種々

世界の片隅でキラへの愛をこっそりと囁くブログ

プラン

2008-04-25 22:07:37 | SEED DESTINY
「わたしは平和を求めている。対立が起きるのは、わたしに逆らう者がいるからだ」

文藝春秋「紅茶を注文する方法」土屋賢二 p190 より

さる哲学者の奥様の言葉ですが、なかなか鋭いのではないか、と個人的に思ってます。
この「わたし」の部分を「最も客観的な基準」である「遺伝子」に置き換えたのが、議長サイドの発想だったのではないかな、と思います。
この「客観性」をどの程度評価するかというところで、議長とそのプランの評価が変わってくるかなぁ、と思います。
私個人は、運命プランは、
プランに従うか従わないか、という新たな対立軸を作るだけだと思っているのですが・・・従わない者は撃つ、というのでは、結局いたちごっこになるのでは、と思います。
運命プランは、作中で示された平和な世界へのひとつの答えであると同時に
その提唱者である議長を「父」として、
その「父」が与える「擬似的な幸福」を拒否して
自分の真に望むのもを選びとれるか、というのが作品としての流れだと思います。
議長に望むものの代用品をもらった子供達・・・
アスラン、シン、ミーア、レイ
彼らはそれぞれの形で議長を拒否しました。
アスランは脱走という形で、シンは、撃たれなかったオーブを受け入れることで、
ミーアは、「議長のラクス」である自分の命よりも「大好きなラクス」の命を守ることで、そしてレイは議長を撃つことで。
キラやラクスは、なにも与えられていなかったからこそ、
はじめから議長に敵対する形で登場し、そして最後の選択の部分では省かれていたのかな、と思います。

戻りまして、議長の最も客観的な基準を打ちたて、それに反するものを排除する、
という発想と対立をなすのが、オーブ及びAAの発想でした。
それが、オーブの理念である他者不干渉主義です。
「なにとどう戦わなければならないのか」
この「なに」に安易になにかをいれないことがキラが「わかった」ことなのではないでしょうか。なにかを撃てば、という発想自体を否定するのがキラだったのではないか、と思います。
キラ達が「対ロゴス戦」に参加しようとしなかったのは興味深いです。
なにかを撃って得られるもの、に懐疑的だったのではないかな、と思います。
キラ達の担うテーマに、コクピットはずしの戦い方や、戦場に乱入して武装の強制解除というのは、直接は関係ありません。
キラ達は、そういうやり方で戦争や世界を解体しようとしていたわけではなく、
あくまでオーブの理念をつなげるための手段としてあの方法をとったのだと思います。
キラの暴力は、かなり対物療法的ですが、
キラ自身、自分にできるのはそのくらいだ、という諦観があったのかもしれません。キラの暴力によって守られたラクスやカガリがなにをなすか、というのが主題なのだと思います。
キラが守ろうとしたオーブの理念は、
議長のやり方とは全く様相の違う発想。
他国の争いに介入しない、いわば「線引き」をするのがその発想なのかな、と思います。
デストロイによる民間人への無差別大量虐殺を例外とすれば、
キラはラクスとカガリがらみでしか動いていないわけで、
運命プランによる「客観的な基準」とオーブの理念による「武力行使の線引き」
が運命作中における、ふたつの提示だったのかな、と思います。

虎児を得ず

2008-04-25 21:41:17 | SEED DESTINY
46話の、ミーアからのメッセージを受け取った時のキラとラクスの対応。
私はそんなに変だとおもっていないのですが・・・
叩かれているのを見たりするので少し・・・
アスランは自分1人で行くといいましたが、
サラサイドの「目的はラクス」です。
なので、ラクスがいかなければ、サラ達はミーアをつれて引き上げるでしょう。
それに、ラクスを行かせない、アスラン1人でいくなどという「挑発」をすれば、
サラ達はいったんミーアとともに引き上げて、
再度コンタクトをとるとすれば、
「ラクス1人でこなければ、ミーアを害する」といったふうに、
条件がタイトになる可能性が高いです。
まだ、人数や人選に細かい指示のきていないあの状況は、ミーアと接触する唯一のチャンスであり、
ラクスが私も行きます、というのは、そのチャンスを活かす当然の選択だったのではないでしょうか。
キラにしても、監視者の耳目を気にしてあえて軽く「ねっ」請け負ったとすれば、
たんなる楽観じゃなくて、ちゃんと状況を考えていたんじゃないかな、と思うのですが・・・
キラはミーアに好印象は持っていなかったでしょうが、
それでも大切なラクスをいわば囮にしてでも、
今のミーアの危険な状況に対して接触のチャンスを活かそうとごく普通に選択したならば、優しい子だよな、というのが私の感想なのです。

