分かたれた道。果たしてキラに「選択肢」なんてあったのかな、というのが・・・
「友達」だから守るんじゃなくて、
守らなくちゃいけないから「友達」って言ったんじゃないかな、と。
キラってムウに「君は違う」「君は力がある」って、
皆から「切り離された」印象があります、あの4話で。
なぜ、キラにパイロットとして働くよう、皆の前でって、ちょっと思ったんですが。
友達と友達じゃなかったんじゃないかって。
力ある者と、力ない者。
「君の責任だ」って、ぽいっとばかりに、手の中に押し込まれた無力な命。
しかも、この艦に乗っている多くの民間人って、キラが(良かれと思って)連れ込んじゃった人達だし。
退けるわけがない。
ここでキラが退いたら、もうキラはキラではいられなくなる、そんな感じもします。
友達として好きっていったらアスラン、国とため同胞の為に戦っているのもアスラン、
そして自分に優しくしてくれたラクス、一緒に行けたら。
でもそれをしたら。
そんなものを背負って生きられるか。「友人」を見殺しにして。
これは、好き嫌いの問題じゃなくて、限りなく人間らしい、良心の問題なんだと
(なので、アスラン脱走のメイリンの行動も、恋心ってよりは、
大きなもの(=軍)に殺されそうになっているアスランへの庇護意識がベースだったかな、と。元々憧れていて、助かってほしい、力になりたい、役に立ちたいと、短い間で行動がエスカレート(シャワー、回路侵入、車を調達等)
(監督のツイッタで、守るというのは理屈じゃなくて本能のようなものって意見もあったかな、と。)
個人的にちょっと思っているんですが、
キラは責任感を、アスランは使命感をベースに動いている印象があって・・・
キラの場合、確かにアスランほどには大きなビジョンはないですが・・・
キラの場合、ただ、眼前の、「自分がこれをした場合」「自分がこれをしなかった(できなかった)場合」
方法の、極めて「具体的なビジョン」を見比べて「よりマシ」な方を選んでいるイメージがありまして。
自分したしたこと、しなかったことで「必ず起きる現実」を比べて。
フリーダム搭乗後、そしてオーブの理念を再評価した以降は、また軸が一本できたイメージもありますが・・・。
アスランの場合、「そうあるべき状況(世界)」平たくいえば、「青写真」と現実を引き比べて、
後者を前者に引き寄せようとするイメージがあります・・・
今目の前に見えている現実、あるいは対面している個人の、個々の状況はいまいち見えてないのかなぁ、と・・・
以下ちょっとアスランdisりっぽくなるので苦手は人はお避け下さい。
アスランを語るに、悩みぬく、考え抜くというのはほとんど常套句ですが、
個人的にはもやっとします、どうもアスランの悩み(思考)のトレースができない。
状況認識に対する楽観が垣間見える・・・というか。
特に運命のアスカガにおいては、アスカガが熱心に好きか嫌いかという層はおくとしても、
けっこう見方(感触)が分かれるなぁ、と思います。
運命後も、結局アスカガじゃない?って層と、あれはどう見ても破局してるって層と。
あと、アスランに同情的な層と、カガリに同情的な層と。
私は正直、運命ではカガリに同情した層です。
アスランがザフトに戻った時、オーブが連盟に加盟することも、他の男と結婚することも、予測できるものとして、なおそれでも、最悪オーブと敵対しても、極端なこといえば、カガリを見殺しにするくらい覚悟でザフトに戻ったものだと思っていたので、
以降、結婚や連盟に驚いている様子に正直驚きました・・・というか、この時点ではそうでもなかったけれど、
ダーダネルスにおいて、それがほんとに寝耳に水の裏切りだと思っていることに正直驚いた・・・というか、
想定してなかったの?ほんとにカガリがなんとかできると思っていたのか?と。カガリの置かれている状況全然見てなかったんじゃないかって。
おりしもリマスタで、アスランがラクス捜索時に見せた、宇宙で行方知らずになったラクスの置かれている状況への緊張感のなさや、
