
気がつけば「腰痛」から「ズンドウ」へ・・、
とんぼのブログは、ほんとにどこへいくのやら。
話しが「ほばーりんぐ」しませんで、すみません。
写真は昭和27年の本にあった「近代的な花嫁」モデルは久我美子さん。
こんなことも考えていたんですねぇ、呉服業界は・・。
それでは本日のお題、すごく抽象的ですが「ゆるゆると着物を着ること」
ここのブログには、年齢に関係なく「日々着物ですごしている」というかたも
いらっしゃいますので、そういう方はちょっと「高みの見物」?でお読み下さい。
昨日のブログで「洋服」と「着物」の違い、というお話しをしました。
ここでまず、洋服での暮らしを考えてみましょう。
洋服は昨日書いたように、さまざまなデザインがあり、
自分の体型や年齢、好みやTPOにあわせてそれを選び、着分けていますね。
たとえば家事をするにはそれをしやすい服装、おでかけにはオシャレな服装。
当たり前のことなのですが、ここで洋服と着物でまた違うところがあります。
着物の場合は、家事をする木綿やウールも、
おでかけの小紋や訪問着も、全部形が「同じ」なのです。
つまり「動きやすい形」「オシャレな形」が選べないのです。
もちろん、細かい点では例えば着物や袖の丈、帯巾をかえるとか
もんぺを履くとか・・でも着物の形をしたものをまとって帯でおさえる、
という基本はかえられないのですね。
だから「着方」で工夫をしていたわけです。
短く着付ける、たすきや尻っぱしょりやおはしょりをする・・。
「ゆるゆるに着る」ということは、ひがな一日着物で暮らすのに、
動きがラクなようにという工夫がされた結果ではないかと、私は思っています。
着物の身幅が今より広かったのも、ふわり、ゆったりと着て、
動きをよくするためではなかったかと思います。
考えても見て下さい、江戸時代の長屋のおかみさんは、一日着物で
はたきと箒でそうじをし、井戸端で大またひろげて「たらい」で
洗濯していたのです。台所は正座、かまどは地べたでしゃがみこみ・・
今と同じ着かたで、仕事になるわけないと思うのです。
今、着物を着ると「苦しい」とか「動きづらい」という声があります。
理由は二つあると思います。そのひとつは現代人は「洋服」を知っているから。
日ごろ着慣れている上、体の形に合わせて作られた洋服は、
動きやすいようにできているわけで、それと比較してしまうのですね。
もうひとつは、今、着物を着られる・着せられる人はどこの家庭にも
いるというわけではありません。結局「着付け教室に通う」とか、
必要な時にプロに着付けてもらう・・・ということがほとんどだと思います。
このときの「着方」というのは、着物の着方の本当に基本的なこと、です。
どういう順番で着るか、どこで紐をしめるか、どこのシワをひっぱって整理し、
どうやって帯を締めるか・・。つまりきちんと乱れなく着ること、です。
それはもちろん、一番の基礎で大切なことなのですが、
実はその「着方」は、着物の着方の入り口にすぎないわけです。
例えば、今ここに江戸時代の人に「フォーマルドレス」の着方を教えたら、
身体にピッタリしすぎて苦しい、とか びらびら広がってまとまらない、とか
こんなうしろだけ菜ばしみたいに細くて高いカカトのゲタなどこわい、とか・・。
まぁそんなところでしょう。それで終わってしまったら、
ウエストゴムのラクチンさも、Tシャツの涼しさもしらずじまいです。
「西洋のおなごの着るふおーまるというものは袖は手甲のように隙間がないわ、
腰はきゅうきゅうしめつけられるわ、苦しいものだわさ」なんてとこでしょうか。
着物も同じだと思うのです。「着物ってこういうふうに着るものなのだ」と
そこでとまってしまう・・。入り口から中へはいれば
もっと自由だ・・ということは、学校では教えてくれないのでは?
