快読日記

日々の読書記録

「名作うしろ読み」斎藤美奈子

2013年05月20日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《5/17読了 中央公論新社 2013年刊 【書評】 さいとう・みなこ(1956~)》

「次の書き出しで始まる文学作品はどれか」みたいな問題、例えば「ある日の暮れ方のことである」→答)芥川龍之介「羅生門」とか。
それの逆バージョン、つまり最後の一節から作品を読み解こうという試みです。
どれも2ページほどの短い文章ですが、132作品という量と歯切れの良さが魅力。
梶井基次郎「檸檬」を「格差社会を撃つ小説」と定義したり、
孤独であることより犯罪者として注目されることを望むムルソー(カミュ「異邦人」の主人公)に「死刑になりたかった」と口にする現代の殺人犯の姿を重ねたり、
円地文子「女坂」のラストにコケにされ続けた女の究極の復讐を見たりする。
「パルタイ」の破壊力のなさを見抜き、倉橋由美子を結局躾の良いお嬢さんと鋭く看破します。

でも中島敦「山月記」が「教科書に採用された理由は謎」とし、「才能もないのに夢を見ると人生を棒に振るって話」(143p)と解釈するのはどうなんだろう。
教科書に載る経緯は島内景二「中島敦『山月記伝説』の真実」(文春新書)に詳しいし、
若いうちは皆、傷つくのを恐れて勝負を避ける、だけど自分はそんじょそこらのやつとは違うんだという「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」に翻弄されるもの。
苦しんでいるのは君だけじゃないよ、というメッセージを伝える教材としてもうってつけで、高校生にぴったりな作品だと思うからです。
アキバの通り魔Kも「山月記」をしっかり読めば凶行に走らずに済んだのでは?とさえ考えます。

豊崎由美にあって斎藤美奈子にないのは文学的情趣・ナイーブさかもしれません。

/「名作うしろ読み」斎藤美奈子

「紫式部のメッセージ」駒尺喜美

2013年02月04日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《2/2読了 朝日選書(朝日新聞社) 1991年刊 【文学 評論】 こましゃく・きみ(1925~2007)》

源氏物語、実はしっかり読んだことがなくて(昔、現代教養文庫のダイジェスト現代語訳を読んだだけ)、正直なところあまり関心もなかったんです。
なんだか絶世の美男の、恋を中心とした一代記みたいなものらしい。
でも、そのやりたい放題の男が主人公なら、そんなのをどうしてわざわざ女が書くのかな?
ちゃんと読みたいという気が起こらなかったのはこの根本的な疑問のせいです。
ところがこの本、その辺りにのっけからズバッと答えてくれるんです。

筆者は、そもそも「この時代に女であること自体が悲劇」(139p)であるとし、
「式部はまずここで、女の状況をさし示したのである。どのように立派な男から愛されたとしても、女にとっては悲劇であること、男がどのように主観的には善意にみちあふれていようとも、身勝手な存在であり、本質的に残酷であること、を。わたしは、紫式部は女の不幸を閉じられた円環と見ていたのではないかと思う。どこにも脱出口のないものと見ていたのではないだろうか。それが深い深い動機となって『源氏物語』が書かれたのだ」(63p)と指摘しています。
つまり、源氏はむしろ女たちを描くための狂言回しだと。
加えて、紫式部自身の置かれた状況にも触れ「自己否定と自己肯定に引き裂かれたところに、彼女のシンドさがあり物思いがあったと思う。(略)それこそが『源氏物語』の創造力の源泉」(47p)であると考察し、
「紫式部は、結婚幻想・恋愛幻想に陥っていない女だった」(47p)からこそ、女たちの苦しみ・悲しみをとことん描いたのだと結論づけます。

その意図に沿って、「源氏物語」がどんなに巧みに書かれているかという証明が続き、本当に興奮します。
また、それを見抜けなかった従来の研究者たちの主張を軽やかに論破していくので爽快この上なし。
まさか1000年後に真意を理解してくれる人が現れるなんて、紫式部も草葉の陰で喜んでいることでしょう。

じゃあ、現代に生きる女たちはそんな悲劇に陥らずにいるかと言えばそうではなく、「奴隷は主人の頭でものを考える」(108p)という言葉通り、構造は巧妙に、ますます見えにくくなっているようです。
確かにフェミ視点の論評ですが、そんな食わず嫌いは大損ですね、読めてよかった。

