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こぶちっ子の天天向上

平々凡々の日常生活の中にも日々の活動、眼にふれたこと、体験したこと等を日記として記録しています。楽しく元気に!

小田原城

2021-03-27 15:57:54 | 寺社仏閣

今日は以前より気になっていた小田原城へ急に思い立って行きましたわ~

 

そろそろ桜も満開を期待していたのですが、まだ3分程度の開花でしたね

小田原駅から徒歩10分程度の場所にありました。想像以上に人出があり不安もありましたが・・・。人々は感染よりも行ってみたいこの時期の小田原城と桜なんでしょうね

さて、小田原城とは・・・。

小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろのことと考えられています。1500年ごろに戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の中心拠点として次第に拡張整備され、豊臣秀吉の来攻に備えて城下を囲む総構を完成させると城の規模は最大に達し、日本最大の中世城郭に発展しました。
 江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎え、城の規模は三の丸以内に縮小されました。稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わりました。その後、大久保氏が再び城主となり、箱根を控えた関東地方防御の要衝として、また幕藩体制を支える譜代大名の居城として、幕末まで重要な役割を担ってきました。
 しかし、小田原城は明治3年に廃城となり、ほとんどの建物は解体され、残っていた石垣も大正12年(1923)の関東大震災によりことごとく崩れ落ちてしまいました。
 現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されています。また、本丸を中心に「城址公園」として整備され、昭和35年(1960)に天守閣が復興、次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、平成21年(2009)には馬出門が復元されました。さらに小田原市では、貴重な文化的遺産である小田原城跡をより一層親しんでいただくとともに、長く後世に伝えていくことを目的として、本格的な史跡整備に取り組んでいます。

 

今の小田原城は後世に伝えていくことも担っているってことですね。

私も多くの人の撮影スポットから今日の1枚

来週末までたのしめそうですね。


浜松五社諏訪神社

2021-03-24 11:24:32 | 寺社仏閣
今日はホテルを午前9時に出発、先ずは「浜松五社神社、諏訪神社」を訪れましたわ~
 
歩いてみるとホテルからこんなに近い場所にあったことに気が付きました。
以下、HPを参照;
 
「曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建した事に始まると伝えられる。後、徳川家康公、浜松城主となり天正7年(西暦1579年)4月7日、秀忠公誕生に当り産土神として崇敬し、社殿を造営し天正8年(西暦1580年)遷座す。寛永11年(西暦1634年)家光公上洛の砌、社参し朱印300石を奉る。その節改めて社殿の造営がなされ、寛永18年(西暦1641年)竣工す。「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ お江戸まさりの五社や諏訪」と謡われ戦前まで国宝建造物に指定されていた社殿がこれである。
五社神社
旧国宝社殿 五社神社拝殿
 
諏訪神社
延暦10年(西暦791年)、坂上田村麻呂が東征の砌、敷智郡上中島村に奉斎と伝えられる。弘治2年(西暦1556年)に曳馬城下、大手前に遷座される。
秀忠公誕生に当り、五社神社と同じく産土神として崇敬され、天正7年(西暦1579年)徳川家康公、社殿を造営す。
元和元年(西暦1615年)、秀忠公、社地を杉山に改め、更に寛永11年(西暦1634年)、家光公、社参し朱印300石を奉ると共に現在地に社地を遷し、寛永18年(西暦1641年)竣工す。
国宝建造物に指定されるも、昭和20年(西暦1945年)戦災により五社神社と共に消失す。

旧国宝社殿 諏訪神社楼門
 
五社神社 諏訪神社
昭和37年(西暦1962年)、両社が合祀され、新たに
五社神社
諏訪神社
として発足する。
 
出世街道と呼ばれている浜松。至る所その名残がありました。現在の五社諏訪神社です。左右に狛犬が阿吽の呼吸で向かい合っていました。
本殿に奉納されている「出世城」という酒樽。
天井も立派でした。
 
訪れて良かったわ~
 
 

浜松八幡宮

2021-03-23 19:20:49 | 寺社仏閣

御神木『雲立楠』

御神木『雲立楠』

浜松八幡宮社殿の前に聳える『雲立楠』は樹齢1000年を超える楠の巨樹で、根回り約15m。枝張り四方約25m、樹高約15m、幹の下部には大きな空洞があります。

幹は数枝に分かれ、基となる古木の部分は樹勢が衰えていますが新生部はすこぶる旺盛で、枝葉は東西南北四方に繁茂して生命力溢れる威容を保っています。

御神木『雲立楠』御神木『雲立楠』

今日は新幹線で浜松へ向かいましたわ~

 

そしてホテルに荷物を置いて直ぐに徒歩で「浜松八幡宮」を訪れました。小さな関石天然記念物の「雲立楠」

ここは古くは源義家公(八幡太郎)が当八幡宮に参籠の折り、樹下に旗を立て八幡二柱の神を勧請したとの伝承から『御旗楠』と称されました。

また、元亀3年(1572)三方原の合戦において甲斐の武田信玄に敗れた徳川家康公は武田方の追っ手を逃れて八幡宮境内へたどり着き、楠の洞穴に身を潜め、難を逃れたと伝わります。

その際、洞穴の中で家康公が一心に八幡神を拝すると、楠より瑞雲が立ち昇り、神霊が白馬に跨った老翁の姿となって浜松城へと公を導いたといわれます。

その故事をもって『雲立楠』と称されるようになりました

徳川家康公と雲立楠の伝承にあやかった開運・厄除・勝運・立身出世など、様々なお願いごとのお守として雲立楠の実を納めたお守りが人気らしいです。

本殿は流石に大きいです。幅はあまり感じなかったのですが奥行きはありました。さすが徳川家康公ゆかりの八幡宮です。

この圧巻な八幡宮に驚き、しばらくのんびりと徳川の権力により栄えた浜松の歴史を学びました。


子安神社

2021-02-24 17:48:54 | 寺社仏閣

今日は午後、天気に誘われて久しぶりの電車に乗車して「子安神社」を訪れましたわ~

 

正月以来の電車ですう。 最寄り駅より約20分。

以前より行ってみたい近場の神社でした。「子安神社」っているだけに安産の神様っていうことです。境内。

ここが安産の神様の神水殿。「木花先耶姫命像」と書かれています。

稲荷の神様のお使いであるおキツネ様。3月1日~31日までキツネ祭りが開催されるそうです。

 

ぶらぶら歩きには程よく楽しめる憩いの場所でしたよ~ きつね祭りにも行ってみたいなあ~

そして、きつね祭り🦊では地域の店舗でお稲荷さん料理が食べられるそうです。商売繁盛の神様のお稲荷様ですから、大いに盛り上がって商売繁盛をになることをお祈りしましょう「おきつね様一同お待しています」


地元の神社

2021-01-03 18:34:36 | 寺社仏閣

今日は箱根駅伝の劇的なゴールをテレビ観戦してから地元の神社へお参りに行きましたわ~

 

境内には私と同じように駅伝見てからお参りにやってくる人が多い様子。皆さん考えることは同じなんでわ(^^♪

この地域のお守り神社です。

そして、おみくじを引いて今年の1年を占っている人多数です。今年の1年は大吉  それはお賽銭によって決まるかもよ~

 

外気は冷たいわ。