種々

世界の片隅でキラへの愛をこっそりと囁くブログ

DESTINY リマスター43話「反撃の声」

2014-01-23 22:55:41 | SEED DESTINY
アスラン―シンと、ラクス―ミーア。

オーブ戦というのは、無印も運命も、個人のスタンスが問われる戦いになっているけれど、
先の戦争ではディアッカが、今回はネオが、
軍の命令から離れて、自分の意思で参戦。

長いこと軍から離れていたから、軍のマインドコントロールがとけてきた、という当時のツイッターの感じだったから、
捕虜として軍と離れ、いわば気になる女性、というのを最大のきっかけに軍を離脱(というとなんか見もふたもないな)
キラも若干このパターンに近いけど、
ディアッカ、ネオ、キラと、アスラン、シンの違いは、
アスランとシンには、軍に対して、ディアッカやネオやキラのその場での仕事や役割というものを超えた、望みがあったと思う。

家族を奪われた怒りや、理不尽への怒り。こんなことがもう二度とないような、力が欲しい。

シンやアスランは、軍(ないしは所属組織)に、力や正当性を求めた側面がある。
彼らはただ軍に使われているだけではなく、
彼らには、その軍の巨大な力、正当な大義が必要だった。

ただ、軍から離れればいいというものではない、自分自身の傷と向き合わなければならないと。

アスランは、従軍して間もなく、地球軍と戦う=キラと戦うという状態になって、
キラがこちらにくる、以外にその解消策を見出せなかった。

結局、ニコルを殺され、キラを殺し、カガリと感情を共鳴させカガリに許され、ラクスに問われ、
その硬直した思考からは抜け出した。

だけど、それはアスランの極めて個人的な体験と感情に根ざした”学び”だったから、
シンにはなかなか伝わらない。
もともと、アスランにシンを救い上げようという動機をそんなにもってなかったから、
シンの心情に寄り添ってきたわけでもなく、
シンとキラの対立が間近に迫っても、「キラは敵じゃない」としかいえなかった。
アスランにとっては、それが当時の自分に対する、言葉だったこともあるかもしれないし。
だけど、それはあの時のシンに通じるわけがない。


だけど、今のシンは、敵対するのがオーブであり、
アスランとメイリンを討った傷みもある。

撃ちたくないものを撃たなくていい。それは救いでもあるけれど、
”今相手を撃つという正当性”を手放したときに、
寄るべき大義も力もなく、個人で、家族の死と自分の無力に向き合わなければならない。

そして、自分が目を背けてきたことと、/敵だから、だから撃つしかないと。
自分自身の行動とも。/あんたは俺が撃つんだ。 オーブを撃つなら俺が撃つ。

お前は本当はなにがほしかったんだ。

キラは、力があるゆえに、しなければならなかったこと、そしてしてしまったことに起点がある。
そして、アスランとシンは、なぜ力を求めたか、そこが起点になる。

キラは、取り返しのつかないことを。アスランとシンは、取り戻せないものを。
それが彼らのリスタート地点になるのではないかと。
喪失を受け入れて、過去を受け入れるのが。

運命リマスター 42話「自由と正義と」

2014-01-13 16:00:49 | SEED DESTINY
前半はツイッター丸写し~。キラ、カガリ、アスランの新機体搭乗がどうゆう文脈にあったのかな、という意味で。



無印は、希望の物語。運命は、救いの物語なのかなと思ったという話。希望というのは、未来の可能性。救いというのは、過去の精算。

無印では、希望はあっても救いはなかったのではないか(作品コンセプト的に)と思うんだけど、その根拠は、最終回がわかりやすくて(終わらない明日へ) 
フレイの言葉は、キラに届かず、キラは救われなかった。
だけど、キラには希望がある(アスランとカガリとラクス)

クルーゼと戦っている時に「人はそんなものじゃない」というキラの台詞に、アスランとカガリの姿が映り、そしてラスト、守りたい世界があるんだ、と言ったキラを、
アスランとカガリが迎えにくる。キラは笑顔で彼らを迎えて、首にはラクスの指輪がかかっている。