ミーアを窮地においやったのが、ある意味ではラクスなので、
ミーアの立場を守るという一点に限れば、
ラクスは表舞台に名と姿を現すべきではなかったのかもしれません。
ただ、それだと、オーブやプランの邪魔になるとみなされた存在が「世界の敵」としてミーアの演説で仕立て上げられていく状況を黙って見過ごすことになります。
プラン自体への彼女自身の反目。そして、ラクス・クラインとしての生。
ラクス自身、二度と「ラクス・クライン」として表舞台にあらわれず、
生涯隠者として過ごすべきだったのかもしれません。
そういう意味では、すべて「今更」だったのかもしれませんが、
ラクスはミーアの身が危険になることも覚悟のうえで、再び世界に問いかけ、
そしてその危険を承知していたからこそ、
自分の命が狙われる場にでむかうことを決めたのだと思います。
ところで、ラクスをおびき寄せる囮として使われたのが、
彼女の偽者であるミーア、というところに、ラクスとプラントの関係の希薄さが現れていると思います。
親族や友人ではなく、自分の偽者。
ラクスは、プラントでは孤独な存在なのかもしれません。
ラクスが戦後プラントではなくオーブにいたのも、わかる気がします。

キラが、「遅いです、ムウさん」と言ったのも、
タイミングとしては、ミーアの姿が確認できた瞬間に現れていれるのがベストなわけで、(はじめからMSを引き連れていけば、相手も警戒して別の機会を窺うででしょう)そんなに変じゃないと思います。

虎穴に入らずんば虎児を得ず、の典型的な状況だったわけで、
それでも、最後の最後に油断から虎子を死なせてしまったのは事実なので、
今更といえば今更な言い分なのかもしれませんが・・・

経過

2008-04-18 18:42:12 | SEED DESTINY
以前の記事との重複になりますが、キラのカガリ誘拐の意識について、すこし補足を・・・

キラは自分が攫うことによって、二度とカガリがオーブの国家元首に返れなくなる可能性も視野にいれていたんじゃないかと思うのです。
それは、ウズミの提唱していた「オーブの理念」を継がないならば、「カガリが国家元首である必要はない」と考えていたのではないでしょうか。
そして、オーブ自体が、カガリを、オーブの理念を選ばないならば、
カガリが二度とオーブに戻れなくなってもかまわない、くらいの意識で行動にうつしたのだとおもうのです。
キラのこの行動は、カガリ好きの人も含めて、かなり批判されていますが、
カガリは国家元首である、ということを前提としての非難だとおもうのです。
キラの意識としては、カガリが国家元首でなくてもかまわない、というところがあると思います。
なんのために、カガリが国家元首の地位についているのか。
オーブが、理念を捨て去るならば、その国の元首は、カガリでなくともかまわない。
もともと、ウズミとは血縁関係になく、カガリが国家元首であらねばならない、という必然性はない。
理念なきオーブはセイラン家に任せておけばよい。
キラは、「カガリじゃなくてはできないこと」を意識しているのだとおもいます。
カガリでなくともできることならば、カガリ以外の人間にやってもらえばよい。
同盟を組んだオーブの舵取りはセイランに任せて、
状況の推移とカガリの「回復」を待とうという意識だったのではないでしょうか。
あの戦闘乱入は、シンの糾弾で折れた為政者としての意思へのリハビリであり、
また、「対コーディネイター戦」という図式が、どうも違うものになっているようだ、
という認識から、直に同盟が「効力」を失う、かえってオーブのあだになる、ということを見越しての、「実績作り」だったのではないでしょうか。
カガリがオーブの戦闘不介入を叫んだところで、
実際にさがらせることはできない。
ただ、「カガリはオーブの理念を貫こうとした」という「事実」は残ります。
その戦闘に参加したものにとっては、ある意味たまったものではない乱入ですが、
逆にいえば、あの戦闘に参加していなかった者達に対しては、
まったくちがった「色」を見せることができる。
その状況、カガリの意思と行動はプロパガンダとして、
どうとでも後付で利用できる、
キラはそこまで計算していたんじゃないかな・・・
そして、その意思に賛同するものが、少数ながら、AAに合流しました。
シンの糾弾から、自らの立位置をなくし、
キラの誘拐により一度状況をはなれ、
ターミナルの情報提供に触れることで、世界の動きを外から見る。
戦闘を止めに入り、
止められなくも、その意思に賛同するものの協力を得て、
自らの立ち位置をもう一度確認し、
オーブの危機に、オーブに戻ることを決める。
というのが、カガリの経過だったのではないかな、とおもいます。
ただ、作品として苦言をいうならば、
カガリに賛同するオーブの民が、軍人でしか描けていないところかな、と・・・
もっと、かつてのキラやシンのような、
オーブの一般市民の選択として、カガリを、オーブの理念を選ぶ、という描写ができれば、ラクスのいう「オーブは強い国」という言葉に説得力をもたせることができたのでは、と個人的には思います。

