ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

この写真は素材屋さん「cief」様からお借りしました。

2005-11-02 23:16:18 | 昔の道具・暮らし

つれづれの「扇子のお話し」の続きです。
平安時代、扇子というと女性用の「檜扇」がパッと思い浮かびます。
もともと「木簡」をつないだものが原型といわれています。
男性用だと僧侶などが使った「中啓(ちゅうけい)」と呼ばれるものが、
「あ~あれね」とわかりやすいでしょうか、あの先が少し開いた
「三味線のバチ」みたいなかっこした扇子です。
あれもひらこうと思えばひらけるのですが、お飾りみたいなもので
めったに開くことはなかったそうです。
ところで、平安時代の女性は「垂髪」ですが、顔の横の部分だけ、
ちょっと短く切っています。「お姫様カット」ってやつですね。
あれは「鬢(びん)そぎ」といって、後年は「切下げ」と名前がかわり
未婚既婚の別をつけるものになりましたが、最初の頃の「鬢そぎ」は
顔の装飾の目的と、もうひとつは扇子のかわり、とも言われています。
平安時代の女性は、身分が高ければ高いほどヒトに顔を見せないのが
エチケットだったんですね。もともと身分の高い女性は、男性と話すときは
「御簾ごし」が当たり前で、更に用心深く檜扇を広げて顔を隠す・・。
何かのかげんで、顔が見えそうになったとき、扇も取り落としてしまった!
さあどうするって時に、パッと顔を振れば短い鬢が、扇子のように
顔に広がって隠してくれる・・というのですが、そーまでせんでもええやん・・。

なにしろかの時代は優雅というか、ややこしいというか・・。たとえば・・・
ある日「とんぼ中納言クン」が「とと姫」のところにゴキゲン伺いに参りました。
(ここから先のお話は「こんなだったらしい」というお話しで、身分だの
それによっての慣習だのその他モロモロ考察しておりません。そのつもりで・・)

「とんぼクン」はおみやげ考えるのが面倒だったので、ちょうど庭に咲いた
「梅」を一枝、それにもらいものの「お菓子」を持参して、
「とと姫」様のお館に行きました。や~っと通された部屋には、
りっぱな御簾がさがっており、その向こうに「とと姫」さまがすわっています。
(ホンモノかいな・・・)で、とんぼクンは「なんか珍しいお菓子だっつーから
持ってきたんだけどぉ、うちんとこにちょーど梅が咲いてたから、
これもいいかなーとか思っていっしょに持ってたきたー」ってなことを
みやびぃ~~な言葉で申し上げるわけです。
片やとと姫様は、御簾の中で更に檜扇を広げて、その上から眼だけだして
「えぇっとぉ、とんぼちゅーなごんって誰の息子だっけ、
あたしヒトの顔っておぼえらんないのよね」ってなことを考えてる・・。
やがて、とと姫さま付きの女房が「とんぼのちゅーさんが珍しいお菓子に、
庭に咲いてた梅を一枝添えて持ってきたそーです」と、
みやびぃ~~な言葉で伝える・・。いちいち言わんでも御簾の向こうなんだから
聞こえてるんだけど、そこはしきたり・・姫様は「ありがとねー(ほんとは
そんなお菓子食べ飽きてるし、梅だってここの庭の方がずっときれいだし・・
あっだけどこれ言っちゃだめよね)珍しいお菓子だからうれしいわぁ、
梅を届けてくれるなんて、ステキ。私梅の花だーいすきだし」と
これまたみやびぃ~な言葉でボソボソっと言うと、女房がとんぼクンに
「姫さまが『珍しいお菓子ありがとー、梅も大好きだから嬉しい』って
そう言ってます」とみやびぃ~な言葉で・・あぁじれったい。

まぁ実際には男性と女性が、身分によってはお目通りもかなわないとか
いろいろあったと思いますが、とにかく女性は身分が高ければ高いほど
「何もせず」歌詠みとか琴などの楽器とか・・それくらいだったようです。
当時の暮らしは、貴族であれ庶民であれ、衛生上も、食生活も、
住環境も今とは雲泥の差。一般庶民は毎日体を動かして働いていたでしょうが
貴族の女性は、顔を見せずに「ひきこもり」、イヤちょっと違いますが、
動くということをしなかったわけですから(十二単じゃジョギング無理だし?)
不健康ですねぇ、で、平安時代の女性の平均寿命は27歳くらいだそうです。

扇子のお話しが、またまた脱線してしまいました。
つまり「檜扇」は暑い時扇ぐのではなく、装飾と「顔隠し」に使われていた、
というお話しです。

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