キラが置かれている状況を、本当に「わからなかった」のか?と。(©慟哭の空)
そして、ドラマCDでの、キラとアスランの思考の対比・・・・戦争なんておこるはずない、人はそんな愚かなはずがないというアスランの述懐と、(のほほんとした口調で)本当に戦争が起きたら、プラントだって危ないと思うけど、月には連合の基地があるからね、と言っていたキラ。
そのあたり、思考の在り方っていうか、
アスランはどうも大切な人の状況を、「危機感をもって考えられない」
正直、優しくて誠実なんだろうけれど、共感力と想像力の欠如がある気がして、(これは、キラやカガリやラクスやシンそれぞれに対して)それは性格や思考の問題じゃなくて、ただなまじ対外的な「鎧」(家名や赤服、彼自身の優秀な成績)な立派な分、隠れてしまっている、幼さなんだと思っているのですが・・・・
確かに、優しさや誠実さの質は、キラより上かもしれないけれど、それを支える気性が実はけっこう幼いというか・・・
なんだか、自分が「認めさえしなければ」その悪い状況は「固定」されない。というある種頑なな・・・・
そして、「悪い自体」が固定してしまった時の、激烈なまでのとりつくしまのない、怒りと拒絶。まるで信じたのに裏切られた、とでもいうような。
当初の楽観と、深刻な事態。それに対する暴力的な対応。
「戦争なんておこるはずがない」→軍属になって、その意識は、キラや巻き込まれた友人(民間人)の立場への想像も拒絶
「・・・民間船ですし・・・」→人質→「卑怯な」
キラの敵対、俺が撃つといいつつも、キラに仲間を殺される事態をほとんど想定しておらず→俺がお前を撃つ
あと、前述の、カガリはなんとかできる→なんとかできない→呼び出して怒りの発露
等々
どうも、「こうであるべきの社会」のイメージが強すぎて、そっちに引きずれている気がします・・・
そういう意味で、どっか「こうである社会」を力ずくで作ろうとした議長と似た部分があるような気もします・・・
「友達」だから守るんじゃなくて、
守らなくちゃいけないから「友達」って言ったんじゃないかな、と。
キラってムウに「君は違う」「君は力がある」って、
皆から「切り離された」印象があります、あの4話で。
なぜ、キラにパイロットとして働くよう、皆の前でって、ちょっと思ったんですが。
友達と友達じゃなかったんじゃないかって。
力ある者と、力ない者。
「君の責任だ」って、ぽいっとばかりに、手の中に押し込まれた無力な命。
しかも、この艦に乗っている多くの民間人って、キラが(良かれと思って)連れ込んじゃった人達だし。
退けるわけがない。
ここでキラが退いたら、もうキラはキラではいられなくなる、そんな感じもします。
友達として好きっていったらアスラン、国とため同胞の為に戦っているのもアスラン、
そして自分に優しくしてくれたラクス、一緒に行けたら。
でもそれをしたら。
そんなものを背負って生きられるか。「友人」を見殺しにして。
これは、好き嫌いの問題じゃなくて、限りなく人間らしい、良心の問題なんだと
(なので、アスラン脱走のメイリンの行動も、恋心ってよりは、
大きなもの(=軍)に殺されそうになっているアスランへの庇護意識がベースだったかな、と。元々憧れていて、助かってほしい、力になりたい、役に立ちたいと、短い間で行動がエスカレート(シャワー、回路侵入、車を調達等)
(監督のツイッタで、守るというのは理屈じゃなくて本能のようなものって意見もあったかな、と。)
個人的にちょっと思っているんですが、
キラは責任感を、アスランは使命感をベースに動いている印象があって・・・
キラの場合、確かにアスランほどには大きなビジョンはないですが・・・
キラの場合、ただ、眼前の、「自分がこれをした場合」「自分がこれをしなかった(できなかった)場合」
方法の、極めて「具体的なビジョン」を見比べて「よりマシ」な方を選んでいるイメージがありまして。
