種々

世界の片隅でキラへの愛をこっそりと囁くブログ

言外

2008-08-18 20:50:36 | SEED DESTINY
レクイエムお披露目と同じ回に打倒運命プランの決起式が行われたことに頭を抱えた人は多いと思いますが、私も同じ口です・・・もはや製作者のAAへの悪意すらにじんでいるように思えるのですが、どうでしょうかこれ・・・
私は、きっと、画面にでてないところで、それぞれ悲しんだり怒ったりしていて、それが落ち着いたところで、じゃあ、自分たちはどうするか
世界が大量破壊兵器擁するロゴスとロゴス壊滅を目指すザフトという方向性がさだまり、
その後どうするか、というところまで描写が飛んだだけだと了解しております。
次回のキラの「これ以上のプラントの攻撃はザフトが防ぐ」と言っている通り、
レクイエム破壊は「自分たちの仕事ではない」とみなしていたのだとおもいます。
もし、レクイエムが撃たれた先がザフトの主要軍事施設で、ザフトが壊滅的な被害をこうむっていれば、キラとアスランは一義もなくレクイエム破壊に駆け付けたと思います。
しかし、そうではない。あの時キラやアスランがでれば、ザフトとぶつかり、連合に漁夫の利をせしめることになるだけで、
レクイエム破壊に参加しようとしないという批判は感情的かつ非現実的だと思います。
作中のAAの役割は、このときは、レクイエム破壊ではない。
だから、レクイエムへの反応の描写は省かれたのだとおもいます。
キラやアスランやラクスがこの事態へのどうゆう感情をもったのか、というのは
各自想像できることであり、省かれたのだと思います。
画面にでてないからと、キラやアスランの反応の薄さをたたくのは気の毒かな~と。
ちなみに、ラクス達が、「対ザフト」を相手取り武力行使を決めるのは、
これよりさらにあと、議長が「同胞を何万人も殺した兵器を直して持ち出した」時です。
ラクスが宇宙へあがるときや、カガリが理念を捨てていないことへのアピールのために、ザフトに刃を向けたことがありますが、
それは相手がたまたまザフトだっただけで、
相手がザフトであるから、という矛先でキラがたったのは、49話と50話だけです。
この時点でも、武力行使の相手としてのプラントというのは保留的だったのだと思います。

ゲスト

2008-08-18 20:35:20 | SEED DESTINY
種デスでのキラの扱いは、どっいかっていえばゲストキャラ的だと思っております。アスランやシンの方が描写は地に足がついていたと思います。
描写の少なさを補うための、派手な演出だったのかな、と思います。
それがへんな受け方をして、キラ=正義だと作中メッセージを誤読して、
キラを無批判に肯定したり、逆に反発くらったり、贔屓していると思われたりと、誤作動していると思いますが・・・
キラがゲスト的だと思うののひとつは、キラが泣くシーンがないことです。
キラの人間味が薄れたとか、成長ととるか、あるいはフレイのあなたはもう泣かないで、を受けて、という意見もありますが、
私は単純にキラが泣くようなイベントがなかったから、だと思っています。
人の死、というイベントに限らず、そうゆうイベントのなさが、キラが制作サイドにとってゲスト的な位置づけだと思う理由なのですが・・・
ここで泣かないのは・・・というのはミーアのシーンでしょうか・・・
でも、私は、あそこでキラが泣くのは不自然だと・・・
いちおう、キラは彼女には悪感情を抱いていたはずで、ろくに面識もなくて、
あそこで泣くのはあまりに劇場的かなぁ、と
私はキラの表情は普通に悼んでいる表情に見えたのですが・・・
すくなくとも、キラの態度に違和感は覚えませんでした。
心配しなくても、制作スタッフのキャラ理解は完璧だと思います。
でてきているものに違和感を覚えるなら、それは視聴者の方がキャラを思い違えているんじゃないかな、と私は思っているのですが・・・

