
写真はご近所のふよう、とススキ…もう穂が出ちゃってます。やっぱヘンですね。
「伝える」なんて、そんなにおおげさなことではないんですけれど、
続けて書いてきたことのまとめみたいなことでしょうか。
日本という国の歴史を、一軒の家に例えてみるなら(いいのかそんな例えで)
最初は掘っ立て小屋から始まり(卑弥呼の時代)、
少しずつ形を整えるも、あっちの屋根が落ちたりこっちの壁が崩れたり(戦国時代)、
あちこち補修し、補修でダメなところは改築増築し
なんとかとりあえず家らしくなった(江戸時代)…。
あれこれよく見れば決して快適とはいえなかったけれど、メンテをしつつ、
そこそこ暮らせていたところへ、ある日突然「リフォームしませんかぁ」と、
業者(異国)がやってきた。みるからに古い家で、ごまかしもきかないし、
それならいっそやるかぁと、業者を入れて直してみたら…。
スイッチポンでお湯が沸いたり、居間がフローリングの「リビング」になったり、
床下収納やクローゼットがついたり…こりゃあいいわと大変身。
しかーし、やっぱりたたみの部屋はあったほうがいい、ので残し
たとえアルミサッシになっても障子やふすまはあったほうがいい、ので残し、
シャンデリアのぶらさがった白い天井より、板張りの天井がいい、ので残し、
床暖房もいいけれど、囲炉裏も残し…。
ああなんと悩ましいビフォーアフターでやんしょー。
日本人ってよくばりなんですねぇ、結局。
でも、だからこそ「いいもの」をたくさん見つけられると思うし、
なにより「比較」ができるってことなんですよね。
生まれたときから、洋風モダンな家で暮らしてしまうと、
囲炉裏や障子・ふすま(つまり着物)は、ハナシには聞いていたけど
見るの初めて…なわけで、新しい使い方や色柄にしてしまうのも、
わからなくはないんですけれど、
元をよく知るということも忘れてほしくないのですよね。
またよそさまのお話で申し訳ないのですが、
あるHPの掲示板で
「風の強い日に、着物の上前を手でつまんで押さえて歩いていたら、
『着物に触るな』と怒鳴られた」と…。
まぁ世のお直しはおばさまにも「言い方」ってのを考えてもらいたいもんですが、
さて「着物に触るな」とは?言われたことありますか?
私は母に「着物を着たら、人前でやたらとあちこち直すな」とは教わりました。
それはたとえば「衿元にやたら手をやるんじゃない」とか
「人前でお太鼓のタレとか、脇のしわとかに手をやるな」とか。
つまり、着てからやたらと、あちこち触るなってことですね。
着物は着崩れてアタリマエのものではありますが、
歩きながらとか、喫茶店でお茶飲みながらとかに、
やたら「お直し」をするのはみっともない、というようなことです。
特別そう教わったというより、母と一緒にいて「やたらと衿さわらんとき」とか
「そないして上前ひっぱったらあかん」とか、その時々で聞いたた気がします。
あっ私の場合は「上前を触るな」ではなく、引っ張るな、でした。
これは、はだけないようにと思ってあまり引っ張ると、お尻のところがきつくなって、
ラインがはっきり出るとか、腰から下の背縫いがゆがむとか、です。
私は特によく衿に手が行くので、しょっちゅう言われていました。
衿元を直す動作が、いわゆる「艶めいた仕草」として、
男に媚びる仕草であるから、ということのようでした。
「お商売してるわけやないやろ」と、よく言われました。
まぁ職業で差別してはいけませんが、要するに「素人・玄人」ということですね。
強い風のときとかちょっと急ぐときなどに、上前を抑えるのは、
これは仕方のないことですが、目立たないようにと、
「こないして持ったら、めだたへんねん、着物掴まんとき」と、
実践ヘンでしたねぇ。
別に珍しい技というわけではありませんが、
まず手を「自然に脇にたらした高さ」で、手のひらを上向けて、
人差し指と中指の間に着物を入れる…

