萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第38話 氷霧act.3―side story「陽はまた昇る」

2012-04-03 23:56:15 | 陽はまた昇るside story
鍵、こめられた想い




第38話 氷霧act.3―side story「陽はまた昇る」

後藤副隊長たち後続隊が、奥多摩消防署の救助隊と合同で到着した。
落石などからの顔面保護に掛けた白布をとると小鼻が落ち始めている、一目見て消防の救命救急士は静かに首を振った。
バンクから滑落した大学生は、消防の救命救急士による診断でも心停止が確認された。

「ほぼ即死でしょうね、きっと。苦痛のあとが無いから…」

救命救急士の小林による診断に、英二は静かに頷いた。
もう顔なじみになっている英二へと、静かに小林は笑いかけて訊いてくれた。

「この包帯は、宮田くんがしたのでしょう?」
「はい、」

短く答えた英二に小林が頷いてくれる。
学生の顔に白布を掛けなおしながら、小林は英二に尋ねた。

「もう亡くなっていることは、君なら発見時すぐ気がつきましたよね。
 なぜ、わざわざ手当をしてあげたんですか?この後すぐ吉村先生の検案があるから、確認の為に包帯もすぐ外してしまうのに」

以前も同じケースの時に英二は、こうして処置をしている。
そのときも違う救命救急士に英二は同じ質問をされた。
そのときと同じように英二は穏かに微笑んだ。

「たとえ一時的でも、少しでも早く整えてあげたかったんです。彼の友人達が見ていますから、」
「遺された人の気持ちの為、ですか?」

小林の問いかけに英二は素直に頷いた。
けれどもう1つの理由のために英二は口を開いた。

「きっと彼本人も、自分の哀しい姿は見せたくないはずです。だから早く整えてあげたかったんです。
 亡くなってからの手当ては不要かもしれません。けれど、人間としての尊厳を亡くなってからも守りたい、そう思うんです」

英二の答えに小林救命救急士の目が和んだ。
静かに頷くと小林は英二に言ってくれた。

「亡くなった人の想いまで思い遣って、君は救おうとしているんですね?…うん、君は素晴らしいレスキューです、」

プロのレスキューである救命救急士に、こんなふうに言って貰えた。
もったいないような言葉に英二は、素直に頭を下げた。

「出過ぎた事を申し上げたと思います。それなのに、ありがとうございます、」

そんな英二を見つめて小林は小さく首を振ってくれる。
ゆっくり頭をあげた英二に小林は微笑んだ。

「いいや、出過ぎてなんかいない。君も山岳救助隊としてレスキューのプロなんだ。
それで良いんだよ。それにしてもね、吉村先生が宮田くんを可愛がっていらっしゃる、そのお気持ちが解ります」

そんなふうに英二に笑いかけながら、小林は死亡推定時刻などのメモを書き終えた。
あとは刑事課員に遺体を引渡し、そのあと青梅署警察医の吉村医師による検案が行われるだろう。
全員で黙祷を捧げ終えると後藤副隊長は、英二と国村に紙包みを渡してくれた。

「おまえさん達、昼飯を食っていないだろう?すこしだが腹に入れておけ」

包みには大きな握飯が2つ入っている。
すこし歪な三角形を1つずつ掌にとりながら、愉しげに国村が笑った。

「これ、副隊長が握ったね?二等辺三角形になってる、」
「交番の休憩室でな、ちょうど昼飯用に炊いたんだよ。それで急いで握ってきたんだ、不恰好ですまんなあ」

温かな目を笑ませて副隊長が笑ってくれる。
ありがたく礼を述べて英二は急いで梅干しの握飯を腹に収めた。
同じように国村も食べ終えて、指に着いた飯粒を舐めとりながら学生達を見た。

「あいつらさ、すこし落ち着いたよね?」

底抜けに明るい目が温かく真直ぐに2人を眺めている。
いつもストレートな言葉を言うけれど、国村は大らかな優しさが温かい。
この温かさは彼らにも、さっきの言葉で伝わっただろうな?おだやかに微笑んで英二は頷いた。

「うん、あの2人は大丈夫だと思う。でも搬送が大変だな、」
「だね、」

後藤副隊長と消防の救助隊が収容方法の検討をしている。
滝は足場が悪い、そして先は両岸が切り立った岸壁に挟まれたゴルジュになっている。
その先には岩表が凍る沢が続き、仕事道に途中から入るルートになっている。
この仕事道には樹林が切り開かれたポイントがあるから、救助ヘリによるピックアップも可能だった。
いま救助ヘリの検討もしているのが聞こえてくる、けれど国村は空を見上げて眉をしかめた。

