萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第51話 風待act.2―side story「陽はまた昇る」

2012-07-23 23:26:41 | 陽はまた昇るside story
瞬間、逃さずに今も



第51話 風待act.2―side story「陽はまた昇る」

教官室から寮の自室へ戻ると、もう太陽が夕陽の兆しを見せている。
窓際に佇んで携帯電話を開く、発信履歴から架けたナンバーはコール3で繋がった。

「おつかれ、ア・ダ・ム。強盗犯のコト?」
「当たり。よく解かったな、光一」

相変わらずの察しの良さに英二は微笑んだ。
繋いだ電話の向こう、怜悧なアンザイレンパートナーは笑って答えてくれた。

「真面目堅物が業務時間内に架けて来るなんてね、仕事の件か、よほど大事な件か、どっちかだろ?」
「俺のこと、まだ真面目堅物って言ってくれるんだ?」
「だね。ま、一皮剥いたらエロ別嬪だけどさ。で?」

最後の一言で意識モードが切り替わる。
さっき遠野教官と話しながら纏めた考えを英二は口にした。

「犯人は、犯行現場を見に戻る可能性が高いと思う。いま教官にも訊いてみたんだけどさ、今回は通り魔的な犯行だろ?
ようするに偶発性が高いケースだと、捜査と自分との距離がどこまで接近したか気になるから、様子を見に戻ってくるんだ。
それに石尾根沿いは隠れやすいだろ?だから犯行現場の小雲取山を中心に考えたら、犯人が現われるポイントが絞れるかと思う、」

これは正解の「一部」だけ。
いま単独行でいる光一には、考えている正解ポイントを言いたくない。
今の光一は例え単独でも、犯人逮捕の為に無茶をする可能性が怖いから、言えない。

―…山で血を流させるなんてさ、

事件発生の朝、石尾根縦走路で光一が呟いた言葉には、怒りがこもっていた。
自分が愛する故郷の山で起こされた、醜い我欲の犯行。それも血を流させた。こんな事態を山っ子が赦せるはずがない。
その怒りと何をするかの危険性を考えると、犯人の居場所を特定する事は今、光一には言えない。
けれど山岳救助隊員としてもパートナーである以上、まず光一から相談しなくては当然不審がられる。
そんな計算を隠して微笑んだ向こう側で、テノールの声が電話越しに頷いた。

「なるほどね、あの辺に警戒網を絞ってるのは、正解って事だね。副隊長にその話ってした?」
「これから電話してみるよ、」

向こうから提案してくれた。
良い方向に話が流れて嬉しい、嬉しいまま英二はパートナーに笑いかけた。

「光一、金曜日には俺、そっちに帰るな?それで土曜の午後に川崎の家に帰るよ、もし事件の片が付いたら、だけど、」
「そっか、じゃあ金曜の夜は夜間捜索が出来るね、」
「そのつもりだよ。だから絶対に先走りするな、単独では動くなよ?」

絶対に、この約束はして欲しい。
きっと光一なら単独でも大抵の相手は制圧できるだろう、けれど危険の可能性は除きたい。

万が一、光一の体に傷がついたら?
受傷により山ヤとしての生命が、光一から絶たれたら?
そんなことは少しもあってはならないから、だから言うことを訊いてほしい。祈る向こうテノールの声が笑ってくれた。

「なに、手柄の独り占めは禁止、ってコト?」
「そうだよ、俺に昇進のチャンスをくれよな?光一のセカンドとして、俺は出世しないといけないんだろ?それにさ、」

すこし言葉を切って、間合いを取る。
このアンザイレンパートナーの無茶を、今度は私人として牽制したい。そのための一拍をとって英二は笑いかけた。

「俺は光一のことをザイルパートナーとして、専属レスキューとして護る責任があるよな?この責任を放棄させないでくれ。
俺に本気で恋してくれてるなら、光一には解るだろ?そういう責任を果たせない事が、どれだけ俺にとって辛いか、知ってるよな」

こんな言い方はずるいだろう。
けれど山ヤの誇りを懸けて、このアンザイレンパートナーを護りたい。そのためなら狡くても構わない。
そんな想いの先で、透明なテノールが溜息に微笑んだ。