無印では、救いは死者の為のものだった。ウズミにせよ、フレイにせよ、ナタルにせよ。
伝えることを伝え、託すものをたくし、
だけど、託された、カガリ、キラ、マリューは、彼らがどんな想いを持っていたか、どんな想いで死んでいってかは知らない。
生き残ったものは、それを背負って生きて行かなければならない。わからないまま、背負って生きていかなければならない。 
だけど、運命では、救い=過去の清算をかいたと

アスランにとっては、42話。
カガリにとっては、40話。
アスランにとっての「希望(未来の可能性)がカガリ」「救い(過去の清算)がラクス(+キラ)」 
カガリのとっての「希望がアスラン」「救いが、ウズミ(とウズミの代理としてのキラ)」 
救い、の後押し(肯定)によって、MSに乗ると

アスランにとって、希望を表すシーンが「そんなことはない、絶対に」「夢は同じだ」というカガリとの関係。そういう意味じゃ、戦うという意思はもう固まっていた。
一応怪我押して、ブリッジにきて、オーブ軍服を羽織っていたわけで、決めてはいたんだと思う。
42話でみせた逡巡は、それでも再出発の前に、この戦争でずっと上手くいかなかった現実からの怯みというか

ラクスとキラ、無印で、ある意味アスランを選んでくれず、そして否定した二人との関係の決着。「アスランでしょう?」「それが一番つらくない?」 
人生において重要な局面で自分(のあり方)を肯定してくれなかった二人の、
アスランの存在と行動と、その想いへの肯定。それが精算として機能する

過去の清算の方が主題になるから、アスランのMS搭乗という一番キーとなる局面の立ち合い手がラクスになった。んで、カガリの方も、物語の支えては、家族というウズミと同ポジションであり、
ウズミの思想と信念を受け継いだキラが引き受け、一番重要な局面では、ウズミの遺志が帰結になると


無印の続編として、視聴者が期待したものは、無印で示された希望がもう少し具体化されて実現する物語だったと思う。
だけど、希望の描写はさらに先に延ばされて(映像化されるか不明なんだけど) 
過去の清算の描写だったから、見てる側としては混乱した気がしないでもない

具体的にいえば、アスランとカガリが、二人で困難を乗り越える、という展開を王道的に期待したのではないだろうかと。 でも、個個が過去の清算して、未来にむかい始める物語だったから、
アスカガに興味ない人にとっては、アスカガとはなんだったのか?と言われがちな展開になったのでは?とも

キラにも救い、と希望、の物語はあって。キラの場合も「救いはフレイ」(守れなかったトラウマ)「希望はラクス」ではあるんだろうけれど、行動としては、「ラクスを守る」ことが救いになり、
「ラクスとの未来」が希望だった気がする。結果としては、ラクス一択だったから、視聴者側的に了解しやすかったというか

その辺り、無印で示された希望の具体化への期待(ラクスとの安定した関係) 
常識的倫理観からくる期待(ただ一人の異性に一途であること) 作品タイトルへの期待(MSでの活躍)あたりの、シンプルな期待を満たしていたことがキラの強みな気がする。


アスランは、「過去」のヒロイン(ラクス)「未来」のヒロイン(カガリ)「役割」に対する象徴的なヒロイン(ミーア)(ミネルヴァ・AAそれぞれで、出戻りで居場所の不安定なアスランを気遣う的に)
「今」のヒロイン(ルナマリアとメイリン)状態だしな・・・

基本的には誰とも恋仲にはなっていません、というのが製作者側の言い分だけど、アスランに思い入れない人は引くし、思い入れある人は逆に、誰との関係が一番好きか、という部分で対立起こるのは当然だし・・・orz ドラマ的にアスランが主軸にいる故なんだけど・

シンにとっても「救いはステラ」「希望はルナマリア」 無印コンセプトだったならば、ルナマリアという希望はあっても、ステラという「救い」はなかったはずなんだけど、そこは、最終話、ステラの声が届く、ステラはもう苦しんでいない、明日を望んでいるということで、帰結がちゃんと描かれる。

