十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

アイヌ神謡集:梟の神の自ら歌った謡

2020-05-26 05:00:00 | 投稿

 梟の神の自ら歌った謡
「銀の滴降る降るまわりに」

Kamuichikap kamui yaieyukar,
 “Shirokanipe ranran pishkan"

 

銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら流に沿って下り,人間の村の上を通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が今の貧乏人になっている様です.
海辺に人間の子供たちがおもちゃの小弓におもちゃの小矢をもってあそんで居ります.
銀の滴降る降るまわりに金の滴降る降ろまわりに.」という歌を
歌いながら子供等の上を通りますと,(子供等は)私の下を走りながら
云うことには,
「美しい鳥! 神様の烏!
さあ,矢を射てあの鳥
神様の鳥を射当てたものは,一ばんさきに取った者はほんとうの勇者,ほんとうの強者だぞ.」
云いながら,昔貧乏人で今お金持になってる者の
子供等は,金の小弓に金の小矢を番(つが)えて私を射ますと,金の小矢を私は下を通したり上を通したりしました.
その中に,子供等の中に
一人の子供がただの(木製の)小弓にただの小矢
を持って仲間にはいっています.私はそれを見ると
貧乏人の子らしく,着物でもそれがわかります.けれどもその眼色を
よく見ると,えらい人の子孫らしく,一人変り者になって仲間入りをしています.自分もただの小弓にただの小矢を番えて私をねらいますと,
昔貧乏人で今お金持の子供等は大笑いをして
云うには,
「あらおかしや貧乏の子
あの鳥,神様の鳥は私たちの
金の小矢でもお取りにならないものを,
注)鳥やけものが大に射落されるのは,人の作った矢が欲しいので,その矢を取るのだと言います.


お前の様な貧乏な子のただの矢腐れ木の矢を
あの鳥,神様の鳥がよくよく取るだろうよ.」
と云って,貧しい子を足蹴にしたり
たたいたりします.けれども貧乏な子は
ちっとも構わず私をねらっています.
私はそのさまを見ると,大層不憫に思いました.

銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに.」という歌を
歌いながらゆっくりと大空に
私は輪をえがいていました.貧乏な子は
片足を遠く立て片足を近くたてて,
下唇をグッと噛みしめて,ねらっていて
ひょうと射放しました.小さい矢は美しく飛んで私の方へ来ました,それで私は手を差しのべてその小さい矢を取りました
クルクルまわりながら私は風をきって舞い下りました.
すると,彼の子供たちは走って砂吹雪をたてながら競争しました.
土の上に私が落ちると一しょに,一等先に貧乏な子がかけついて私を取りました.
すると,昔貧乏人で今は金持になってる者の子供たちは後から走って来て二十も三十も悪口をついて貧乏な子を押したりたたいたり
「にくらしい子,貧乏人の子
私たちが先にしようとする事を先がけしやがって.」
と云うと,貧乏な子は,私の上に
おおいかぶさって,自分の腹にしっかりと私を押えていました.
もがいてもがいてやっとの事,人の隙から
飛び出しますと,それから,どんどんかけ出しました.
昔は貧乏大で今は金持の子供等が
石や木片を投げつけるけれど貧乏な子はちっとも構わず
砂吹雪をたてながらかけて来て一軒の小屋の表へ着きました.

子供は
第一の窓から私を入れて,それに
言葉を添え,斯々(かくかく)のありさまを物語りました.
家の中から老夫婦が眼の上に手をかざしながらやって来て
見ると,大へんな貧乏人ではあるけれども
紳士らしい淑女らしい品をそなえています,
私を見ると,腰の央(なか)をギックリ屈めて,ビックリしました.
老人はキチンと帯をしめ直して,
私を拝し
「ふくろうの神様,大神様,
貧しい私たちの粗末な家へ
お出で下さいました事,有難う御座います.
昔は,お金持に自分を数え入れるほどの者で御座いましたが今はもうこの様につまらない貧乏人になりまして,国の神様大神様をお泊め申すも畏れ多い事ながら今日はもう
日も暮れましたから,今宵は大神様を
お泊め申し上げ,明日は,ただイナウだけでも大神様をお送り申し上げましょう.」
という事を申しながら何遍も何遍も礼拝を重ねました.
老婦人は,東の窓の下に
敷物をしいて私をそこへ置きました.
それからみんな寝ると直ぐに高いびきで
寝入ってしまいました.
私は私の体の耳と耳の間に坐って
いましたがやがて,ちょうど,真夜中時分に起き上りました.
銀の滴降る降るまわりに,
金の滴降る降るまわりに.
という歌を静かにうたいながら
この家の左の座へ右の座へ
美しい音をたてて飛びました.
私が羽ばたきをすると,私のまわりに
美しい宝物,神の宝物が美しい音をたてて
落ち散りました.
一寸のうちに,この小さい家を,りっぱな宝物神の宝物でーぱいにしました.