源氏、もし既読でもこの本読んだら再読したくなること必至だから、むしろ先にこの本で正解かも。

/「紫式部のメッセージ」駒尺喜美

「お言葉ですが…」高島俊男

2013年02月03日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《2/2読了 文春文庫 1999年刊(単行本1996年文藝春秋刊) 【日本語】 たかしま・としお(1937~)》

外は ふーゆのーあめ~ ま~だやーまぬ♪

ああ「氷雨」か、と思う人は40すぎかもしれませんが、それはともかく。
「氷雨」って夏の季語なんだそうです、ご存知でした?
わたしはもちろん知りませんでした。
さらに受け売りを続ければ、氷雨は雹(ひょう)のことで夏に降るもの。同じ氷の塊でも冬に降るのが霰(あられ)。

こんな調子で日本語に関する講義がたっぷり楽しめる(そしてためになる…けど忘れちゃう)名著です、オススメです。

例えば「美智子さま雅子さま」と題された文章ではこんな話が読めます。
大河ドラマの予告で、徳川幕府の家臣の「家康様の後遺言に…」というセリフが聞こえた。
たとえ“様”をいくつ付けようと江戸時代の人が「家康」なんて言うはずがない。
今の皇族が明治天皇を「睦仁さま」と呼ぶわけないのと同じだ。
島崎藤村「夜明け前」では幕末の人が「徳川様の御威光で…」と発言する場面が何度もある。
これに対し、三田村鳶魚が「あの時代の人が『徳川』などと口にすることがあろうか。『公儀』と言うのだ。そんなことも知らずに小説を書くな」と叱ったんだそうです。
そして、こう続きます。
「なにも皇族や将軍家にかぎったことではない。名はその人自身であるから、名を呼ぶのはその人の体に触れるのと同じことで、非常な失礼である。だから誰であれ、自分より上の者の名を呼ぶことはない。(略)下の者に対しては名を呼ぶ。日本語で、兄と姉には『兄上』『姉上』『にいさん』『ねえさん』と名を避けるための呼びかたがあるのに、弟と妹にはそれにあたる語がないのは、名を呼ぶからである」(79p)
さらに、「人の名を呼ぶことはその人の体に触れることであるから、特に女の名は呼ばない。むしろ秘匿される。万葉集開巻冒頭、雄略天皇が野で会った娘に『家聞かな、名告(の)らさね』、名前を教えてちょうだい、と言っているのは、お前を抱きたいというにひとしかろう。抱かれたければ名を告げる。(略)小野小町も紫式部も清少納言も常盤御前も名はわからない」(80p)
そして、「美智子さま」「雅子さま」という呼び方に「日本人の生理にあわない。非常にいやな感じがする。なぜ『皇后』『皇太子妃』と言わないのか」(81p)と訴えています。

どちらかと言えばわたしは言葉に気を使う方だと思っていました(どちらかと言えば、です)が、
高島俊男や呉智英を読むと、自分のあまりの無知と誤解の多さに恥ずかしくなってきます。
でも、これだけの知識や考察を、ふんぞり返ったり読者を叱り飛ばしたりしないで、親しみやすく書いてくれるので、気がつくといい生徒になっちゃってますね。

→「漢字と日本人」高島俊男

→「本が好き、悪口言うのはもっと好き」高島俊男

/「お言葉ですが…」高島俊男

「青春俳句大賞 龍谷大学第5回青春俳句大賞」龍谷大学 編著

2012年09月30日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《9/30読了 大阪書籍 2008年刊 【俳句】》

もう10年近く前の話。
職場で、同じ部屋の×さんが前日作った俳句(いつも十数句あった)を読んで、一番いいやつを選ぶ、というのが毎朝の習慣でした。
ひとつのモチーフを少し修正したりアレンジしたりしたものが2、3句並ぶことも多いので、そこに制作過程も見え、「俳句って、こうやって練って作るのか~」と驚きました。
さらに感心したのは、作者を含めて誰が読んでも、これがベスト!というのがだいたい一致するところ。
いい句・まずい句というのは本当にあるんだなあという驚きでした。
的の真ん中にスパンと矢が命中するように「これしかないだろう」と思わせる力なんですね。
例えば、大学生部門佳作のこの句、

