![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d0/0a8c6b91960a8054417f48ed2d2bea21.jpg)
「ひっぱり」の話題でひっぱります。(さぶっ!)
昨日、ひっぱりのお話で「作るほう」のお話しがちょっとありましたので、
そちらのほうのことを少し…。
昨日、作務衣がどーの、ひっぱりがどーの…というお話しをしましたが、
実際、このひっぱりとか作務衣というのは、着物のように
きっちりと形が決まっていないところがあります。
いえ、もしかしたら、決まっていたのかもしれませんが、
元々が「働き着」ですから、自分の都合に合わせて、
或いは作ろうと思っている生地の量に合わせて、変えていいわけです。
要するに「ひっぱり」「水屋着」「作務衣」の基本的な作りと長さでの分類、
これをきちんとしておいて、あとは自由…ややこしいけど。
それとコメントでもいただきました「呼び方」、
「ひっぱり」というのが、いつごろからの呼び方なのかわかりませんが、
私の母は京都出身なので、関西の言い方なのかもしれません。
昔の本では両方出てきますが、時代が下がると「上っ張り」がほとんどです。
またこれは着物の歴史の特徴ですが、戦後、なんとか洋装に対抗?しようと、
いろいろなものの呼び方を変えたりしていますが、
昭和30年代は「キッチン・コート」「ホーム・コート」などの呼び方で書かれており、
しかも、和風の元々のひっぱりのカタチはほとんど見られず、
何かと「洋風」「モダンなカタチ」にしようという涙ぐましい努力が見られます。
したがって、出てくる写真はけっこうこんなのです。
着てみたくはなりませんが…下は「草笛光子」さん「スタジャン風?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/76/a1387e1d718eb2b9e6e1110b434f1f94.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2d/549e34d74b60465dfb3571f07f71b623.jpg)
まぁ昭和30年代の本では、ほとんど家庭着はこのタイプの、
なんか考えすぎて、作るのがめんどくさそうなものが多くなっています。
着物には似合わない形…だから残らなかったのですね。
さて、そうなると…なんですが、昔は「ひっぱり用」として、
木綿とかウールの専用の半反分の生地が売られていたのですが、
今はさがすようでしょうね。もちろん、古い木綿着物やウールなどでもできます。
カタチなんですが、二つに分かれます。衿が下まであるかないか、です。
上の写真をもう一度出します。衿は途中までで、要するに「褄」部分があるわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d0/0a8c6b91960a8054417f48ed2d2bea21.jpg)
一方こちらは友人にもらった「作務衣」の上だけ。ごく現代のモノです。
衿の部分を見てください。柄がこんなですので、衿の部分に線を引きました。
黒い線が左身頃の衿、赤いのが右身頃の衿です。
衿が下までありますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/93/a353d75033dba4f0f0ec57f0da3bc67d.jpg)
これはお好み…ということだと思うのですが、
見てわかるように、衿の「Ⅴ」字が下のほうがせまいですね。
丈が短ければこれでもいいのですが、丈が長くなると襟元を深く合わせないとあきますから
裾つぼまりが強くなってちょっと動きにくくなります。
これは昭和57年の本(私の手持ちの古本の中ではご~く新しい時代のものです)
短いので衿のままでもすっきりです。これはリバーシブル。
(ポンチョは左のページでして、ここには出していません)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/52/ac725c802aed6c93785a9b43ddb243f9.jpg)
似たような時代なのですが、こちらは「おくみ」をつけたもの。
和裁の本なので実物の写真はありません。
トップ写真タイプで、さらに「おくみ」がついていますから、
丈を長くしてもラクです。水屋着はこのタイプですね。
これには「馬乗り(脇のスリットのこと)」がついています。
これも丈が短いものにもつけておくと、動きがラクになります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/46/0def1e455f86e93f7158d740799984de.jpg)
ちょっと長い…けど「水屋着」ではなくて
かつて着物で事務仕事をするのがアタリマエだった時代の「着物用事務服」
セルの袴から作ってあるのですと。昭和8年の本です。
「キッチン・コート」より、かっこよく見えるなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/84/000c52f61b2db75105252c7c943ee35f.jpg)
私の手持ちの古本は昭和ひとケタから、新しくても40年代くらいがほとんどです。