自分したしたこと、しなかったことで「必ず起きる現実」を比べて。
フリーダム搭乗後、そしてオーブの理念を再評価した以降は、また軸が一本できたイメージもありますが・・・。
アスランの場合、「そうあるべき状況(世界)」平たくいえば、「青写真」と現実を引き比べて、
後者を前者に引き寄せようとするイメージがあります・・・
今目の前に見えている現実、あるいは対面している個人の、個々の状況はいまいち見えてないのかなぁ、と・・・
以下ちょっとアスランdisりっぽくなるので苦手は人はお避け下さい。
アスランを語るに、悩みぬく、考え抜くというのはほとんど常套句ですが、
個人的にはもやっとします、どうもアスランの悩み(思考)のトレースができない。
状況認識に対する楽観が垣間見える・・・というか。
特に運命のアスカガにおいては、アスカガが熱心に好きか嫌いかという層はおくとしても、
けっこう見方(感触)が分かれるなぁ、と思います。
運命後も、結局アスカガじゃない?って層と、あれはどう見ても破局してるって層と。
あと、アスランに同情的な層と、カガリに同情的な層と。
私は正直、運命ではカガリに同情した層です。
アスランがザフトに戻った時、オーブが連盟に加盟することも、他の男と結婚することも、予測できるものとして、なおそれでも、最悪オーブと敵対しても、極端なこといえば、カガリを見殺しにするくらい覚悟でザフトに戻ったものだと思っていたので、
以降、結婚や連盟に驚いている様子に正直驚きました・・・というか、この時点ではそうでもなかったけれど、
ダーダネルスにおいて、それがほんとに寝耳に水の裏切りだと思っていることに正直驚いた・・・というか、
想定してなかったの?ほんとにカガリがなんとかできると思っていたのか?と。カガリの置かれている状況全然見てなかったんじゃないかって。
おりしもリマスタで、アスランがラクス捜索時に見せた、宇宙で行方知らずになったラクスの置かれている状況への緊張感のなさや、
キラが置かれている状況を、本当に「わからなかった」のか?と。(©慟哭の空)
そして、ドラマCDでの、キラとアスランの思考の対比・・・・戦争なんておこるはずない、人はそんな愚かなはずがないというアスランの述懐と、(のほほんとした口調で)本当に戦争が起きたら、プラントだって危ないと思うけど、月には連合の基地があるからね、と言っていたキラ。
そのあたり、思考の在り方っていうか、
アスランはどうも大切な人の状況を、「危機感をもって考えられない」
正直、優しくて誠実なんだろうけれど、共感力と想像力の欠如がある気がして、(これは、キラやカガリやラクスやシンそれぞれに対して)それは性格や思考の問題じゃなくて、ただなまじ対外的な「鎧」(家名や赤服、彼自身の優秀な成績)な立派な分、隠れてしまっている、幼さなんだと思っているのですが・・・・
確かに、優しさや誠実さの質は、キラより上かもしれないけれど、それを支える気性が実はけっこう幼いというか・・・
なんだか、自分が「認めさえしなければ」その悪い状況は「固定」されない。というある種頑なな・・・・
そして、「悪い自体」が固定してしまった時の、激烈なまでのとりつくしまのない、怒りと拒絶。まるで信じたのに裏切られた、とでもいうような。
当初の楽観と、深刻な事態。それに対する暴力的な対応。
「戦争なんておこるはずがない」→軍属になって、その意識は、キラや巻き込まれた友人(民間人)の立場への想像も拒絶
「・・・民間船ですし・・・」→人質→「卑怯な」
キラの敵対、俺が撃つといいつつも、キラに仲間を殺される事態をほとんど想定しておらず→俺がお前を撃つ
あと、前述の、カガリはなんとかできる→なんとかできない→呼び出して怒りの発露
等々
どうも、「こうであるべきの社会」のイメージが強すぎて、そっちに引きずれている気がします・・・
そういう意味で、どっか「こうである社会」を力ずくで作ろうとした議長と似た部分があるような気もします・・・