ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

子供の着物柄 ー追記ー

2007-09-16 12:57:24 | 着物・古布
先日お話しいたしました「子供の着物」の戦争柄について。
文章にも「これはまた別に」と書きました。
今日はそれを書こうと思います。

私は今まで子供の古着をみつけても「戦争柄」は避けてきました。
実は今になって「あ~買っときゃよかったぁ」と後悔しているのですが…。
私が子供の着物の「戦争柄」を買わずにきたのは、
戦争(国や軍隊)というものが、子供の着物の柄にまで「戦意」を奨励し
製作製造まで支配し、ある意味「洗脳」していたような…、
そんな思いがあったからです。
ところが、過日お話しした「着物柄にみる戦争」という本を見て、
ちょっと思いが変わりました。

かの本に書かれていることを、短文で紹介するのはちと難しいので、
興味のある方は、お読みになってみてください。

「図説 着物柄にみる戦争」編著 乾 淑子

一言では説明できないのですが、要するに、私が考えていたような
国家や軍部というものが、江戸時代の奢侈禁止令のように
「できるだけこういう柄をつくりなさい」という命令系統を以って作らせたとか
「戦争柄のものについてはそれを製作販売するなら、優遇する」というような、
いわば「圧力をかけた」というようなことはなかった、ということです。
戦争柄はむしろ、「時期に応じてたくましい商魂により製作販売され、
国民もまた珍しいとかすばらしいという感覚で、こぞって買い求めた」
ということらしいのですね。
その結果「戦意高揚」につながった…といったらあまりにも乱暴な言い方ですが、
ヒトラーのような計算ずくの「プロパガンダ」ではなく、
結果的にそうなった、という傾向ですね。著者の言葉を借りれば
「今『迷彩柄』を着ている若者が、戦争協力を考えて着ているわけではなく、
ファッションとして着ているように…」です。
それでも、結果的にそれが巷にあふれたわけですから、
影響は与えたということになるのでしょうね。

ひとくちに戦争柄といっても、これもまたあれこれ時期とか柄とか、
いろいろあるのですが、今回取り上げた「子供の着物」ということでは
「モスリンにきれいに染められる」という技術が高まった大正以降です。
それ以前のことは今回省きますが、安価できれいな子供の着物の柄としては、
やはり「マンガっぽいもの」がはやりました。ポンチ絵ですね。
三頭身のかわいい子供が銃を持っていたり、戦闘機に乗っていたりです。
私が敬遠してきたのは、まさにそういう柄なのですが、
今になったらほしかったーです。

さて、なんか中途半端で申し訳ないのですが、
私としては「戦争柄は、国が国民に強いたものではなかった」ということが
わかって、なんか気が抜けた…?すみません自己満足で…。
ここまでお付き合いいただいたのですから、とんぼはこれで納得したのよー
でおわってしまっては申し訳ないです。
そこで、この本からみつけちゃったおもしろいこと、をひとつ。

この本の最後のほうに「新聞報道と戦争柄着物」という項があります。
内容はややこしくなりますのでまた省きますが、
そこに一枚の「襦袢」のモノクロ写真が載っていました。
「熱河大討伐襦袢」と説明がついています。

幸い、出版会からお許しをいただきましたので、
本の中の写真を一部お借りして掲載させていただきます。


     

 乾淑子様所蔵、『図説 着物柄にみる戦争』2007、p.135より


   


下の写真は、以前にもアップしたことがあります。ヤ○オク落札もの。
同じものであることをお分かりいただけると思います。
「新聞社の売り子さんが着ていたと思われるはんてん」です。
このはんてんを手に入れたとき「朝日新聞」の字があまりにリアルでしたので、
直接問い合わせをいたしました。
丁寧なお返事をいただきまして、この「記事」は昭和8年の
実際の記事であること、当時は新聞の販売合戦が激しく
それぞれの新聞社で雇った売り子が街頭での販売合戦をしていた、
そのときのいわば「ユニフォーム」であろう、というお返事をいただきました。
ちなみに「飛行機」は戦闘機ではなく「社機」、
ジャイロプレーンというのだそうです。
朝日新聞社にも、こういったものの資料も現物も残っていないとのことでした。
現物はこんなはんてんです。