“Shirokanipe ranran pishkan,
konkanipe ranran pishkan."
「銀の滴降る降るまわりに,
金の滴降る降るまわりに.」


という歌をうたいながらこの小さい家を
一寸の間にかねの家,大きな家に
作りかえてしまいました,家の中は,りっぱな宝物の積場
を作り,りっぱな着物の美しいのを早つくりして家の中を飾りつけました.
富豪の家よりももっとりっぱにこの大きな家の
中を飾りつけました.私はそれを終ると
もとのままに私の冑(よろい)の耳と耳の間に坐っていました.
注)hayokpe冑.
 鳥でもけものでも山にいる時は,人間の目には見えないが,各々に人間の様な家があって,みんな人間と同じ姿で暮していて,人間の村へ出て来る時は冑を着けて出て来るのだと云います.そして鳥やけものの屍体は冑で本体は目には見えないけれども,屍体の耳と耳の間にいるのだと云います.

 

家の人たちに夢を見せて
アイヌのニシパが運が悪くて貧乏人になって
昔貧乏人で今お金持になっている者たちに
ばかにされたりいじめられたりしてるさまを私が見て不欄に思ったので,私は身分の卑しいただの神ではないのだが,人間の家に泊って,恵んでやったのだという事を知らせました.
それが済んで少したって夜が明けますと家の人々が一しょに起きて目をこすりこすり家の中を見るとみんな床の上に腰を抜かしてしまいました.老婦人は
声を上げて泣き,老人は大粒の涙をポロポロこぼして
いましたが,やがて,老人は起き上り
私の処へ来て,二十も三十も礼拝を重ねて,そして云う事には,
「ただの夢ただの眠りをしたのだと
思ったのに,ほんとうに,こうしていただいた事.
つまらないつまらない,私共の粗末な家に
お出で下さるだけでも有難く存じますものを
国の神様,大神様,私たちの不運な事を哀れんで下さいまして
お恵みのうちにも最も大きいお恵みをいただきました事.」と云う事を泣きながら申しました.それから,老人はイナウの木をきり
りっぱなイナウを美しく作って私を飾りました.老婦人は身仕度をして
小さい子を手伝わせ,薪をとったり水を汲んだりして,酒を造る仕度をして,一寸間に六つの酒樽を上座にならべました.
それから私は火の老女,老女神と種々な神の話を語り合いました.
二日程たつと,神様の好物ですからはや,家の中に酒の香が漂いました.


そこで,あの小さい子に態(わざ)と古い衣物を着せて,村中の昔貧乏人で今お金持になっている人々を招待するため使いに出してやりました.
ので後見送ると,子供は家毎に入って使いの口上を述べますと
昔貧乏人で今お金持になっている人々は大笑いをして
「これはふしぎ,貧乏人どもが
どんな酒を造ってどんな御馳走があってそのため人を招待するのだろう,
行ってどんな事があるか見物して笑ってやりましょう.」と
言い合いながら大勢打ち連れてやって来て,すーつと遠くから,ただ家を見ただけで驚いてはずかしがり,そのまま帰る者もあります.
家の前まで来て腰を抜かしているのもあります.
すると,家の夫人が外へ出て
人皆の手を取って家へ入れますと,みんないざり這いよって顔を上げる者もありません.
すると,家の主人は起き上ってカッコウ鳥の様な美しい声で物を言いました.
注)kakkokhau……カッコウ鳥の声.
 カッコウ鳥の声は,美しくハッキリと耳に響きますから,ハキハキとしてみんなによくわかるように物を云う人の事をカッコウ鳥の様だと申します.

