まどマギの話ですーといいつつ、マドまぎに絡めてあくまでSEEDの話ですが~
まどマギで、私が一番好きなのは杏子なんですが(次にさやか)
杏子の(さやかに言っている)台詞で
「そうだよ、自業自得にしちゃえばいいのさ
自分のためにだけ生きてればなにもかも自分のせいだ。
誰を恨むわけもないし 後悔なんてあるわけがない
そう思えば大抵のことは背負えるもんさ」
という言葉を聞いて、
なんとなく、キラのスタンスっていうのはこのあたりにあるのかな、と。
運命開始時のキラは、壊れたいた、かサボっていた、のどちらかのスタンスで語られることが多い印象なんですが、
キラが、この時に、誰のことも憎んでいなかったのは凄いんじゃないかな、と思ったりするのです、
(クルーゼを憎んで殺してそこに全部置いてきた、という見方もできるかもですが)
誰かを恨んでそれで自分の状況に説明つけることだってできたと思うんですよ、
敵対してきた人間でも、自分の力を利用してきた人間でも、もう死んだ人間でも、今生きている人間でも。
キラを救ったフレイやラクスにしても、そこにキラの力を利用した側面はあったわけですし・・・
僕がそうしたかったら、
キラやラクスがとる「自由」という立場は、
ただ、自分で決めたい、という願いだけじゃなくて、こうありたいという届かないかもしれない理想じゃなくて、
「人は自分の決めたこと」だと思わなければ、完遂することも、その結果を受け入れることはできない、
希望としてではなくて、それは「理屈」なんだと思っていたり。
キラもラクスも、基本的にはそう我の強いタイプではないんだと思っていて、
(だからこそ平時では、アスランを立てる方向で上手く言っていたんじゃないかな、と)
だけど、あれだけの世界の犠牲を押してでも、
議長の作ろうとした世界を否定したのは、
「それじゃダメだと」「知っていた」からというのもあるのではないかな、と。
(そして自分のすべきこともしたいことも自分が知っている、という議長も知っていたのではないかな、と。
それを意思ではなく遺伝子だと、意思の力ではどうしようもないことを突きつけられた議長は、>愛する人との子と、友の命
それが優位だと見做したのだとしても)
そして、夢を見る、未来を望むこと、それこそが生きていくための力、というラクスの言葉、
またまどマギで感じたことなんですが、
ほむらの強さの、さやかの破綻、
それぞれの性格や強さ、生育環境(大病を患ったほむら)もあるのでしょうが、
その「目的」の有無もあるのではないかな、と。
ほむらの願いというのは、一途にまどかを想うものである反面、
その願いの対象自体が「自分が変わること」にかかっていて、>彼女を守れる私になりたい
そのあたりは、杏子やさやかの轍は踏んでないな、というか・・・
何度も繰り返すことはものすごい消耗で、彼女の強さけなげさは比類ないですが、
彼女の目的は、適っていないんですよね、目的は常に先に(手の届かないかもしれない先に)ある。
マミの方も、目的が「自身の生」そのものにあるなら、今ここに生きていること自体が「目的となる」
それに対して、中盤メインとなっていた2人の目的は、魔法少女になった段で適っていて、
そして杏子の願いは、その願いそのものの結果として、対象そのものが失われ、
さやかの願いは、その願いに対する僅かばかりの齟齬が理由で(彼を治したいの先にある、感謝されたい、愛されたいの分離がちゃんとできていなかった) 目的の半分はすでにかなえられ、もう半分は魔法少女になった故にかなえられない願いになってしまった。
モチベーションとして、「目的」というのがいかに大きいか、というのも、
個人の資質や適正、強さを超えて、ひとつの軸になっていた気がする、
運命でレイやクルーゼ、議長を支えていたのも、世界を終わらせる、変える、という目的があればこそ、という面もあり、
終盤フレイが見せた真摯さ強さも、キラに謝る、というひとつの明確な望みがあったから、という面があったからじゃないかと思っているですが・・・
キラやラクスみたいに、(一見)恵まれているものが言う夢とか望み、というのは、
なにか贅沢品のように見えるけれど、(実際そう見せてるんだろうな、と)
むしろそれ(夢や望み、あるいは目的、あるいは「欠損」の埋め合わせ)を切実に必要にしているのは、「変わらない明日」を作ろうとしていた陣営の面々で、
その誤謬を、命がけで正したのがレイの最後の選択だった、という側面もあるのかな?と。
