身内の話になりますが、身内の一家族が40年近く住んでいた家を売って、
同じ市内ではありますが、マンションに越すことになりました。
もうとっくに定年退職した身ですが引っ越すなら、一年でも若いうちのほうがいいだろう、
ということで、駅前の新築マンション(まだ建設中・かなり大型)に、決めたとのこと。
子供は一人、いまどき事情の典型で、40過ぎて未婚です。
なのでこの先も親子3人で…というわけです。
私はマンションも戸建ても住んでますから、メリットデメリット、どっちもわかるつもりです。
新しいところならばセキュリティもしっかりしているだろうし、
個人の家のように、自分で気にしなくてもいろいろな検査など、定期的にやってくれますし…。
商店街のまんなかみたいなところなので、すぐそばにスーパーとか、病院とかありますし、
高齢になってからは、便利だろうなと思っています。
割と夫婦で社交的なので、誰も来なくなるとかはないだろうし…。
あとは「マンション」という建築物に、順応できるかどうかですね。
子供のころから昔ながらの日本家屋で、広い玄関に大きな仏間、そんなところで暮らしてきましたから…。
マンションの間取りを見ましたが、オーソドックスな間取りで和室はありません。
小さい子がいませんから、穏やかに暮らしていくことだろうと思っているのですが…。
古い家の方は、幸いすでに買い手が決まっていて、心配はないのですが、
本人よりお嫁さんのほうが「先祖代々、この地にみんな住んできたのに申し訳ない」と、
そんなことを言っていました。
最近、友人などでも、子供が戻って住みはしないだろうから…と、
夫婦二人の「終の棲家」を考えたりしている人がいます。
子供が生まれ育った家に、里帰りできなくなる…という思いはあっても、
いずれどちらかが残ったらとか…昔の暮らしでは、なかった悩みですよね。
お墓事情とか、終の棲家事情とか…。
母は、私が結婚するまで「年を取ったら京都の実家近くに、ちいさい家買って住む」と、
ずっと言い続けていました。父も一緒にいくと言っていたので、こちらではずっと借家住まい。
それが、私が千葉、といっても本当に東京のトナリみたいな近くなのですが、
そこに嫁いだら、来るのに電車とバスを乗り継いで2時間半かかる…。
それで「あまり離れると、お互いになにかあったとき、行き来が大変」と思ったらしく、
「もうえぇわ。こっちで暮らす」と突然言いまして…それで家を買ったわけです。
つまり、今の実家、私実際にそこで暮らしたことはないのです。
お墓は最初から「あとあと管理するものが大変だから、こっちに」と、それでこちらにあるのですが、
家も結局は、こちらになったわけで…。
幸い私も、主人の勤め先が本社移転で東京になったため、横浜は通勤圏内…で、
こちらに戻ってこられましたが、もし母が京都に越していたら、もしお墓もそっちで求めていたら…
そう思うと、大変だったろうなぁと思います。
少子化や核家族化で、今の時代「終末期」のことを考えると、悩ましいことです。
今回のように、先祖からずっとその地にいたのに、同じ地区とはいえ、
生まれ育った場所を離れることは、いろいろ思い切ることもあろうかと思います。
来年春に備えて、家の中の整理も始めた…と言っていましたが、
古い家ほどモノはある…のが世の常、片付かない~と、今から言ってます。
私思わず「元の本家とか、そういうところから伝わってる道具とか、やたら捨てないで教えて」と
頼んでしまいました。なんとゲンキンな…。
私はノーテンキな性分ですから、将来たとえこの土地を離れることになったとしても、
別にどこでも生きて行けるさ…と思っています。
ただ、今になってふと思うこと。
結婚して18年くらいですか、市川市、船橋市と暮らしたわけですが、
それなりに友達もできたし、特に船橋は高台のマンションで景色よかったし、
花火は毎年ベランダから見放題だったし、いい病院も近かったし、
買い物など日頃のの暮らしになんの問題なかったし…。
だから住んでいて嫌だったとか、二度と住みたくないとか、そんなことは思わないのです。
それでも、こちらへ戻ってふと考えると「いつもよその町で暮らしている感覚があったかな」と…。
元々が横浜で生まれ育って28年もいたところですから、
たとえ定まった場所に実家がなくてもそれが故郷、という感覚なのだと思いますし、
昔、転勤族の友達が、物心ついてから長くて3年しかいなかったから、故郷ってどこよ…だよ、と
そう言っていたことを思い出すと、やはり私には故郷があるのだ、と思います。
そんな感覚から言うと、母が最期は京都で…と言っていた気持ちが、わかります。
引っ越しを控えた身内は、親どころか祖父祖母の時代より更に前から、
その土地にいたわけです。まぁ今度の場所も車で30分くらいしか離れてはいないのですが、
私とは別の「寂寥感」というのは、あるのだろうなぁと、そんなことを思いました。
人生の終末をどこで迎えるのか…誰にもわからないことではありますが、
少なくとも「帰りたいと思う場所」があるだけでも、幸せなことなのだろうと…。
「着物があるかもぉ」なんて言ってたお嫁さんの言葉にホクホクしつつ…
そんなことを思いました。
おかなければと思いつつ何事も必要に
迫られないとただ漠然と思っているだけで
青写真も無く・・・です。
いくつまで生きるのかころっといけるのか
長患いするのか何も分からない状態で先の
事を考えるのはしんどいことですね。
身内は、相続のことも考えて…みたいなこと言ってました。
今、周囲にも「相続」を考えている人もいます。
おちおちゆったり年も取れませんね、全く。
北国での高齢者の生活は厳しいので、住み替える方はマンションへという風になってしまいました。
1軒屋はどんどん取り壊されて空き地になる。
街の様子もどんどん変わってきましたね~
古い建物が壊されていくのは本当に残念です。私にお金があったら買い取るのに、と歯ぎしりをしています!
羨ましくもあり、残念な感じもありの複雑な心境です。
確かにマンションのほうが、雪かきや庭の手入れなど
しなくてすみますしね。
今後もふえてゆくのでしようねぇ。
独居老人がなくなったり、施設に入ったりしたあと、
その家が廃屋になって…というリポートがあります。
私もあれを見るたびに「あぁぁ」と思っています。
相続する人がいたとしても、税金やら費用やらで、
てを出さないとか。もったいなーい、ですよね。
古民家だったりすると、私も歯ぎしりです。