
写真は、裏庭の「ふきのとう」、遅れ気味でしたが、最初の一つが開き始めました。
今年は雪と霜で、あっというまに葉がほとんど茶色く枯れてしまいました。
それでも、ふきのとうの「おふとん」にはなるかと、そのままにしておきました。
なぜか今年は「大豊作」で、いつもの年の3倍くらい出かかっています。
こんなところに出なくても、と思うような下水のフタの脇までこんな感じ。
春はちゃんと近づいているんですね。
さて、さきほど、伯父の訃報が入りました。
81歳ですから、元気ならまだもう少し…の年齢なのに…と思いましたが、病とあらばしかたありません。
昨年の10月から入院しておりましたが、食事がとれなくなり、以前ガンで胃を摘出してしまっているため
胃ろうもできず…だったそうです。
伯父はちょっと変わった人で、身内には「あの人は寅さんみたいだねぇ」と言われてました。
いえ別に放浪していたわけではないのですが、なんといいますか超マイ・ペース人生でして…。
でも、さして深いしがらみのなかった私には、おもしろい逸話しか思い出せません。
伯父は昔、時計の修理を生業にしていたこともあって、指先は器用でした。
ちょっとした手品などみせてもらったのを覚えています。
あれは私が結婚したあと、ですから伯父はそのときすでに50をいくつかすぎていたわけですが、
母が電話をしてきまして「今日は義兄さんとこ行ったんやけど、もぅあきれたというか、笑ったというか…」と。
母が伯父の家に行ったら、伯母が「あのひと急にギターを習うって言い出して、教室に通っているの」と。
元々ギターもそれなりに弾けてましたから、母が「今更習わへんでも、じょうずに弾かはるやろ」と言ったら
「基礎からしっかりやり直したい」と言ったのだそうです。そこへ、件の伯父が帰ってきたので、
「どう?」と母が聞くと「なかなかねぇ…基本からってのは難しいもんだよ」と。
伯父は、話し方もなんといいますかゆったりめで「まぁ…なんだよ…こんな感じかなぁ」というような…、
おっとり聞こえます。その話し方で「一応ね…今日の課題は終ったんだけどね…今日は宿題が出てねぇ。
来週までに、おさらいしとかないといけないんだよ…」と言うなり、ギターを出して弾き始めたそうです。
それが「♪ちょうちょ~ ちょうちょ~ なのはにとまれぇ…」
「…」
そして今日すんだ課題は「チューリップ」だと。あの「♪咲いた 咲いた チューリップの花が…」です。
母が「へぇぇ、なんでも基本から始めるちゅうことは、そこからやねんなぁ」と、言ったら、
伯母が横から「そうじゃないのよ、急に思いたっていくもんだから、もう『成人クラス』がマンパイで、
それでも、どうしても今月から始めたいってねじ込んで、『幼児クラス』にいれてもらったの」…。
伯父は5~6歳児と一緒にやっていたのです。
母は「ああいうところは『発表会』とかあるやろ。義兄さん、5歳児といっしょに『ちょうちょ』弾かはんねんやろか」
もうこれで大爆笑、そのあとで私が「でも、あの伯父さんならやるでしょ」と言ったら「……そやな」。
結局それからまもなくに仕事のつごうで引っ越しましたので「ちょうちょ」を発表することはなかったようですが、
そのテのエピソードに事欠かないひとでした。
伯父の家は、駅を挟んで向う側ですが、狭いのでセレモニーセンターでご遺体は預かってもらうとか。
母の時と同じで、すぐには斎場の順番がまわってきませんで、葬儀は来週だそうです。
まだ「とりあえず」の連絡だけで、何も決まっていないのですが、父は入院中ですし、
またまた気ぜわしいことになりそうです。ただいまいとこと連絡とりあって「ご供花」の相談中。
そんなわけで、またまたブラックフォーマルの服を出したりしています。
本日は、これにて。
思ってみていましたら、お寂しい事が
できまして、お悔やみ申し上げます。
都会では斎場の都合で葬儀が遅れるのは
普通なんでしょうか。
ゆっくり準備ができるとはいえ落ち着か
ないですね。
寒い時期ですから暖かくしてお出掛け
下さいね。
どうかご自愛なさって、穏やかな春をお迎えください。
ありがとうございます。
まだいつなのか、連絡がありません。
週は明けてからと思います。
ゆっくりしたくはできるのはありがたいんですが、
気が抜けますわ。
ふきのとう、急に暖かくなったのでまたひとつ開きかけてます。
日をそろえて次々膨らんでくれるといいんですが、
こればっかりはねぇ…です。
ありがとうございます。
来月はあの震災から1年です。
ほんとに穏やかであってほしいと思っています。
どうぞお疲れの出ませんように~~
しかしそんなにも斎場が混んでいるとは驚きです。このあたりでは考えられないことです。
知人のところでお義母さまが亡くなられた時、日程の都合で亡くなられてから1週間ほど後にお葬儀ということがありましたが、ホトホト疲れた~~と言っていたことを思い出しました。
病気でしたので、覚悟はしていたのですけどね、
やはりため息でますねぇ。
横浜の斎場は毎度のことです。
ゆっくりしたくはできますし、私の場合は母でしたから、
ありがたいと思うことも多かったのですが、
伯父となると、伯父の身内はともかく、なんだか落ち着きませんわ。