
「歌麿」となっていますが、原画は確かめていません。
歌麿の美人画、というより浮世絵の美人画は、割と花魁や遊女○○小町などと呼ばれる人などが
題材になりますが、何気ない普段の様子などを描いた絵もいろいろあります。
たとえば台所仕事をしているところとか、子供をあやしているところとか、洗濯干しとか…。
ですから、こんなふうに「薪・炭」売りの絵があっても不思議はありません。
大原女みたいだけど違う…と、真っ先に考えがちですが、この時代「薪・炭」は、今で言う「電気・ガス」。
京都でなくとも、薪、炭売りはいたわけです。
大原女がいなくなったのも、近代になって石炭石油に、取って代わられたからですね。
さて、この三人の姿ですが…まぁ絵のウソ(映画のウソとか、そのタグイの)で、
真ん中の女性、紋付の裾模様で炭売りはねぇ…しかも振袖…これはない…。
右側の女性は襦袢を着ていないように見えます。しかも前帯。
この人だけ眉を剃っていますから既婚者、胸元はしどけないけど母親と姉妹…でしょうかね。
この右の女性の裾の始末、これは当時の女性の労働スタイルで、歩いたり、大きな動きをするとき、
こうして裾の前をわけて、着物や襦袢をおはしょりの紐下などにはさみました。
もうひとつ、水使いなどで、裾や帯をぬらさないためには、もっと丸々…。
つまり、立って、まず上前の褄を右脇の帯の上に挟む、次に後ろもすっぽりと包んで折り返し、
下前の褄を左脇の帯の上にはさむ…見られたかっこじゃございませんが…。
この羽裏の左二人は、どうやら尻っぱしょりか、それに近い恰好のようですね。
まぁ裾模様の振袖では、考えられないかっこですが…。
左の女性は、手ぬぐいに柄がなく、着物も絞りの普段着風で、襦袢や手甲も真ん中の女性に比べるとジミです。
それで「お姉さん」とみたのですが。
残念ながらこの左の女性の帯のところに「大穴」あり…です。というよりはっきり「破れて」ます。
うまい具合に?かわり七宝にそっているので目立ちませんが、よく見ると、タレの部分もありますでしょ。
周りに細かい縫い目が見えてますね。「しっかりツギアテ」してあります。惜しいですねぇ。
頭上にものを載せて運ぶというのは、世界共通の運搬方法ですが、
慣れればかなり重たいものをのせて、両手でおさえることもなくスイスイと歩けます。
今でも伊豆大島では、アンコさんが頭に桶のせて歩けるんでしょうかねぇ。
私はみているだけで首がいたくなりそうなのと、そそっかしいですからこんな長い薪なんか乗せたら、
そのまま振り向いて、隣にいる人なぎ倒しそうです。
浴衣風だったり、袷だけどジミだったり、振袖だったり、既婚だったり未婚だったり…
なんか一枚の絵に「見本」のようにあれこれ一度に描いている気もします。
つまり、働く女性をスケッチした…というよりも、一枚の絵で風俗や季節もてんこ盛りしてみました…みたいな?
