A ce bel œil adieu je n'ai su dire,
華燈火act.3―morceau by Dryad
梢の風に光ふる、その明滅がページを揺らす。
ぼんやり座りこんだベンチは葉擦れだけが流れて、森閑の静謐は優しい。
古い住宅街の一角にある自分の家、けれど穏やかな森の深みが鎮まらす。
ずっと生まれた時から馴染んだ庭、それなのに今、木洩陽ふる音も違う。
「…来てくれたから、かな…」
ひとりごと零れた唇に、太陽のかけら揺らす風が接吻ける。
そっと撫でる光の温もりは懐かしい、それは夜の時間と似た瞬きと消えてしまう。
この瞬きを掴まえられたら幸せだろうか?そう想った途端シャツの襟首を熱が逆上せた。
「っ…あ、ばかっ僕なにかんがえてるのだめっ」
誰もいない庭、けれど恥ずかしさに自分で叱責してしまう。
それなのに遠い夜と同じ香が頬を撫でて、記憶の瞳が自分を見つめる。
―…おまえが好きだ、
ほら、もう声まで蘇えってしまう。
きっと今朝の現実に声を聴いたから今、こんなふう声が蘇える。
だから眼差しも記憶から見つめてしまう、あの切長い瞳が膝のページに明滅する。
―…おはよう、朝早くごめんな?急だけど俺、
明後日まで奥多摩の訓練に行くことになったんだ。それで今、ここから庭見させて貰おうと思って、
今朝の声、今朝の笑顔と眼差し、それから陽に透けるダークブラウンの紅い髪。
樹影に佇んだ長身は異国の物語に生きる紅髪の騎士だと想わされた、あの横顔の陰翳が心響く。
本当は明日この庭を見に来てくれる約束だった、けれど今朝、ほんの30分だけ佇んで山に行ってしまった。
「明日、楽しみにしてたのにな…」
また言葉こぼれて葉擦れの光に消えてゆく。
この庭に親しい人を招くことは嬉しい、だから明日は楽しんで貰おうと想っていた。
夏の終わりの茶を点てようとも考えて、新しい論集も見てもらいたくて、書棚が増えた屋根裏部屋も見せたかった。
けれど明日は来てくれない、それは彼の立つ任務に大切な訓練のためだからと解っていても、それでも肩透しに寂しい。
―僕のこと本当は顔合わせるの嫌なのかな…後悔しているのかもしれないし、ね…
ずっと考えていた思案に、ため息こぼれるままページひらり風めくられる。
やっぱり彼は後悔しているのかもしれない、あの夜は寂しさの過ちだったと後悔して、だから避けている?
『おまえが好きだ、』
ほら、あの夜の声は記憶から微笑んで、けれど今はもう過去。
そう想うまま鼓動が軋んで痛む、それなのに懐かしい夜が告白を始める。
『今夜だけ俺の恋人になって?』
今夜だけ、あの夜だけ、だから今はもう過去になって後悔しているの?
『唯一度だけあれば全て忘れられる、だから今夜だけ恋人になる幸せを俺に贈って?おまえに恋した全てを今夜に懸けて失恋したい、』
唯一度で全てを忘れたから、だから今朝も何も言わずに行ってしまったの?
『今夜もし叶えてもらえなかったら恋は終われないから、迷惑になるから二度と連絡しない、』
迷惑じゃない、連絡が来ないなんて嫌だ、だからあの夜を自分は選んだのに?
『俺と友達でいたいって想ってくれるなら今夜だけ、唯一度の恋人になって?』
ずっと傍にいたいから友達でいたい、だから、あの夜だけでも願いを叶えてあげたかったのに?
『今夜だけは俺に恋してよ?俺だけの恋人として君を抱いて幸せになりたい、今夜だけは幸せになりたいよ…俺を嫌いじゃないなら、』
嫌いなわけなんて、ないのに?
「どうして…今夜だけはなんて、言ったの?」
独り聲こぼれて音になる、けれど応えてほしい人は行ってしまった。
本当は応えてほしいことが心あふれている、あの夜からずっと答えが欲しい。
どうして今夜だけはと願ったの?
どうして自分を一夜だけの恋人にしたいと望んだの?
どうして自分を抱いて幸せになれるの、どうして自分を選んだの?
どうして、男のあなたが男の自分を望んで、恋したと告げて、唯一夜で全てを忘れたの?