・宛先を書けずにラムネ飲み干して

これが牛乳だと相手に恋心が感じられないし、コーラだと今ひとつ爽やかさに欠けるし、麦茶だとなんだか和風だし、コーヒーだと別れの手紙みたいだし、ビールでは青春じゃないし、ウォッカでは問題外だ。
若くてちょっと甘酸っぱくて、キラキラとスッキリしたかんじ「ラムネ」がベストでしょう。

・かあさん似の糸瓜ばあさん似の糸瓜

なんてのは、作者もきっと糸瓜に似てるんだろうなあと想像してクスッと笑ってしまう。

・新緑や朝の卵の美しさ

高校1年生の作品にしては渋いけどすごく好み。
早起きして、清潔な和室でおいしい朝食をさあ食べよう!という場面が浮かびます。

この句集は、龍谷大学が毎年開催している「青春俳句大賞」に応募された優秀作品集。
英語の俳句もありますが、こちらはいまいちピンとこない。

「詩という世界は常識世界の延長ではありません。言葉で言えない世界が言葉になる瞬間に生まれるものだからです」(181p 選考委員/大峯あきら)

/「青春俳句大賞 龍谷大学第5回青春俳句大賞」龍谷大学 編著
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「短歌ください」穂村弘

2012年09月27日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《9/26読了 メディアファクトリー 2011年刊 【短歌】 ほむら・ひろし(1962~)》

雑誌「ダ・ヴィンチ」の読者投稿コーナー「短歌ください」の書籍化。
選者・穂村が「弟の家には本棚がない」(吉野朔実のエッセイ漫画)の中で「俳句は訓練がいるみたいです。短歌はキャラクターというか、心の状態が極端ならそれだけでつくれる面があるので。恋愛中の人とか人殺しの人とか短歌書くでしょう?」と言っているのを読んで「なるほど」と思って。

わたしはどっちかと言えば俳句の「言い逃げ」みたいなところが好きなんです。
俳句は乱暴なくらい短くて潔く、その分余韻がしっかり残るから。
それに比べると短歌って感情がダイレクトで生々しいでしょ。
ものによってはそこがちょっと気持ち悪いくらい。
「そんなとこ見せるなよ、隠しとけよ~!」と言いたくなる。
でも読んじゃう。
臭いものを嗅ぎたくなる心理か?
っていうか好きなのか?短歌。
よくわからない。

それはともかく、穂村弘の解説に「ああ、そう読めるのか!」という面白さもあるし、なにより好きだと感じるいくつか歌の作者が同一人物の常連さんだったりするとファンになってしまいます。

いくつか紹介します。

・「日本野鳥の会」にいたという人よ わたしをかぞえたことありますか

・この部屋にはてんとうむしを閉じ込めてあるからこれはひとりごとじゃない

・広場にて酔いつぶれ寝る女らをまたいで歩く塾帰りの子

・五円玉ベストを作るおじさんを尊敬できず小三の夏

・少しだけネイルが剥げる原因はいつもシャワーだよシャワー土下座しろ!

/「短歌ください」穂村弘
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「国語が子どもをダメにする」福嶋隆史

2012年09月21日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《9/21読了 中公新書ラクレ 2012年刊 【国語教育】 ふくしま・たかし(1972~)》

国語教育に論理性を求めている割には文章が感情的で、
本当の国語力を伸ばす!という割には「真逆(まぎゃく)」なんて言葉が何度も出てきたりして(「真逆」には「まさか」という本来の読み方がある)、
ちょいちょい繰り出すたとえ話はおもしろくない、
というわけで読んでいて辛い。

児童・生徒の自主的な学習という名目でなされている放任授業や、完全に道徳教育にすり替わっている国語の授業を徹底的に批判し、子供に真の読解力を身につけさせるべきだと主張する、そこにはもちろん賛成するけど、
この筆者のキャラクターがどうにも不愉快でダメでした。

現行の国語教育批判をたっぷりしたあとの第三章「国語教育はこう変えろ!」で提案されるのは、例えば齋藤孝や出口汪の日本語トレーニングと大差ないように見えて、
国語(現代文)の問題って所詮「空気読み」じゃん、という批判に耐えられないような問題もあります。