そのまま手のひらを内側に向けると、いかにも着物を摘んでます、とは見えない…

階段を上るときはこのまま上に引く…

間違っても、コレはしないでね、です。
たまに見ます、浴衣の女の子、しかも両手だったりする…。

母にきちんと聞いたわけではありませんが、
着物に関しての仕草というのは、いわゆる「媚びる」カタチに見えてはならない、
ということが多いように見えます。色っぽいとか、しどけないとか…。
たぶん、ですが、着物が多かった時代、その着方や、仕草で、
素人玄人、というのがはっきりしていたのではないかと思います。
特に母は衿を直すクセを「直せ」といいました。男に媚びるもっとも目立つ仕草だと。
たまには仕方がないけど、お前はしょっちゅう衿に手が行く…と
よく叱られました。直ってるかなぁ。
ちなみに仕草として、ですが、
女性は直したい衿とは反対の手で、男性は直したいほうの手で、がカタチいいのです。
上が女性、下が男性、男性が上のやり方をすると「オカマさん」っぽく見えます。
(あれこれひっぱって、グズグズですみません)

お直しおばさんに「着物に触るな」と叱られた方、お気の毒でしたね。
実際風が強かったり、いまなんて、ビル風なんて突然の風もありますから、
そりゃ、上前に手が行くのは仕方ないと思います。
そういう時は、やたらと摘んだり掴んだりしないように、さりげなく…。
普段歩くときは、膝をすり合わせる感じで小またに歩く、
ということでしょう。
それにしても、世の「お直しおばさま」がた、
確かに「なんて着方してんのよ」とか「アァあんなことして」とか
「全くイマドキの若いもんは」とか、お腹立ちのこともあるかなーとは思いますが
「そっとやさしく」「親切に」「笑顔で」オネガイします。
上から目線はいけません。押し付けもいけません。
「今日お直しおばさんにあって、いいこと教わった!」くらい、言われるように。
お互い「着物仲間」なんですから。
さて、最初にでてきた「障子」のお話し、以前すんでいたマンションの和室に、
サッシの内側に木枠をつけて障子がはめこんでありました。
前に住んでいた人が、元はなかったところにオプションでつけたようです。
障子を通した光はやわらかくて大好きで、ついててよかったぁと思っていました。
しかし、今の家にはないんです。おかげで障子の張替えもやらなくなりました。
昔の障子の張替えは季節の大仕事、母に言われて喜んでやるのは
「古い紙のはがし」、茶色くなってホコリっぽくなった紙を
えいっボコッと穴をあけて…それにむちゅうになって叱られました。
大雑把にはがしたあとは表に運び、母が冷たい水をホースでかけながら、
たわしでごしごし…はがし残りを洗い落として乾かして…。
乾くころには火鉢に「糊」ができてましたね。
障子紙は下の段から貼る、上から貼ると、重なり目が上向きになるので、
そこからホコリが入るから…という話を若い人にしてもわかんないんだよねぇと、
父に言ったら「おまえ、イマドキうちだって『全面1枚貼』だぞ…」
あぁ昭和はどこまで遠くなるのよっ。
「伝える」なんて、そんなにおおげさなことではないんですけれど、
続けて書いてきたことのまとめみたいなことでしょうか。
日本という国の歴史を、一軒の家に例えてみるなら(いいのかそんな例えで)
最初は掘っ立て小屋から始まり(卑弥呼の時代)、
少しずつ形を整えるも、あっちの屋根が落ちたりこっちの壁が崩れたり(戦国時代)、
