1月31日 MON 12℃
2月を目前にして、ヤクルト、ロッテなどの球団が次々に沖縄県のキャンプ地入りをしているようですが、この数日、沖縄も結構寒いです。普段から、風があるので気温の割に体感温度が低いな、とは思っていますが、今朝みたいに「空気が冷たい」と感じるのは珍しいことです。
この寒さのせいか、母も体調を崩して一日中、電気毛布(沖縄で電気毛布!)にくるまって、3度の食事以外は寝て過ごしていましたが、今朝はついに「朝食に起きるのもしんどい」と言って、ベッドまで朝食を運びました。こうなると人工肛門・膀胱のケアも大変になってきます。
早く暖かくなって、またコマシな体調になってほしいものです。春よ、来~い!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日、土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」 を読みました。
(2008年1月 七つ森書館)
これは今から34年前に起こった米軍ジェット機墜落事故の被害者の父親が書かれた本で、「『あふれる愛』を継いで」の改題本です。
1977年9月27日、神奈川県にある米海軍・厚木基地を離陸した米海兵隊所属のファントム偵察機が、房総沖の航空母艦ミッドウエーに向かって発進した後、エンジン火災を起こして、横浜市緑区に墜落炎上。幼児二人が亡くなり、その母親も全身大火傷を負った末、4年余りの闘病生活の後に31歳で亡くなった、あの事故です。
被害者は、著者の娘である土志田和枝さんと、孫の裕一郎君(当時3歳)、康弘君(同1歳)。
この事故のことは、早乙女勝元さんの絵本「パパ ママ バイバイ」などで覚えておられる方も多いでしょう。
生花店を経営しながら、息子や娘、孫たちとの生活を楽しむ平穏な暮らしをしていた土志田さんが、米軍機の墜落によって一瞬に陥った悲嘆と苦悩に満ちた日々が、抑制のきいた、しかし力強い筆致で書かれていて、その壮絶な内容にただただ圧倒されました。
和枝さんを亡くした後もさまざまな苦労を重ねながら、娘の志を受け継いで「愛の母子像」建立(横浜・港の見える丘公園)、社会福祉法人和枝福祉会「愛」設立などに奔走される姿には、親ごころの深さを思い知らされて驚き敬服するばかりでした。
事故の起こった1977年は、私の長男が生まれた年。そして和枝さんが壮絶な闘病生活の後わずか31歳で亡くなったのは1982年。彼女の亡くなった日の数日前に私は次男を産んでいます。
そうか、自分が長男の出産・育児、次男の出産に明け暮れていたあの4年余りの年月が、そのまま和枝さんには、愛児2人を亡くし、その事実を1年余りも知らされないまま皮膚移植の手術などの厳しい治療に耐え、離婚の苦しみにも耐えておられた時間だったのだな~、とあらためて土志田さん一家が味わわれたつらく苦しい時間の長さを実感として感じました。
このジェット機墜落事故は、1959年沖縄県石川市で小学生11人を含む17人の死者を出した宮森小学校への米軍ジェット機墜落事故などとともに、何年経とうとも風化させてはいけないことだ、とあらためて痛感しました。
今も沖縄の空、日本の空を、米軍機がガンガンわがもの顔に飛んでいるわけですが、あらためて「怖い、怖い、怖い!」と思いながらこの本を読んでいました。
2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故は奇跡的に犠牲者が出なかったけれど、紙一重で、この土志田さんと同じ苦しみに投げ込まれる家族がいたかも、と思うとぞっとします。
翻って、昨今の、菅首相はじめ民主党政府閣僚の発言を聞いていると、ただただアメリカの言いなりに辺野古になんとか基地を作りたい、その一心しかないように思われます。
前原外相など、「辺野古移設がかなわないなら、普天間がこのまま続くよ」、いいのかい!?みたいなことを言ってる始末。
ええ加減にしてほしい。普天間飛行場が住宅密集地にあって世界一危険だから閉鎖返還する、という所から話が始まったんだよ。
とにかく危険な普天間は、一刻も早い閉鎖しかないでしょう。そうでないとそのうちにまたジェット機やヘリが住宅地に墜落するかもしれない、そしたらどうするの?
「だから言わんこっちゃない! 危険だから早く辺野古へ移せと言ってたのに、沖縄県民が反対するから、こんな大事故になっちゃった、沖縄県民が悪い!」とでも言うつもりかい!? 言いかねない連中ではあります。とんでもない!
沖縄には普天間だけじゃない、東アジア最大、羽田の2倍もあるドデカイ嘉手納基地があって、周辺住民は日々爆音に苦しめられています。
こんな小さい島のど真ん中にあんな大きな嘉手納基地がある。それだけでも十二分以上のものを沖縄はひきうけていると思います。(日夜爆音に苦しめられている嘉手納周辺の住民は、たまりかねて訴訟を起こすものの、最近も新嘉手納爆音訴訟が最高裁で上告棄却、門前払いされたばかり!)
これ以上、沖縄に何を引き受けろっていうのかな?