「なあ?天気が崩れそうだよね、雲が黒っぽくなってきてる、」

英二も隣から一緒に空を見あげた。
国村が言う通り、雲が低く垂れこめ始めている。頷いて英二も口を開いた。

「雲の位置が低いな?これだと救助ヘリは期待できそうにないな…しかも、天候が保つか、」
「だな?たぶんヘリは無理だろうね、色々、キツくなりそうだ?」

話しながら国村はポケットからアーモンドチョコレートの箱を出している。
3粒ほど口に放り込んで、ごりごり噛み砕きながら英二にも箱を差し出してくれた。
遠慮なく英二も1粒だけ口に入れると、胸ポケットからオレンジ色のパッケージを出した。
けれど、はちみつオレンジのど飴のパッケージには、残り2粒しかもうない。

「さっき、学生たちにあげちゃったんだろ?それは念のためとっときな。ほら、俺の食いなって、」

テノールの声が笑いながら白い指が、アーモンドチョコレートを英二の掌に置いてくれる。
こんな気遣いが国村は優しい、ありがたく微笑んで英二は受け取って口にした。

「ありがとう、国村」
「どういたしまして、だ。パートナーのおまえが腹減ってちゃさ、俺も困るんだよね?さて、行動が決ったかな、」

もう1粒を口にほうりこんで国村は箱をしまいこんだ。
雨降谷は曇天の中うすく昏くなってきている、すこし急いだ行動になるだろう。
話し合いが終わった後藤副隊長の元に行くと、手短な指示が出された。

「滝やゴルジュはな、ブリッジ線を張って確保しながらバスケット担架を滑り下ろす。
沢の中は数名で持ち運ぶよ、ザイルを張り替えながら慎重にな。仕事道ではザイル確保でバスケット担架で地べたを引きおろす。
それでな、あの伐採された区域で、ヘリに吊り上げようと思うんだが、この空模様ではなあ?国村は、この空をどう読むかい?」

訊かれた国村に救助隊の視線が集まってくる。
おさない頃から山に登り、兼業農家の猟師である祖父の薫陶を受けている国村は、天候を読むのが巧い。
いつもの飄々とした顔で国村は空を見上げると、かるく首を振った。

「やっぱり無理でしょうね、ヘリは。雲は晴れない、たぶん雪が降ります。きっと3時間後位です、」
「そうだよなあ?」

苦笑いで後藤副隊長が首を傾げた。
いますでに大気が急速に冷え込み始めている、頬ふれる風にも特有の湿度が現れ出した。
きっと国村の予測は当たるだろう、後藤も苦笑のまま空を読みとり頷いた。

「よし、せめて雪の前には仕事道に入ろう。沢での降雪は危険だからな、みんな慎重に急いでくれ」

曇天のもと搬送が開始された。
沢に渡したブリッジ線に担架を吊って、確保しながら慎重に進んでいく。
沢の中では薄氷と、渓流の冷たさが行動を自由にしない。誰もが慎重に行動していく。
ザイルを幾度も張り直しながら仕事道へと上がって、2時間半ほどで樹林の伐採された地点に到着した。

「ヘリ、無理だろね?」

空を見あげていた底抜けに明るい目が「仕方ないね?」と英二を見た。
軽く頷いて英二も空を見ていると、無線を切った後藤副隊長が全員に声を掛けた。

「やっぱりヘリは無理だ。警視庁も消防も飛べない、雲が低すぎる上に降雪の予報が当たりそうだよ?」

救助隊員たちにガックリとした空気が流れてしまう。
この寒空に緊張と重労働を強いられた体は、当然に疲労しているだろう。
それでも後藤副隊長は大らかに笑って、指示を出した。

「さて、ちょっと腹ごしらえをしような?それから行動開始だ。
なあに、ここまでくればな。あとは仕事道を2時間ほどで、車道に出るよ。そこまでの辛抱だ、俺たち山ヤになら出来るだろうよ?」

こんなときでも後藤副隊長は大らかな笑顔で隊員たちを受けとめる。
頼もしい笑顔に「なんとかなるさ」と前向きな空気に変わって、皆の表情が温かくなっていく。
こういう後藤副隊長が英二は心から好きだった、こんな山ヤの警察官に成りたいと素直に思える。
敬愛に微笑んだ英二の隣で国村がザックをおろした。

「はい、宮田、」

白い掌がポンと包みを渡してくれる。
なにかなと開いて見ると、これもまた大きな握飯が2つ入っていた。
いつのまに国村は用意したのだろう?首傾げこんだ英二にテノールの声が教えてくれた。

「おまえがね、駐在所の無線を取ってくれただろ?あの隙に飯をラップで握りこんだんだ、だから塩味だけだよ」

あのとき国村はパソコンを切ると奥の休憩室にいったん入って行った。
そのときに作ってくれたのだろう、感心しながら英二は1つ掌にとって微笑んだ。

「飯、炊いてあったんだ?」
「うん。俺、腹が減っちゃったからさ?飯だけ先に炊いたんだよね。で、無線が来たとき炊けたんだ。調度よかったよな、」

国村の握飯はきれいな正三角形になっている。
塩加減がほどよい握飯は冷えた体に旨かった、水筒の温かい紅茶で腹に収めると体温が上がっていく。
これであと2時間は充分にもつだろう、機転の利く自分のパートナーに英二は笑いかけた。