あちこち補修し、補修でダメなところは改築増築し
なんとかとりあえず家らしくなった(江戸時代)…。
あれこれよく見れば決して快適とはいえなかったけれど、メンテをしつつ、
そこそこ暮らせていたところへ、ある日突然「リフォームしませんかぁ」と、
業者(異国)がやってきた。みるからに古い家で、ごまかしもきかないし、
それならいっそやるかぁと、業者を入れて直してみたら…。
スイッチポンでお湯が沸いたり、居間がフローリングの「リビング」になったり、
床下収納やクローゼットがついたり…こりゃあいいわと大変身。
しかーし、やっぱりたたみの部屋はあったほうがいい、ので残し
たとえアルミサッシになっても障子やふすまはあったほうがいい、ので残し、
シャンデリアのぶらさがった白い天井より、板張りの天井がいい、ので残し、
床暖房もいいけれど、囲炉裏も残し…。
ああなんと悩ましいビフォーアフターでやんしょー。
日本人ってよくばりなんですねぇ、結局。
でも、だからこそ「いいもの」をたくさん見つけられると思うし、
なにより「比較」ができるってことなんですよね。
生まれたときから、洋風モダンな家で暮らしてしまうと、
囲炉裏や障子・ふすま(つまり着物)は、ハナシには聞いていたけど
見るの初めて…なわけで、新しい使い方や色柄にしてしまうのも、
わからなくはないんですけれど、
元をよく知るということも忘れてほしくないのですよね。
またよそさまのお話で申し訳ないのですが、
あるHPの掲示板で
「風の強い日に、着物の上前を手でつまんで押さえて歩いていたら、
『着物に触るな』と怒鳴られた」と…。
まぁ世のお直しはおばさまにも「言い方」ってのを考えてもらいたいもんですが、
さて「着物に触るな」とは?言われたことありますか?
私は母に「着物を着たら、人前でやたらとあちこち直すな」とは教わりました。
それはたとえば「衿元にやたら手をやるんじゃない」とか
「人前でお太鼓のタレとか、脇のしわとかに手をやるな」とか。
つまり、着てからやたらと、あちこち触るなってことですね。
着物は着崩れてアタリマエのものではありますが、
歩きながらとか、喫茶店でお茶飲みながらとかに、
やたら「お直し」をするのはみっともない、というようなことです。
特別そう教わったというより、母と一緒にいて「やたらと衿さわらんとき」とか
「そないして上前ひっぱったらあかん」とか、その時々で聞いたた気がします。
あっ私の場合は「上前を触るな」ではなく、引っ張るな、でした。
これは、はだけないようにと思ってあまり引っ張ると、お尻のところがきつくなって、
ラインがはっきり出るとか、腰から下の背縫いがゆがむとか、です。
私は特によく衿に手が行くので、しょっちゅう言われていました。
衿元を直す動作が、いわゆる「艶めいた仕草」として、
男に媚びる仕草であるから、ということのようでした。
「お商売してるわけやないやろ」と、よく言われました。
まぁ職業で差別してはいけませんが、要するに「素人・玄人」ということですね。
強い風のときとかちょっと急ぐときなどに、上前を抑えるのは、
これは仕方のないことですが、目立たないようにと、
「こないして持ったら、めだたへんねん、着物掴まんとき」と、
実践ヘンでしたねぇ。
別に珍しい技というわけではありませんが、
まず手を「自然に脇にたらした高さ」で、手のひらを上向けて、
人差し指と中指の間に着物を入れる…