「おまえって、ホント狡い男だよね?そんな言い方するなんてさ…恋愛を盾にするとか、ずるいね…」

すこし切ないトーンが、心をノックする。
こんなふうに心動かす相手は自分にとって数少ない、この不思議な想いを抱かせる存在に、英二は約束をした。

「狡くって結構だよ。俺は、ひとりの男としても光一を護りたいから。護れるなら、狡くても何でも良い。
光一は唯ひとりの『血の契』で、生涯のアンザイレンパートナーだ。なにをやっても俺は光一を護りたい、絶対に護ってみせる。
だから言うことを訊いてくれ、光一。犯人が捕まるまでは、絶対に単独行動をとるな。すこしでも危険な真似はするな、いいな?」

光一は命令されることが大嫌い、そう知っている。
けれど今、恋愛感情を利用してでも命令して、光一の心身を護りたい。
この願いを聴き入れてほしい、祈る想いに告げた向こう側で、透明なテノールが微笑んでくれた。

「そんなさ、おまえが命令までするなんてね?…そんなに俺のこと、心配してくれるワケ?そんなに…大切なのかよ、」
「大切だよ、」

即答に微笑んで、英二は告げた。

「恋とは違う、けれど本気で愛してるよ?だから心配だし、何だってする。だから言うことを訊いてほしい、俺は光一が必要だから、」

必要だから。

この言葉はきっと、最強のカード。
本気で恋する相手にそう言われたら、どんなに嬉しいか。
嬉しくて、恋の相手に愛されたくて言うことを訊きたくなる。それを自分は知っている、だから言った。
そんな英二の思惑に、透明なテノールが困ったよう、けれど幸せに微笑んだ。

「そんなふうに言われたらさ、俺、無茶とかもう、出来ないね?…俺、マジ愛されちゃってる?」
「うん、俺から愛されちゃってるな。周太にも光一は、大切に想われているだろ?」

周太、

この名前にも、光一は逆らえない。
光一にとって「周太」は、ある意味で英二よりも絶対的な力がある。
きっともう、言うことを聴くだろうな?そう思った電話の向こうで光一は素直に頷いた。

「うん、そうだね。解かったよ、単独行動は絶対しない。約束する、」

良かった。
ほっと心裡から微笑んで、英二は唯ひとりのアンザイレンパートナーに笑いかけた。

「ありがとう、光一。金曜の夕方には戻るから、それまで待っていろよ?」
「うん、待ってる。だから、戻ってきてよね、」

嬉しそうなテノールの声を聴いて、電話を切った。
そしてすぐ次の番号へと架けなおすと、後藤副隊長は電話に出てくれた。

「おう、宮田。山賊のことかい?」

後藤副隊長はハイカー狙いの強盗犯を「山賊」と呼んでいる、確かに相応しいネーミングだろう。
副隊長にもすぐ用件が解かるんだな?ちょっと笑いながら英二は答えた。

「はい、業務時間にすみません、」
「仕事の件だ、業務時間で正解だろうよ。で、遠野君に訊いてみてくれたかい?」
「はい、」

今日、遠野教官に質問したのは後藤の意向でもある。
さっき光一にも話したことを、詳しく英二は話し始めた。

「やはり戻ってくる可能性が高そうです。捜査が自分に及ぶ距離間と、逮捕の可能性を気にして様子見に訪れるだろう、とのことです。
あと先日、副隊長に申し上げた犯行の凶悪化についても話しました。それについても教官は、その線は妥当だと仰っていました、」

きっと秩父でも暫く様子見をした結果、奥多摩へと逃げ込んだのだろう。
この山塊は山梨県にも跨っている、そちらに逃げ込まれることは避けたい。そう考える電話向うで後藤が頷いた。

「捜一の敏腕も同じ意見か、じゃあ石尾根近辺だという考えは、正解のようだな、」
「はい、捜査網のエリアに間違いはないと思います。ただ、石尾根だと逃げ場が多すぎますよね?」
「それなんだよなあ、」

溜息を吐いた気配に、後藤副隊長の苦りきった顔が見えてしまう。
いま青梅署の山岳救助隊員も刑事たちも、誰もが同じ顔になっている。
いま初夏は登山シーズン、こんなときに入山規制を懸けなくてはいけないのは、奥多摩の警察官として悔しい。
すこしでも早い逮捕に繋げたい、そんな想いに英二はデスクへと歩きながら口を開いた。

