種々

世界の片隅でキラへの愛をこっそりと囁くブログ

死に場所

2008-11-19 00:20:34 | SEED DESTINY
なんどか言及した、23話28話における戦場乱入について、
カガリはともかく、キラ達AAの狙いは、「オーブの軍人に」対する
カガリは理念を捨ててはいない、というアピールないしパフォーマンスの意味合いが強かった、とみなしていますが、
それに伴い、この戦乱におけるオーブ兵に「死に場所」を与えよう、というような思いもあったんじゃないかなぁ、と。
彼らは、オーブ兵を救いにきたわけではない、
だけど、せめて。
今は地球軍の走狗に貶められてるオーブ兵であり、
その擁護するべき理念だけど、
それはまだここにある、今はまだそれを実行するときじゃない、その力はない
だけど、カガリはここにいる、理念はここにある、
今君たちを死地に送ることに、それを見送ることになる、
だけど、必ずつなげてみせる、
だから、ここは。
意味は必ずもたせるから、
だから、ここでは・・・
いま彼らが死ぬのは、けっしてけっして地球軍のためなんかじゃない、
それを、せめて宣言しよう、という意味、ないしあがきの意図があったんじゃないかな、と

男の子と女の子

2008-11-06 00:33:03 | SEED DESTINY
種デスの物語が、「男の子」が「父親」に対立する、打倒するというもので、
たとえば、やっぱり父は偉大だった、的な、己の幼い不明を恥じる、といった
しょせん、世界の所有者たる「大人の男性」の権力構成を受け入れ参加し、つつがなくそれを相続するような、
既存世界の在り方を学び、それを成長、大人になるとみなす、という
ほとんどの製作者=父親世代に対して甘い筋書きになっておらず、
また、打倒されるべき対象が、愚かだったり間違っていたりするのではなく、
キラ・レイ・アスランの代理父の役割を果たした議長が
それなりに正しく立派で、
それでも、自らの成長と自立のために、
それを否定し乗り越えなければならなかった、という構成は、
女性の脚本家さんの影響かなーとも思いつつ、

一方では、カガリとラクスが、己の存在を示す時に、父親の名前をかたるところは、男性の監督の限界かなーとも思ったりします。

少年が、父のやりやり方に真っ向から反抗し、否定することは許容できても、
少女が、父の意向に逆らうことには違和感がある、というのは、
あの作品の限界なのか、それともこれは穿った見方なのかな・・・

相対化

2008-11-02 22:37:29 | SEED DESTINY
「倫理は『殺してはならない』というところになんかない。たんに殺さない、たんい殺せないという事実が、倫理的なるものの根底にはある。『してはならない』という当為から出発する倫理は、(略)最終的にはグロテスクな倒錯に行き着いてしまう。真剣に『殺してはならない』と思い悩んだ結果、大量虐殺を犯してしまうような逆説の罠に足を取られるんだ」

光文社 笠井潔『オイディプス症候群』

私のする引用は、記事に直接関係ないことも多いですが、なんとなく発想のきっかけになった文ということで、

「平和のため」「幸せのため」「正義のため」「世界のため」そして「あなたのため」
平和のためにならなにをしてもいいのか、
どこまでしてもいいのか、
平和な世界、戦争のない世界を「絶対」のものとして扱う。
しかし、平和や、戦争のない世界、というものもまた、
なんらかのものさしで、相対化できるものならば・・・
平和も非平和も等価ならば、
平和を理由に殺せないならば、
それは世界から牙を抜くこともできるのではないか、と。
平和という大義名分の衣を背負うことが、できなくなるならば。
平和といえども、数ある価値のひとつにすぎないならば・・・
「僕たちはそうならない世界を選ぶことができる」
キラの立脚地は、平和でも正義でもなく自由です。
平和に反するものは、つぎつぎと、排除していく。その先に平和があるのか。
「戦っても終らないよ、戦争は、きっと」
その視点に、キラは無印の段階でたっていました。
彼の方法論。
ひとりひとりが、自由に選んだうえで、さらにその方向性の集大成が平和、なら。
平和を望まないもの、戦争によってなにかを得ようとするもの。
それらをどう調伏するか。
例えば、運命プランのように、客観的に身の程を理解させ、それを過不足なく与えることで、満足させ、戦争の動機付けを封じ込める、その方法。
そういったシステムによる、平和。
しかし、キラの世界観は、
平和から逆算して、世界を構築するのではなく、
世界に息づく人々の選択の結果として、平和になること。
自由に責任が伴うならば、責任を果たすことで、世界が平和になるのか。
「誰か」のお膳立て、誰かのシステムによっての平和ではなく、
そして、平和を理由に、平和が「権力」になることがないように。
平和という目的のために、人がより大きな大きな権力・武力を行使するのではなく、
人は自分ひとりだけの裁量をもつ。
自分1人分だけの、責任、権限。
平和のためという、正義で、自分の権限に上乗せをせずに、
個々が個人のみの責任を見据え、果たす。
個人の尊厳と世界の尊厳が、原因と結果になるように。
キラの立脚点は、あくまで、自由、なのです。
彼の姿勢は、憲法の言葉を連想させます。「不断の努力により」
世界を平和にするのではなく、
個人が自由ももつ。
彼の前提は、自由です。平和が前提ではない。
平和のために自由が奪われるのではなく、
自由の結果として平和になる。
ぼろぼろと平和から零れたものを排除していくとする。
それを誰がやるのか、誰が判断するのか。そこに権力は生まれないか。
平和を権力にして、強いものと弱いものがいるんじゃなくて、
1人1人の権限と尊厳が等価であるならば・・・
キラは個人個人に責任と選択を還元している気がします。
それを自由と現しているのかな、と。