戦後モノ30年代の本がけっこうあるのですが、
上にも書きましたとおり「洋装に追いつき追い越せ」の時代です。
つくづく思うのですが、和装の中で勝手にカタチや名前をこんな風にいじれるのは、
働き着と上に着るもの、つまり「コート」類しかなかったんですよね。
元々着物の上に着るものは「羽織・道行・被布」くらいだったわけですが、
まぁそれの変形で「雨コート」とか「和装コート」というものが考え出され、
千代田衿とか都衿とか道行衿とか…。
それが一気に「洋風モダン」にはしりましたから、
丈の短いこんなコートがたくさん載っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/48/2379f4ede3e7506f206a6388db683613.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/51/8bd3cc52af15f90d808e1a0429dc8c1d.jpg)
元々の和装では、どうも変化させられない衿を、思いっきり大きく…。
首に浮き輪をはめてるみたいだし…。
それまでは和装では使われない「毛皮」とか「ヒョウ柄」なんかにも憧れたんですかね。
こうしてみると、やっぱり「和装」には「和装」の特色があり、
しっくり合うものや、使い勝手のいいものが結局残っていくんだなぁと…。
というわけで…ひっぱりでひっぱったお話しはオシマイです。
昨日、ひっぱりのお話で「作るほう」のお話しがちょっとありましたので、
そちらのほうのことを少し…。
昨日、作務衣がどーの、ひっぱりがどーの…というお話しをしましたが、
実際、このひっぱりとか作務衣というのは、着物のように
きっちりと形が決まっていないところがあります。
いえ、もしかしたら、決まっていたのかもしれませんが、
元々が「働き着」ですから、自分の都合に合わせて、
或いは作ろうと思っている生地の量に合わせて、変えていいわけです。
要するに「ひっぱり」「水屋着」「作務衣」の基本的な作りと長さでの分類、
これをきちんとしておいて、あとは自由…ややこしいけど。
それとコメントでもいただきました「呼び方」、
「ひっぱり」というのが、いつごろからの呼び方なのかわかりませんが、
私の母は京都出身なので、関西の言い方なのかもしれません。
昔の本では両方出てきますが、時代が下がると「上っ張り」がほとんどです。
またこれは着物の歴史の特徴ですが、戦後、なんとか洋装に対抗?しようと、
いろいろなものの呼び方を変えたりしていますが、
昭和30年代は「キッチン・コート」「ホーム・コート」などの呼び方で書かれており、
しかも、和風の元々のひっぱりのカタチはほとんど見られず、
何かと「洋風」「モダンなカタチ」にしようという涙ぐましい努力が見られます。
したがって、出てくる写真はけっこうこんなのです。
着てみたくはなりませんが…下は「草笛光子」さん「スタジャン風?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/76/a1387e1d718eb2b9e6e1110b434f1f94.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2d/549e34d74b60465dfb3571f07f71b623.jpg)
まぁ昭和30年代の本では、ほとんど家庭着はこのタイプの、
なんか考えすぎて、作るのがめんどくさそうなものが多くなっています。
着物には似合わない形…だから残らなかったのですね。
さて、そうなると…なんですが、昔は「ひっぱり用」として、
木綿とかウールの専用の半反分の生地が売られていたのですが、
今はさがすようでしょうね。もちろん、古い木綿着物やウールなどでもできます。
カタチなんですが、二つに分かれます。衿が下まであるかないか、です。
上の写真をもう一度出します。衿は途中までで、要するに「褄」部分があるわけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d0/0a8c6b91960a8054417f48ed2d2bea21.jpg)
一方こちらは友人にもらった「作務衣」の上だけ。ごく現代のモノです。
衿の部分を見てください。柄がこんなですので、衿の部分に線を引きました。
黒い線が左身頃の衿、赤いのが右身頃の衿です。
衿が下までありますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/93/a353d75033dba4f0f0ec57f0da3bc67d.jpg)
これはお好み…ということだと思うのですが、
見てわかるように、衿の「Ⅴ」字が下のほうがせまいですね。
丈が短ければこれでもいいのですが、丈が長くなると襟元を深く合わせないとあきますから
裾つぼまりが強くなってちょっと動きにくくなります。
これは昭和57年の本(私の手持ちの古本の中ではご~く新しい時代のものです)
短いので衿のままでもすっきりです。これはリバーシブル。
(ポンチョは左のページでして、ここには出していません)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/52/ac725c802aed6c93785a9b43ddb243f9.jpg)
