
写真は、以前ヤフオクに出した「銘仙」のハギレの残りです。
アルファベット柄ですね。着物であるとき着てみたかったです。
着物には、よく「文字」が柄になっているものがあります。
一文字が使われるものは「福」「壽」とか、またいくつかの文字の組み合わせだと
「判じ物」、代表的なのは「斧琴菊(よきこときく)」とか「かまわぬ」とか。
字も絵(デザイン)になるのは古今東西を問いませんが、
漢字、ひらがな、カタカナ、更にアルファベットまで使ってきた日本の柄は、
ほかの国の「文字柄」とは、一線を画したものを築き上げてきたのではないかと
私はそんな風に思っています。
それを柄に使うセンスもまたバツグンであったと思います。
日本人ってすごいんですよね。
こちらは「百壽」柄、全部「寿」の漢字です。
こういう柄は大きく使ってお祝い事の袱紗に使われたり、
帯柄にしてお祝い用の帯として使われたり…
ちなみにこれは元々襦袢でした。ハギレとして小物に作りましたが、
同じ柄でセット売りの予定が、そのまんまになっています。

コインパースやサプリ入れなどに使えます。

「おばあちゃまの還暦のお祝いに!」なんて考えているうちに、
自分が還暦ですがな…。
こちらはとても読めませんが、何かの文章…母から譲られた染めなおしの襦袢です。

こういうのはたいがい詩吟や長唄の一節などが多いのですが、
流れるような文字が、読めても読めなくても「いい柄」に見えます。
こちらは過日ヤフオクにも出したハギレ、元は襦袢で絵と文字の組み合わせ。
中途半端な字の出方ですみません。
こういうのは着物よりも襦袢や帯に合いますね。

日本人は「字」や「言葉」というものを、
とても大切に思ってきたのではないかと思います。
まぁよその国のことはよくわからないのにこんなことを言うのは、
たいへん僭越だとは思いますが、昔から「言葉には力がある」という
「言霊」信仰もあり、言葉を「発する」ことからして、
大切にしてきたのではないかと。
よく「言ったらダメ、ほんとにそうなってしまうから」なんて言いますね。
昔読んだ何かの本で、主人公に対して「あなたにいいことがありますように、
この言葉は真実となり、あなたを守ります」というような部分がありました。
「幸せに、ご無事で」と、言葉に出して贈ることで、
そうなると信じ、相手の幸せや無事を祈る、とても神聖でやさしいと思うのです。
今日の新聞の囲み記事で、とてもステキだと思う記事を読みました。
劇団四季の浅利慶太氏の自著にあるのだそうですが、
ドイツのソプラノ歌手「エリカ・ケートさん」という方は、
言語の響きや匂いに敏感であった…と。
たとえば「イタリア語は歌に向く言葉」「フランス語は愛を語る言葉」
「ドイツ語は詩を作る言葉」だと。なんとなくわかりますね。
とても鋭い感覚だと思いました。そのエリカさんに「日本語は?」とたずねたら、
「人を敬う言葉です」というお答えだったそうです。
思わずお辞儀しちゃいました。「ほんとだー」という思いと、
「いや、今はなぁ」という情けなさと…おほほ。
みょうちきりんな「丁寧語」が現れたのは、いつのころからでしょう。
「以上でよろしかったでしょうか」とか
「1000円からお預かりいたしまーす」とか…。
そして必要な敬語を話せる人が減っています。
けっこうな年の女優さんなどが、インタビューで、全体に丁寧に答えつつも
「お母さんは」とか「おじいちゃんが」とか言っていると、
なんとも違和感があります。
話している相手は、顔見知りのインタビュアーかもしれませんが、
それは「情報」としてテレビで流れるものであって、
聞く相手は「一般視聴者」です。
「母が」とか「祖父が」とか、それが自然かと思います。
いろんなものが変化していくのは仕方のないことですが、いいものは残したい、
と、こう書いてしまえば一行でたりてしまうことですが、
実際には難しいことがいろいろあるのが実情ですね。
言葉に限らず、着物でも季節の行事でも、消えていくのが惜しいものが、
たくさんあります。新しいものがうまれ、それがまた育って定着してゆく、
それが文化というものなのでしょうけれど、
「日本語は人を敬う言葉」という意味、外国のかたが、
その響きを耳にしてそう感じてくださる、
そういうものは、ぜひ残していきたいものだと思うのです。
最近、朝顔に、たまに蜂がきます。
先日その朝顔をフェンスごしに眺めていた小さい男の子がいました。
そこへぶ~~ん…と…やってきました。私が玄関から声をかけるより先に、
近くにいたおかあさんが「刺されるよっ!危ないから!」とすばやくよってきて、
彼の手を引きながら更に言いました。
「眼ぇ合わせちゃダメよっ!」…おかーさん、熊じゃないんですから…。
思わずクスッと笑ってしまいましたが、でも「ステキ」と思いました。
子供が蜂に刺されることを案じて、思わず出た言葉です。
男の子は下を見ながら、トコトコと手を引かれていきました。
文字や言葉って、本当に大切にしたいものだと、そう思ったことでした。
アルファベット柄ですね。着物であるとき着てみたかったです。
着物には、よく「文字」が柄になっているものがあります。
一文字が使われるものは「福」「壽」とか、またいくつかの文字の組み合わせだと
「判じ物」、代表的なのは「斧琴菊(よきこときく)」とか「かまわぬ」とか。
字も絵(デザイン)になるのは古今東西を問いませんが、
漢字、ひらがな、カタカナ、更にアルファベットまで使ってきた日本の柄は、
ほかの国の「文字柄」とは、一線を画したものを築き上げてきたのではないかと
私はそんな風に思っています。
それを柄に使うセンスもまたバツグンであったと思います。
日本人ってすごいんですよね。
こちらは「百壽」柄、全部「寿」の漢字です。
こういう柄は大きく使ってお祝い事の袱紗に使われたり、
帯柄にしてお祝い用の帯として使われたり…
ちなみにこれは元々襦袢でした。ハギレとして小物に作りましたが、
同じ柄でセット売りの予定が、そのまんまになっています。