「ありがと、国村。おかげで元気出たよ?」
「俺はさ、おまえの笑顔で元気出たね。ホントおまえ、イイ顔で笑うよな。ちょっと反則だよ?」

ザックを背負ったまま伸びをして国村が笑ってくれる。
英二も登山グローブを嵌めなおしながら、愉しげな細い目に笑いかけた。

「反則とか解んないけどさ、この顔で元気になって貰えるなら、うれしいよ」
「別嬪はさ、居るだけで好いもんだよ。でも、その頬の傷痕、ホント消えないね?」

言われて英二は、グローブをまだ嵌めていない右指で頬にふれた。
冬富士で雪崩から跳んだ氷がつけた細い傷は、なぜか薄くても傷痕になって残っている。
陽に透けると現れる程度だから気にならないけれど、あの程度の裂傷で痕が残っていることが不思議だった。
けれど、この傷痕には意味があるから英二は嬉しい。幸せに微笑んで英二は口を開いた。

「うん、周太の『竜の涙』の掌とお揃いだからね。これがある方が、周太が安心するから良いんだ」

冬富士の氷による裂傷は「最高峰の竜の爪痕」山に登る御守なのだと周太は微笑んでくれる。
そんな周太の掌に国村は、冬富士の風花を贈って「竜の涙の掌は永遠に純粋だ」と寿いだ。
あれから周太は自身の辛いだろう進路に対しても、また1つ落着きを見せている。
傷痕の頬をのぞきこみながら、底抜けに明るい目が英二に笑いかけた。

「涙は心から生まれるから、爪痕の頬は必ず涙の掌の元に帰る。だろ?」
「周太から聴いたんだ?」

右掌にも登山グローブを嵌めなおしながら英二は微笑んだ。
問いかけに軽く頷いてテノールの声が教えてくれた。

「喜んでたよ、周太。金曜日の夜はさ、川崎に帰ってやるんだろ?」
「その予定だよ。もし救助が入ったら、土曜の朝に帰るって言ってある、」
「いっぱい笑わせてやんなね?でさ、こっち戻ってきたら、また話してよ?」
「うん、話すよ。…ありがとな、」

話しながら雪道を踏んで、バスケット担架の傍へと並んで佇んだ。
この担架のなかに今、自分達と同年配の山を愛した男が醒めない眠りについている。
担架を見つめながらテノールの声が低く英二に問いかけた。

「俺たちはさ、必ず無事に帰らなくっちゃいけないね?」

最高峰からでも必ず隣に帰る。
そう英二は周太と約束を結んでいる、そして周太の母とも。
それから美代には、国村を必ず無事に連れて帰ると約束を結んだ。
この約束はすべてを叶えなくてはいけない。いま見つめる担架への沈痛さと静謐に微笑んで英二は頷いた。

「うん。必ず帰ろう、どんな場所からも、必ず一緒に、」

担架を見つめる秀麗な横顔が、かすかな笑みで頷いてくれる。
ふたり並んで短く合掌してから、英二と国村は搬送用ザイルを掴んだ。



国村の予測どおり、雪が奥多摩を白銀へと染めはじめた。
小雪が舞い出したころ、警察と消防の応援部隊も大勢駆けつけて後藤副隊長が微笑んだ。

「よし、これだけいれば交替でいけるよ。さあ、あとちょっとだ」

交替要員が来てくれた、これで先発隊はすこし息つくことが出来る。
それでも慎重に進まないと二次災害が山は恐ろしい、誰もが慎重にバスケット担架を引いていく。
そして雨降集落までおろして刑事課員に引き継いだとき、クライマーウォッチは午後17時を示していた。
すべて終わって御岳駐在所へと戻ると、留守番してくれていた岩崎の妻が迎えて微笑んだ。

「お疲れさまでした。ごはんは炊いてあったから、おかずとお味噌汁だけ作って置いたわ」

奥の休憩室に温かな惣菜と汁椀を笑顔で並べてくれる。
握飯2つずつで夕刻まで山中を動くのでは、さすが腹が減っていた。
ありがたく礼を述べて英二と国村は、スカイブルーのアウターシェルだけ脱ぐと救助隊服のままで食卓に座りこんだ。

「あー、腹に染みるね、」

味噌汁をひとくち啜りこんで、底抜けに明るい目が満足げに笑んだ。
2月末の奥多摩は寒い、それも凍って滑りやすい渓谷で長時間の救助活動は緊張が大きく、体力も奪われてしまう。
そんな緊張に疲れた体に温かな味噌汁は何よりのご馳走だった、こうしたことを岩崎の妻は山ヤの伴侶だけによく解っている。
保温用マットに味噌汁を鍋ごと据えてくれる彼女に、温かな椀を掌に抱えたまま英二は頭を下げた。

