6月23日 SUN 31℃
今日は、沖縄戦で旧日本軍の組織的な抵抗が終わったとされる6月23日。沖縄戦で亡くなった全戦没者の霊を慰める「慰霊の日」です。県内各地でさまざまな慰霊の日の行事がおこなわれています。
チョイさんは、朝8時に家を出て糸満市摩文仁(まぶに)にある平和祈念公園へ向かいました。そこで県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が行われます。
安倍首相や岸田外相、小野寺防衛相らも参列するはずです。安倍は、またまた「沖縄の苦難に思いを致し、県民の負担軽減をはかりたい」なんてことをシラ~ッと言うに違いないけれど、「あんたがた、ガン首揃えて沖縄に何をしに来た? 沖縄の負担軽減と言う同じその口で、よくも普天間の移設先としては名護市辺野古に新基地建設なんて言えたもんだ! 8月にオスプレイ12機を普天間に追加配備するらしいな、どこが沖縄の負担軽減じゃ! とっとと沖縄から出て行け!」と、私も首相らに言いに平和祈念公園まで行きたかったのだけれど、母の人工膀胱ストマ台紙の取り替えの日だし、糸満へ行くことはあきらめて、自転車で那覇新都心まで上がりました。
遠くに行けない私は、毎年、慰霊の日にはここに来ることにしています。英語名でシュガーローフ、沖縄名で慶良間チージと言われる、今は那覇新都心の繁華なビル街と化した高台は、1945年5月、首里城地下の日本軍司令部をめざす米軍と、迎え撃つ日本軍が大激戦の攻防を繰り返した場所なのです。今は貯水場になっています。
登り口の石段に黄色いアリアケカズラが咲いていました
シュガーローフの戦闘について書かれた碑 (後ろ下方にはTSUTAYA とか洋服の青山の看板)
北東方向を見る。DFSの免税店が真前です
私が持参したミネラルウオーター (左の日陰に黄菊が一輪置いてありました)
シュガーローフの戦いの説明板
ちょうど正午頃になったので、ここで私も黙祷。
人っ子ひとりいない高台に夏の日差しが照りつけて、かなり強い風が木々を揺らしていました。ここが68年前に日米の激戦地で、何千人という日米の兵士、学徒、住民が亡くなった場所だということが信じ難い思いでした。 胸わさわさする思いで、階段を下りて、すぐ近くにあるCOOPに向かいました。買い物をして帰宅。 午後、母の人工膀胱の台紙取り替え作業。