すいーと雑記帳

とっこの独り言

「眼の奥の森」

2009-07-31 13:55:10 | 居眠り読書
(7月31日 FRI )  33℃


目取真 俊 「眼の奥の森」(影書房 2009年)

米軍占領下の小さな島でおこった米兵たちによる少女強姦事件。
無力な大人たちを尻目に少年セイジは、ひとり復讐に立ち上がる。

事件の周辺の人々の思い、記憶を、60年の時を超えて描いた連作小説。

読む者の心を突き通すような、力のある小説でした。

盲目になったセイジが、何十年も海辺に座って、小夜子に語りかけ続け
る章は、まさに泣き泣き読んだ、という感じでした。

「我が声が聞こえるな?(わんが くいが ちかりんな)小夜子よ・・・。
風(かじ)に乗(ぬ)てぃ、波に乗(ぬ)てぃ、流れ(ながり)て行き
よる(いちゅぬ)我が声が聞こえるな?(わんがくいがちかりんな)
太陽(てぃだ)や西(いり)に下がてぃ、風(かじ)ん柔らかくなてぃ・・・」

海を望む老人施設のバルコニーで、海風を受けながら老女小夜子がつぶやく。
「聞こえるよ(ちかりんど)、セイジ」

沖縄の若者の、無惨に傷つけられた魂の叫びを描くには、このウチナー
グチ(沖縄の言葉)以外あり得ないわけで、その力強い、たしかに言霊を
宿した、わくわくするような美しい言葉を、心うち震える思いで読みました。

でも一方で、目取真さん以後の作家で、こんな風にウチナーグチを駆使で
きる人はいるんだろうか?と考えた時、暗澹たる思いにかられます。

明治時代末期以降、学校で「方言札」などの罰まで課して豊かな沖縄方言
を禁止駆逐して、ヤマトの「標準語」なるものを強制してしまった政策の、
取り返しのつかない愚かさを思います。

そのことを、こんなに手痛く感じたことはありませんでした。

学校で手ひどいいじめにあって孤独に苦しんでいる少女と、戦争体験の
語り部として学校に来た老女(実は強姦事件の被害者の妹)が出会う場面
は心に沁みました。理不尽に苦しめられる孤独な魂は、決して過去のもの
ではなく、現在もさまざまな形で存在していることに思いを馳せる作者の
眼の深さ、広さを感じます。

とても優れた小説だと思います。
文学というものの持つ力、他のものでは代えがたい力について、あらためて
考えさせられました。
ぜひ一読をお勧めしたいです。

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