「ほんとうに旨いです。いつもすみません、ありがとうございます」
「お安い御用よ?足りなかったら追加するわ、遠慮なく言ってね」

穏かな明るい笑顔で彼女は薦めてくれる。
こういう雰囲気が彼女はどこか周太の母と似ている、やさしい安堵に英二は心から微笑んだ。

「ありがとうございます、お気遣い嬉しいです」

きれいな寛いだ笑顔で英二は礼を言った。
そんな英二の顔に、すこし頬赤らめて彼女は微笑んだ。

「こんな笑顔されると、もっと喜ばせたくなっちゃうわね?明日のお昼ごはん、楽しみにしていてね」

楽しそうに笑って彼女は隣接する住居棟へと戻って行った。
境の扉が閉まるのを見送って、底抜けに明るい目が英二を見て悪戯っ子に微笑んだ。

「ほら、おまえの笑顔って反則だね?」
「ん?俺、なんかした?」

味噌汁を啜りこんで英二は首を傾げこんだ。
普通に会話しただけで、なんで国村はこんなことを言うのだろう?
そんな英二の額を、白い指が小突いて細い目が可笑しそうに笑った。

「あんまり笑顔がきれいでさ?なんかしてやりたくなるんだよ、特に女性はね。だから奥さんだって今、顔が赤かったろが」
「そうだった?なんか、申し訳ないな、」

熱い味噌汁のお替りをつぎながら、英二は首傾げたまま微笑んだ。
国村も空になった椀を英二につきだして、お替りを要求しながら愉快に笑った。

「使えるモンは有効利用しな?おまえの美しい笑顔のおかげでね、一緒にいる俺は恩恵に預かれるよ。ありがとね、み・や・た、」
「うん?まあ、国村の役に立つんなら、いいのかな?」

なんだか困りながら英二は国村の椀を受けとって微笑んだ。
たしかに自分でも笑顔が人を惹きつけるらしいことは自覚しているし、場合によっては利用する強かさもある。
けれど無自覚な時も結果として人を自分に尽くさせてしまうのは、果たして良いのだろうか?
お替りをついだ椀を渡しながら考え込みだす英二に、また白い指が伸びて額を小突かれた。

「ほら、また考え込んでるね?良いんだよ、遠慮しなくってさ。おまえの笑顔に見惚れるのはね、相手の自由な都合だろ?
遠慮なく甘えてやるのがね、相手にとっても嬉しいんだからさ。で、もっとイイ笑顔を見せてやれば、相手も幸せなんだよ」

何も言わなくても国村は察しが良い。
こういう無言の理解がうれしいなと英二はいつも思う、そして、きっとアンザイレンパートナーを生涯組めると確信できる。
ありのまま受けとめてくれる友人に、素直に英二は頷いた。

「うん、ありがとう。そう言って貰えるとさ、うれしいよ?はい、」

素顔の自分を受けとめてくれる感謝に、英二は烏賊大根を1つ国村の膳に贈った。
これは国村の好物だから喜んでくれるだろうな?笑いかけた先で細い目が満足げに笑んだ。

「ありがとね、宮田。さっきさ、後藤副隊長、また感動してたよ?」

心底から嬉しそうに烏賊大根を箸で割りながら、国村が教えてくれる。
口に入れた春菊の胡麻和を飲みこんで、英二は笑いかけた。

「へえ、何に感動したんだ?」

いったい何に後藤副隊長は感動したのだろう?
なにか良い事があったのかな、そう見つめた英二の額を白い指が小突いた。

「おまえをね、小林さんに褒められたんだよ。亡くなった方を思い遣れる素晴らしいレスキューですね、ってさ」
「ああ、包帯のこと?」

白菜漬を箸で運びながら英二は尋ねた。
尋ねられて国村は大根を飲みこみながら頷いてくれる。

「そ。ちゃんと手当てしただろ、おまえ?あれがね、小林さんと副隊長を感動させたんだよ。俺も、アレはイイと思う」

裏表ない国村の率直な褒め言葉がうれしい。
尊敬する山ヤである後藤の想いも嬉しくて、英二はきれいに微笑んだ。

「ありがとう。まだ、大したこと出来ないけどさ、すこしでも役に立ったなら良かったよ、」
「おう、役に立ってるよ、おまえはね」

どんぶり飯を3杯ずつ食べてから、食器を洗って片付けた。
気楽な相手同士のんびりと食事の時間を過ごして、出動後の緊張がほどけた疲れが楽になっている。
岩崎の妻に借りた食器を返しいくと、画用紙を英二に渡してくれた。