筆者の簡単な経歴が出ているのを見ると、2006年まで公立小学校に勤めていた(その後、国語塾を主宰)ようだけど、ちょっと勤めてサッサとやめて離れた場所から批判してもなあ、と思いました。
語り口がひとりよがりなかんじで、言葉に潤いがないので、この人、職場でもうまくやれなかったんだろうなあ、といらぬ想像をしてしまいます。
あなた以外の教員も、教科書作る人も、センター試験の出題者もみんなバカなのね、分かった分かった。
「ほとんどの高校生は大学入試を目的にしている」という認識もどうかと思うよ。

結局、共感できたのはタイトルだけですが、「がっかりするのも読書の楽しみ」って昨日読んだ本にも書いてあったから大丈夫。

/「国語が子どもをダメにする」福嶋隆史
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「漢字と日本人」高島俊男

2012年08月15日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《8/5読了 文春新書 2001年刊 【漢字 日本語の表記】 たかしま・としお(1937~)》

“名門コーコーに合格したコーコー息子”と言えば無意識のうちに脳内で“高校・孝行”と変換しながら聞ける、
実は日本人というのはかなり高度なことをさらりとやってるんですね。
そう言えば“きしゃのきしゃがきしゃできしゃした”なんてフレーズもありました。
元々文字を持たなかった日本人が漢字という“外国語の文字”を輸入し、“山”は我々が言う“やま”だ、というところから日本語を当てていくというのは想像を超える大変な作業です。
“mountain”を“やま”と読めと言うのと同じだと言われるとよくわかります。
これじゃ自分たちの文字を考えた方が早いんじゃないかと思うくらいです。

そもそも母国語を表記するのに外国の文字を使うとはどういうことか、
それらをどう迎え、飼い慣らし、加工し、のちに改革しようとしてきたか、がすごく丁寧に説明されています。
呉智英の本で紹介されていたのを思い出して読んでみたんですが、もっと早く読めばよかったよ~!!という気持ちです。
わかりやすくて面白い講義を聞いてるみたいな本。

文字はその国の過去の人と密に繋がれるツールであるから決して軽んじてはならないし、捨てるなんてもってのほか。
文字を捨てるってことは歴史を捨てるってことだもんね。おそろしい。
明治時代から第二次大戦後まで続く漢字廃止論・国語改革の顛末は鳥肌もの。
今、うやむやになっていて、むしろ使える漢字を増やす傾向にあるのはよいことです。
喉元過ぎれば忘れちゃう国民でよかった。
この改革を徹底的にやられたら、わたしたちは自分のルーツや歴史から切り離され、心細い根無し草となることでしょう。
自国の言葉や文化を大事にすることは、他国のそれを尊重することにもつながるだろうし。

/「漢字と日本人」高島俊男
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「日本人の知らない日本語3 祝!卒業編」蛇蔵&海野凪子

2012年05月10日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《5/8読了 メディアファクトリー 2012年刊 【漫画 日本語】》

シリーズ3作め。

○「凪子せんせいは気分が悪い」
×「凪子せんせいは気持ちが悪い」

○「おかえりなさいご主人様」
×「おかえりくださいご主人様」

に、日本語って難しい。
それを操れる外国人ってすごい!
デーブスペクターや外国人力士ってすごい!!
日本語や日本文化の話にとどまらず、各国の文化がたくさん紹介されているのもおもしろくて。
とくに片手で16まで数えられるインド式カウント法にはびっくり。

凪子せんせいの考え方にはかなり共感できる(例えば、生徒への対応など)し、
日本語を学びに来る外国人のバイタリティには見習いたいものがあるし、
何より、このクラス楽しそう。

役立つこともいっぱいありました。
「外国人にわかりやすい日本語」は試してみたい。
そういう場面に遭遇する可能性は低いけど、
対日本人でも応用できそうです。

/「日本人の知らない日本語3 祝!卒業編」蛇蔵&海野凪子
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「大江戸観光」杉浦日向子

2012年03月30日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《3/27読了 ちくま文庫 1994年刊(筑摩書房より1987年に刊行された単行本に「お江戸珍奇」三篇を加えて文庫化) 【日本のエッセイ 江戸】 すぎうら・ひなこ(1958~2005)》

未読だったんですね~、代表作なのに。
20代のころに各誌に発表された江戸の風俗などに関するエッセイをまとめたもの。
福助人形の由来みたいなトリビアや江戸の下ネタ、奇譚がおもしろかった。
奇譚というのは、例えば妖怪や人魂や変生(性別が途中で変わること)の話。
江戸の人たちが、こんなおもしろいことがあったんだってよ~って楽しんで、それをまた伝え聞いてクスッと笑うような幸せ。