運命作品として、物語上、「描かれるものが」「救い」なら、「示されるもの」が「希望」 逆にいえば、希望というのは、まだ描かれていない物語でもあるから、 描かれた物語としての「救い」パートに、ドラマとしての説得力が劣ってしまう。


キラは、ラクスとの関係において、「救い」と「希望」双方が、短い尺ながら、描かれた。アスカガと、シンルナは、これからの物語、だから、アスカガは今後の展開に評価が分かれるし、シンルナは現状においては、シンステの方が、ドラマ的には厚い。


救い(過去の清算)と希望(未来の可能性)というのは、ウズミとカガリ、タリアとウィル。という関係性もそうで、ウズミやタリアは、世界をこんな風にしてしまった咎を自分が引き受けるから、”子供には”新しい未来を生きて欲しいという。ウズミとって、精算がオーブ。希望がカガリ。

タリアも、文脈的には一緒で、精算が議長、希望がウィル。ただ、これは物語的に、視聴者が”なにを見たかった”で、評価が別れる。まだ未熟な子供を置いていくなんて、いう批判を、ウズミもタリアも受けることになるし、それは、二人で困難を乗り越えるという話ではなかったアスカガ描写もそうかも

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○カガリ

為政者としてユウナを殴るのは有か?国家反逆罪という罪状は妥当か?という部分はあるんだけど、
文脈的に見れば、為政者としてどうこうというよりは、ユウナがカガリの抑圧者だったから、
それを拒絶し、超越するという部分がキーかなと思う。
(正直、アスランもどちらかといえば、カガリの自信を奪い否定する側になっちゃってたから(アスランの、カガリを守りたいという漠然としたイメージとそれがなせないことでアスラン本人が自信を失い、カガリへの苛立ちになっていてしまった部分、
その反面の、同盟をなんとかしろ、という現実的にカガリには無理な課題を課すことで、カガリに無力感と自己否定感情を与えてしまっていた部分)
アスランと距離を置く、というのもまた、カガリの”成長”としてかかれると。

自分を支配しコントロールする対象だったユウナはぶん殴り、
互いの立場が、為政者としてのカガリに正の方向にいかないアスランに対しては、一端終わらせると。(あとはアスラン次第だとは思うが)


○キラとラクス
相変らずフォローに回っている印象。
カガリに対しては、今までずっとパイロットとしてカガリを守り、時に抱きしめて慰めたり、逆に厳しいこといってたき付けたりと、導いてきたキラが、
カガリの決意の場面にはおらず、
逆に、アスランと陣営を別れ、アスランを手ひどく否定した(28話)キラが、アスランの決意のきっかけになると。

「なにかしたいと思ったときに、なにもできなかったら、それが一番つらくない?」

「でも、今のアスランには」「傷ついた今の貴方に、これは残酷でしょう」
というラクスのいいようみるに、キラが、アスランの現状をどうラクスに説明したのかな?という部分も気になったりしつつ、

ラクスは、とにかく、アスランの傷つきに傷ついてるし、心配してるといった感じ。
こうゆうシーンですぐに、ALALとか、ラクスはアスランが好きみたいになっちゃうのがウザイといえばウザイんけど正直。

ここのラクスの心情というのは追いにくい。(心配してるのはわかるんだけど)
ホワイトシンフォニーのときは、もうすこしアスランに対して、具体的にこうすべき、的な意識があった気がするんだけど、
今回は、ラクス自身、そこのあたりで確信はない気がする。
これは想像なんだけど、ミーアの姿や、それを喜んで受け入れてる民衆を見て、
ラクス自身も、ちょっと人のあるべき姿とか、追うべき夢とかに対して、迷っていたのではないかなとーとも思うんだけど。