「これね、田中さんとこの秀介くんから預かったの。宮田のお兄さんに渡してね、って」
「秀介、今日も来てくれたんですね?」

秀介は御岳の小学生で、いつも学校帰りに駐在所をのぞいては英二に勉強を訊いてくれる。
御岳の山ヤだった田中の孫にあたる秀介は、祖父の遭難死を通して医師に成ろうと勉強に励んでいた。
まだ小学校1年生なのに真剣に人生に向き合う秀介は、どこか周太のことを想い出させてくれる。
渡された画用紙を携えて駐在所に戻ると、国村が登山計画書のファイルを片づけていた。

「うん?その画用紙なんだよ?」

英二の手元に気がついて国村が訊いてくれる。
画用紙を机でひろげてみると、きれいな御岳山の雪山姿が描かれていた。

「へえ、きれいだな。これ、秀介が描いたワケ?あいつ、こんなに絵が巧かったんだ?」

国村は田中の家とは親戚で、代々親しい付き合いがある。
けれど秀介の絵のことは知らなかったらしい。
率直に褒めている細い目に笑いかけながら英二は答えた。

「奥さんが秀介から預かった、って渡してくれたんだけど、」

画用紙の裏を見ると、鉛筆で何かが書いてある。
読んでみると秀介からの手紙だった。

 みやたのお兄さんへ
 きょう学校の図工で、すきなものをかくことになりました。
 それで、いつもお兄さんが仕事している、みたけ山をかきました。
 じいちゃんも大すきだった山です。
 いつも勉強をおしえてくれる、おれいにあげます。いつも、ありがとう。
 いつかぼくも、みたけ山につれていってね。 秀介

「ふうん、すごいラブレターだね、宮田?おまえ、ほんとモテるねえ」
「いや、ラブレターとは違うと思うけど、」

感心気なテノールの声に英二は笑ってしまった。
すぐこんな発想をする国村が面白い、可笑しくて笑いながら英二は答えた。

「でも、嬉しいな。これ、大切にするよ」

きれいに笑って英二は、ファイルに挟んでからザックにしまった。
帰り支度を整えて、岩崎の妻に声を掛けると英二と国村は駐在所に施錠した。
外は小雪が舞い降っている。
駐車場に止めてある国村の四駆にも、雪化粧が暗くなり初めた夜にほの明るい。
ふりゆく小雪を活動服姿で見上げながら、雪白の顔が微笑んだ。

「あの学生にね、山が清めの雪を贈っているんだな、」
「…清めの雪、」

つぶやいて英二も雪の夜空を見あげた。
はるか漆黒の空からは止むことなく、白銀の粒子が奥多摩へとふりそそぐ。
きっと明日の朝には、山も渓谷も、すべてが白銀の光に包まれているだろう。

この雪に、山でなくなった学生の心は鎮まるのだろうか。
この白銀の清浄に学生の友人たちは、心が慰められるのだろうか。
白い浄闇に鎮まっていく世界を見渡しながら、透明なテノールの声が笑った。

「明日は、新雪だね?宮田、久しぶりの早朝訓練しようよ、」

底抜けに明るい目が真直ぐに英二を見つめて笑っている。
俺たちは生きている、だから山に登ろうよ?
そんな無声の声を告げる目に、英二はきれいに笑いかけた。

「うん、いいよ。4時起き?」
「そ、」

笑いながらザックを後部座席に乗せると、運転席に国村は乗込んだ。
英二も同じように助手席に乗り込んで、シートベルトを締めて笑いかけた。

「なあ、国村?俺、携行品戻したら、そのまま診察室へ寄ってもいいかな?吉村先生、コーヒー飲みたいと思うんだ」

いまごろ吉村医師は検案所で、亡くなった学生の遺族と向き合っている。
大学生の遺体の姿に吉村医師は、医学生だった息子の雅樹が遭難死した記憶を見つめているだろう。
そうして吉村医師は亡くした息子の軌跡をトレースしている、この想いを少しでも受けとめられたらいい。
だからせめて、コーヒーを飲んで一息ついてもらいたい。そんな思いの英二にテノールの声が微笑んだ。

「いいね、きっと先生よろこぶよ。今日はお疲れだろうしさ?じゃあ俺、藤岡も誘ってくるよ、」
「うん、よろしくな、」

会話のはざま、スタッドレスタイヤが新雪を踏む音がやさしい。
ちいさな踏みしめる音と、さらさら窓ふる雪の結晶が囁く音が、奥多摩の冬の夜に穏かだった。



かろやかなノックで診察室の扉を開く。
開いた扉の向うには、私服姿の後藤副隊長が吉村医師と向かい合っていた。
入ってきた英二を頼もしい背中が振向くと、温かな深い目が大らかに微笑んだ。

「おう、宮田。今日はごくろうだったなあ、」
「おつかれさまです。こちらに副隊長が寄られるなんて、珍しいですね?」

ザックをおろして制帽を置きながら、英二は2人に笑いかけた。
もう白衣を脱いでいる吉村医師が、穏かに微笑んで英二に教えてくれた

「今日はね、消防の小林さんに宮田くんが褒められたよ、って自慢話を手土産に来てくださったんです。
あとね、宮田くんのコーヒーを飲みたいからって、言って。さっきからずっと、こうして席を占領されているんですよ」