斯々(かくかく)の訳を物語り「この様に,貧乏人でへだてなく互に往来も出来なかったのだが大神様があわれんで下され,何の悪い考えも私どもは持っていませんのでしたのでこの様にお恵みをいただきましたのですから今から村中,私共は一族の者なんですから,仲善くして互に往来をしたいという事を皆様に望む次第であります.」
という事を申し述べると,人々は何度も何度も手をすりあわせて家の主人に罪を謝し,これからは仲よくする事を話し合いました.
私もみんなに拝されました.
それが済むと,人はみな,心が柔らいで盛んな酒宴を開きました.
私は,火の神様や家の神様や御幣棚の神様と話し合いながら人間たちの舞を舞ったり躍りをしたりするさまを眺めて深く興がりました.
そして二日三日たつと酒宴は終りました.
人間たちが仲の善いありさまを見て,私は安心をして火の神,家の神
御幣棚の神に別れを告げました.
それが済むと私は自分の家へ帰りました.
私の来る前に,私の家は美しい御幣美酒がーぱいになっていました.
それで近い神,遠い神に使者をたてて招待し,盛んな酒宴を張りました,席上,神様たちへ
私は物語り,人間の村を訪問した時のその村の状況,その出来事を詳しく話しますと
神様たちは大そう私をほめたてました.
神様だちか帰る時に美しい御幣を二つやり三つやりしました.

彼のアイヌ村の方を見ると,今はもう平穏で,人間たちはみんな仲よく,彼のニシパが村に頭になっています,
彼の子供は,今はもう,成人して,妻ももち子も持って
父や母に孝行をしています,
何時でも何時でも,酒を造った時は
酒宴のはじめに,御幣やお酒を私に送ってよこします.


私も人間たちの後に坐して
何時でも
人間の国を守護っています.
  と,ふくろうの神様が物語りました.

hempara nakka chiehorari,
ainumoshir chiepunkine wa okayash.
  ari kamuichikap kamui isoitak.

 

 

「十勝の活性化を考える会」会員 K

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サンデーモーニンング“風を読む”

2020-05-25 05:00:00 | 投稿

先日、サンデーモーニング風を読むで、評論家 寺島実男氏が最近の世界情勢について、以下のように語っていた。

 

「中国が、新型コロナウイルス対策のガーゼの提供支援等にも取り組みつつ世界制覇を狙い、米国は相変わらず、中国批判をしながらアメリカ第一主義を貫いている。このパンデミックの時に、世界がひとつにならないといけない時期なのに・・・」と。

 

冷戦の時代が終わり、平和の時代がやってくると思っていたが、パンデミックにより様子が一変、世界情勢に変化が起こり、人々の価値観に変化が生じたのだろう。

 

日本の国が、より心豊かな国に変わることを多くの人が望んでいるが、そのための一歩を踏み出すには、自覚と寛容のこころが必要である。

 

人間は何か大きなことが起こらないと、変わることが出来ないのではないだろうか。今回のパンデミックは、その大きなことなのかも知れない。ある人が、なぜ一歩を踏み出せないかということに関連して、次のように書いている。

 

『人は何か「自信」や「希望」を持つと、たとえ障害があっても、人の価値は変わらないことに気づく(価値観の転換)。そして「意欲」は、心の持ちよう次第ですぐに湧いてくる。「動機づけ(モチベーション)」は、心の心理的な原動力である。

 

人には必ず「役割」があると思う。ここでいう役割とは、お金や時間には代えられない「生きる喜び」のことである。私は脳障害を罹患し一時仕事を失ったが、私を必要としている人とめぐり合い、「まだまだ人の役に立つ」と感じるようになった。

 

そして私は、一人で希望が持てるようになったのではなく、支える他者と共にいることで立ち直ることができた。私は六十を過ぎても、人として成長を続けていると思っている。』

 

また、令和253日付け北海道新聞(6面)「風」の欄に道新記者が、日本の政治について、以下のようにも書いている。

 

『緊急事態宣言発令後に性風俗店に行ったことがばれた野党の国会議員、<感染者は、殺人鬼に見える>とフェイスブックに書き込んだ関西の市議・・・・。与党から野党まで、国会から地方議会まで政治は等しく劣化しているようだ。絶望は深い。

 (中略)

政治への不信が無関心へと変わり、同世代の有為な人材の多くが金融の世界や起業家を目指した。その帰結が世襲議員だらけで国民の感情を理解できない今の政治だ。

新型コロナ危機を運よく克服できたら、もう政治への無関心をやめよう。そうしなければ、この国に希望は生まれない。』

 

政治家は政治屋にならずに国士たれ、国民は共生の自覚が必要である。

 

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注) 冷戦

冷戦もしくは冷たい戦争は、第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国アメリカを盟主とする資本主義自由主義陣営と、東側諸国ソ連を盟主とする共産主義社会主義陣営との対立構造。米ソ冷戦や東西冷戦とも呼ばれる。

