場””彼らの象徴的旗幟”であることは確かだと思うけど、

プラントの人間が、そこまでラクス・クラインを愛していたかどうか、というのは、正直疑問がある。

ラクスの言葉は響くかどうかというのは、聞く人間が、いかに自分に向き合っていたか、という部分に影響する。
平たくいえば、自分自身の加害者性に向き合っているかどうか。

無印において、プラントの人間には当然、自分たちは被害者だ、という意識が強かった。
だから、アスランに、ラクスの「コーディネイターでありながらナチュラルに見方するキラを肯定する言葉」は届かなかった。
コーディネイターでありながら、ナチュラルに味方するキラは間違っているので、改めてこちらにくるべき。
「キラ様はとても強い方ですのね、そしてとても優しい方」「貴方の友達によくして頂いた」「私、あの方好きですわ」
アスランは、自分の「あいつは馬鹿です」「どうせいいように利用されているんだ」という自分の「愚痴」に対して賛同が返ってこないことに気付いておらず、
ラクスが、一言たりとも、キラの行動や現状を非難する言葉を発していないことにも気付いていない。
コーディネイターであり、そして自分の婚約者であるラクスは、自分と同じ気持ちであるはずと信じて疑っていなかったんだと思う。

アスランが、ラクスとカガリの言葉をまともに聞き、そしてそこにある”糾弾”とそして”許し”双方を認識するのは、キラを討った後のこと。

キラは、戦争への巻き込まれ方が、自分が殺す事から入っているというのもあったから、
ラクスの言葉の二面性、事実であるからこその、許しと指摘を双方見ることができた。
「貴方が優しいのは貴方だからでしょう」「でもそれは仕方がないことではありませんか?お二人とも敵と戦われたのでしょう?」「貴方は戦ったのですわ。それで守れたものもあったでしょう?」
貴方が貴方であるからこそ、肯定される。
貴方が貴方であるからこそ、免責”されない”。

ラクスの指摘は、将来の加害者性、にまで裾野を広げている。

「核を撃たれ、その傷みと悲しみをしる私たちが、今また同じ事をしようとするのですか?同じように罪のない人や子供を。それが正義と?」

撃ったら地球が滅ぶ、その”自らの”加害者性に気付いた”ほんの僅かな人間”が、パトリックを止めた。ユウキ隊長にせよ、アイリーンにせよ。

そして運命において、ザラ派の残党が、血のバレンタインが規模として比較にならないレベルの虐殺を地球に対して行った。
先の戦争で、パトリックを糾弾したラクスは、パトリック・ザラの言葉を受けたコーディネイターが行った虐殺を、”自分達から切り離す”のに対して、
うってつけの人材だった。
「一部の者達」
その彼女が、”今度は”支持する”現プラント政府”
「皆様方の代表、最高評議会と、デュランダル議長を信じて」

ミーアの序盤の演説は、自分たちの加害者側の立場と、そして今度は相手側に言い分がある故での(正当かどうかはさておき)報復の可能性に脅える市民に対して
”とりあえずはなにも考えなくていいし、なにもしなくていい”という安心を与えた。

悪い(一部)のコーディネイターと、善良な(大部分)のコーディネイター。
その”区分け”は、次いでナチュラルに対して行われる。
ロゴスと、その他のナチュラル。 ナチュラルのコーディネイターに対する嫌悪は、ロゴスに洗脳された結果であり、
大多数のナチュラルは、ロゴスに支配される”可哀相な存在”として、コーディネイターに認知される。
悪いのは、ナチュラルではなく、連合でなく、ロゴスであると。

議長がそうやって、世界を見せてきたものに対して、ラクスが猜疑を投げかける。

「悪いのはロゴス。彼ら。 貴方ではないのだという、議長の言葉の罠に、どうか陥らないでください」

どの道、ミーアの”使い道”はここまでだった。たとえ、ラクスが姿を見せなくても。
プラントは、再度レクイエムにより、被害者の認識を持つことになる。
そこに、ラクス・クラインの肯定はいらない。レクイエムの被害のみで、彼らは「自分達を肯定できる」
そして、議長の「わるいのは君でない」というのも、政策的に終盤だった。
次の段階において、議長は「悪いのは君である」というもうひとつの側面を見せる。

「人の無知と欲望です」

だから、遺伝子による管理統制を受け入れ、自分達の個人的な夢は捨てろ、と。


レクイエムの存在が、プラントによる対連合、クライン派による対プラントに対する、大義として必要とされた要素なら、
もうひとつ、終盤に向けて用意された構図ともいうべきものがある。