もう一度羽裏にはちとダメージひどすぎてダメですが、夏の終わりアタリに、額に入れて飾りたいですね。
(だから、飾るところがなかろーがって)
さて、昨日の「赤穂浪士が大名行列」、さすがにちょっと気になりましたので、
ショップへの着荷お礼に、そのことを書きました。
「赤穂浪士柄」は、古着買いには人気柄なので、基本的な柄の名前は間違えないでいただきたいと。
お詫び状が来まして、その方はメール担当者だと思いますが、
確かにこれは「赤穂浪士ですね」と。若いものに周知徹底心がけます、とのことでした。
ここ数年で、割とドーンと大きくなった古着屋さんで、HPもいろいろ持っていますし、
実店舗も何軒かあるし、ヤフオクもやってるし…なのです。
人が増えれば増えるほど、細かいことや勉強は徹底が難しくなる…の典型かなと思います。
今回に限らず、名前のマチガイ、多いのですよ。ちょっと何かおめでたいものがたくさんあると
何でも「宝尽くし」と書いてあるし、「能」も「狂言」も区別なしで、たまに「舞」だけだったりしてます。
毎日たくさんの着物をカテゴリーに分けて書いているわけですから、毎日勉強できるわけですよね。
羽裏などは特に、芝居の名場面とか、有名な英雄のエピソードとか、それだから取り上げてる…
という部分もあるわけですから(私も過去に大間違いをやらかしてますから、人のこたぁいえませんが)、
だからこそよくわかる「赤穂浪士」とか「源氏物語」などは、ぱっと見てわかってほしいですねぇ。
昨日の新聞の囲み記事にあった文、ジュラシック・パークの原作にある言葉だそうです。
<数学者が言う。われわれは「紙を追放しようというが、じっさいに追放したのは紙ではなく、考えることだ」>
なんでもネット、ケータイ、ピッピッとボタンを押したり、親指や人差し指で画面をこすればページがめくれる…。
以前「大学のレポートで、ネット丸写しの生徒が増えたことが嘆かわしい」…という問題がありましたね。
たとえば辞書や参考書は、たとえコピーはとれても、それをリポートに出すには、
やっぱり自分で書き写すか、ワープロ打ちしなければならない。それは結局読むことになるのですよね。
スキャンして全部コピペの「編集」ものよりはなんぼかマシってもんです。
勉強するということは、自分で考えるということです。
マニュアルがないと何もできない、言われたことしかやらない、いわれなきゃ気がつけない…。
それは本当は、とても損してることです。
本気でこの仕事をしたい、と思ったら「コレはなんか意味のある柄なんだろうか」とか
「この柄に名前はあるんだろうか」とか、それを思わなければ、進歩ないと思うんですよね。
素人さんなら「オシドリがカルガモ」でも、「鮎がアジ(ありましたこれ)」でも、「ツバメが雀」でも
わっはっはで終りですが、プロならプロ意識、持ってもらいたいと思います。
浮世絵羽裏はよくありますけど、ここまで良いお顔に描かれているものはなかなか無いですよねぇ。
とんぼさんの選択眼、すごいです!
下の日本橋と講の襦袢も、思わず目を見張ってしまいました。
「考えることの放棄」・・・・
諸々と考えさせられますねぇ。
既婚の女性は眉を剃っていたんですね。
絵を見ていて、現代の女子高生がスカートの中にジャージのズボンをたくし上げて履いているのを連想しました。時代は繰り返されるのかな。
着物の派手、と洋服の派手は違うということ、またお話楽しみにしています。
思います。素敵ですねぇ
穴があるのが本当にもったいないと思いますが、よほどお気に入りで頻繁に着ておられたんでしょうね。
頭にこそ載せませんでしたが、50年ほど前には、落ち葉や柴など学校から拾いに行きました。石炭でストーブを・・なんて、今の子に言っても分からないでしょうね。
世の中がこんなに変わるなんて想像できませんでしたから。
羽裏の浮世絵は「顔がイノチ」ですよねぇ。
図柄はいいのに、顔がコケてるとがっかりします。
「講」は、いまや「ねずみ講」など、ロクな使われ方しませんが、
昔は暮らしの知恵、それでお互い助け合っていた、
大切な工夫だったんですよね。
くじに当たってお伊勢参りに行く人たちは、ほんとに嬉しかったと思います。
こういう図柄を見ると、横丁のかどで「たのんだよー」なんて
見送られながら旅立つ様子まで浮かびます。
なにかあると「ちょっと考えればわかるのに」というようなことが
いろいろあったりして、ココロのヒダみたいなものがツルンとしているのが
なんだかさびしいです。
眉をそってお歯黒、というのが定番でした。
歴史は繰り返す…といいますが、きているものは違えども、
何かしら共通項を感じることも多いですよ。
ジミハデ、また別の切り口で…と書いてます。
絵心、というのは、やはり「あるなし」があるのだなぁと思います。
名もない職人さんの手でしょうけれど、
今はもうこういう柄がないのが残念ですねぇ。
うまく繕っていて、最初は見過ごしました。
お気に入りだったのでしょうね。
我が家は物心ついたときから、ガスでしたが、コタツのたどんとか、七輪の練炭とか、時々いらないものを
石油の一斗缶の下に穴を開けたもので、庭木の枝打ちしたものとか、
掃除してでた枯葉で焚き火をしました。
なんか火の色とか、あったかさとか、違う気がしますねぇ。