
昨日よりは、ずいぶんよくなりましたが、朝一仕事終えて、9時頃からお昼近くまで寝てしまいました。
そのかいあって?目覚めたらけっこうすっきり。鼻もOK咳もOK、
ちょっと喉がゴロゴロが残っている程度です。
大事にしないと年越しも近いし…なので、午後も無理せずに過ごしました。
脚立を出したり、ダンボール運んだりはナシにして、ちまちまとファイルなどお片づけ。
何か気になると切り抜いたり、コピーしたりのものがなんだかいっぱい…。
透けて見えているのは「いつか作りたい…」だけでとってある「ドールハウスの写真」。
そんな中で出てきたのがトップ写真。これは古い「暮らしの手帖」のなかから切り取ったもの。
日本の捕鯨は、いまや風前の灯ですが、昔は南の方ではとても盛んだったし、
鯨は捨てるところがない…で、食べる以外に日常生活のさまざまなものとして、
文字通り「あますところなく」使われたものです。
この絵は、今の長崎県五島列島の鯨組(鯨専門の、今でいう漁協みたいなものでしょうか)の長が、
絵師に描かせた「鯨絵絵巻」というもので、鯨漁の様子から、浜へあげてからの解体、
そしてそれぞれの部分の加工、最後に「ご苦労さん会」の宴会まで描いてあります。
当時は冷蔵や冷凍の技術も方法もありませんから、とにかく捕れたらすぐ引き上げ、解体、
加工処理…と、それこそ村中総出でやるわけですね。
皮を剥ぎ肉をとり、絞って鯨油をとり…その先は骨を挽き、細かくした骨は粉にし…と、
これはその「骨を砕いているところ、更に細かく粉にしているところ」。
鯨の骨は、絞るとまだ油が出るそうで…。また肥料とか飼料にもなったのでしょうか。
太鼓持ってる人は、きっと音頭とりでしょうね。風俗としても、髪の様子や着物の様子など楽しいです。
これを見ていて思い出したのが、日本髪の道具…。鯨のひげが使われていました。
ひげといっても、人間や獣などのように、口のまわりに生えているものではなく、
口の中側に生えている、ブラシのようなもの、これはろ過摂食、つまり「濾して食べるためのもの」。
ひげだのブラシだのといっても、我々が使っているブラシなどとは大きさも太さも違います。
たいへん柔軟で、しかも丈夫なものでしたから、例えば時計やからくり人形のゼンマイなどに使われました。
弓にも使われると聞いたことがありますが、今でも使っているのかな?
とりあえず、鯨の絵から思い出して、引っ張り出してきました。
こちらの本、みたまんま日本の髪型。鯨のひげは、日本髪を結うためにも使われました。
表紙の髪型は「春信風島田」。前髪や鬢(びん)は、おとなしめですが、
つと(関西ではたぼ)が後ろにびょーんと伸びています。セキレイの尾のようなので
「せきれいづと」または「かもめづと」と呼ばれています。
この「つと」の中に入っていたのが「つとはり」と呼ばれるもの。
10番の方です。写真は、本の中から写しました。著作権侵害ですみません。
もちろんこれは現代のものですから、ひげではないとおもいますが。
時代によって髪型はいろいろかわりましたが、つとが伸びると鬢は小さく、
つとが縮むと鬢は大きく…おもしろいものです。
鬢が張るようになると、つとはり、ではなく「鬢はり」が使われました。
向こうが透けて見えるといわれるほど薄く仕上げた「とうろう鬢」という結い方がありますが、
薄くとった鬢をしっかりはらせるのも、鯨のひげ…だったわけです。
今、化学の恩恵…と称して、私たちはいろいろな化学物質を活用していますが、
さまざまな化学物質が使われ始めたころ、あの東京夢の島で、
ナイロン製品やビニール製品が、ゴミの山の中でいつまでも朽ち果てない。
それで鳥が飲み込んだり、テグス糸が絡んで足が腐って落ちたり…。
やがてペットボトルの行き先に問題が起きたり、いまやプラ製品のゴミは分別で集められてます。
自然のものだけで生きていくのは、これだけの人間が地球にあふれている以上、
とてもムリなことだとは思います。それでも「だからしょうがない」ではなく、
少しでも使う量を減らすとか、使った後の始末をどうするかとか、ずっと考えていかなければならないし、
その始末の考えようがないものは…埋めて10万年待たなければならないようなものは、
使うべきでないと思います。そんなものを未来の人に、残してはならないと思います。