穏かな笑顔で話す吉村医師を愉しげに後藤が見ている。
2人を見比べて微笑んだ英二に、ふとやかに温かい声で後藤が答えてくれた。

「いつも吉村がな、宮田のコーヒーの事を自慢してくれるんだよ。だからなあ、今日は俺も混ぜて貰おうって思ってな」

後藤と吉村医師は30年来の飲み仲間同士でいる。
そんな後藤は吉村医師の息子、雅樹が大学生で遭難死した事情をよく知っている。
だから本当は後藤は、今日の検案が大学生だったことを心配して、吉村の様子を見に来たのだろう。
こういう優しさの後藤が英二は好きだった、歓迎の意を込めて英二はきれいに微笑んだ。

「お口に合えば嬉しいです、すこしお待ちくださいね、」

笑いかけて頷くと英二は、マグカップを5つ用意した。
そのカップの数に吉村医師が、楽しそうに笑って席を立った。

「おや、今日は藤岡くんも来られるんですね?じゃあ、茶菓子も5つですね」
「はい。いま国村が呼びに行きました、すぐに来ると思います、」

手際よくマグカップにドリップ式コーヒーをセットしていく。
器用に動いていく長い指を見ながら、後藤副隊長が微笑んだ。

「鳩ノ巣駐在の藤岡か、宮田とは遠野教場から一緒だな。警察学校の時から親しいかい?」
「はい、藤岡は明るくて楽しいですから。でも今ほどでは、ありませんでしたね。班も違かったので」

カップの1つずつに、ゆっくりと湯を注いでいく。
ゆるやかに昇って行く香り高い湯気を見つめている英二に、後藤副隊長が訊いてくれた。

「湯原の息子さんとは、警察学校から親しいんだったな?」

後藤副隊長には英二も周太のことは話してある。
それに後藤は周太の父とは山岳会の先輩後輩だった、それで周太のことも心配してくれている。
湯を注ぐ合間に英二は後藤を振り返ると、きれいに笑いかけた。

「はい、寮の部屋が隣だったんです。それで仲よくなって貰えました、運が良かったんです」
「運が良かった?」

温かい目が楽しそうに訊いてくれる。
軽く頷いて英二は素直に答えた。

「副隊長もご存じのとおりです、ずっと周太は孤独に籠って人を拒絶していました。しかも俺は最初、嫌われたんです。
でも部屋が隣だったから、俺ね?勉強を教わる口実で、ほとんど毎晩、隣に入り浸っていたんです。周太、そういうの断れないし」

警察学校寮の狭い部屋。
あの小さな部屋が英二にとって、世界の全てだった。
あの小さな空間では、周太を独り占めできて幸せだった。
なつかしい記憶と想いに微笑んだ英二に、可笑しそうに後藤が笑った。

「そんなことしていたのか、宮田?」
「はい、していました。それどころか、外泊日は毎回ずっと、俺が周太を誘っていました。一緒に飯食ってから帰ろうよ、って」
「ほんとうに独り占めしていたんだなあ、おまえさん」

呆れながらも温かい目が「幸せそうだな?」と笑ってくれる。
そんな目を嬉しく想いながら英二は、昨夜の電話で預かった周太の母からの言伝を想い出した。

「副隊長、湯原の母から伝言を預っているんです、」
「湯原の奥さんか、おまえさんの書類の件で電話では話したなあ。元気かい?」
「はい、おかげさまで。また今週末には帰る予定なんですけど、」

コーヒーのマグカップを副隊長と吉村医師に勧めながら、折りたたみ椅子に英二も座った。
ひとくち啜りこんで「旨いなあ」と微笑んでマグカップを置くと、後藤は英二に向き合うよう頷いてくれる。
こういう後藤の誠実な態度が英二はいつも嬉しい、微笑んで英二は口を開いた。

「湯原の母から伝言です。周太と俺へのお気遣いを感謝します、春にまた改めてお礼に伺います。とのことです」
「湯原の奥さん、奥多摩へ来てくれるのかい?」

すこし目を大きくして後藤が尋ねてくれる。
うれしそうな驚きの表情が嬉しい、英二は微笑んで頷いた。

「はい、4月の桜の頃にお伺いすると思います。よろしいでしょうか?」
「ああ、大歓迎だよ。なつかしいなあ、昔はよく、奥多摩交番に湯原と顔を出してくれていたよ」

温かな目が懐かしそうに笑っている。
この温もりを周太の父も好きだったろう、温かな返事がうれしくて英二は微笑んで礼をした。

「ありがとうございます、母に伝えておきます」
「うん、よろしく頼むよ」

愉しげに後藤はコーヒーを啜りこんでくれる。
その隣で吉村医師もコーヒーを楽しみながら、英二に微笑んでくれた。

「すっかり、湯原のお家に馴染んでいるようですね?」
「はい、受け容れて貰っています。先生、お世話になってすみませんでした」

吉村医師に笑いかけて英二は端正に礼をした。
英二と国村のことで周太は吉村医師に話を聴いてもらっている。
そのことを周太は英二に話してくれた、話して貰えた信頼を想いながら微笑んだ英二に、吉村医師も微笑んでくれた。