カガリもオーブ為政者としてやり直すとなった今、アスランの居場所的に、決意したとしても、いく場所があるのか、という部分もなんとなく察してるのではないかと。
そのあたり、キラへの言葉(貴方にここにいて欲しい。必ず帰ってきます貴方の元へ)から見えるとおり、
ラクスにとっても、居場所というのは人との絆で、ラクスやキラは、アスランの居場所になることを否定してきた事実もあるし・・・。

ホワイトシンフォニーがけじめなら、今回は、落とし前、という印象があるかな。
もちっと、義務的なものがありそうだし、
けっこ、キラの代理、という意識も強い気がするんだよね、今回。

「守りたかった、カガリ、キラも。だから力が」
「行け、キラ」

に対するキラなりの返答が気がする今回。


○アスラン

迷って迷って迷って最後にラクスの言葉で吹っ切れた、というのとは少し違う気がする。
「議長の言葉はやがて世界の全てを殺す」
「いや、そんなことはない絶対に」
ブリッジにきたことや、軍服まとってきたことも。ある程度はもう決めていた。

どっちかっていうと、ジャスティスを前にしたことは、迷いというよりも怯みと、あとコンプレックスがある気がする。
そこにいたのは、ラクスだったから、アスランが止まったというか。
アスランなりに、そのほうがよかったと思って決めた選択が、
結局カガリやAAとの敵対をもたらし、カガリを傷つけただけに終わったこと、
この人は正しい、信じられる、あるいはわかってくれた肯定してくれた、と思っていた人が、自分とは相容れず、また自分も力が必要とされていただけだったこと。
つい直前、カガリをキラが助けたこと、ラクスが、かつて自分ではなくキラを選んだこと。
そういった諸々が、袖を引っ張るように、アスランを止めた感じではないかともちと思う。
ラクスやキラ、同胞を守りたくて選んだ道が、キラと敵対し、ラクスに見限られた。
カガリを守りたくて選んだ道が、カガリと敵対した。
おそらく、ひるがって考えてみても、自分のここが悪かったと思える箇所はないと思う。
どれだけ考えて決めたことでも、また上手くいかないんじゃないか、とか。自分はキラの二番手にしかなれないんじゃないか、とか。
アスランなりに、ふっきって了解して受け入れたとしても、
そこにあるのは、自分が他人にどう見えるか、という部分もあって。自分がどう思われるか。
そういうの全部ひっくるめて、決めるのは貴方だと。
貴方がそうだと思えばそうだし、貴方がここまでと思えば、ここまでだし。

君はやりたいでしょう、行きたいでしょう、必要でしょう、望むでしょう、できるでしょう?

キラも、ラクスも、カガリも、アスランの為には選べなかったけれど、アスランを否定してるわけじゃなくて。
アスランが、怪我をおして、軍服をまとい、そしてここに自発的にきたのなら。
今まで悩んできたことそのものが答えだと。
いずれにせよ、自分は自分でしかなく、自分は自分にしかなれない。
それは限界でもあり、限定であり、だけど、自分というのは確実にある。それだけは持っている。











んで、以下愚痴

今話、というより、AA合流に対して、「アスランはなぜ謝らなかったのか?」
というのが気になっている。
というのは、アスランが間違っていて、AAが正しいから、じゃなくて、

アスランが謝らなかった心情というのはどこにあるのか。
個人的には、ミーア容認、カガリに無断でプラントに復隊したことは、私は不可逆の選択だと思っていた。それは裏切りだと。
ダーダネルスの態度とあわせて、正直当時、これが、ラクスやカガリ、自分を選ばず自分の面子を潰した女への復讐なんだなと思ったくらい、アスランの。

謝るということは、一線を引くことで。
AAと自分に。それをせず、ただ周囲に受け入れられて、肯定されて、再出発すると、それでいいのかと。

AAというのは、アスラン(の所属する部隊に)親とクルーを殺された艦で。
ヘリオポリスで、ナタルが目を覚ましたとき、大勢の同僚の死体に囲まれていた、
大勢のスタッフ、ハルバートン、トール。