私の子供の頃は、母などは当然、ほとんど今風の着方にはなっておりました。
つまり、江戸時代ほどゆるくはないわけですが、
それでも「それなり」のラクな着方をしておりました。
たとえば、胸元はそんなにきっちりとあわせるわけではなく、
また家にいるときには半幅帯さえせず、巾が広めの伊達締めでした。
うそつきの下側は紐をつけず、少し角が三角に長くのばしてあるだけです。
これをやせている私は結んでいましたが、母は挟み込むだけ。
買い物などは、帯をちゃんとしていなくても「ひっぱり」を着てしまえば
外からはわかりません。
逆に暑い時や、庭掃除だの水撒きだので、裾が汚れそうなときは、
母は着物のまず左前の裾を右脇の帯にはさみ次に右前の裾を左脇の帯にはさんで、
ミゴトに「総まくり」で、じゅばんをむき出しにして、水撒いたりしていました。
座ってお茶を飲む時も、正座ばかりではなく前をひょいと緩めて
「女形座り」をしたり・・・。一日のうちで、こんな動きをしていて
着崩れないわけがありません。でもいちいち着なおしたりはしませんでした。
襟元が開きすぎるとちょいと直し、裾がずれるとおはしょりをひょいと直し・・、
せいぜいその程度でした。
だらしなくていい、と言っているのではありません。
「こうでなければいけない」ということにとらわれなくていい、ということです。
明治・大正・昭和初期の頃のスナップ写真というのを見ると、
女性はほとんど着物なわけですが、実はちーっともきちんとなんて着てません。
半衿がみょーに出ている人がいるかと思えば、帯締めがすごーく下だったり、
おはしょりがモコモコ波だってたり・・もう好き勝手着てます。
この「好き勝手」でいいと思うのです。もちろん見栄えが悪いのは
やはりみっともないですから、きちんと守るべきことは必要と思います。
でも半衿は何センチくらい・・とか、帯揚げはこう締める、とかそういうことは
正式な時にできればいいわけで、普段着るならもっと自由でも
いいんじゃないかと思うのです。着付け教室では教えないでしょうし、
私のように親を見て育つことがなければ、それはいつまでたっても
わからないことです。
いつも私が言う「ゆるゆるに着る」というのはふたつあって、
ひとつは「外にでるとき」つまりある程度はちゃんと着なければいけないときにも
工夫次第で、苦しくならない、というゆるゆる。
もうひとつのゆるゆるは、江戸時代の人のように、私の母のように、
別に帯しめんでもええやん、というマイ・ルールな着かたをすること。
こういうことは、着慣れたら自分で工夫すればいいのですが、
何度もいうように、着付け教室では「きちんと着る」ことで終了です。
後に「応用編」があって、それは着物暮らしの中で自然と培われていくもの、
それがあるということを知れば、着物ライフはもっと楽しく、
もっとラクになります。
車の免許をとるために「教習所」へ行くと、時速はしっかり守るし、
ウィンカーは何メートル手前から出すだとか、ハンドルは常に両手で
10時10分の位置、とか、安全運転の基本を教えます。
でも、免許取って乗り始めて教科書どおりに走っていたら
逆に交通渋滞起こします。私は去年の秋までマニュアル車にのってましたが、
せまい住宅地を走るのには、ギァ・チェンジが多くて、
とても両手でずーっとハンドル握るなんて、やってられませんでした。
着物の着かたは、1000年の間にもイロイロ変わっているのです。
一度途絶えかけて、今着始めたひとが「きちん」と着ることしか知らなかったら
いつまでたっても「着物は苦しい」「動きづらい」で進みません。
「色半衿ってどういうときしていいの?」「こんな帯の締め方おかしい?」
そんな質問をどんどんしてもらって、守りたい伝統や基本は守って
楽しく、ラクにできるところは、いっしょに「今の着物の着かた」を
考えていく・・、着物を廃れさせないために、そんなことも
続けていきたいなぁと思うのです。
ぺたこ様のように「毎日着物」の大ベテランに「そのとおり」と言っていただいて、ほんとに嬉しい!ちょっと安心!私はこのところ実際に着ることが減っていて、着物禁断症状・・。シゴト用の古着にホッペすりすりして、我慢してます。夏までの間に「着るぞっ!」
同じく明治生まれの父方の祖母は、普段から着物でしたので、ゆるーい着方でした。
たぶん、日頃の生活ぶりに応じて、着物の着方が違っていたのではないかしら、と思います。
「明治維新」というのは、本当に、一つの国の中の出来事として、とてつもなく大きいことだったんですね。私の生まれ育った横浜は、文明開化の大波を最初に受けたところ。そこから一気に洋風文化が入った・・というより「なだれこんできた」んでしょうね。私も父方の祖母は横浜でしたから、けっこうハイカラなところもあり、母方の祖母は京都の片田舎でしたから、最後まで日本のばーちゃんだったそうです。
「逸樹」じゃなくて「一気」・・すみません。