
羽織の「羽裏」部分です。
羽織はちょっと傷みがあるので、袖をとって「十徳」風にするか、
羽裏だけ使うか・・。お客様にお任せ・・です。しかし惜しいなぁ・・。
けっこう気にいってるもんで・・。
雲の下に見えるのは「花街」、どうも「絵」になるようですね、こういう町は。
「洛中洛外図」の屏風の雰囲気を出そうてか・・わざわざ雲を四角いパーツで
埋めたように描いています。本物ならここは「金箔」でキンキラキンでしょう。
通りにいるのはほとんどが男性、中央の一人は刀をさしておらず、
文箱を、手足だけ見えている人に渡そうとしています。
ひょっとして「恋文」でしょうか。
ところで、この羽裏の登場人物、場所が場所だからでしょうか、
皆なにかしら「被り物」を被っています。なにやら「花笠踊り」みたいな
妙な笠もありますが・・。ほんとにこんな笠、あったんだろーか・・。
とりあえず「悪所通い」の故の顔隠しは実際にあったこと・・・。
で、本日「被り物」のお話しです。
頭に被るものは、ひとつには「位」や「シゴト」を表すもの
もうひとつは「防寒・防塵・装飾など」です。
ここではあとの方の被り物、まぁいろいろでてきた江戸時代頃を・・。
元々中世のころから「笠」や「カツギ」「頭巾」は使われておりましたし、
その後もずっと使われたわけですが、少し形がかわったり、
また江戸に入ると「庶民」もいろいろと被り物を使うようになりました。
「頭巾」は特に「月代(さかやき・・成人男子のアタマのてっぺん部分の
髪をそった部分)」の保護、という意味もあったようです。むき出しですもんね。
上の絵の中に頭だけでなく、笠の下に更にアゴまで覆うようなものを
かぶっている人もいます。(そんなに隠してまで通うなっ!)
実は、江戸初期には、この「顔までかくれる頭巾」というものが
けっこうあったようなのですが、治安上問題アリとして、幕府が禁止しました。
それで「覆面タイプ」は廃れていったようです。
頭巾については、あれこれ形があって30種類以上にも及ぶとか・・。
名前でポピュラーなのは「おこそ頭巾」「宗十郎頭巾」でしょうか。
実はこのおこそ頭巾というのは、ちとややこしいのです。
文献によっては「おこそ頭巾」は「袖頭巾」と同様・・という扱いをしています。
しかしどーもこれが怪しい・・。私の持っている本に「袖頭巾を被った絵」が
あるのですが、どうもあの時代劇にでてくるのとはちと違うのです。
調べたのは昔のことで、そのときは「ま、いいや」で「投げた」のですが、
今回ちと調べなおしました。おこそ頭巾というのは、頭をすっぽり包んで、
首の周りに残り布を巻いてしばってあります。ところが「袖頭巾」というのは
その名のとおり着物の袖のような形に作ったものを、袖で言うと肩につける側から
頭を入れて袖口のところから顔を出す、この姿だと首のまわりは締まりません。
で、今回「これなら納得」という資料に、ようやく出会いました。
それによれば「おこそ頭巾」=「袖頭巾」ではなく
「苧屑(おくそ)頭巾」=「袖頭巾」だというのです。
「苧屑・おくそ」というのは、先日「麻」のところでお話ししました、
あの「苧麻」の苧です。お話しの前に
です。
すみません!大訂正です。先日「ちょま」という字を登録して使うとき、よく似ていたためになんと「苧」を「芋」としてしまいました。イモではなく「苧」です。よく似た字ですが、とんでもないマチガイですみません。麻はイモではありませーん!