カガリをオーブに戻すことができる、とキラが考えていたのには、
「ラクス(ミーア)」の復帰という「前例」があるのもあったとおもいます。
2年のブランクを経てなお、むしろそのブランクを上手く利用しての
「ラクス・クライン」の「リサイクル」がプラントによって成されているのを見て、
「需要に応じることができれば」カガリが再度オーブで立つことは可能だと
キラはみていたのではないでしょうか。

あと、最初からある程度、キラはユウナを踏み台に戻る公算をしてたんじゃないかな、と思います。
いわゆる「君側の奸を打つ」という目論みは頭にあったんじゃないかなーと・・・・

こう書くとキラの思考は鬼入ってるかも・・・
キラのキャラ違うかなー、でもこうでも考えないと整合つかない・・・(いや、これが整合ついてるというわけではないのですが・・・)

アンチ・ヒーロー

2008-04-11 22:00:01 | SEED DESTINY
キラはヒーローの立ち位置だという意識が監督にあるようですが、脚本が意図しているかどうかはともかく、反ヒロイズム的な要素がキラにはあると思うのです。
キラは守るという位置づけに自分をおいているのですが、
守るという彼岸に「無辜の(あるいは無垢な)人々」というのをおかなおのではないでしょうか。
自分が犠牲になって誰かが幸せになってくれればいい。
自分だけが手を汚して、世界が平和になればいい、
そういった意識が気薄なのではないでしょうか。
自分が手を汚したとき、誰もが同じように手を汚す「義務」と「権利」がある。
自分と、自分が守っている人々と、自分が殺している人々、
すべて等価である、というのがキラの立ち位置なのではないでしょうか。
自分は特別ではない。
自分がやること、選ぶこと、もつ覚悟。
自分以外の人間も同じようにやれることであり、選べることであり、もつべき覚悟である。
それは、キラの「原体験」によっていると思います。
キラが守ろうとした「ナチュラルの友人達」はMSに乗ることはできなくても、
軍に志願し、自分をサポートしようとしてくれました。
「平和に普通に暮らしている人々は守られるべきです」
「戦争をしているんです。貴方達の外の世界では」
民間人だからって、学生だからって、ナチュラルだからって「免除」されるわけではない。
「俺達は生きてるんだ。生きてるってことは、生きなきゃなんねえってことなんだよ」
そういって強いられた同胞殺しと墓荒らし。
自分さえ耐えればじゃない。
誰もが、その状況におかれれば、すべき覚悟。
自分のために、自分の守りたいもののために。誰かにすがるんじゃなくて。
キラは、人への要求水準が高いとおもいます。
そして、他者を「無能者」として扱わない。私はそこが好きです。