「副隊長、ちょうど暑い時期になります。そうすると水場の近くを拠点に動くと思うのですが、いかがでしょうか?」
「なるほどな?じゃあ暑い日は狙い目かもしれんなあ、」

すこし後藤の声が元気になってくれる。
この考えが少しは役に立つと良い、デスクで英二は奥多摩の登山図を広げた。

「石尾根から逃げ込める尾根で水場のある所ですと、七ツ石山の登り尾根か鷹ノ巣山避難小屋に近い浅間尾根ですよね?
六ツ石山からのルートも水場は有りますが、駐在所に近いのでここは無いと思います。あとは倉戸山にある女の湯でしょうか、」

広げた登山図は折り目の部分が薄くなりだしている。
最初からテープで補強はしてあるけれど、もう幾度も広げてきた回数が見えて懐かしい。ふっと微笑んだ時、後藤が訊いてくれた。

「うむ、その中だと登り尾根か浅間尾根の可能性が高そうだな?宮田はどっちだと思うかい?」
「登り尾根の方が可能性が高いように思います、水場がひと目につき難いですし、近くに廃屋がありますよね?」
「あの廃屋か、ちょっと調べてみるよ、」

がさり、電話の向こうでも地図を広げる音がする。その向こうでは畠中が指示を出す声が聴こえ始めた。
すでに今、奥多摩交番では手配を進めているだろう。微笑んで英二は後藤に願い出た。

「あと副隊長。申し訳ないのですが、国村には登り尾根の件は伏せて頂けますか?」
「やっぱり先走りそうかい、あいつ、」

後藤の声に、困ったような笑いが籠る。
きっと同じ懸念をしていたのだろうな?すこし笑って英二は頷いた。

「はい、かなり怒っていると思います。さっき電話で話した時、単独行動はしないと約束はさせたのですが、」
「先に電話しておいてくれたんだな?ありがとうよ、この件は奥多摩交番と奥多摩湖の駐在所で対応するから、大丈夫だ」

それなら御岳駐在に情報が遅れても自然だろう。
ほっとして英二は礼を言った。

「ご配慮、ありがとうございます、」
「こっちこそだよ、いつも光一のこと、ありがとうよ、」

笑って後藤は電話を切った。
デスクの登山図を元通りに仕舞い、窓を見ると黄昏が降りだしている。
もうトレーニングルームに行く時間は無いかな?そう思ったとき、扉がノックされた。

こん、こん…

すこし遠慮がちな叩き方は、きっとそうだろうな?
嬉しくて英二は扉を開いた。

「よかった、英二、戻っていたんだね?」

ジャージ姿の周太が佇んで、笑いかけてくれる。
その手をとって部屋の中に導き入れると、英二は扉に施錠した。

「質問、長かったね?」

すこし気恥ずかしげに微笑んで聴いてくれる、その笑顔が愛しい。
愛しさに微笑んで英二は、恋人をベッドに腰掛けさせながら答えた。

「うん、捜査のことを訊きたかったんだ、」
「あ、奥多摩のこと?」

すぐ察して訊いてくれる、こういう理解が嬉しい。
制服からジャージに着替えながら英二は頷いた。

「そうだよ、後藤副隊長にも頼まれていてさ。あ、松岡って電話、大丈夫そうだった?」
「ん、外泊日のことでね、息子さんが電話掛けちゃってたみたい、」
「そっか、良かった。幼稚園生の子?」
「そう、2番目の息子さん…お祭りに連れて行って、ってお願いしたかったんだって、」

なにげない話をしながら、着替えている。
こんな日常の風景が優しい、この優しさは周太がいてくれるから。
もう初任教養の頃からずっと、この居心地の良さが好きで周太の隣から立てなくなった。
あの頃の想いよりも、今の想いは穏やかだけれど深くて、尚更に離れられない。



デスクライトの灯りを消して、窓のカーテンを開く。
見上げた空には星があわく瞬きながら、夜の深更を教えてくれる。
静寂に佇む警察学校寮は音が無い、けれど部屋には規則正しい寝息が優しい。

ごく微かな吐息、けれど窓際に佇んでも聞こえてしまう。
この吐息をもう何度、自分は聴いて来られただろう?そしてこの先も聴いていたい。
そんな想い微笑んでカーテンを閉じると、静かにベッドへと身を入れた。

ぎしっ…

微かな軋み音がたつ、それでも愛する寝息は途切れない。
いつものよう勉強したまま墜落睡眠した周太、もう朝まで目覚めないだろう。
深い眠りのなか安らいだ微笑は無垢で、あどけないほど推さなくも見える。