似たような時代なのですが、こちらは「おくみ」をつけたもの。
和裁の本なので実物の写真はありません。
トップ写真タイプで、さらに「おくみ」がついていますから、
丈を長くしてもラクです。水屋着はこのタイプですね。
これには「馬乗り(脇のスリットのこと)」がついています。
これも丈が短いものにもつけておくと、動きがラクになります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/46/0def1e455f86e93f7158d740799984de.jpg)
ちょっと長い…けど「水屋着」ではなくて
かつて着物で事務仕事をするのがアタリマエだった時代の「着物用事務服」
セルの袴から作ってあるのですと。昭和8年の本です。
「キッチン・コート」より、かっこよく見えるなぁ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/84/000c52f61b2db75105252c7c943ee35f.jpg)
私の手持ちの古本は昭和ひとケタから、新しくても40年代くらいがほとんどです。
戦後モノ30年代の本がけっこうあるのですが、
上にも書きましたとおり「洋装に追いつき追い越せ」の時代です。
つくづく思うのですが、和装の中で勝手にカタチや名前をこんな風にいじれるのは、
働き着と上に着るもの、つまり「コート」類しかなかったんですよね。
元々着物の上に着るものは「羽織・道行・被布」くらいだったわけですが、
まぁそれの変形で「雨コート」とか「和装コート」というものが考え出され、
千代田衿とか都衿とか道行衿とか…。
それが一気に「洋風モダン」にはしりましたから、
丈の短いこんなコートがたくさん載っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/48/2379f4ede3e7506f206a6388db683613.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/51/8bd3cc52af15f90d808e1a0429dc8c1d.jpg)
元々の和装では、どうも変化させられない衿を、思いっきり大きく…。
首に浮き輪をはめてるみたいだし…。
それまでは和装では使われない「毛皮」とか「ヒョウ柄」なんかにも憧れたんですかね。
こうしてみると、やっぱり「和装」には「和装」の特色があり、
しっくり合うものや、使い勝手のいいものが結局残っていくんだなぁと…。
というわけで…ひっぱりでひっぱったお話しはオシマイです。
水屋着も形・丈いろいろです。庭担当だと短い上着ともんぺを水屋着にしたりします。流儀や先生によっては割烹着タイプもOKで、丈長割烹着を水屋着にどうぞと市販しています。
コートの衿といえば、変形千代田衿のコートと笹衿のコートを京洗いに出す時、受付票を書く若い(染めと呉服の店の)店員さんに「道行と道中着ですね」と言われ、「いえ、道行でも道中着でもないコートです」と妙な問答をしました。ちょっと意地悪だったかしら。最近またいろいろな形のコートが出てきて、うれしく思っています。
今年、女性もののトンビがネットショップで出ていました。トンビ、カッコイイですが、スラッとした人でないと着こなしが難しそうです。
もちろん家着ですけど。
わりと臨機応変に変化する上着は自由に楽しんでもいいですよね。
参観日にはほとんどのお母さんが、
着物の上に紺色のうわっぱりを着て
いました。
ひっぱり持っているのは、衿が下まで
あるのばかりです。
40年ぐらい前には写真の様なコートを
着た事もありました。懐かしいです。
今はこちらのお店の「活動着」というものを愛用しています。
http://item.rakuten.co.jp/manten-t/10000483/
こちらでお直しできればいいのですが、
変えられない設定ですので、
このままですみません。
たぶん「こいけ様」と思っておりましたよ。
いろんなものを便利に使えばいいと思うのです。
でも、半纏もひっぱりも、何もかもごっちゃで
なんか上に着るヤツ…なんてのは
寂しいですからねぇ。
今は呉服屋さんでさえ、間違った覚え方とか、
知識がないとか、ありますからねぇ。
きがついて学習してくださるといいんですけど。
親はありがたいですねぇ。
私の久留米絣は、そそっかしい私には長くて
なんだか動きがジャマされて…。
数えるほどしかきていません。探そう!!
近所のおばちゃんたちが、おしゃべりするのに
集まると、みーんな「これ」でしたわ。
中には「どう見ても元は男物」と思うような
色柄もありましたっけ。
アタリマエの風景でしたねぇ。
私はチビでヤセでしたから、
こういうのは「埋もれる」といわれて、
母の黒いちょっとモコっとしたコートは
もらえませんでしたー。
母なども、同僚に着物通勤がまだまだ
いた時代ですから、作ってあげたり
したようですよ。母自身は、そのころ
仕事は洋服…としていたそうで、
銘仙の古着でスカート作ったりしていたとか。
HP拝見してきました。
こちら、存じ上げてましたよー。
これは衿が細い分、胸の重なりが
スッキリして、洋服にもラクだろうなぁと
思っていました。
いろんな工夫ができるジャンルですよね。