十勝の活性化を考える会

     
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障害があっても楽しく運動がしたい!

2022-11-11 05:00:00 | 投稿

令和4年9月11日、東京でオンラインでの対談があった。対談の一人は、16年前に脳出血を罹患した66歳の人。人生100年時代を考えると、まだまだ若い年齢であるが、彼のすごいと思うことは、「有名大学に入ってから脳出血で倒れるまで止まっていた人生だった」と言っていたことである。すなわち、中途障害を抱えてから、人生はスタートしたらしい。

彼は脳出血で倒れて挫折したことに間違いないが、それからは一人で生きていけないことに気が付いたのである。人間は挫折して初めて、自分が分かってくるのだろう。東京工業大学の上田紀行教授も同じことを言っていた。同氏は若い時に様々な挫折を経験しており、「人間は挫折して初めて、生きる意味が分かってくる」と語っていた。

ところで、尊厳とは尊くて掛けがえないことをいう。人間の尊厳を尊重するということは、人間として存在していることをかけがえのない価値として、大切にすることを意味している。すなわちプライドを持つということは、自分らしく尊厳を持って生きることである。肩書などを失うとタダの人になってしまうプライドは、本当のプライドとはいえないだろう。

そもそもプライドとは、「自尊心」や「誇り」のことであり、他人より優れていることを誇りに思う気持ちである。能力が認められて、「自分は優れた人間だ」と思うことは大切なことであり、プライドを持つことは決して悪いことではない。

しかし、プライドばかりが高くなると、自分自身を過大評価して周りが見えなくなったりする人が多い。プライドを保つために他人よりも優位に立とうとするあまり、人間関係がギクシャクしてしまうこともある。

プライドの高い人は自分に対する評価が人一倍高いために、「自分が正しい」と思う傾向があり、何かと意見されることや否定されることを嫌う。何もプライドに傷が入るのではないと思うのだが・・・・。

挫折を経験した上田紀行教授は、次のようにも言っていた。 『プライドは、他人との比較によって生ずることが多いが、比較してはいけない。世の奥様がたは、自分の子供を学校の成績のみで判断する傾向があるが、意味のないことである』と。

プライドの高い人は、自分の意見が絶対であり、否定されると相手が折れるまで反論し続け、相容れなければ敵とみなす人もいる。プライドが不要なものであると気づけば、身近にいる人のことも大切にでき、彩りのある人生を送れるはずである。

着眼大局で視野を広げれば、自分よりも優れた人がたくさんいることにも気づき、自分のプライドがとるに足らないものだと分かってくる。なお、上田教授の妻はNHKアナウンサーの武内陶子さんである。

「十勝の活性化を考える会」会員