憎しみの連鎖を超えて、一緒にやっていこう、とそうして戦った三隻同盟の仲間を、
アスランは、裏切ったわけで。
それも、自分たちが掲げた旗であるラクスの偽者を容認する形で。
自分たちの掲げた旗に責任をとる気がないとみなされても仕方ないだろうと。

ラクスの行動は、先の戦争で、プラントを二分した。その行動がイレギュラーであるからこそ、
彼らは誠実に、自分がなぜプラント政権に反旗を翻したか、立場を明確にしなければならないはずが、
当のアスランが、それに対して当事者意識がまるでなかったと。

交渉か、弁明か、謝罪か。

AAに戻ってくるにあたって、どれかは必要だったんじゃないかと?
現状、AAにおけるアスランの居場所って、キラのお友達枠だよ正直?
オーブの人間のどこにアスランを信用する理由がある?
いざとなったら、キラが責任持つだろう、という保険込みじゃないと受け入れる理由がない。
いくらアスランが悩み苦しんだからって、アスラン以外やアスランを大切に思っている人間以外に、そんなのなんの価値もないし。

正直、AAのたたかれる部部には関係みたいな扱いで、
AAを出入りフリーのセーフティネットみたいに扱われてたまるかよ

キラは行動で掣肘され、アスランは心情で庇護される。なんか不公平だよなと。

自分はここで必要な人間であると、自分はAAやオーブとここは賛同するけど、ここには反対しますと、
そういう人間だからこそ、自分はここに必要なはずだと、そういう境界はどこにあるのかと?

そういうのは野暮っていうのもわかる反面(ここ数話の演出的にも、キラやラクスとの言語化できない絆をやりかったのもあるんだろうし)
あまりに扱いが幼児じゃないの?歩いて転んでよちよち帰ってきて、そこでいい子いい子してもらってまた歩き出す幼児みたい。
皆アスランが好きで、アスランも皆が好きなんだよ、というところからもでてないし。

望む心が貴方。カテゴリや、肩書き、遺伝子的適性からくる能力からくる自己規定より、望む心が貴方というのは正しいと思う。
ただ、人はその行動によっても、制限されると思う。

守るためとはいえ、銃を撃ってしまった僕だから。

その観点が、アスラン緩くないかと?
望んで軍に入った。キラの友達を殺し、キラを殺した。俺個人の意思だとザフトを抜けた。オーブで間接とはいえ政治に関わった。ザフトに戻った。ザフトを脱走した

その”行動”への結論が、アスラン”だけ”あまりにい観念的じゃないか?

人はその行動がすべてだとも思う。

このあたりまでは建前で、怖いのは、製作者側のアスランへの視線、逆にいえば、キラやラクスやカガリへの視線が気になるというか。

アスランが、AAを、所詮女子供の艦として舐めてかかってきた面はあるかと思うんだけど、

アスランのではなく、製作サイドの、キラやラクスやカガリへの懲罰意識が見えるというか・・・・
キラやラクスやカガリは、アスランに対して酷いことをしたんだからというか・・・
アスランを裏切ったキラとラクスが悪い。
同盟を拒否できなかったカガリが悪い。他の男と結婚したカガリが悪い。
キラの日常を破壊したのはアスランでしょう?ラクスに冷たくしてたのはアスランでしょう?キラにラクスを助けてもらって感謝もしてなかったくせに。
肝心なときに、力になれないと、オーブとカガリから逃げ出したのアスランじゃない。なにもさせてくれないとか、結局シャドーワークは俺の仕事じゃないってことじゃん。

婚約者がいても、人を好きになることはあると思います。いけないこととは思っていません。婚約者って立場に安心してちゃだめですね。

って監督の言葉、嘘だと思う。
嘘っていうのもあれなんだけど、アスランはキラやラクスを許してやる立場だっていうのをなんていうか感じるっていうか・・・
アスランの男の面子に対して下駄はかせすぎってのは、前々から感じるんだけど。
アスラン可哀相っていう視線をさ。
(アスラン可哀相だと思っていなければ、メイリンをアスランの補佐としてつけたりもしなかっただろうし。
今後カガリの背中を追うにしても。)