随所にいかにも80年代というノリがあって懐かしいかんじもします。
文章もきゃぴきゃぴしていて熱っぽい。
巻末に21世紀に思いを馳せる短文が3つ、これは85、86年に書かれたものなんですが、今読むと「ああ、たしかにこんな雰囲気だったなあ」と、あの当時の空気がわあっと蘇ります。
21世紀かあ…。

→「隠居の日向ぼっこ」杉浦日向子

/「大江戸観光」杉浦日向子
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「はじめてわかる国語」清水義範 え/西原理恵子

2012年03月14日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《3/8読了 講談社文庫 2006年刊(2002年に講談社から刊行された単行本を文庫化) 【日本のエッセイ 日本語】 しみず・よしのり》

「週刊ブックレビュー 20周年記念ブックガイド」でも回顧されていた“日本語ブーム”。
99年刊大野晋「日本語練習帳」を筆頭に、01年齋藤孝の「声に出して読みたい日本語」、05年北原保雄「問題な日本語」、近年でも蛇蔵&海野凪子「日本人の知らない日本語」など、まだまだ花盛り。
そこで「自分ではじめた国語ブームに完全に乗り遅れ」とサイバラ画伯に紹介されている筆者の日本語エッセイです。

内容は、国語とはそもそもどういう学科なのか、に始まる日本語や漢字や文章についてのお話といったところですが、後から出た“日本語本”を読んでいるせいで新鮮味が感じられなくてなんだか申し訳ない。

それはともかく、確かに国語の授業って、ただの誘導尋問みたいな気がする。
本来、論理的で理知的であるはずの“言葉”を扱う教科が一番感情的で恣意的みたい。
でも、そこはさすがに清水義範!「国語」という教科の本当の目的をはっきり説いていて心強いです。
あとは指導者がもっと勉強しなきゃって話ですね。

終盤で大谷崎(って言い方は今もあるのか)の「文章読本」を分析してるのもすごくおもしろかったです。

→「身もフタもない日本文学史」清水義範

/「はじめてわかる国語」清水義範
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「第2図書係補佐」又吉直樹

2012年02月24日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《2/22読了 幻冬舎よしもと文庫 2011年刊 【日本のエッセイ 書評】 またよし・なおき(1980~)》

吉本興業の劇場で配られるフリーペーパーに連載されたものに書き下ろしを加えたエッセイで、47冊くらいの本が紹介されています。
筆者自身が「好きな本ばかりを選んだ」と言う“テッパン”ぞろいの選書。
わたしも読んだことがある本が半分くらいあった--ってことは、好みが似ているのかもしれません。
そう思うと、ここに登場する町田康「告白」、中村文則「銃」あたりを読んでみたくなります。
太宰治をお笑い目線で読むというのは西加奈子なども言っていることですが、安部公房もかなりお笑い度が高いよ、しかもシュールだよ、と付け加えたい。
そう、この本の魅力は“自分もその話に参加したくなる”ってことです。
「読書芸人」またやってほしいなあ。

お笑いの劇場に通う若い人をターゲットに書かれたようですが、むしろ肥大する自我と闘ってたり、自分の居場所がなくてつらい思いをしたりして、鬱々としてる中高生におすすめしたい1冊です。

それはともかく、又吉直樹って伊勢谷友介に似てますよね。

/「第2図書係補佐」又吉直樹
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「カキフライが無いなら来なかった」せきしろ 又吉直樹

2012年02月02日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《1/26読了 幻冬舎 2009年刊 【句集】 せきしろ(1970~)/またよし・なおき(1980~)》

蚊に刺されるために生きたような日だ(せきしろ)

ほめられたことをもう一度できない(又吉)

カーテンの丈も便座カバーの形も間違った(せきしろ)

眼鏡が曇ったもう負けでいい(せきしろ)

耳鼻咽喉の看板が阿鼻叫喚に見えた夜(又吉)

まだ何かに選ばれることを期待している(又吉)

