令和4年11月5日、地元のイベント会場でリハビリテーション講習会があって参加してきた。テーマは、“我々が周囲から理解してもらいずらい理由”で、講師は鈴木大介氏で1973年生まれの49歳。7年前に脳梗塞を発症し、その経験を活かして「脳は回復する」など、多くの本を出版している。
同氏は脳梗塞が原因で高次脳機能障害であるが、当事者であるので話に説得力がある。高次脳機能障害とは、交通事故や病気によって脳に損傷を負い、知的機能に障害が出て日常生活や社会生活に支障をきたす状態をいう。
典型的な例は、脳出血や脳梗塞を発症しリハビリなどによって体のマヒはある程度改善したものの、失語症が出て社会生活が営めないといったなどの状態である。
私も11年前に脳出血を患い長い闘病生活を経験したので、高次脳機能障害で認知症でもある。認知症は、約50%がアルツハイマー型認知症と、約20%がレビー小体型認知症、約15%が脳血管性認知症で、その他の15%が脳腫瘍、交通事故、アルコール中毒などである。
ところで、私は囲碁に夢中であったが、高次脳機能障害のため四段から1級程度に4ランクも落ちたが、最近、1ランク下げまで回復したのである。3ランク回復した理由は、脳神経がつながってきたのだろう。
講師の方が言っていたように脳は回復し、脳細胞は再生するので、障害を克服するには諦めないことが大切だと思っている。私のフェースブックに載せている「介護士の何気ない一言!」があるので、参考までにのせよう。
『私は週1回、機能回復型デイサービスを利用している。そして、その送迎車の中で介護士が、次のように言った。「脳の自然治癒力には、期間に限りがない」と。私は、ハットした。何故かというと11年前に脳出血を患い長期間にわたって頭の一部がしびれていたが、それが最近、治っているのに気づいたからである。このことは、知人が書いている“何故一歩が踏み出せないのか?”に通じるものがある。
何故一歩を踏み出せないのか?
【自己紹介】
2005年7月、50歳のとき脳出血を罹患。言語障害(失語症)、右片麻痺の後遺症が残っている。急性期病院の医師から「社会復帰は望めない」と言われ絶望感に襲われた。25メートル泳げたという自信が、その後「勇気・希望」がもて「変容」につながり、新しい自分(居場所)を発見した。
現在、障害を持ったからこそ果たせる役割があると公益活動に従事しながら、大学で障害者福祉をゼロから学んでいる。
【はじめに】
多くの人は中途障害を抱えると、回復の停滞感や減速感から徐々に落ち込み、情緒が不安定になり、引きこもりになる場合も多い。
私も4年間にわたり希望を失い、どん底の毎日を経験した。しかし、ちょっとした「きっかけ」(出会い)から「動機づけ」(変容)の変わり、新しい自分(居場所)を発見した。
【存在意義の否定】
私は救命されたものの、医師からの心ない言葉で失意のどん底に陥った。さらに仕事の仲間からは「三嶋は終った」と囁かれ、人間不信にもなった。こうなると、どんどんモチベーションが下がっていった。
自分が知らぬ間に「社会的弱者」と思うようになり、障害の有無にかかわらず、人間にとって最も避けたい存在意義を失った。これではいけないと思っていても、なかなか行動に移せない、一歩が踏み出せない日々が続いた。
【モチベーション(動機づけ)を上げるためには】
一番怖かったのは、目指す絶対的な価値観がなくなり、どこを目指したら良いのか分からず、空回りが続いた。それに加えて過去の自分と比較し、それが足かせになった。
心理学者のE.デシは、「自分がやりたいことをやった時、一番能力が発揮できる」と説いている。モチベーションを上げるためには、「これだったら、自分もできるかも知れない」ことを、一つ見つけることが大切。自分ができるところから、自分のペースでゆっくりやればいい。「自分で決めたこと」をやれば高いモチベーションが保てる。
【克服へのきっかけ(出会い)】
2009年、リハビリの一環として水中リハをはじめ、一年後に25メートルを泳ぐことができた。その時の水中映像で、麻痺側下肢がしっかり動いている自分の姿を見て、それまで「動かない」と思い込んでいたことにハッとした。
泳げたという「自信」と脳の可能性を信じる「希望」。そこから克服のチャレンジがはじまった(心のスイッチが入った)。当初、泳ぐことに躊躇していたが、指導員から背中を押してもらったことも、「きっかけ」になった。
【きっかけ(出会い)から動機づけ(変容)】
とはいっても、どうやったら「心のスイッチ」が入るのか? それには自分を信じることと、自分ができることからはじめる。私の場合は、泳げたという「自信」と麻痺側下肢がしっかり動いている姿を見て「希望」がでてきた。
しかし、それだけではスイッチは入らない。どうやったら、きれいに泳げるのか。そのための目標を、自発的に取り組むことで「これだったら、できるかも」と納得し、意欲も湧いてきた。この過程が、きっかけ(出会い)から動機づけ(変容)に変わった(スイッチが入った)。 (後略)
私は脳出血を患い介護3であったが、現在は右半身が不自由で歩く時にふらつくものの普通の生活をしている。だから、障害を克服するためには諦めないで継続すること、また、自分の体験を話すなど当事者同士の情報のやり取りが大切だと思っている。』
「十勝の活性化を考える会」会員