「よかった、幸せそうですね?それなら良いんです、また遊びに来て下さいと伝えて下さいね」
「はい、」

こんなふうに受け留めて貰えることが嬉しい。
嬉しくて微笑んだとき背後の扉がノックされて、からり開いた。

「こんばんは、吉村先生。あれ?後藤のおじさん、来てたんだ、」

テノールの声が笑いながら入ってくる。
その後ろから人の好い快活な笑顔が一緒に入ってきた。

「こんばんは、吉村先生、副隊長。今日はお疲れさまでした」

からっと笑いながら藤岡も折りたたみ椅子を出してきた。
今日の藤岡は応援部隊として、後半から収容作業に加わっている。
椅子を整えて座った藤岡に、マグカップを片手に後藤が微笑んだ。

「おつかれさん、藤岡。今日はおまえさん、救助の前に柔道指導もあって、大変だったろう?」
「柔道は好きですから、楽しいんです。俺にとっては気分転換です、」

心から楽しそうに藤岡は笑っている。
柔道でインターハイ出場経験者の藤岡は、地域への柔道指導も担当する鳩ノ巣駐在所で柔道指導員もはたす。
ほんとうに藤岡は柔道が好きなのだろう、警察学校でも柔道を選択していたし逮捕術も上手い。
こんど久しぶりに練習しようかな?思いながら英二は熱いマグカップを藤岡と国村に手渡した。

「ありがと、宮田。うん、旨いね?でも、やっぱりアレのが旨いな、」

ひとくちコーヒーを啜りこんで、テノールの声が微笑んだ。
この「アレ」は周太がサイフォンで淹れたコーヒーのことだろう。
川崎から戻ってきて以来、コーヒーを飲むたびに国村は同じことを言っている。
よほど気に入っているのだろう、それに淹れた本人への想いがあるから仕方ない。
この国村の想いを知っているだけに、哀しい想いも起きあがりそうになる。
けれどこんな同情も遠慮も、誇り高い国村にとっては当に「余計なお世話」だろう。
それなら自分はなんて言うべきか?きれいに笑って英二は国村に言ってやった。

「うん、旨いよな。週末は俺、淹れてもらおっかな、」
「良いねえ、淹れて貰ってきな?俺も今度、淹れてね、っておねだりしとこっかね、」

底抜けに明るい目が愉しげに笑っている。
そんな目に微笑んで英二はコーヒーをひとくち啜りこんだ。
おだやかな明るさが診察室に温かい、ほっと息吐いて英二はカーテンを開いてある窓を眺めた。
暗い窓には雪の結晶が白くきらめいている、その清浄な白にひとつの言葉が浮かびあがった。

― 清めの雪、か

夜の黒を映す窓に、さらさら白く雪が降りかかる。
あの山で眠りについた学生を悼むよう、雪が清浄に夜を染めていく。
さらりとした粉雪は、明日の朝にはきっと山嶺を真新にそめて輝くだろう。
明朝の雪山を想いながら窓を見つめていると、ふっと吉村医師が口を開いた。

「あの学生さんは即死でした。苦しまれていなかった、良いお顔でした。そして、ご友人も落ち着いていました」

穏かな目で吉村医師はマグカップを手に佇んでいる。
そっと微笑んで後藤副隊長が頷いた。

「そうかい、うん…ご家族は、なにか言っていたかい?」
「はい。若者には冒険が必要です、息子は幸せでした。そんなふうに、お父様が仰っていました、」
「うん、良い親御さんだな、」

落着いた声で吉村医師は承け答えている。
そんな吉村に温かく笑いかけながら、ふとやかな声は静かに口を開いた。

「たしかにな、若いモンには冒険が必要だ。冒険と言うからには未知の体験だ、生命の危険だってある。
だから本人がな、きっちり自分で行動することが絶対条件だ。自然の中でただ一生懸命、この無償の行為は自己責任だけだ。
未知への憧れと無償に『今』を懸ける、これに意義を見出す青春は美しいって俺は思うよ。だから傷ましいなあ…早すぎる死は、」

温かな深い目から、ひとすじの涙が頬伝ってこぼれた。
零れた涙を指で払って、後藤は大らかな温もりで英二と国村と、藤岡に笑ってくれた。

「いいかい?おまえさんたちはな、決して遭難死なんかするんじゃないよ?
どんな現場でも、山ヤの警察官として生き抜けよ?そうしてな、山と人の尊厳を守っていくんだよ。
確かに、山ヤが山で死ぬのは本望だ。でもこれは、死んでしまった時にだけ言うセリフだな?いいかい、絶対に無事に帰るんだよ」