1945年から1989年までの44年間続き、アメリカ合衆国ソビエト連邦が軍事力で直接戦う戦争は起こらなかったので、軍事力火力)で直接戦う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれた。「冷戦」という語は、ジョージ・オーウェルジェームズ・バーナムの理論を評した時に使っており[1][2][3]、後にバーナード・バルークも使い[4]、アメリカの政治評論家ウォルター・リップマン1947年に上梓した著書の書名『冷戦―合衆国の外交政策研究』に使用されたことから、その表現が世界的に広まった。

各陣営とも構成国の利害損得が完全に一致していたわけではなく、個別の政策外交関係では協力しないこともあったなど、イデオロギーを概念とした包括的な同盟・協力関係である。

[ベルリンの壁]

冷戦での両陣営の対立の境界であるヨーロッパにおいては、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営が東ヨーロッパに集まっていたことから「東側」、対するアメリカ合衆国を盟主とした資本主義陣営が西ヨーロッパに集まっていたことから「西側」と呼んで対峙した。

その対立は軍事、外交、経済だけでなく、宇宙開発航空技術、文化、スポーツなどにも大きな影響を与えた。又、冷戦の対立構造の中で西ヨーロッパは統合が進み、欧州共同体の結成へ向かった。ヤルタ会談から始まってマルタ会談で終わったため、「ヤルタからマルタへ」ということもいわれる。

ヨーロッパのみならず、アジア中東南アメリカなどでも、それぞれの支援する機構や同盟が生まれ、世界を二分した。この二つの陣営の間は、制限されているがために経済的、人的な情報の交流が少なく、冷戦勃発当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、「鉄のカーテン」と表現した。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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たわ言

2020-05-24 05:00:00 | 投稿

たわ言

 

たわ言とは、辞書を引くと「意味のない言葉」・「馬鹿げた言葉」で、類語としては、愚痴や無駄口などがある。

 

このたわ言のことであるが、世の中、「新型コロナウイルス」で騒然としているが、人間は身勝手な動物であると思う。なぜなら、犬はペットとして大勢の人間に飼われて、首にリードされて散歩している。

 

昔、奴隷制度のあったアメリカでは、囚人が逃げ出さないように足に「」を付けられていたが、リードにしても鎖にしても自由を奪われていることに変わりない。だから人間は、犬の気持ちを考えていない身勝手な動物だと思う。

 

人間にしても犬にしても、自由が奪われると性格が歪んでしまう。、子供が悪事を行なうと、「その親の顔を見てみたい」と人は言う。

 

子供にしても子犬にしても、愛情を注ぐと素直にスクスクと育つのである。だから、親は嘘を付いてはいけない。なぜなら、嘘をつくと子供が親の真似をして平気で嘘をつく子供に育つからだ。これは嘘ではなく、本当の話である。

 

最近、子供や犬はわがままで、自己中心の行動を取ることが多い。そして犬は、自由を奪われ性格が悪くなると人間を噛むようになるが、そのようにしたのは人間であると思っている。

 

なお、「新型コロナウイルス」に絡んで、山中伸弥京都大学教授や日本総研の寺島実男氏が、二人とも新型コロナウイルスと共生していくことが、いま求められていると語っていた。

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 鉄球と鎖

[鉄球と鎖の一例.両脚を足鎖で拘束し、ひとつの球に繋ぐ形]

 

鉄球と鎖は、かつて囚人などを拘束するために使用されていた拘束具のひとつで、おもにイギリス帝国や、その旧植民地諸国で、17世紀から20世紀半ばにかけて使用されていた。

2009年17世紀に遡るものと考えられる鉄球と鎖がイギリスロンドンテムズ川で発見された。鎖は50cmほどの長さで、鉄製の足枷足鎖)に繋がれていた。これを付けられた者は、鉄球の重さによって歩くのが難しくなる。

奴隷制度があった時代のアメリカ合衆国では、鉄球と鎖は囚人のみならず奴隷にも用いられており、特に逃亡を試みた者に付けられることがあった。

 (出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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「人間通」 谷沢永一

2020-05-23 05:00:00 | 投稿

「人間通」   谷沢(たにざわ)永一(えいいち)

私の「音読テキスト」の中から最近の日本の政治家の資質と対比してなる程と思ったはなしのひとつです。原本は新潮選書の「人間通」谷沢永一(文芸評論家)著です。

『現代及び近未来の主要(きー)人物(ぱーそん)は特技の人である必要はない。極言するなら人間の器量としては凡人でもよいのだ。世に尽くす誠意と熱情があればそれで十分である。誠意と熱情ならあながち天賦の才はなくとも心を傾け、身を務める心働きによって誰でも達すること可能である。組織の要となり世の礎となりうるための必要条件はただひとつ言える。それは他人の心がわかることである。ただそれだけである。 勿論文明の発生をみてよりこの方数千年、他人の気持ちがわかることは指導者に必須の条件であった。その資格を最も十分に満たしていたのは我が国の武家政権であったかも知れない。 それに較べて現代社会では他人の気を察ねることはなはだ疎かである。世を挙げての無関心時代となっている。日本人は今や心淋しい時代を生きているのである。』