自由律俳句、楽しそう。
ちょっと作ってみたくなります。
所々にエッセイ(?)も挟まれています。
最初、この二人の味の違いがよくわからなかったけど、徐々に親しめたのもよかったです。
どうしようもないとき、やるせないとき、何かに負けたとき、それらにぴったりの言葉を探してはめてみると、その場面が一枚の写真みたいに焼き付きます。
人を笑い、状況を笑い、自分さえも笑う。
それは大笑いとも冷笑とも違う、伏し目がちで遠慮がちな「ふふふっ」ってかんじの笑いです。

/「カキフライが無いなら来なかった」せきしろ 又吉直樹
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「縦横無尽の文章レッスン」村田喜代子

2012年01月29日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《1/24読了 朝日新聞出版 2011年刊 【日本語】 むらた・きよこ(1945~)》

下関の某大学での講義をもとにしたもの。
提示される文章も、小学生の作文、理系の研究者の文章、英国人作家・ゴッデン作/石井桃子翻訳の童話「ねずみ女房」(←名作!)など多岐にわたり、学生の作品もとりあげられています。
なぜそれらが選ばれたのか、どこがどういいのか、それはつまり「どういう文章がいいのか」につながるんですね。

とか言いながら、これを読んだだけでわたしの文章力が上がるかというとそんなこともなく、
(美容本で美人になるわけでも、お掃除本で家が片づくわけでもない)
でも、無駄のない読みやすい文章を心がけるだけで、変わってきたらいいかもなあ、と思います。

世間的には高評価な本で、それに異論は全くないけど、
好みで言えばわたしは前作「名文を書かない文章講座」の方が好きです。
「名文」は、実作者の立場から書かれているので、
プロの作家の舞台裏が覗けるおもしろさがあり、
それに比べるとこの本は、文章を書くことに対する敷居を下げてくれた分、ちょっと薄口な印象です。

/「縦横無尽の文章レッスン」村田喜代子
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「松本清張を推理する」阿刀田高

2012年01月20日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《1/19読了 朝日新書 2009年刊 【書評 エッセイ】 あとうだ・たかし(1935~)》

実作者が書く評論のおもしろさといえば、この阿刀田高の「短編小説のレシピ」以外にも、近田春夫「考えるヒット」シリーズ、ドン小西「部長!ワイシャツからランニングがすけてます」などが実証済み。
本作はタイトル通り、小説家・阿刀田高が松本清張作品の創作背景を楽しそうに推理しています。
どんな材料を使っているか。
それらはどこでどう仕入れたか。
そしてどう調理されているか。
愛読者・同業者双方の立場からアプローチしていて、根本に敬意と好意があります。
しかも、ただほめるだけではなく、
その作品の瑕疵に言及したり、
どういう依頼で書いたのかまで推理したり、
松本清張が参考にしただろう他作家の先行作品を予想したりしています。

小説家って、ほんの小さな火種から人をすっぽり飲み込むほどの作品を作り上げるんだからすごいものですね~。
さっそく「無宿人別帳」を借りてきてしまいました。

阿刀田高「短編小説のレシピ」
ドン小西「部長!ワイシャツからランニングがすけてます」


/「松本清張を推理する」阿刀田高
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「日本人なら知っておきたい日本文学 ヤマトタケルから兼好まで、人物で読む古典」蛇蔵&海野凪子

2011年12月19日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《12/17読了 幻冬舎 2011年刊 【漫画 日本文学】 へびぞう/うみの・なぎこ》

登場する人物:清少納言/紫式部/藤原道長/安倍晴明/源頼光/菅原孝標女/鴨長明/兼好/ヤマトタケル


「日本人の知らない日本語」シリーズもよかったけど、こっちの方がもっとおもしろかった。

自分が古典に近づくんじゃなくて、
古典をこちら側に引っ張ってきた力業がすばらしい。
さらに、キャラクター設定が潔くて的確。
例えば、言いたい放題だけど機知に富み、清々しい清少納言、
なんだか何をやってもうまくいかない鴨長明。
もし今、兼好が生きていたら、ベストセラーを出した人気タレント文化人になっているだろうと指摘したり、
孝標女を「夢見るオタク少女」としながらも、その才能や人柄を評価したり、
おもしろい上に決して的をはずさないところがよかったです。

ちょこちょこと原文が挟み込まれているのも、古典文学への興味を喚起させてくれるかも。
続編望む!

/「日本人なら知っておきたい日本文学」蛇蔵&海野凪子
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