もちろん、彼は自分が「人より優秀」に「できて」いることを「知って」います。
だから、人より大きな責任を背負うことに否は無いでしょう。
彼が戦後ザフトの要職についているのもそのためです。

ただ、自分がしていることを(守るために人を殺す)他人が「してもいい」
という意識があると思います。
最終戦、対レクイエム戦において、ラクスは、「レクイエムを守って戦う」ことを厳しく問いただしましたが、
ザフト自体を否定してはいません。
キラも、45話で「ザフトだってもう絶対これ以上のプラントへの攻撃は防ぐと思うけど」といっています。
これ、私好きな台詞なんですよね。
ザフトはプラントを守るためにある。
それをさらっと言っているわけで。
それも、キラは基本的にザフトとは敵対関係にあったわけで、
なかなか言えない台詞だよなーと思うわけですが。
彼らは「他者の暴力」を否定はしません。
力というのは、自分達だけが負う「義務」でもなければ「特権」ではない。
誰もがもつべき権利であり、義務である、という意識があるのではないでしょうか。
なかなか、単純なヒーローではないと思うのですが・・・

アプローチ

2008-04-11 21:16:13 | SEED DESTINY
「君に出来ないこと、僕はできるかもしれない。でも、僕に出来ないこと、君はできるんだ」

ナチュラルとコーディネイター、ふたつに分断された世界に、
キラはどうアプローチするのかというのは、
無印の段階ですでに結論がついていたのだと思います。
ふたつの分断を、さらに分断する。
個々、ひとりひとりにまで。そして、
個々が、役割を果たす世界。
議長の運命プランとは、非常に親和性のある世界だと思います。
どちらかがどちらかを滅ぼすか、どちらかがどちらかを屈服させるという結論を除けば、ナチュラルとコーディネイターの共存という課題を満足させるには、
私はそれしかないかな、と思います。
このブログでたびたびいっていることですが、
キラは議長に最も近しいものだったゆえに、
最後のシーンで、議長に対峙するのが、まさしく彼だったのでしょう。
そして、キラと議長を相容れないものとして対立させているのが、
その動機付けの部分。
自由か運命か。
「その意志があるならだ。意志のない者に、何もやり抜くことは出来んよ」
ハルバートンの言葉です。
キラはその後、選んできました。
除隊許可書を捨て、再度ストライクに乗ることを。
地球に戻ることを。
フリーダムに乗ることを。
ストライクフリーダムを受け取ることを。
その自負と責任を感じているからこそ、
キラは議長を否定せざるを得なかったのではないか。
キラにとっては、遺伝的適性によって自分のやるべきことを決める(決められる)というのは、人がなにかをやりとげるのに必要なもっとも重要な「核」が抜けているとおもわざるをえなかったのではないでしょうか。

キラの描く世界は、もしかしたら、議長が描く世界よりも殺伐としたものかもしれません。
自分が選んだのならば。
彼は、最後のときに、レイをつれていきませんでした。
君が議長を撃つことを選んだならば。
君がここに残ることを選ぶならば。
それが、君の意思ならば。
「その命は君だ、彼じゃない」
それは、説得ではなくて、叱責だったのだとおもいます。
議長のプランの是非を、自分がクルーゼだという意識で判断するんじゃない。
君は君の意思で選ばなければならない。
選んだ結果は君のものだ。
それが、君が選んだ道ならば。

よく、キラやラクスの「理想」が世界を平和にするのかといわれますが、
キラやラクスは世界を平和にしようとは思っていないのだとおもいます。
「貴方が平和を望むのならば、それは貴方の課題です」
というのが、キラやラクスの意識だとおもうのです。
もし、個々人が平和への努力を怠り、世界を平和とは別の方向へ導いてしまったのならば、それは「自業自得」という考えをもっているのではないでしょうか。
「でも僕達はそうならない道を選ぶことも出来るんだ。それが許される世界なら」

キラは徹底した個人主義者で意思至上主義者なのだとおもいます。
キラは、議長よりも「厳しい」んじゃないかな、と個人的にちょっとおもっています。