無印と運命の、1クールでの強い印象を残す、対立(というか詰りというか非難というか、批判というか)
フレイ→キラの、あんた、自分もコーディネイターだからって、本気で戦っていなんでしょ!?
シン→カガリへの、さすが綺麗事はアスハのお家芸だな。 オーブの理念を守るって、その言葉で誰が死ぬことになるのか本当に考えたのかよ!?
フレイ、シンの言葉は事実ではある。
キラは本気で戦ってないし(そもそも、技術的意識的訓練を一切受けていないキラが、かつ同胞(友人含)相手に本気で戦えるわけがないのだけれども)
オーブの選択が、シンの家族の死を招いたのは事実。
ただ、フレイやシンの言葉が事実だったとして、
それが、キラはカガリへのこの咎が正しいか、あるいは、フレイやシンの家族の死の責任が、キラやカガリにあるかというのは、全く話が別。
キラは、協力を要請された民間人でしかなく、たとえキラが本気で戦っていたとして、フレイの父を助けられていたかは疑わしい。
カガリも、先のオーブ戦の時には、将官の地位にはあったとしても、決定そのものへの権限をもっていたわけではないし、
オーブの理念を曲げて、連合に協力することは、ただ片方に与するというばかりでなく、
コーディネイターというひとつの種を根こそぎ殲滅しようとする連合側に物量及び技術双方でもって協力する多分に同義的倫理的な問題に踏み込まざるを得なく、
フレイやシンの言い分(に含まれる)正しさは、そのまま、キラやカガリの間違いを意味するわけではない。
キラとカガリ、フレイとシン。
この場面移行、それぞれの課題とはなにかといえば、ここをターニングポイントとして、
彼らが”ここから”抱えていくことになる罪、間違いとは何か?
フレイとシンについては、自分の無力さを埋め合わせようとするかのように、力を求め(シンは自分が軍に入り(これ自体は別に間違いではないんだけど)
フレイは、力を持つ者(=キラ)を自分の支配下に置こうとした。)
そして、けして埋め合わせることのできないものを、けして取り返すことのできないものを取り返そうとする、”足掻き”は、世界を正しいものにしようとする、足掻きは、
動機は例え純粋でまっとうなものだったとしても、それを、野心持つ大人に利用され、この世界の多くの人の人生に、死に、直接間接関わっていくことになる。
そして、キラとカガリ。
彼らの間違いは、
「本気で戦っていなかったこと」ではなく「オーブの理念に固執して、地球の国国(連合)を敵にまわした」ことではなく、
「その後、本気で戦うようになった」ことであり、「その後、オーブの理念を捨てて、かつて国を焼いた者達に屈した」ことだと思う。
キラもカガリも、友人が艦に残るという愚かな選択をした、カガリは議会が孤立していた、という実情があり、
彼らが受けた非難だけで、彼らの意思だけで、事を決定したわけではないにせよ。
厳密にいえば、本気で戦うことや、同盟を結ぶことが、間違いなのではなく、
「本来自分とは関係のない戦いにコミットした」ことが、キラやカガリの間違いだったのだと思う。
結論からいえば、キラやカガリは、受けた非難を心に留めるにせよ、それに影響されるべきではなかった。
しかし、その”八つ当たり”に囚われたキラとカガリは、自分に、自国に直接関係のない戦いに、参加していくことになる。
そしてそこからのリカバリーこそが、無印ではキラの、運命ではカガリの物語そのものになり、
その”贖罪”を、彼らはこれからの人生をかけて行い、背負っていくことになる。
キラやカガリの決断に、フレイやシンの批判が多かれ少なかれ、関わっていたのだとしても、
彼ら自身がした選択は、彼ら自身の責任になる。
だから、1クールで強烈な印象を残した、キラとフレイ、カガリとシンのその”結末としての和解”が、
物語の終盤では描かれなかった。
彼らがすでにそれぞれに選択し、その選択の結果をそれぞれで背負っていた以上、
それは彼ら個人個人の問題になり、「キラとフレイの問題」「カガリとシンの問題」ではなかったから。
フレイ→キラの、あんた、自分もコーディネイターだからって、本気で戦っていなんでしょ!?