政府の誰が何遍「沖縄詣で」をしようともダメなものはダメです。
2月を目前にして、ヤクルト、ロッテなどの球団が次々に沖縄県のキャンプ地入りをしているようですが、この数日、沖縄も結構寒いです。普段から、風があるので気温の割に体感温度が低いな、とは思っていますが、今朝みたいに「空気が冷たい」と感じるのは珍しいことです。
この寒さのせいか、母も体調を崩して一日中、電気毛布(沖縄で電気毛布!)にくるまって、3度の食事以外は寝て過ごしていましたが、今朝はついに「朝食に起きるのもしんどい」と言って、ベッドまで朝食を運びました。こうなると人工肛門・膀胱のケアも大変になってきます。
早く暖かくなって、またコマシな体調になってほしいものです。春よ、来~い!
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昨日、土志田勇著「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」 を読みました。
(2008年1月 七つ森書館)
これは今から34年前に起こった米軍ジェット機墜落事故の被害者の父親が書かれた本で、「『あふれる愛』を継いで」の改題本です。
1977年9月27日、神奈川県にある米海軍・厚木基地を離陸した米海兵隊所属のファントム偵察機が、房総沖の航空母艦ミッドウエーに向かって発進した後、エンジン火災を起こして、横浜市緑区に墜落炎上。幼児二人が亡くなり、その母親も全身大火傷を負った末、4年余りの闘病生活の後に31歳で亡くなった、あの事故です。
被害者は、著者の娘である土志田和枝さんと、孫の裕一郎君(当時3歳)、康弘君(同1歳)。
この事故のことは、早乙女勝元さんの絵本「パパ ママ バイバイ」などで覚えておられる方も多いでしょう。
生花店を経営しながら、息子や娘、孫たちとの生活を楽しむ平穏な暮らしをしていた土志田さんが、米軍機の墜落によって一瞬に陥った悲嘆と苦悩に満ちた日々が、抑制のきいた、しかし力強い筆致で書かれていて、その壮絶な内容にただただ圧倒されました。
和枝さんを亡くした後もさまざまな苦労を重ねながら、娘の志を受け継いで「愛の母子像」建立(横浜・港の見える丘公園)、社会福祉法人和枝福祉会「愛」設立などに奔走される姿には、親ごころの深さを思い知らされて驚き敬服するばかりでした。
事故の起こった1977年は、私の長男が生まれた年。そして和枝さんが壮絶な闘病生活の後わずか31歳で亡くなったのは1982年。彼女の亡くなった日の数日前に私は次男を産んでいます。
そうか、自分が長男の出産・育児、次男の出産に明け暮れていたあの4年余りの年月が、そのまま和枝さんには、愛児2人を亡くし、その事実を1年余りも知らされないまま皮膚移植の手術などの厳しい治療に耐え、離婚の苦しみにも耐えておられた時間だったのだな~、とあらためて土志田さん一家が味わわれたつらく苦しい時間の長さを実感として感じました。
このジェット機墜落事故は、1959年沖縄県石川市で小学生11人を含む17人の死者を出した宮森小学校への米軍ジェット機墜落事故などとともに、何年経とうとも風化させてはいけないことだ、とあらためて痛感しました。
今も沖縄の空、日本の空を、米軍機がガンガンわがもの顔に飛んでいるわけですが、あらためて「怖い、怖い、怖い!」と思いながらこの本を読んでいました。
2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故は奇跡的に犠牲者が出なかったけれど、紙一重で、この土志田さんと同じ苦しみに投げ込まれる家族がいたかも、と思うとぞっとします。
翻って、昨今の、菅首相はじめ民主党政府閣僚の発言を聞いていると、ただただアメリカの言いなりに辺野古になんとか基地を作りたい、その一心しかないように思われます。
前原外相など、「辺野古移設がかなわないなら、普天間がこのまま続くよ」、いいのかい!?みたいなことを言ってる始末。
ええ加減にしてほしい。普天間飛行場が住宅密集地にあって世界一危険だから閉鎖返還する、という所から話が始まったんだよ。
とにかく危険な普天間は、一刻も早い閉鎖しかないでしょう。そうでないとそのうちにまたジェット機やヘリが住宅地に墜落するかもしれない、そしたらどうするの?
「だから言わんこっちゃない! 危険だから早く辺野古へ移せと言ってたのに、沖縄県民が反対するから、こんな大事故になっちゃった、沖縄県民が悪い!」とでも言うつもりかい!? 言いかねない連中ではあります。とんでもない!
沖縄には普天間だけじゃない、東アジア最大、羽田の2倍もあるドデカイ嘉手納基地があって、周辺住民は日々爆音に苦しめられています。
こんな小さい島のど真ん中にあんな大きな嘉手納基地がある。それだけでも十二分以上のものを沖縄はひきうけていると思います。(日夜爆音に苦しめられている嘉手納周辺の住民は、たまりかねて訴訟を起こすものの、最近も新嘉手納爆音訴訟が最高裁で上告棄却、門前払いされたばかり!)
これ以上、沖縄に何を引き受けろっていうのかな?
政府の誰が何遍「沖縄詣で」をしようともダメなものはダメです。