レトリック

2008-08-01 19:53:49 | SEED DESTINY
運命におけるラクスサイドを批判するさい、ラクス・キラ贔屓として一番それを言われるのは、と思うのは、この世には食べることにすらことかく層がいるんだ、みたいな言説ですね~でも、それってずるいなぁ、と思うんですよねー
じゃあ、それをいう人間はどこにいるんだ、と思うのです。
こんな一年間週に一度のアニメみて、ネットでキャラやスタッフの悪口言っている層は恵まれてる層にきまっているんですから。
(もちろん、個々の事情はいろいろあるでしょうが。
ライフラインが整備されていたらあとは幸せだろう、という気は毛頭ありません。
・・・それこそが、私がキラ派ラクス派な理由なのですが)
種デスは、難民キャンプの子供達のために作られた話ではありませんからね。
私個人の好き嫌いの問題で、「相手」を批判否定するさい、
自分よりも「下」(状況的に恵まれてないとか)の人間を引き合いにだして言い合いの「武器」にするやり方が嫌いなんですよね。
わかりやすい例でいえば、子供に嫌いなものを食べさせるとき、世界には食事も満足にできない子供だっているんだぞ、みたいな感じで脅迫して罪悪感を抱かせるようなやり方が嫌いなのです。
「自分の立場」でモノ言えよ、と思うのです。
他人の代弁など軽はずみにするなできると思うな、と思うのです。
もともと、その恵まれない人々のためになにか活動しているならいいのですが、
都合のいいときだけ引き合いにだすのが、かなり嫌い。
作中シンみたいに被害者のために自分の選択をしたうえで代弁するのは良いのですが(それが作中でのシンの役割だと思っています)
弱者に、被害者に合わせた社会のシステムつくりに賛成する勇気は、
私にはないです。好きなアニメの関連グッズにお金使うのをやめる気も、夏場に冷房の効いた部屋を手放す気もないです。
私がキラ派なのも、キラについた方が気持ち的に楽だからというのもあるかもしれません。
聴衆に合わせた話つくりという意味では、種スタッフはかなり考えていると思うんですよね~
戦争のドラマを期待して、
戦争の悲惨さを「体験」しつつ、格好いい戦闘シーンに痺れたい、人間ドラマに涙したいというファンの期待に奉仕する気はさらさらないんだな~と思います。
キラ達の戦争へのかかわり方にいまいちリアリティーがないのも、
わざとやってるんじゃないかなぁ、とおもうのです。
戦場において、流される血や壊される体だけが、戦争の姿ではなくて、
殺すことも殺されることなく戦争に参加するという形態だってあると思うのです。
今の日本がそれです。
種デスのスタッフがイメージする戦争参加って、
MSにのって敵を殺すことでもなく、政治で世界を動かすことでもなく、
戦争についてなにを考え、なにを思い、なにを期待するか、
働きながらも、仕事をしながれでも、それはアニメ見ながらでも、お菓子を食べながらでも、寝転がりながらでもあるうる戦争参加です。
それは、まさに私たちのことです。
私たちは、毎日戦争しながら、生活している、
そういったイメージがスタッフの中にあったんじゃないかと思っています。
だから、人の死を、劇的に、悲しく、格好よく演出して泣かせよう、感動させようとは思っていなかったと思うのです。
今の日本に所属する人たちに見せるものとしてなにを見せればいいか、みたいなイメージや、リアリティー、私はけっこう共感できるかな、と思っています。
キラをどれだけ嫌おうが、監督のイメージする聴衆の代理がキラだと思うのです。
作中持っている、恵まれている、という意味では。
新キャラがラクスに対するミーア、キラに対するレイみたいに、
旧キャラに対して恵まれない、持っていない人間として描かれていました。
どっちを支持するかの踏み絵的な構造に作品自体がなっていると同時に、
監督のイメージとしては、視聴者は「キラ」なんだと思います。
そして、「キラ」を否定するのは、批判するのはすっごい簡単なんです。
一番批判されやすい位置にいる子だと思います。
おまえは恵まれている、持っている、その幸福を思い知れ、お前が奪っているものに思いをいたせ、
それはそのまま、視聴者に返っていくような構造にしているのだと思います。
普通の、持たざる者がもつ者を打倒するような、
弱いものが強いものをやっつけるような話ではなく、
むしろ逆を行ってるような、特殊な構成になっていると思うのです。
そして、監督は、画面を見る人に、これは画面の中のフィクションなのだから、と片付けてもらうのを是としないような、わざと視聴者を挑発し反発させるような話にしてるんじゃないかな、と思います。
今の日本に住んで、恵まれた環境を甘受しているような人間が、
キラ達のやり方に批判をいだき、
恵まれないもの、夢なんて言ってられない人間のことを考えろ、という感想を抱かせたなら、それは近年稀にみる功績なんじゃないかな、と思うのです。