「…きっと、良い夢を見ているんだね?周太、」

そっと笑いかけて唇にキスでふれる、けれど無邪気な眠りは目覚めない。
こんなとき、まだ周太の精神年齢は子供のままなのだと気付かされ、心が軋みそうになる。
こんなに純粋なままの周太、それなのに、きっと秋には「あの場所」へと立ってしまう。

術科センターの射撃場の奥、重たい扉がある。
扉の把手には銃痕が残されて、それは山っ子の怒りと宣告が刻んだもの。
あの扉向う「あの場所」への問いかけを「奴ら」が忘れないように、そして周太の励ましになるように。
それでも「あの場所」に周太が立つ時間を、英二には傍で護ることも出来ない。光一ですらも。

あの場所で行われることは、合法の正義の元で正当化される。
けれど時として、人間としての尊厳を歪めてしまう事もあると、知っている。
そこに、この純粋な眠りに安らぐ人が立ってしまう?その哀しい瞬間の訪れが、心を軋ませる。

…カチッ…カチッ…

部屋の静寂に、目覚まし時計の刻音が聞こえてしまう。
この音が1つ鳴るごとに、時は1つ瞬間を近寄せて、自分から恋人を引き離す。

…カチ、

また1つ鳴る、そして時はまた瞬間に近づく。
また近づいた瞬間の前で、恋し愛するひとを抱き寄せて、頬よせる。
この音を、離れる瞬間が近づく音を拒みたい、それでも時刻む音は、止んではくれない。

カチッ、

この音を永遠に止めて、この眠る人を永遠にこの腕に閉じ込めてしまいたい。

「…周太…」

低い声で名前を呼んで、抱きしめる。
抱きしめ見つめて、なめらかな頬に掌を添わせて、くちづける。
優しいキスふれていくオレンジの香があまくて、愛しくて、この香の記憶が心こみあげていく。

―離したくない、今、このまま

もしも今、このまま、腕の中に閉じ込めて。
ずっと抱きしめてキスをして、永遠に眠るためのキスを続けてしまえたら?
この今を逃さずに時を永遠に変えたなら、そうしたら、もう、離れなくても済む?

「…周太、離れないで、」

想いに、涙あふれて掌は、頬から喉元へと降ろされる。

掌のなか、安らかな寝息に呼応して、ゆるやかに頸の肌もふるえている。
この今この掌が、安らかな眠りの運命を握って、自分に時の支配権が委ねられる。

普通なら掌の力では、一瞬で止めることは難しい。
けれど自分の掌は冬富士の爆風にもザイルを離さない、そして自分には専門知識がある。
どこの血管を押したなら、3秒で意識を消すことが出来るのか、自分は知っている。

「一瞬だから、」

低い声が呟いて、2つの掌が眠る咽喉を包んでいく。
包んだ掌に温もりふれる、なめらかな感触が呼吸にふれて、生きている。
この呼吸も感触も、温もりも、すべてが愛しくて離せなくて、ずっと離れず傍にいたい。

もしも今この力を加えたら、3秒で、愛するひとは自分から離れない、永遠に。

「…周太、」

掌で首筋を包んだまま、唇に唇かさねて、想いを籠める。
ふれる温もりは優しくて、香っているオレンジが綺麗で、庭の夏蜜柑を想い出す。
あの庭に夢を見て、永遠に寄添って、このままずっと、離れないでいられたら?

どうかこのまま傍にいて、永遠のキスで繋がれたまま、ずっと離れないで。
どうか人殺しの場になど行かないで、純粋なまま自分の傍にいて?

そんな願いのなかで、静かに掌は首筋から離れた。

「…っ、」

涙が頬つたって、声の無い慟哭が喉を灼く。

もう涙が止まらない、いま涙を止める術なんて自分は知らない。
この今の自分の心が上げる叫びがもう、悲鳴になって意識を撃ち抜いていく。
この今、自分がしようとしたことが、赦されない罪だと思い知らされる。

「…っ、し、ゅうた、」

呼んだ名前が、掠れる。
あふれる涙が墜ちて、眠るひとの睫にふりかかる。
この自分がもう今、赦せない。この自分の弱さが赦せない。
今まで自分は何て言ってきた?何て約束を結んできた?それなのに、

―俺は、ばかだ、

あふれた想いが脳を灼いた、その瞬間、頬に優しい掌がふれた。





(to be continued)

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