いくつものクリアファイルの中を、全部出して分別しました。半分捨てました。
ゴミ捨ててごめんなさい。でも、これは普通に燃えて灰になります。お許しを。
食べていました。
奈良に来た頃はおでんの中にくじらの
コロを入れて食べる事も知りました。
今よりもっと身近でしたね。
好き嫌いは別にして、クジラって本当に
余すところなく使える事を考えた昔の人は
スゴイなと思います。
今は載ってないんでしょうね。
江戸時代の話なんかを読むと、鯨だけでなく、いろいろなものを使い切っていたんだなあと思います。
そういえば、鯨尺というのは鯨のヒゲを裁縫用の物差しにしたことから付いた名前だそうです。
布に沿って伸ばしても、ぴんと張って今の巻き尺のようにたるんだりしなかったので、測りやすかったそうです。
織物の先生に聞いた話ですが。
コルセットの為に捕獲してた人たちに言われたくないです。
調子治って良かったですね。無理しないでくださいね。
切り抜き私も溜まってる><
15日にジョーンフォンテーンさんが亡くなったそうです。
大好きな俳優さんでした。「レベッカ」DVD持ってるの。
ピーターオトールさんも
そんなに時がたったのかしらと思うことです。
あのちょっと毒々しい赤、思い出します。
いまや貴重な食材…。
イヌイットの人たちの生活をテレビでみましたが、
やっぱりあますところなく使う…。
今、時間が来ると捨てられてしまう食材の多いのが
問題になっていますが、なんかヘンだと思っています。
昔の人が見たら、驚愕するでしょうね。
自然の中で、自然の恵みを使い切る…。
それが一番いいのでしょうけれど、
ナニが豊かになったのか、よくわからない時代です。
鯨のひげは、ゼンマイに使われたくらいですから、
丈夫で、柔軟で、なおかつ復元力もあるものだったのですね。
それに気がついて、使い道を考えた昔の人の知恵にも
オドロキです。
ほんと「いわれたくない」ですね。
あのグリーンなんたらいう組織のひとが、
捕鯨の町であれこれ叫ぶのを聞いていて
「だったらあんたたちは全員ベジタリアンか。
鯨はダメで、ウシや鹿やウサギはいいのか」って、
いいたくなりましたよ。
切り抜き、今日もまた少し、モタラモタラと広げました。
年経って黄色くなった新聞の切り抜きなんか、
なんでとってあったのかもわからなかったりして…。
今は生きる為に鯨を食べる必要はなく、いわば「嗜好品」になりましたから…
以前住んでいた伊東では、和歌山の太地と並んで国内で2ヶ所だけの「イルカ漁」の伝統があります。今も毎年、漁には出るそうですが、実際はもう何年もの間、イルカは捕れていないのだとか。
それでも、地元ではイルカを食べる伝統があり、スーパーに切り身が売られていました。仲間?だからか、鯨にそっくり。まさに「獣肉」なのですが、鮮魚売場に置かれていました。
他の土地の人に話すと、決まって「(イルカが)かわいそう」と言うんですよね。
これって、欧米の人が鯨に対して抱く思いと同じではないでしょうか?
伝統的な食文化は、他の文化から貶められてはいけない、とは思いますが、国内でもそれはあるのですよね。
こうしてすべてを使い尽くすという事は素晴らしい事ですね。
便利な時代になりましたが、ごみの日には山のようなごみとも言えないごみを捨てる今の生活はどこか疑問を感じますねえ~
鹿とか猪とか、蜂の子とか、その土地その土地で、
いわば地産地消であったものは、
昔は当たり前にあったはずなんですよね。
広く知られるようになると、見た目や自分の感覚で
モノを言う。
見た目がかわいかったり、別の一面の情報があふれたりで、
かわいそうとか、もったいないとか言いますが、
じゃつぶらな瞳のウシさんは、かわいそうじゃないの?です。
人間はたくさんの別の命を、時には文化のために、時には
遊興のために、奪っているのですよね。
謙虚でなければと思います。
使い切る、ということは、それに対する感謝でもある…
だと思うんですよね。
言ってる私だって、けっこうズボラしてますけど。
昔の人は、知恵の塊…と思いますね。
明日、ゴミをたっぷり出すのですが、片付けながら、
大反省したり、何でこれは直したくても部品がないんだろと
思ってみたり、フクザツでした。