語り聴かせてくれる後藤の隣で、そっと吉村医師が瞬きを1つするのを英二は見た。
吉村医師は自身が「遭難者遺族」それも医学部5回生だった息子を山で亡くしている。
この吉村医師の願いと祈りをも後藤副隊長は代弁して、3人に語り聴かせてくれているだろう。
長い指で胸元さげた合鍵にシャツ越しふれながら、微笑んで英二は頷いた。

「はい、必ず無事に帰ります。遭難救助の現場でも、最高峰からでも。約束です、」

頷いた英二の隣で、底抜けに明るい目が笑ってくれる。
笑いながら、透明なテノールの声が誇らかに宣言した。

「そうだよ?俺たちは山ヤだ、自助が出来なきゃ山ヤとは名乗れないね。だからさ、絶対に必ず帰ってくるよ?最高峰でもね、」

誇らかな自由に笑う細い目が「そうだろ?」と訊いてくれる。
見つめてくれるアンザイレンパートナーに頷いて、きれいに英二は笑った。

「うん、そうだな、」
「だろ?藤岡、おまえもさ、きっちり帰ってこいよ?」

テノールの声が人の好い笑顔に笑いかける。
からっと笑いながらも藤岡は、真直ぐに後藤副隊長へと頷いた。

「俺も、絶対に帰ります。あの津波でも助かった命です、必ず全うする努力をします、」

藤岡は震災の津波で被災している。
この経験から既に任官が決っていた警視庁で山岳救助隊を志願した。
いつも明るい藤岡には心深く見つめている想いがある、そんな真摯な同期が英二は好きだ。
同じ場所を志願して一緒に配属された唯ひとりの友人に、英二は笑いかけた。

「藤岡、こんどさ?俺にも柔道の稽古つけてくれる?せめて受身だけでも身に付けたいんだ、」
「うん、良いよ。明後日も朝稽古あるよ、一緒に行く?」

気さくに笑って早速に誘ってくれる。
こういう気さくさが藤岡は温かい、素直に笑って英二は頷いた。

「うん、一緒させてもらいたい」
「了解、山井さんにも言っとくな。国村も行く?」

気軽な誘いを藤岡は人の好い笑顔でしてくれる。
底抜けに明るい目がすこし考えて、すぐに愉しげに笑った。

「うん、俺も行くよ。宮田の柔道着姿が拝めるんだね、楽しみだな、」
「じゃ、山井さんに言っとくよ。でもさ、宮田の柔道着姿って、そんなに楽しみなのか?」

なにげなく聴きながら藤岡は茶菓子を口に入れた。
聴かれた質問に細い目が楽しげに笑いだして、すうっと唇の端が上がって微笑んだ。

「柔道着だと中身はハダカだろ?こいつの襟元とかはだけたらさ、そりゃエロいだろうねえ。別嬪の乱れ姿を俺は拝みに行くよ、」

そんな目的で良いのかな?
思わず首を傾げていると、後藤副隊長が呆れたように口を開いた。

「おい、光一?おまえ、そんな理由で柔道やるのかい?」
「そうだよ?だってさ、宮田の乱れ姿だよ、こんな佳い見モノもそうないね、」

飄々と笑って国村は上機嫌にコーヒーを啜りこんでいる。
なんだか違う目的な話に首傾げながら、英二は診察室の窓を眺めた。
窓の外、奥多摩には雪がふりそそぐ。窓映る白い影には雪が吸いこむ静寂が感じられる。
この雪は冷たい、けれど英二は、どこかやさしい温もりを雪に想ってしまう。
この雪にいま、山に眠った未知への憧れが1つ鎮められていく。

この胸元に下げられる合鍵の、元の持ち主も山を愛していた。
けれど彼が眠った場所は都会の真ん中の、冷たいアスファルトの上だった。
それでも眠りについた彼の体には、雪のように桜がふりそそいだと聴かされている。
その桜の咲く季節に、彼の妻はこの奥多摩に訪れるだろう。

― きっと、あなたも共にいらっしゃいますね?桜の奥多摩に、

活動服のシャツ越しにふれる合鍵は、体温に染まって温かい。
いま彼の鍵は自分の首に提げられて、いつも彼が愛した奥多摩を英二と駆けている。
きっと明日は白銀の奥多摩を、英二は自分のアンザイレンパートナーとまた駆けるだろう。
この駆けていく山への想いには、いま後藤の願いも吉村の祈りも懸けられた。
そして英二はきっと鍵の主の望みも抱いている、家族への想いも共に。

― 立つべき場所へ笑って登りたい。そして必ず帰る、自分の居場所に

数々の願いと祈りに微笑んで、窓にふる白銀の影を英二は見つめていた。



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