さて、ここで「あれっ?」となりました。本に出ていたのは「じゅばん」です。
会社が「ユニフォーム」として使っていたものが、なんで…ですが、
ああそうか、これは会社が自社のために染めさせたものではなく、
商魂たくましい「製作側」が、大勝した戦争を題材にして染めた反物であり、
物好き…いやいやそのぅ珍しもん好きのどこのどなた様かはじゅばんにし、
朝日新聞社は「おっこれいいじゃん」とユニフォームに使った、
ということではないかと思います。そうなると、当時の新聞社はもうひとつ
「毎日」があります。「毎日新聞」が柄になった反物も、
きっとどこかにあるのではないかと、ワクワクしちゃったりしている私です。


<追記> 上の「はんてん」についての記事は<まだブログをはじめて間もない
       2005.12.3の記事「新聞の勧誘じゃありませんから」で
      ごらんください。


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8 コメント

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Unknown (ミッチ)
2007-09-16 17:32:49
銃や戦闘機の柄は帝国主義的プロパカンダの象徴では必ずしもないことを知りました、北のどこかの国とは違ったんだ。時代には分からないことがまだまだ、沢山あるな~勉強しないと恥をかくばかり・・・
返信する
Unknown (花兎)
2007-09-16 17:53:31
すごい!
縁を感じます~
このはんてんが、とんぼさんのところにきていたからこそ、わかった話ですよね。

著者の乾淑子さんが、論文や図録の目次を公開していらっしゃいました。
http://www.inui-zemi.com/sb.cgi?cid=1
返信する
Unknown (蝸牛)
2007-09-16 22:29:48
面白いですね、着物の柄ひとつにも、時代を反映している!

当時の人たちは・・結構カッコイ~と思っていたのでしょうから・・・
新聞の売り子さんのユニホームというのは・・・・
これは面白い・・これは立派な歴史資料ですね。
返信する
Unknown (陽花)
2007-09-16 23:21:53
迷彩柄っていうと自衛隊というイメージが
あるのですが、これもファッションなんですね。
戦争柄の着物もやはりその時代の押し付けじゃない
ファッションだったのですね。
返信する
遅ればせの休養中です・・・ (ヒロをぢ)
2007-09-17 00:18:54
 8月にちょいと忙しい思いをしましたので、今頃になって休養をしようと思いました。しかし、世の中なかなかそう甘くは行かないもので、いざ「遊ぶぞ!」と思っても突然の呼び出しがあったり、あれやこれや計画を詰め込んだりしているうちに普段よりハードな時間割になってしまったりで、この4日ほどは反って披露が溜まってしまいました。とんぼさんのようにマイペースを保つのが一番良いのかもしれませんね。

 着物に《戦争柄》というのがあるということを始めて知りました。読んでいて思ったのは、同じようなことが私の趣味である漫画にもあるようだ・・ということ。有名なところでは戦前の漫画の『タンクタンクロー』。作中、架空の国と戦争が始まったことを民衆がまるでお祭りのように「センサウダ、センサウダ、」と浮かれ騒ぐシーンがあります。核を初めとする究極の大量破壊兵器が登場する以前の牧歌的な時代には戦争といっても規模の大きな喧嘩・・くらいの意識しかなかったのかもしれません。その後『のらくろ』等の漫画が戦意高揚のために利用された時期もあるようですが、必ずしも作者がそのような意図で描いた作品だったわけではありません。軍部のプロパガンダに誘導された部分は確かに大きかったのかもしれませんが、明治~大正期には大衆が戦争による恩恵に期待をしたことは間違いないようで、相互が補完し合って歴史が紡がれたというのが正しいのではないでしょうか?自虐だとか先祖を愚弄するという理由で過去を捻じ曲げて美化する傾向には虫唾の走る思いがしますが、さりとて全てを悪であると切って捨てるのもまたいかがなものか・・とも感じます。事実は事実として冷静な目で過去を認識し、それにしがみつく事無く穏やかな未来を築くことが現在を生きる人間の使命ではないのか・・、等と生意気なことを考えるものではあります。
 すみません、ちょっと《らしくない》ことを書いてしまいました。
返信する
Unknown (とんぼ)
2007-09-17 13:22:47
ミッチ様
モノは言葉では語りませんから、
思い込みは禁物ですね。
この戦争柄の子供の着物は、今すごく少ないのです。
先入観で、いい物を逃してしまって、今となっては
あたしってバカバカバカ…なんですー。