「どうして?…僕は男なのになぜ恋してくれたの、どうして僕だったの…どうして僕を」
訊きたい、どうしてなのだと教えてほしい。
あの夜で彼は終わったのだとしても自分は違う、それが何故なのか教えてほしい。
あの夜に自分が見つめた全ては夢じゃない現実、けれど朝にはもう夜の全てが消えていた。
脱がされたはずのシャツを自分は着ていた、整えられたベッドで自分は目覚めて、隣のベッドは空だった。
『おはよ、寝顔ほんと可愛いな、二日酔いとか大丈夫?』
笑いかけられて起きあがった向こう、ソファに居たのは夜の前と同じ笑顔だった。
すっきりとしたビジネスホテルの一室、ネクタイ姿も美しい彼は端整に座っていた。
いつも通りに彼は笑って新聞を読んで、一緒に朝食をとって、そして行ってしまった。
全部、夢だったのかな?
そんなふうに彼の笑顔と部屋の状況に想えて、何も訊けなかった。
体はすこし軋むよう怠くて、それも昨夜に呑んだ缶ビールの所為だと独り納得してしまった。
それなのに夜、風呂の灯りに見た肌は無数の薄紅の花が咲いて、全身を触れられた痕跡はあざやか過ぎた。
「…どうして何も言ってくれないの、僕には…はじめてだったのに、」
あの夜、自分は初めて人と肌を重ねた。
ずっと好きな女の子が自分にはいる、初めてのキスも彼女だった。
ずっと出逢った時から想い育まれて、仲良しのまま同じ大学に進んで、恋を意識した。
そして二十歳を迎えた成人式に想いを告げあえて、初めてのキスをして、恋人同士と微笑んだ。
けれど体を重ねることはまだ一度もしていない、結婚を考える相手だからこそ触れないで大切に想ってきた。
だから、あの夜が自分にとって初めての大人の恋だった。
「どうして英司…どうして何も言ってくれないの、あれから一度も、何も…どうして、」
どうして?
どうして彼は自分を抱いたのだろう?
あんなに美しい青年、あんなに優秀で有能で、幹部候補生との噂も高い男。
そんな彼を自分は羨ましいと想った事がある、同じ警察学校生として憧れて尊敬していた。
もう今の自分は警察を辞している、それでも同期生であり友人であることは誇らしくて嬉しい。
なによりも唯、好きだ。
「英司、僕は…あなたを好きなんだ、ただ好きなんだ…だから初めてなのに僕は…こわかったけどぼくは」
唯、好きだ。
あの青年が好きだ、真直ぐで美しい彼を好きだ。
ずっと父の死を泣いてきた自分、その想いごと時間を傍で支えてくれた。
そんな全てが自分には宝物だったから、だから初めての肌すら許して彼に応えたいと願った。
それなのに彼は全て忘れてしまった、今日なのに、彼は何も言わず30分だけ過ごして行ってしまった。
「どうして…好きな人まで裏切って僕はどうして、どうして…どうしてなの、英司…?」
想い、あふれて声に零れてしまう。
あの秋の夜からずっと訊けない想いが、今日だから止まらない。
あれから時を経るごと解らなくて離れない、あの夜に彼は何を望んだのか、自分は何を求められたのか?
あの夜の瞳は誠実だった、真直ぐ自分を映して願ってくれた、だから全身を委ねてしまった夜は忘れ得ぬまま離れない。
けれど彼は忘れてしまった、今日だから明日、せめて明日一日を一緒に見つめたかった願いすら叶わない。
『おまえが好きだ…唯一度だけあれば全て忘れられる、だから今夜だけ恋人になる幸せを俺に贈って?』
あんなふうに言ってくれた心はもう、どこにも無いの?
あんなふうに言った通りあなたは忘れて心は消えて、あの夜に生まれた自分の想いだけが置き去りにされる。
あの夜が初めてだと自分は告げて、それを知りながら自分を抱いて刻んだ想い、その全てが消えてくれない。
こんなことになるなんて想わなかった、それでも後悔しないと決めた心から刻まれた想いの雫が頬を墜ちる。
あの夜があなたの終わり、けれど自分には始まりになってしまったのに?
「英司、僕は…忘れるなんて出来なくて解らなくて、だから明日は…あしたは」
あの夜が明けた朝、あの朝の続きを知りたかった、だから明日、あなたと時間を見つめたかった。
blogramランキング参加中!