「本物なら全て正しくて、偽者なら全て間違いだというのか?」

レイの言葉は、
以降の展開の、

ミーアとラクス、レイとキラの二人の関係が以降のメインになることになると。
(わりとずっと続いている、戦争によって奪われた家族や仲間を受け入れることと、理不尽によって損なわれた世界への信頼を取り戻す軸のアスランとシンの関係も継続しつつ)

ただ、運命という作品における、両澤さんの脚本力も構成力も凄まじいものであることは思いつつも、
このあたりの、ミーアとラクス、レイのキラに対しては、構成(テーマ)ありきで強引に形を作ったようにも見える。

ラクスがミーアの夢と固有性を肯定し、キラがレイの命と固有性を肯定することで決着がつくんだけど、

ラクスは、ただの一人の人であり、キラもまたただの一人の人間である。
その”絶対的な事実”に対して、彼れは、それぞ自分で声にだして、そんなことを言わなければならなくなった。
「私はラクス・クラインです」「私と同じ顔、同じ声、同じ名の方が、デュランダル議長とともにいらっしゃることは知っています」
「ですが、わたくし。シーゲル・クラインの娘であり、先の戦争ではアークエンジェルとともに戦いました私は、今もあの時と同じ彼の艦とオーブのアスハ代表の下におります」

「僕はただの一人の人間だ。どこもみんなと変わらない。ラクスも」


マジョリティーにとっては、ごく当たり前に認めら得ていること、甘受していることが、
マイノリティーにとっては、自ら宣言し、自ら戦って勝ち取らなければならないものになる。それは権利でなく特権だと蔑まれ、攻撃されながら。
あたかも、無印時代のコーディネイターの立場が、運命では、キラとラクスだけの立場になっている。


「偽者だから間違っているわけではない」
確かに、言葉の上ではそれは正論でもあるし、そこに込められたレイの心情を汲み取るべきなんだろうとは思うけど。
だったら、その正しさ、ついて、それを成すにせよなんにせよ、その正しさの為に、
とった方法、ふるまいが、どれだけ誠実だったか、というのは絶対に問われなければならない。
それによって、誰が救われたか、と同時に、誰が損なわれ殺されたかもまた遡上にそせられなかればならない。

当たり前の話だけど、本物だから間違いで、偽者だから正しいわけでもない。

本来、自由対運命、具体的には、既存の国家体制やシステム対運命プランという、思想や方法によって語られるべき問題と、
偽者と本物というテーマが絡んで筋の悪いものにしている。

偽者と本物という言葉から想起される、
偽者という負のイメージと、本物という正のイメージは、
逆に、偽者側として描かれる、レイやミーアに、過度に”被害者性”を与えているし、
つまり、キラとラクスに、実態以上の責任があるように”錯覚させてもいる”

偽者のいうことは正しくない、というのは確かに暴力的だけど、
本物だから、正しくなければならない、というのも暴力的であることことは見過ごすわけにはいかない。
ましては、都合の悪い本物はいらない、をいう行動をとる人間が実際いる以上。

本来なら、ラクス・クラインや、キラ・ヤマトに、本物も偽者もない。
逆にいえば、彼らはその文脈で、”本物”というものに「仕立て上げられた」ともいえる。
そこに、強者側であり、恵まれた者、持つ者であるという付加イメージを纏いながら。

だからこそ、作内外双方において、キラやラクスは、こうあるべき、こうするべき、という見方が強い。

ミーアはラクスを利用したんだし、レイはキラをジャッジし、あってはならない存在だと決め付けた。
それは、かつてのフレイとキラの関係もそうで、フレイはキラを利用した。
だかに気付いて後悔したからこそ、フレイやミーアは、キラやラクスに謝りながら死んでいったわけだけど、
それを、恵まれた強者とけなげな弱者の理不尽な物語文脈だと思い込ませた部分はけっこうあったかと思う。

ラクスがミーアに憎まず、助けようとしたのも、キラがフレイを憎まず、守ろうとしたのも、
彼らが強者だったからでも、恵まれているからでも正しいわけでも、増してや”自分と違って人間らしい彼女らを羨んだ”からでもなく、
キラがラクスが「優しい」からだという、それこそが、キラとラクスの固有性であり人間性であるということを伝える努力が、作内で十分だったのか?という疑問はあるかも。