花兎様
HPのご紹介、ありがとうございました!
さっそく行ってきました。
着物でも「縁」というもの、感じることが
よくあります。不思議なものですね。


蝸牛様
作りの雑なはんてんだったので、
私もへんなものだなぁと思っていたのです。
わかってみれば…ですね。
ほんとに面白いものです。


陽花様
そうなんですよね、言われてみれば…、です。
ウチなんてバサマが「迷彩」着てますよ。
色目が渋くていいって…。
そんなもんなんですね。


ヒロをぢ様
お疲れ様の夏でしたね。でも「本棚」も完成!
結果が残れば、オールOKですよっ。

戦争に関しては、本当に不幸な時代、
絵や文学、演劇などの分野は、制約受けたり
利用されたり…たいへんだったんですよね。
明治のころの「戦争」に関しては、
おっしゃるとおり「大きなケンカ」程度の感覚、
なにしろ内乱しかない国で、しかもその内乱すら
270年もおきなかったんですから、
人心が「戦争」を正確にとらえられなくても、
ムリはなかったんでしょうね。
昭和に入ってからの戦争は、自分たちが
直接しめつけられることになって、
本当にひどいことが続いたと思います。
正確に知ること、深く知ることは、
とても大切だと思います。
着物の柄一枚でも、それはその時代を
生きてきたものなのですから。
読み取る思いを持ちたいと思います。
私も「らしくない」っすかね。

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戦争は一言で語れない代物 (otyukun)
2007-09-17 17:40:15
命が地球より重いという言葉に同意は出来ませんが、戦争は時の政治家に取って命に代えても避けなければならない事だと思います。
ただ戦争が近ずくに連れ国民の高揚感は如何ともし難い程に高まります。
これはどんな国でも見られる現象で、そんな時に戦争反対を唱えれば袋だたきに合ってしまいます。
あれだけ理知的な民族であったドイツ人だって、ヒトラーの独走を許し、ましてやユダヤ人の大虐殺を止められなかったのですから。
悲しい事ですが、人間の本能の中に戦う事が好きな部分があるとしか思えない所業です。
戦争柄はそんな高揚した精神構造の中で作られたのこも知れません。

今、日本国中が中国たたきを熱心にやっています。
確かに非常識で私も好きな国ではありませんが、歴史上後方援助はしても自ら外国へ向って発砲した事の無い国です。
国民がマスコミに煽られ、一方にだけ向き始める危険は避けたいものです。
返信する
Unknown (とんぼ)
2007-09-17 20:46:40
otyukun様
「群集心理」というのもありますし、
今私だって、自分以外のものが全員「白」といったら
一人で「黒」とは言いづらい…。
「闘争心」というのは、人間誰でもある、とは
よくいいますが、それが本能的なものであるとすれば
それをいかに抑制できるか、それが知恵というもの
と、言葉で言うのは簡単なんですけれど。
今の時代「行列のできるなんとか」とか
「ブランドに殺到」とか、そういうことを聞くと、
今の人間って情報に弱いなぁと思います。
ラーメンとバッグですんでいるうちはいいですけどね
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