そのまま手のひらを内側に向けると、いかにも着物を摘んでます、とは見えない…

階段を上るときはこのまま上に引く…

間違っても、コレはしないでね、です。
たまに見ます、浴衣の女の子、しかも両手だったりする…。

母にきちんと聞いたわけではありませんが、
着物に関しての仕草というのは、いわゆる「媚びる」カタチに見えてはならない、
ということが多いように見えます。色っぽいとか、しどけないとか…。
たぶん、ですが、着物が多かった時代、その着方や、仕草で、
素人玄人、というのがはっきりしていたのではないかと思います。
特に母は衿を直すクセを「直せ」といいました。男に媚びるもっとも目立つ仕草だと。
たまには仕方がないけど、お前はしょっちゅう衿に手が行く…と
よく叱られました。直ってるかなぁ。
ちなみに仕草として、ですが、
女性は直したい衿とは反対の手で、男性は直したいほうの手で、がカタチいいのです。
上が女性、下が男性、男性が上のやり方をすると「オカマさん」っぽく見えます。
(あれこれひっぱって、グズグズですみません)


お直しおばさんに「着物に触るな」と叱られた方、お気の毒でしたね。
実際風が強かったり、いまなんて、ビル風なんて突然の風もありますから、
そりゃ、上前に手が行くのは仕方ないと思います。
そういう時は、やたらと摘んだり掴んだりしないように、さりげなく…。
普段歩くときは、膝をすり合わせる感じで小またに歩く、
ということでしょう。
それにしても、世の「お直しおばさま」がた、
確かに「なんて着方してんのよ」とか「アァあんなことして」とか
「全くイマドキの若いもんは」とか、お腹立ちのこともあるかなーとは思いますが
「そっとやさしく」「親切に」「笑顔で」オネガイします。
上から目線はいけません。押し付けもいけません。
「今日お直しおばさんにあって、いいこと教わった!」くらい、言われるように。
お互い「着物仲間」なんですから。
さて、最初にでてきた「障子」のお話し、以前すんでいたマンションの和室に、
サッシの内側に木枠をつけて障子がはめこんでありました。
前に住んでいた人が、元はなかったところにオプションでつけたようです。
障子を通した光はやわらかくて大好きで、ついててよかったぁと思っていました。
しかし、今の家にはないんです。おかげで障子の張替えもやらなくなりました。
昔の障子の張替えは季節の大仕事、母に言われて喜んでやるのは
「古い紙のはがし」、茶色くなってホコリっぽくなった紙を
えいっボコッと穴をあけて…それにむちゅうになって叱られました。
大雑把にはがしたあとは表に運び、母が冷たい水をホースでかけながら、
たわしでごしごし…はがし残りを洗い落として乾かして…。
乾くころには火鉢に「糊」ができてましたね。
障子紙は下の段から貼る、上から貼ると、重なり目が上向きになるので、
そこからホコリが入るから…という話を若い人にしてもわかんないんだよねぇと、
父に言ったら「おまえ、イマドキうちだって『全面1枚貼』だぞ…」
あぁ昭和はどこまで遠くなるのよっ。
最後のオチがとても可笑しくて笑っちゃいました。
先日、我が家も障子の貼替えをしました。
もちろん全面1枚貼りで、糊もチューブに入った既製品を買ってきました(笑)
言われますが、私も守れていませんわ。
急いでいる時の階段なんかは裾を踏んで
なるものかとわしづかみしてたり・・・
誰かに見られたらお恥ずかしい次第です。
以後気を付けますわ。
言葉遣いも所作も 本来は家庭での躾けの範疇なのでしょうが、いまは親も『おゆとり様』なのか その辺が忘れられている学生を見ることがあります。学生を見ると母親がなんとなく透けて見える時があるんです。自分に置き換えて考えてみると怖いです。アワワ(゜Д゜;)!!!
時代とともに変遷しても残しておきたい日本人の心意気がありますね。
そのまま同感です。
襟のつまみ具合、男と女の差が良く分かります。
映画の演技指導の様に。
小学生の時にチャンバラ劇団の公演が小学校でありました。
鬘にどうらんで化粧した又旅姿の座長さんが先生と話をしていましたが、小さな目や指の動作で男粋や女の色気が表現出来るとの話でした。
とても真似の出来る仕草ではなかったので感心した事を覚えています。
深いですね。
多分、その「お直しオバサン」もまた、自分では着ない人なんじゃないでしょうか?
着ている人だったら強風の時に上前を押さえるのは当たり前の仕草だと分かるはずですもの。
「触るな!」って、じゃぁ階段上るのに上前つままずに上がれるというのでしょうか?
やって見せて欲しいものですわ。
逆に、打ち合わせパッカパカで長襦袢の合わせまで広がって歩いている人を見たことがありますが、目のやり場に困るとともに、ちょっと押さえたら良いのに・・・と思いました。
着崩れの直し。
私、しょっちゅう触っている気がします。
ただ、よく着て歩くようになって気がついたんですけど、あまり触り過ぎても崩れるんですよねぇ。
着付けた時の要部分とのズレが出てくるのだと思いますけど。
この辺も、見苦しくない程度に自分で判断できるようになりたいものです。
自分、思いっきり指で上から押さえてました。握り締めてはいなかった…良かった(^_^;)
障子のお話、良く遊びに行ったお隣さんの家で聞いて覚えていました。
ここにも耳年よりな昭和人がいます(笑)
今の借家にもあるんですが、結露&防寒対策のためか破れない仕様のツワモノです。
最近はアイロン接着なんてのもあるそうで。
ほんとに便利になったのでしょうけれど、
なんか情緒もありませんねぇ。
実家の障子針の手伝いもなくなりました。
一枚全面じゃねぇ…。
いやぁ私もですよ。ついダレてすわったり、
テーブルにひじついたり…。
優雅とは程遠いですわ。
きをつけなくちゃ…。
訳すのはむずかしいでしょうねぇ。
なんといったらいいんでしょう。
こを見れば親がわかる…これはかわりません。
親の顔が見たい、と思うこともあります。
お互いの恥なんですけどねぇ。
恥そのものが、なくなってますしね。
舞踊などでも「男粋」「女艶」の仕草は
本当にきれいですね。
ちょっとしたことなんですが、
おぉっとみてしまうことがあります。
着物を着たら着たなりの…が、
あるんですけどねぇ。
また、こればっかりは「付け焼刃」がダメで
習慣なんですよね。