お話しを続けます。
で、この「苧」の屑・・ですから「麻」を織った残りという意味だと思いますが
それで作られた頭巾、ということで「苧屑(おくそ)頭巾」で、これが
袖に似た形であったことから「袖頭巾」とも呼ばれた・・と。
写真もありまして、ちょうど今の「防災頭巾」のような形です。
元々この「おこそ頭巾」は、北国の女性の防寒用から始まったとされていまして、
更にその元は、猟師や鷹匠など野山で仕事をする人が被ったもの。
元はワラなどで編まれたものが、やがて布になったのが「苧屑頭巾」のようです。
そうしますと「ものの始まり」として、木綿などの入りにくい北国の女性が
残りの麻布を使って作った袖のような形の防寒頭巾・・というほうが
説得力がありますね。
それでは「おこそ頭巾」はなんなのでしょう。
最初に「おこそ」というのが「御高祖」と書くと知って「御」と「祖」から
何か身分の高い人が被っていたものが始まりなのではないか・・と
そう考えたところまではいきました。で、そのアタリで投げたわけですが、
今回調べなおしましたところ「御高祖」というのは「日蓮上人のこと」だと。
桓武天皇のころに、高位の僧にのみ許された「帽子(この場合は「もうす」)、
というのがあり、これが袖頭巾のような形だったらしいのです。
で、当時一般庶民にとって「日蓮」というのは高位の僧であるという認識から、
「日蓮様もお被りになったであろう『もうす』によく似た頭巾」というところから
「高祖」の頭巾で「御高祖頭巾」と呼ばれたと・・・。別名「ふろしき頭巾」。
四角い大きな布ですっぽり包み、ついている紐で縛ったのだそうです。
肩に大きく布が広がるのが特徴・・絵にすると「尼さん」のあのスタイル、あれで
首を絞め・・首しめちゃいけません、首のところを紐でしぼめた形・・ですね。
但し色は紫・・が多いようです。
これでやっと時代劇でおなじみの「おこそ頭巾」にたどりつきました。
あとは「宗十郎頭巾」、これは「鞍馬天狗」の頭巾です。
役者「沢村宗十郎」が始めたそうです。このほかにも「沢之丞帽子」とか
「あやめ帽子」とか、役者が流行らせた帽子というのがいろいろあります。
今日は「御高祖頭巾」で、思いのほか長くなりました。
被り物ものについては、続・・と致しましょう。
ちなみに私がいつも被っているのは「ネコ」??
羽織はちょっと傷みがあるので、袖をとって「十徳」風にするか、
羽裏だけ使うか・・。お客様にお任せ・・です。しかし惜しいなぁ・・。
けっこう気にいってるもんで・・。
雲の下に見えるのは「花街」、どうも「絵」になるようですね、こういう町は。
「洛中洛外図」の屏風の雰囲気を出そうてか・・わざわざ雲を四角いパーツで
埋めたように描いています。本物ならここは「金箔」でキンキラキンでしょう。
通りにいるのはほとんどが男性、中央の一人は刀をさしておらず、
文箱を、手足だけ見えている人に渡そうとしています。
ひょっとして「恋文」でしょうか。
ところで、この羽裏の登場人物、場所が場所だからでしょうか、
皆なにかしら「被り物」を被っています。なにやら「花笠踊り」みたいな
妙な笠もありますが・・。ほんとにこんな笠、あったんだろーか・・。
とりあえず「悪所通い」の故の顔隠しは実際にあったこと・・・。
で、本日「被り物」のお話しです。
頭に被るものは、ひとつには「位」や「シゴト」を表すもの
もうひとつは「防寒・防塵・装飾など」です。
ここではあとの方の被り物、まぁいろいろでてきた江戸時代頃を・・。
元々中世のころから「笠」や「カツギ」「頭巾」は使われておりましたし、
その後もずっと使われたわけですが、少し形がかわったり、
また江戸に入ると「庶民」もいろいろと被り物を使うようになりました。
「頭巾」は特に「月代(さかやき・・成人男子のアタマのてっぺん部分の
髪をそった部分)」の保護、という意味もあったようです。むき出しですもんね。
上の絵の中に頭だけでなく、笠の下に更にアゴまで覆うようなものを
かぶっている人もいます。(そんなに隠してまで通うなっ!)
実は、江戸初期には、この「顔までかくれる頭巾」というものが
けっこうあったようなのですが、治安上問題アリとして、幕府が禁止しました。
それで「覆面タイプ」は廃れていったようです。
頭巾については、あれこれ形があって30種類以上にも及ぶとか・・。
名前でポピュラーなのは「おこそ頭巾」「宗十郎頭巾」でしょうか。
実はこのおこそ頭巾というのは、ちとややこしいのです。
文献によっては「おこそ頭巾」は「袖頭巾」と同様・・という扱いをしています。
しかしどーもこれが怪しい・・。私の持っている本に「袖頭巾を被った絵」が
あるのですが、どうもあの時代劇にでてくるのとはちと違うのです。
調べたのは昔のことで、そのときは「ま、いいや」で「投げた」のですが、
今回ちと調べなおしました。おこそ頭巾というのは、頭をすっぽり包んで、
首の周りに残り布を巻いてしばってあります。ところが「袖頭巾」というのは
その名のとおり着物の袖のような形に作ったものを、袖で言うと肩につける側から
頭を入れて袖口のところから顔を出す、この姿だと首のまわりは締まりません。
で、今回「これなら納得」という資料に、ようやく出会いました。
それによれば「おこそ頭巾」=「袖頭巾」ではなく
「苧屑(おくそ)頭巾」=「袖頭巾」だというのです。
「苧屑・おくそ」というのは、先日「麻」のところでお話ししました、
あの「苧麻」の苧です。お話しの前に

すみません!大訂正です。先日「ちょま」という字を登録して使うとき、よく似ていたためになんと「苧」を「芋」としてしまいました。イモではなく「苧」です。よく似た字ですが、とんでもないマチガイですみません。麻はイモではありませーん!
