昨日は座布団のお話をいたしました。
今日は寝るほうの布団のお話しです。これも実は以前書いていますが、
ブログ開設当初ですので、またまた再アップ。話題がなくなったか、とんぼ…だはは。
さて、皆さんは、一年を通してどのような「掛け物」をお使いでしょうか。
イマドキは毛布に布団…ですかねぇ。夏はタオルケットが主流でしょうか。
最近は冷感布団なんてのもありますね。かぜひきそうですが。
トップ写真は、ちょうど「寝具」が洋風和風混ざりかけのころの「掛・敷一組」。
着物本の中の1ページを横にして出しました。たしかこんな色合いだったなぁ…と塗り絵してみました。
昔の布団の衿には、よく黒の別珍が衿カバーとして縫い付けられていたものです。
子供のころ、あれはたぶん小学校に上がったころだと思いますが、家の掛け布団が新しくなりました。
それが今までの「和の布団」とはまったく違う、サテン生地のテカテカでフリル飾りのついたもの。
私は外国のお姫様ってきっとこんなので寝ているんだーと、ものすごくうれしかったので、
今でもそのデザインをなんとなく覚えています。こんな感じの、真ん中がダイヤ柄のでした。
ひし形のところが、父は緑、母は赤だったと記憶します。花柄のところはもっとこまかかったような。
20歳すぎに、友人と伊豆の民宿に泊まったとき、まだトップ写真の左のような布団でして、
「懐かしい、重い」といいながら寝ましたっけ。
羽毛だの羊毛だの、中身もいろいろ出てきて、やがては化繊綿も…布団は軽くなっていきましたねね。
父は、昔の人間ですので「布団は重さがないと暖かく感じない」といって、
ずいぶん長い間、重たい木綿ワタの布団をかけていましたねぇ。
父はまたたいへんな寒がりで、夏は夜はもちろんクーラーは切りますが、
締め切った部屋で、首までちゃんと毛布と夏掛けの二枚をしっかりかけてます。
私なら朝までに、布団の中で熱中症ですわ、いや、サウナ効果でやせるか…。(その前に蹴飛ばすやろ)
さて、我が家の布団事情は、こんなところですが、「布団」というものは、今は綿が入っていて当たり前、
というより「綿がはいっているから「布団」…のイメージですね。
でも大昔の日本では「綿」そのものが「真綿」しかありませんでしたから、これはもう超高級品。
木綿は絹のずっと後に日本に伝来しましたが、一般に木綿が使われたのは、江戸時代。
更に「木綿ワタ」として使われたのは、同じようにこれまたぜいたく品。
昔の人は、寝るときには「着ていたものをかけて寝る」…のが当たり前でした。
だから今でも「夜具」を「夜着」ともいいます。
当然、身分が高ければ高いほど「寝るときにかけるための着物」もあったでしょうね。
平安時代の身分高き方たちは、掛けるものより「敷く」もので「差」をつけました。それが畳です。
平安のころは、部屋は全部フローリングです。座布団もありませんから、じかに座る。
そのとき、身分が高い人は、自分のところだけ「畳」を敷きました。縁に金襴が使ってあるような豪華なもの。
これが、そのまま「敷布団」になるわけです。これを何枚か重ねたんですね。つまり「マイ・タタミベッド?」
庶民は当然ですが、せいぜいがムシロ程度だったでしょうね。掛け物も寒いときはムシロやワラを掛けたそうです。
「しょい綿(背負い綿)」というものがありますが、養蚕農家などでは屑繭から作った真綿を背中にはったりして、
実は江戸の庶民より暖かさを知っていたかもですね。
真綿そのものは昔からありましたので、繊維が長くて破れにくいところから、
甲冑の内側に貼り付けるなどにも使われたそうですが、布団に入れるような贅沢はしなかったわけです。
「真綿」と「木綿綿」の違いは、その繊維の長さです。
近江真綿、という有名な真綿があります。これは「角真綿」といって、繭を広げて、四角く重ねて干すもの。
この30センチ角くらいの真綿を、二人がかりで少しずつ布団の大きさまで伸ばします。よく伸びるのですよ。
当然薄くなりますが、絹はブツブツ切れたりしません、薄く細くつながって伸びます。
これを重ねていきます。確か一枚の布団で600枚とか700枚くらい重ねるのではなかったかと思います。
二人がかりで一日で布団一枚とか二枚とか、それくらいしかできません。