にほんブログ村
にほんブログ村
Another sky of Y
華燈火act.3―morceau by Dryad
梢の風に光ふる、その明滅がページを揺らす。
ぼんやり座りこんだベンチは葉擦れだけが流れて、森閑の静謐は優しい。
古い住宅街の一角にある自分の家、けれど穏やかな森の深みが鎮まらす。
ずっと生まれた時から馴染んだ庭、それなのに今、木洩陽ふる音も違う。
「…来てくれたから、かな…」
ひとりごと零れた唇に、太陽のかけら揺らす風が接吻ける。
そっと撫でる光の温もりは懐かしい、それは夜の時間と似た瞬きと消えてしまう。
この瞬きを掴まえられたら幸せだろうか?そう想った途端シャツの襟首を熱が逆上せた。
「っ…あ、ばかっ僕なにかんがえてるのだめっ」
誰もいない庭、けれど恥ずかしさに自分で叱責してしまう。
それなのに遠い夜と同じ香が頬を撫でて、記憶の瞳が自分を見つめる。
―…おまえが好きだ、
ほら、もう声まで蘇えってしまう。
きっと今朝の現実に声を聴いたから今、こんなふう声が蘇える。
だから眼差しも記憶から見つめてしまう、あの切長い瞳が膝のページに明滅する。
―…おはよう、朝早くごめんな?急だけど俺、
明後日まで奥多摩の訓練に行くことになったんだ。それで今、ここから庭見させて貰おうと思って、
今朝の声、今朝の笑顔と眼差し、それから陽に透けるダークブラウンの紅い髪。
樹影に佇んだ長身は異国の物語に生きる紅髪の騎士だと想わされた、あの横顔の陰翳が心響く。
本当は明日この庭を見に来てくれる約束だった、けれど今朝、ほんの30分だけ佇んで山に行ってしまった。
「明日、楽しみにしてたのにな…」
また言葉こぼれて葉擦れの光に消えてゆく。
この庭に親しい人を招くことは嬉しい、だから明日は楽しんで貰おうと想っていた。
夏の終わりの茶を点てようとも考えて、新しい論集も見てもらいたくて、書棚が増えた屋根裏部屋も見せたかった。
けれど明日は来てくれない、それは彼の立つ任務に大切な訓練のためだからと解っていても、それでも肩透しに寂しい。
―僕のこと本当は顔合わせるの嫌なのかな…後悔しているのかもしれないし、ね…
ずっと考えていた思案に、ため息こぼれるままページひらり風めくられる。
やっぱり彼は後悔しているのかもしれない、あの夜は寂しさの過ちだったと後悔して、だから避けている?
『おまえが好きだ、』
ほら、あの夜の声は記憶から微笑んで、けれど今はもう過去。
そう想うまま鼓動が軋んで痛む、それなのに懐かしい夜が告白を始める。
『今夜だけ俺の恋人になって?』
今夜だけ、あの夜だけ、だから今はもう過去になって後悔しているの?
『唯一度だけあれば全て忘れられる、だから今夜だけ恋人になる幸せを俺に贈って?おまえに恋した全てを今夜に懸けて失恋したい、』
唯一度で全てを忘れたから、だから今朝も何も言わずに行ってしまったの?
『今夜もし叶えてもらえなかったら恋は終われないから、迷惑になるから二度と連絡しない、』
迷惑じゃない、連絡が来ないなんて嫌だ、だからあの夜を自分は選んだのに?
『俺と友達でいたいって想ってくれるなら今夜だけ、唯一度の恋人になって?』
ずっと傍にいたいから友達でいたい、だから、あの夜だけでも願いを叶えてあげたかったのに?
『今夜だけは俺に恋してよ?俺だけの恋人として君を抱いて幸せになりたい、今夜だけは幸せになりたいよ…俺を嫌いじゃないなら、』
嫌いなわけなんて、ないのに?
「どうして…今夜だけはなんて、言ったの?」
独り聲こぼれて音になる、けれど応えてほしい人は行ってしまった。
本当は応えてほしいことが心あふれている、あの夜からずっと答えが欲しい。
どうして今夜だけはと願ったの?
どうして自分を一夜だけの恋人にしたいと望んだの?
どうして自分を抱いて幸せになれるの、どうして自分を選んだの?
どうして、男のあなたが男の自分を望んで、恋したと告げて、唯一夜で全てを忘れたの?