お話しを続けます。
で、この「苧」の屑・・ですから「麻」を織った残りという意味だと思いますが
それで作られた頭巾、ということで「苧屑(おくそ)頭巾」で、これが
袖に似た形であったことから「袖頭巾」とも呼ばれた・・と。
写真もありまして、ちょうど今の「防災頭巾」のような形です。
元々この「おこそ頭巾」は、北国の女性の防寒用から始まったとされていまして、
更にその元は、猟師や鷹匠など野山で仕事をする人が被ったもの。
元はワラなどで編まれたものが、やがて布になったのが「苧屑頭巾」のようです。
そうしますと「ものの始まり」として、木綿などの入りにくい北国の女性が
残りの麻布を使って作った袖のような形の防寒頭巾・・というほうが
説得力がありますね。
それでは「おこそ頭巾」はなんなのでしょう。
最初に「おこそ」というのが「御高祖」と書くと知って「御」と「祖」から
何か身分の高い人が被っていたものが始まりなのではないか・・と
そう考えたところまではいきました。で、そのアタリで投げたわけですが、
今回調べなおしましたところ「御高祖」というのは「日蓮上人のこと」だと。
桓武天皇のころに、高位の僧にのみ許された「帽子(この場合は「もうす」)、
というのがあり、これが袖頭巾のような形だったらしいのです。
で、当時一般庶民にとって「日蓮」というのは高位の僧であるという認識から、
「日蓮様もお被りになったであろう『もうす』によく似た頭巾」というところから
「高祖」の頭巾で「御高祖頭巾」と呼ばれたと・・・。別名「ふろしき頭巾」。
四角い大きな布ですっぽり包み、ついている紐で縛ったのだそうです。
肩に大きく布が広がるのが特徴・・絵にすると「尼さん」のあのスタイル、あれで
首を絞め・・首しめちゃいけません、首のところを紐でしぼめた形・・ですね。
但し色は紫・・が多いようです。
これでやっと時代劇でおなじみの「おこそ頭巾」にたどりつきました。
あとは「宗十郎頭巾」、これは「鞍馬天狗」の頭巾です。
役者「沢村宗十郎」が始めたそうです。このほかにも「沢之丞帽子」とか
「あやめ帽子」とか、役者が流行らせた帽子というのがいろいろあります。
今日は「御高祖頭巾」で、思いのほか長くなりました。
被り物ものについては、続・・と致しましょう。
ちなみに私がいつも被っているのは「ネコ」??
「あやめ帽子」のあやめとは、元禄期の名女形・初代芳沢あやめのことでしょうか?江戸時代の女形が流行させたファッションは多くあると思いますけど、延宝期の初代・上村吉弥の帯結び「吉弥結び」は現在の立て矢結びのルーツとか…江戸時代のファッションリーダーは、女形役者だったのですね~
先日は、羽織と紋について読ませていただきました!!
ありがとうございました!!
羽織は昔は、男性の着るものだったなんて知りませんでした
おこそ頭巾・・・なにやらどこかで聞いたことが・・・と思ったら、千爺様からのコメントにおこそ頭巾のことがあったのを思いだしました♪実は、おこそ頭巾ってなんだろうと思いつつ・・
原稿書きに夢中になっていて、コメントいただいているのに気がつきませんでした。おっしゃるとおりです。13日のブログにちょこっと書きました。
今でも「タレントさんの持ってる時計」とか「アクセ」とかが流行ったりしてますよね。いつの時代も変わらないということですよね。昔母も「君の名は」の
「真知子巻き」というのをやっておりましたわ。
僧なんですよぉ~?!イロイロ調べてみるとおもしろいものです。解くに江戸時代はおもしろいですよ。おいおい実用的なことも含めて、書いていきたいと思っています。