繭の数にして5000個くらいと聞いています。着物より多い…。
現在のお値段、ちょっと調べましたら、真綿敷布団で15万くらい、掛け布団で12万くらいです。
もし使ったら…お値段気になって、寝ラレマセン…。
ともあれ、真綿というものは昔からありましたが、それこそ5000個も繭を使うようなもの、
そうそう使えるわけもナシ、です。後年、木綿綿をいれるようになっても、今のようにたっぷりとはいれません。
大正から昭和初期くらいの袷の着物の中に、ごく薄く真綿が入っていることがあります。
それよりはちと多め??そんな感じで高貴な人は、薄く綿を入れた夜着を使ったわけです。
話が戻りますが、平安のころ、寝るときに畳の上に、更に絹の布などを敷くようになりました。
まぁシーツみたいなもの、これを「褥(しとね)」と言います。ふとんのことを「褥」ということもありますが、
当時は布団は「畳」で、シーツが布…寝ると痛そうです。
布団に関する言葉では、衾(ふすま)という言葉もありますね。
「同衾」などといいますが、この「ふすま」は「臥す、または伏す」ための「裳(も)」のなまったものだそうです。
また「蒲団」という書き方をすることがあります。これは文字通り「蒲の穂(ガマのホ)」を、
綿代わりに使ったものもあったから。蒲って、あの茶色いところの中に綿のような繊維ができます。
それをあつめたわけですね。
いずれにしても、綿を入れたといっても、今の化繊綿半天みたいにホワンホワンになるほどではなく、
まあ昔の綿のやせた綿入れ半天程度。
布団は元々が着物を掛ける…というところから始まりましたから、
最初の掛け布団はみんな衿と袖のついた「掻巻」でした。アレは首と肩が暖かいんですよね。
今の四角い形になったのは、江戸も末期になってから。
木綿綿が出始めて、布団は飛躍的に暖かいものになっていったわけですが、
庶民まで全部といったら、それこそ明治大正になります。
とりあえず、寝るときにモコモコとかふわふわとか、そんなやわらかいものに寝られるようになったのは、
ホントにずーっと近代になってからなんですね。
ところで、布団のサイズですが、これもまたかつては「反物の幅」をそのまま使って、
三幅(巾)布団といいました。「みのぶとん」と読みます。つまり反物の巾3枚分でシングルの敷布団です。
「みの」とか「よの」とか「みのはん」とか…使う目的と枚数によって呼び分けます。
掛け布団は「五幅」…反物そのものが、きっちり34センチ、とか決まっていませんから、
場所や地方によって差があるものだったのですね。とくに関東関西ではいろいろ違うようです。
いずれにしても、古い着物は布団側に使える、というのは、そういうところからもきているわけで、
ほんとに日本の和服は「エコ」な布なのですよね。
さて、こうして布団の昔、を見てみますと「布団は財産」とも言われたのもわかります。
昔の嫁入り支度には、必ず夫婦の布団一式(ダブルじゃありませんよ)が揃えられました。
こんな写真、みたことありませんか?ワンセットで一人分、つまりこれが二組です。
これも本の中の写真です。
関東は写真のように「掻巻」が、屋根みたいにのっかっていました。関西は右上の写真で、掻巻はありません。
正式なものだと、これに夏物の掛け物ふたつ、更に二人の座布団と客用座布団の夏冬各5枚セット。
イマドキ、これだけそろえたら、入れるところがありませんわ。
母の代でも「布団は財産」という考え方が残っていて、暮らしが少しずつ豊かになってくると、
泊まるようなお客もこないのに、客用布団もそろえていました。
ちなみに関西風に「掛敷一式」は「一流れ」と母は呼んでいました。
今でも実家の押入れには「ここは何人家族?」というほど、あちこちの押入れに古い布団が入っています。
いえ、我が家でさえ、いらないというのに布団がきましてねぇ…。
あれがなくなったら、押入れがずいぶんすくのになあ…と思っています。
最近は、例えば雑魚寝のできないお客様がきたとしても「レンタル」がありますからねぇ。
昨日の座布団ですが、武士は質実剛健を旨としましたので、座布団なんぞ敷くものは、たるんどる!と、
使わなかったそうです。時代劇などでも、けっこうそのあたりはやってますね。