コインパースやサプリ入れなどに使えます。

「おばあちゃまの還暦のお祝いに!」なんて考えているうちに、
自分が還暦ですがな…。
こちらはとても読めませんが、何かの文章…母から譲られた染めなおしの襦袢です。

こういうのはたいがい詩吟や長唄の一節などが多いのですが、
流れるような文字が、読めても読めなくても「いい柄」に見えます。
こちらは過日ヤフオクにも出したハギレ、元は襦袢で絵と文字の組み合わせ。
中途半端な字の出方ですみません。
こういうのは着物よりも襦袢や帯に合いますね。

日本人は「字」や「言葉」というものを、
とても大切に思ってきたのではないかと思います。
まぁよその国のことはよくわからないのにこんなことを言うのは、
たいへん僭越だとは思いますが、昔から「言葉には力がある」という
「言霊」信仰もあり、言葉を「発する」ことからして、
大切にしてきたのではないかと。
よく「言ったらダメ、ほんとにそうなってしまうから」なんて言いますね。
昔読んだ何かの本で、主人公に対して「あなたにいいことがありますように、
この言葉は真実となり、あなたを守ります」というような部分がありました。
「幸せに、ご無事で」と、言葉に出して贈ることで、
そうなると信じ、相手の幸せや無事を祈る、とても神聖でやさしいと思うのです。
今日の新聞の囲み記事で、とてもステキだと思う記事を読みました。
劇団四季の浅利慶太氏の自著にあるのだそうですが、
ドイツのソプラノ歌手「エリカ・ケートさん」という方は、
言語の響きや匂いに敏感であった…と。
たとえば「イタリア語は歌に向く言葉」「フランス語は愛を語る言葉」
「ドイツ語は詩を作る言葉」だと。なんとなくわかりますね。
とても鋭い感覚だと思いました。そのエリカさんに「日本語は?」とたずねたら、
「人を敬う言葉です」というお答えだったそうです。
思わずお辞儀しちゃいました。「ほんとだー」という思いと、
「いや、今はなぁ」という情けなさと…おほほ。
みょうちきりんな「丁寧語」が現れたのは、いつのころからでしょう。
「以上でよろしかったでしょうか」とか
「1000円からお預かりいたしまーす」とか…。
そして必要な敬語を話せる人が減っています。
けっこうな年の女優さんなどが、インタビューで、全体に丁寧に答えつつも
「お母さんは」とか「おじいちゃんが」とか言っていると、
なんとも違和感があります。
話している相手は、顔見知りのインタビュアーかもしれませんが、
それは「情報」としてテレビで流れるものであって、
聞く相手は「一般視聴者」です。
「母が」とか「祖父が」とか、それが自然かと思います。
いろんなものが変化していくのは仕方のないことですが、いいものは残したい、
と、こう書いてしまえば一行でたりてしまうことですが、
実際には難しいことがいろいろあるのが実情ですね。
言葉に限らず、着物でも季節の行事でも、消えていくのが惜しいものが、
たくさんあります。新しいものがうまれ、それがまた育って定着してゆく、
それが文化というものなのでしょうけれど、
「日本語は人を敬う言葉」という意味、外国のかたが、
その響きを耳にしてそう感じてくださる、
そういうものは、ぜひ残していきたいものだと思うのです。
最近、朝顔に、たまに蜂がきます。
先日その朝顔をフェンスごしに眺めていた小さい男の子がいました。
そこへぶ~~ん…と…やってきました。私が玄関から声をかけるより先に、
近くにいたおかあさんが「刺されるよっ!危ないから!」とすばやくよってきて、
彼の手を引きながら更に言いました。
「眼ぇ合わせちゃダメよっ!」…おかーさん、熊じゃないんですから…。
思わずクスッと笑ってしまいましたが、でも「ステキ」と思いました。
子供が蜂に刺されることを案じて、思わず出た言葉です。
男の子は下を見ながら、トコトコと手を引かれていきました。
文字や言葉って、本当に大切にしたいものだと、そう思ったことでした。
素敵ですね。
下の紫色の襦袢地、平家物語を連想します。
こういう長襦袢いいですね~。
お国言葉も色々ですが、発音でそんな風に
感じるなんて、なるほどと思いました。
スズメバチだったと思いますが、黒いところを狙う習性があると聞きます。
できるだけ、頭を手で隠して、あわてず、目を伏せて逃げ出すーーーだそうです。
まぁ、とんぼさんの朝顔に通っている蜂はスズメバチなどではないと思いますが、そう、覚えておくのはいいのではないでしょうか^^
言われてみると、なるほど…ですね。
長じゅばん、今はこんなのがなかなかありません。
昔は粋ですよね、見えないところのおしゃれも
すごいです。
あぁそうでしたね、確か山に入るときなどは
白い帽子に白いシャツ、などと言いますね。
このお母さんは、しっかり知ってたんですね。
そうすると、濃いサングラスなんかは、
ゼッタイダメですねぇ。
今来ているのは、ミツバチみたいです。
もうずいぶん前、熊蜂がきたことがありまして
さすがに、玄関出るときはじっくり確かめてから
そぉーっとでていました。
スズメバチはこわいですねぇ。
ぜったいお会いしたくない相手です。
正しい情報、ありがとうございました。