まどマギで、私が一番好きなのは杏子なんですが(次にさやか)
杏子の(さやかに言っている)台詞で
「そうだよ、自業自得にしちゃえばいいのさ
自分のためにだけ生きてればなにもかも自分のせいだ。
誰を恨むわけもないし 後悔なんてあるわけがない
そう思えば大抵のことは背負えるもんさ」
という言葉を聞いて、
なんとなく、キラのスタンスっていうのはこのあたりにあるのかな、と。
運命開始時のキラは、壊れたいた、かサボっていた、のどちらかのスタンスで語られることが多い印象なんですが、
キラが、この時に、誰のことも憎んでいなかったのは凄いんじゃないかな、と思ったりするのです、
(クルーゼを憎んで殺してそこに全部置いてきた、という見方もできるかもですが)
誰かを恨んでそれで自分の状況に説明つけることだってできたと思うんですよ、
敵対してきた人間でも、自分の力を利用してきた人間でも、もう死んだ人間でも、今生きている人間でも。
キラを救ったフレイやラクスにしても、そこにキラの力を利用した側面はあったわけですし・・・
僕がそうしたかったら、
キラやラクスがとる「自由」という立場は、
ただ、自分で決めたい、という願いだけじゃなくて、こうありたいという届かないかもしれない理想じゃなくて、
「人は自分の決めたこと」だと思わなければ、完遂することも、その結果を受け入れることはできない、
希望としてではなくて、それは「理屈」なんだと思っていたり。
キラもラクスも、基本的にはそう我の強いタイプではないんだと思っていて、
(だからこそ平時では、アスランを立てる方向で上手く言っていたんじゃないかな、と)
だけど、あれだけの世界の犠牲を押してでも、
議長の作ろうとした世界を否定したのは、
「それじゃダメだと」「知っていた」からというのもあるのではないかな、と。
(そして自分のすべきこともしたいことも自分が知っている、という議長も知っていたのではないかな、と。
それを意思ではなく遺伝子だと、意思の力ではどうしようもないことを突きつけられた議長は、>愛する人との子と、友の命
それが優位だと見做したのだとしても)
そして、夢を見る、未来を望むこと、それこそが生きていくための力、というラクスの言葉、
またまどマギで感じたことなんですが、
ほむらの強さの、さやかの破綻、
それぞれの性格や強さ、生育環境(大病を患ったほむら)もあるのでしょうが、
その「目的」の有無もあるのではないかな、と。
ほむらの願いというのは、一途にまどかを想うものである反面、
その願いの対象自体が「自分が変わること」にかかっていて、>彼女を守れる私になりたい
そのあたりは、杏子やさやかの轍は踏んでないな、というか・・・
何度も繰り返すことはものすごい消耗で、彼女の強さけなげさは比類ないですが、
彼女の目的は、適っていないんですよね、目的は常に先に(手の届かないかもしれない先に)ある。
マミの方も、目的が「自身の生」そのものにあるなら、今ここに生きていること自体が「目的となる」
それに対して、中盤メインとなっていた2人の目的は、魔法少女になった段で適っていて、
そして杏子の願いは、その願いそのものの結果として、対象そのものが失われ、
さやかの願いは、その願いに対する僅かばかりの齟齬が理由で(彼を治したいの先にある、感謝されたい、愛されたいの分離がちゃんとできていなかった) 目的の半分はすでにかなえられ、もう半分は魔法少女になった故にかなえられない願いになってしまった。
モチベーションとして、「目的」というのがいかに大きいか、というのも、
個人の資質や適正、強さを超えて、ひとつの軸になっていた気がする、
運命でレイやクルーゼ、議長を支えていたのも、世界を終わらせる、変える、という目的があればこそ、という面もあり、
終盤フレイが見せた真摯さ強さも、キラに謝る、というひとつの明確な望みがあったから、という面があったからじゃないかと思っているですが・・・
キラやラクスみたいに、(一見)恵まれているものが言う夢とか望み、というのは、
なにか贅沢品のように見えるけれど、(実際そう見せてるんだろうな、と)
むしろそれ(夢や望み、あるいは目的、あるいは「欠損」の埋め合わせ)を切実に必要にしているのは、「変わらない明日」を作ろうとしていた陣営の面々で、
その誤謬を、命がけで正したのがレイの最後の選択だった、という側面もあるのかな?と。