身分の高い人は敷いていても、その横に座る家臣たちは敷いてません。
座布団もステイタス、であったわけです。
散漫な文になりましたが、今何の不思議もなく、毎夜掛けている布団の歴史、
実はふかふかになってからの歴史はけっこう「浅い」んですね。
でも、現代の庶民の私よりタフだなあ~と。
ましてや江戸中期ぐらいまでは、寒暖の差をものともせず、タフに生き、手をかけて無駄の無い生活をしていたのですね。
私もモチョット、しっかりしなければ。(×_×)
出来る綿で、何年か後にダブル布団をシングルに
仕立て替えて使いました。
それも、いつの頃からか羽毛布団に代わりました。
お布団は子供の頃からすると、随分変わりましたね。
板の間やむしろの上で寝るなんて考えられない事
です。今の時代でよかったと思います。
夫婦布団 掛け布団2枚 敷き布団2枚 毛布 肌掛け X 2人分
客用布団 2組
(要するに全部で4人分)
夫婦座布団 客用座布団1組
枕は 使い良いものを各自持参 なんて調子で揃えてました。(揃えてくれました)
本当に 押入れが蒲団だけでいっぱい
我々の布団は 2度ほど打ち直しをした後
羽毛掛け布団とムアツ敷き布団に変わりましたが
客用布団はさほどへたりもせずにあったので 打ち直しをして復活させました。
しかし 娘には掛け布団が重いと不評
いまは 圧縮袋に入って押入れの中で静かに眠っています。
でも最近は泊まる方もかなり減りましたので古いものをようやく処分しました。昔のものは今の人には小さいんですよね。
それでもあちこちの押し入れに数人分のものは入れてあります。でもキチンと揃えたものではないのでなんか中途半端。身内には良いのですがお客にはどうなんでしょうか。でも本当の意味でのお客様が泊まることはないと思うしマアいいかと妥協しております。
確かに「ない」暮らしの中では、
辛抱強く生きていたのでしょうけれど、
そのかわり「平均寿命」が、とても短いです。
信長が、死に際して吟じた「人間五十年…」というのは、
当時はそれくらいで一生…が普通だったのですよね。
いまでいうと「人間75年」くらいの感覚です。
健康、ということでは、今はほんとに恵まれているわけですね。
私は最初に暮らしたアパートが押入れがひとつしかなく、
たんすを入れると布団が出せない…。
それでわざわざダブルベッドにしたんです。
おきっぱなし…やっと公団にひっこしたとたんに、
ベッドは放り出して、ふとんにしました。
老いた両親を見ていて、足腰弱ってきたら、
またベッドだなぁと思っています。
それにしても、布団はほんとに変わりましたねぇ。
干すのも楽になりました。
なければ困るけどかさばる…。
我が家も「圧縮袋」を買ったのですが、
それに入れるのがタイヘンで、そのままです。
やれば場所があきますねぇ。
最近の最大サイズは210センチだそうです。
ほんとにいとこの息子など来ると、鴨居でさえ、
きをつけて…なんてやってますし。
お客様が多い事情だと、捨てるわけにも行かないし、
タイヘンですね。
我が家も実家も、一度しっかり布団の数を数えて、
整理しなければと思っています。
両親が亡くなって一人暮らしだった夫の所へ来たら、最初の仕事は布団の縫い直し、と義姉に言われました。
やったことがないんですというと、あんなもん誰でも出来る、との仰せ。
中略しますが、しごきの甲斐あって、ぼつぼつお客布団を抜いた酢までになりました。
いまは、無用の能力ですね。布団は減らす事に苦心しています。
はじめまして、コメントありがとうございます。
母も自分で布団の綿入れをしておりました。
あねさかぶりに、手ぬぐいマスクで…。
二間にしかない家でしたので、子供は追い出され、
開いた縁側から、母の作業をみておりましたっけ。
「そなとこにいたら、ワタだらけになるし、ほかで遊びよし!」と、
追い払われたりしてました。
私は一度も経験がありませんが、昔の着物本には、
よく布団の綿入れのやり方が載っています。
見ただけで「重労働だわ」と、降参です。
我が家の布団も、使ってもいないのに捨てるのはとてもできず、
ナントカしなければと思いつつ、せいぜいが圧縮袋に詰めておわりです。