このブログでは、あまり社会の事件とか事故については、書かないようにしているのですが、
今回はちと気になりまして…。亀山の交通事故です。
運転していた18歳の少年には「危険運転致死傷罪」は適用できないことになった…という判断。
元々この「危険運転…」というのは「過失」ではない、つまり「故意」に行った犯罪の法律区分に入っています。
故意、だと「誰かを最初から車ではねてやろうと思った」というような事件についてということになりますが、
故意でなくても、あまりにもひどい場合は「故意」と同じくらい悪いことしたんだよ…という意味で
これが適用されるわけです。
その中にあるのが酒酔い運転、制御困難運転、未熟運転、妨害運転、信号無視運転…この五つ。
かの少年の場合、酒酔いではないし、制御困難と言ってもたとえば高速道路で100キロ以上出した…ではないし、
妨害でもないし、信号無視による事故でもない…。
でも、未熟な運転による事故…ではない、なぜなら無免許でも長時間運転していられたのだから
未熟とはいえないから…。これはどうにも納得できません。
最大の疑問は「無免許」であることは、この法律には関係ないのです。
わき見や居眠りも「この法律の構成条件には含まれない」…という言い方をしています。
待ってください。じゃ、免許ってなんですか?
高いお金を払って、何ヶ月もかかって、教官に叱られながらハンドル握って、
記憶力にムチうって山ほどの法規を覚えて、何度も検定や試験を受けて…
それで手にする免許と言うのは「これがなければ乗ってはいけない」からでしょう。
運転に関する法律はまず「免許があって当たり前が最前提」であるべきです。
調理師や医師などは、無免許で仕事をすれば、それだけで罪になります。反則切符で終わりません。
無免許で車に乗ったことが、最大の悪質な行為で、それだけで「未熟」でしょう。
免許なくても長時間運転していたから未熟とはいえない、危険運転が適用されない、こんな法律の不備はありません。
遺族が納得できないのも当たり前です。
亡くなった方が戻らないのももちろんですが、今入院しておられる方も、体にも後遺症が残るかもしれないし、
心の傷は一生消えないでしょう。
この法律の不備については、こんなことが起きるたびに声があがり、改正を求める話しが出ます。
ぜひ「正しく裁かれ、正しく償える」法律にしていただきたいと思います。
車の運転をする私も、いつ被害者になるかも、いつ加害者になるかもわかりません。
そうならないようにと、心がけることしかできませんが、万が一の時に、正しく守られる、正しく裁かれる、
そういう法律であってほしいと思います。
久しぶりにカッカとしてしまいました。
18歳 免許も持っていないのに運転する事自体
未熟なのではないか。
運転技術云々より 精神が未熟だって。
免許を持っていないのに運転を黙認していた 両親を含む周りの大人に罪は無いのか。
この先 この少年(達)は免許を取れるのか。
疑問だらけです
本当に納得できません。
被害者は名前も写真も全部出るのに…。
私、被害者が未成年の場合、重大な事件事故に限っては、
本人のかわりに保護者の写真を出せばいいと思ってます。保護責任者ですもん。
以前、被害者の写真で、子供の場合は入卒とか学芸会とか、
成人直後なら成人式とか、若い既婚者なら結婚式とかの写真をわざと出す。
それは「こんなにしあわせだったのに」というキモチを
見る人に起こさせるためだと…。
ひどい話です。
免許更新で、違反者は…というような所も読みましたが、
こういう人たちは、永久に免許が取れないようにしてほしいです。
私なんざあまりの怒りに理路整然と抗議する言葉さえ浮かばない有様。
法律の持つ融通の利かなさが、大切なときもあるのはわかっているのですが、
今度ばかりはどうにも納得できませんね。
自分の息子が無免許で運転したり、無免許と知っていて
やたら車の貸し借りをしていたり。
それを「しょうがないんだから」…くらいで、ほったらかす親も親です。
ほんとに全員の親の顔が見てみたい…です。