シン→カガリへの、さすが綺麗事はアスハのお家芸だな。 オーブの理念を守るって、その言葉で誰が死ぬことになるのか本当に考えたのかよ!?
フレイ、シンの言葉は事実ではある。
キラは本気で戦ってないし(そもそも、技術的意識的訓練を一切受けていないキラが、かつ同胞(友人含)相手に本気で戦えるわけがないのだけれども)
オーブの選択が、シンの家族の死を招いたのは事実。
ただ、フレイやシンの言葉が事実だったとして、
それが、キラはカガリへのこの咎が正しいか、あるいは、フレイやシンの家族の死の責任が、キラやカガリにあるかというのは、全く話が別。
キラは、協力を要請された民間人でしかなく、たとえキラが本気で戦っていたとして、フレイの父を助けられていたかは疑わしい。
カガリも、先のオーブ戦の時には、将官の地位にはあったとしても、決定そのものへの権限をもっていたわけではないし、
オーブの理念を曲げて、連合に協力することは、ただ片方に与するというばかりでなく、
コーディネイターというひとつの種を根こそぎ殲滅しようとする連合側に物量及び技術双方でもって協力する多分に同義的倫理的な問題に踏み込まざるを得なく、
フレイやシンの言い分(に含まれる)正しさは、そのまま、キラやカガリの間違いを意味するわけではない。
キラとカガリ、フレイとシン。
この場面移行、それぞれの課題とはなにかといえば、ここをターニングポイントとして、
彼らが”ここから”抱えていくことになる罪、間違いとは何か?
フレイとシンについては、自分の無力さを埋め合わせようとするかのように、力を求め(シンは自分が軍に入り(これ自体は別に間違いではないんだけど)
フレイは、力を持つ者(=キラ)を自分の支配下に置こうとした。)
そして、けして埋め合わせることのできないものを、けして取り返すことのできないものを取り返そうとする、”足掻き”は、世界を正しいものにしようとする、足掻きは、
動機は例え純粋でまっとうなものだったとしても、それを、野心持つ大人に利用され、この世界の多くの人の人生に、死に、直接間接関わっていくことになる。
そして、キラとカガリ。
彼らの間違いは、
「本気で戦っていなかったこと」ではなく「オーブの理念に固執して、地球の国国(連合)を敵にまわした」ことではなく、
「その後、本気で戦うようになった」ことであり、「その後、オーブの理念を捨てて、かつて国を焼いた者達に屈した」ことだと思う。
キラもカガリも、友人が艦に残るという愚かな選択をした、カガリは議会が孤立していた、という実情があり、
彼らが受けた非難だけで、彼らの意思だけで、事を決定したわけではないにせよ。
厳密にいえば、本気で戦うことや、同盟を結ぶことが、間違いなのではなく、
「本来自分とは関係のない戦いにコミットした」ことが、キラやカガリの間違いだったのだと思う。
結論からいえば、キラやカガリは、受けた非難を心に留めるにせよ、それに影響されるべきではなかった。
しかし、その”八つ当たり”に囚われたキラとカガリは、自分に、自国に直接関係のない戦いに、参加していくことになる。
そしてそこからのリカバリーこそが、無印ではキラの、運命ではカガリの物語そのものになり、
その”贖罪”を、彼らはこれからの人生をかけて行い、背負っていくことになる。
キラやカガリの決断に、フレイやシンの批判が多かれ少なかれ、関わっていたのだとしても、
彼ら自身がした選択は、彼ら自身の責任になる。
だから、1クールで強烈な印象を残した、キラとフレイ、カガリとシンのその”結末としての和解”が、
物語の終盤では描かれなかった。
彼らがすでにそれぞれに選択し、その選択の結果をそれぞれで背負っていた以上、
それは彼ら個人個人の問題になり、「キラとフレイの問題」「カガリとシンの問題」ではなかったから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます