すいーと雑記帳

とっこの独り言

ハーフムーンで遺骨収集

2010-09-26 19:02:29 | 日録・雑感など
9月26日 SUN   29℃ 

たまたま「NPO法人沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」のブログを見たら、
今日、真嘉比(まかび)で最後の遺骨収集作業があることを知ったので、午後2時
過ぎに自転車で行きました。
ここは、モノレール「おもろまち」駅のすぐ東側で、アメリカ軍が「ハーフムーン」
と呼んでいた場所。近くのシュガーローフと並んで首里城地下にあった日本軍
司令部をめぐる日米の大激戦地だったところです。

南真嘉比公園にあるプレハブ小屋から発掘現場まで案内してくださったFさんという
女性が、京都出身で、な、なんとうちの息子たちの保育所保護者仲間Tさんの友達だ
ということがわかって驚きました。世間は狭いわ~!!


真嘉比から那覇市街を見る(中央の高いビルは牧志駅前の高層マンション)


沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー(ガマを掘る人)」の具志堅隆松さん
にお会いしました。
今日は具志堅さんはじめ5人の方が、スコップなどを手に汗をかきながら黙々と
発掘作業をしておられました。

具志堅さんが、この18日に発見された日本兵の遺骨の場所へ案内してください
ました。


思わず合掌。

具志堅さんのお話によると、たこつぼの中で亡くなったと思われる日本兵の遺骨
だそうです。傍らには日本軍の銃弾とか陶器製手榴弾の破片があったとのこと。

このハーフムーンの戦闘には、茨城を除く関東圏からの兵隊が配置されたとのこと
ですが、関東から沖縄の地に連れて来られて戦死。65年も土に埋まっておられ
たのか、大腿骨とか背骨とか太くてしっかりしているし、若い人に違いないのに・・・。
故郷では、この若者を待って待ってしておられたご家族がいたのに…、等々思うと
たまらない思いに胸がふたがりました。

具志堅さんも「戦争で国が連れてきたんだから、国の責任で遺骨を家族に返す義務
があると思う」とおっしゃっていましたが、まったく同感です。


今日、午前中からかかって掘られた穴。深さ2m余り。
ここから遺骨は出ませんでした。(骨が一つ出たのですが、具志堅さんによれば、
人骨ではない、豚の骨だろう、とのこと)

「10回掘って1回見つけられればいい方。何も見つけられなかった時は残念と
思う気持ちもあるけれど、『ああ、ここでは誰も死ななかったんだ、よかった!』
と思いもする」と具志堅さんがおっしゃっていましたが、ガマフヤーの人たちの
本音ではないかと思います。


18日に見つかった遺骨の収骨作業をする具志堅さん

本業のかたわら、お休みの日にはこうしてボランティアで遺骨収集を続けて
おられるのですが、本当に頭が下がります。

こうして収骨された遺骨は、糸満の国立戦没者墓苑に納められるそうですが、
具志堅さんが、いつも言っておられるのは、「長いこと地中に眠っておられた
遺骨をやっと掘りだして明るいところに出してあげたのに、またすぐに墓苑の
暗い所に入れることになる、それが残念だ。出来たらなんとか家族の元へ返し
てあげたいのに・・・」と。

本当にそうですね。身元を示すものが見つかれば探しようもあるのでしょうが・・・。

今日の発掘作業で、日本軍の砲弾多数と、兵隊さんの持っていたと思われる薬瓶とか、
バケツの柄のようなものが見つかりました。

明日からは、建設業者のブルドーザーなどが入ってこの地区の開発が始まるそう
です。
「作業をするオペレーターに言っておこう。遺骨とか身元確認につながりそうな遺品
が出たら連絡してくれるように・・」と具志堅さんはおっしゃっていましたが、
ここが明日からは重機でバリバリと掘り返されてしまうのか、遺骨もろとも、と
思うとほんとに、ほんとに情けない思いでいっぱいです。

戦死させてごめんなさい、遺骨も家族に戻せなくてごめんなさい、です。
心より合掌。

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久しぶりに鍬をもったりしたので、きっと明日は足腰立たないかと思いますが、
なんてことないです。こうして最後の遺骨発掘の現場を見学させてもらえてほんとに
有難かったです。

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