「どうして?…僕は男なのになぜ恋してくれたの、どうして僕だったの…どうして僕を」
訊きたい、どうしてなのだと教えてほしい。
あの夜で彼は終わったのだとしても自分は違う、それが何故なのか教えてほしい。
あの夜に自分が見つめた全ては夢じゃない現実、けれど朝にはもう夜の全てが消えていた。
脱がされたはずのシャツを自分は着ていた、整えられたベッドで自分は目覚めて、隣のベッドは空だった。
『おはよ、寝顔ほんと可愛いな、二日酔いとか大丈夫?』
笑いかけられて起きあがった向こう、ソファに居たのは夜の前と同じ笑顔だった。
すっきりとしたビジネスホテルの一室、ネクタイ姿も美しい彼は端整に座っていた。
いつも通りに彼は笑って新聞を読んで、一緒に朝食をとって、そして行ってしまった。
全部、夢だったのかな?
そんなふうに彼の笑顔と部屋の状況に想えて、何も訊けなかった。
体はすこし軋むよう怠くて、それも昨夜に呑んだ缶ビールの所為だと独り納得してしまった。
それなのに夜、風呂の灯りに見た肌は無数の薄紅の花が咲いて、全身を触れられた痕跡はあざやか過ぎた。
「…どうして何も言ってくれないの、僕には…はじめてだったのに、」
あの夜、自分は初めて人と肌を重ねた。
ずっと好きな女の子が自分にはいる、初めてのキスも彼女だった。
ずっと出逢った時から想い育まれて、仲良しのまま同じ大学に進んで、恋を意識した。
そして二十歳を迎えた成人式に想いを告げあえて、初めてのキスをして、恋人同士と微笑んだ。
けれど体を重ねることはまだ一度もしていない、結婚を考える相手だからこそ触れないで大切に想ってきた。
だから、あの夜が自分にとって初めての大人の恋だった。
「どうして英司…どうして何も言ってくれないの、あれから一度も、何も…どうして、」
どうして?
どうして彼は自分を抱いたのだろう?
あんなに美しい青年、あんなに優秀で有能で、幹部候補生との噂も高い男。
そんな彼を自分は羨ましいと想った事がある、同じ警察学校生として憧れて尊敬していた。
もう今の自分は警察を辞している、それでも同期生であり友人であることは誇らしくて嬉しい。
なによりも唯、好きだ。
「英司、僕は…あなたを好きなんだ、ただ好きなんだ…だから初めてなのに僕は…こわかったけどぼくは」
唯、好きだ。
あの青年が好きだ、真直ぐで美しい彼を好きだ。
ずっと父の死を泣いてきた自分、その想いごと時間を傍で支えてくれた。
そんな全てが自分には宝物だったから、だから初めての肌すら許して彼に応えたいと願った。
それなのに彼は全て忘れてしまった、今日なのに、彼は何も言わず30分だけ過ごして行ってしまった。
「どうして…好きな人まで裏切って僕はどうして、どうして…どうしてなの、英司…?」
想い、あふれて声に零れてしまう。
あの秋の夜からずっと訊けない想いが、今日だから止まらない。
あれから時を経るごと解らなくて離れない、あの夜に彼は何を望んだのか、自分は何を求められたのか?
あの夜の瞳は誠実だった、真直ぐ自分を映して願ってくれた、だから全身を委ねてしまった夜は忘れ得ぬまま離れない。
けれど彼は忘れてしまった、今日だから明日、せめて明日一日を一緒に見つめたかった願いすら叶わない。
『おまえが好きだ…唯一度だけあれば全て忘れられる、だから今夜だけ恋人になる幸せを俺に贈って?』
あんなふうに言ってくれた心はもう、どこにも無いの?
あんなふうに言った通りあなたは忘れて心は消えて、あの夜に生まれた自分の想いだけが置き去りにされる。
あの夜が初めてだと自分は告げて、それを知りながら自分を抱いて刻んだ想い、その全てが消えてくれない。
こんなことになるなんて想わなかった、それでも後悔しないと決めた心から刻まれた想いの雫が頬を墜ちる。
あの夜があなたの終わり、けれど自分には始まりになってしまったのに?
「英司、僕は…忘れるなんて出来なくて解らなくて、だから明日は…あしたは」
あの夜が明けた朝、あの朝の続きを知りたかった、だから明日、あなたと時間を見つめたかった。
blogramランキング参加中!
にほんブログ村
にほんブログ村