 すでに故人となった著者の評論ですが、日本の政治家に対する日本人の期待が、清濁併せ呑めて、よろしくことを運ぶという点では今も以前も変わっていないのでしょうか・・・。新型コロナ禍は世界中の大問題となりました、世界各国の首脳がどのように国民を説得、納得させて、それぞれの対策を進めたかが判ります。ドイツのメルケル氏の高評価の演説と日本の首相の演説の評価の違いを思い考えました。

  「十勝の活性化を考える会」会員H

 

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連載:関寛斎翁 イコサックルさんの死の真相を追って

2020-05-22 05:00:00 | 投稿

 

・出発点
このお話の出発点は、有名な監察医 上野正彦先生の言葉から始めたいと思います。
「たとえば、死体に目立った外傷がなく、家族に事情を聞いても犯罪を臭わす事実が何も出てこなければ、警察は病気だろうと考えてしまう。ところが、このとき死体所見から「実は私は殺されたんです」という、被害者の叫びを聞き取ることができる。」【自殺の9割は他殺である】元東京都監察医院院長 上野正彦博士

 

・簡単な経緯
 すでに多くの研究者により解明されている当時の状況を簡単にまとめました。
1912年(大正元年)徳富蘆花の協力を得て「命の洗濯」出版(関牧場創業記も収載)
  6月14日 股肱の「イコサックル」さん自殺
        続くように「エディンコ」さん自殺
  9月13日 明治天皇崩御、乃木夫妻自刃
  10月8日 三男餘作 網走監獄の医官として着任
  10月14日「イスカリオのユダ下剋上の書類を携えその子を北上せしめた」  
         長男生三の二男大二が訴訟を起こす
  10月15日 関寛斎 農場事務所で死亡 享年82歳
 

 辞世 諸ともに契しことも半ばにて斗満の里に消ゆるこの身は
     わが身を焼くな埋むるなそのままに斗満の原の草木肥やせよ(八十三老白里)

 

・イコサックルさんの記録
 過去の様々な資料のなかにイコサックルさんはたびたび登場してまいります。
「『関寛斗満考』関寛の陸別地名調べに協力したアイヌの人たち 徳富盧花来訪面談者を含む(明治43年)
トミソク・エコサックル(徳富盧花と面談したイコサックルと同一人物)・イカイラン・イタキレッバ・セイキオック(小川ヤイコク徳富盧花と面談)

・エンデコ(関寛の治療を受ける。利別在住)」【十勝の記憶デジタルアーカイブ】十勝支庁 
「三十七年八月、土人注)イコサックル我牧塲内の熊害を防ぐ為めに居ると定めて、橋畔に小屋をかける。
三日、馬、熊害にかかる。」【関牧場創業記】
熊の被害に手を焼いた寛斎さんは、イコサックルさんに牧場の警備を依頼し、熊一頭5円の賞金をつけて、又一さんを呆れさせたという逸話もあります

・事件の概要
イコサックルさんは、寛斎翁の死亡から半年ほど前、病苦により鉄砲自殺したことになっております。それを追うようにエディンコさんも自殺したと言い伝えられております。
この3名の相次ぐ自殺について、私は素朴な疑問を抱きました。なぜ関係の深かったこの人たちが、続けざまに自殺しなければならなかったのか。その状況や背景、そして動機について調べることにしました。
寛斎翁の「自殺」については、諸先生たちのさまざまな説明付けが行われておりますが、はっきり申し上げて「諸説あり」の域を出ておりません。ちなみにこれまで様々な推測で語られてきた自殺の手段(農薬説・モルヒネ説・毒薬説・アヘンチンキ説・ピストル自殺説)については、ほぼすべて否定することができますが、詳細については機会を改めます。
とは言え百年前の事件ですから、物理的に証拠を集めることは困難でありましたが、牧場に残された薬箱と関係者の証言や周囲の状況の積み上げ、そして当時の社会情況を分析していくと、おおきな闇の世界が見え隠れしてまいります。
残された物証やこれらの史実を検証していくため、私はまずエディンコ・イコサックルさんの状況を調べることから始めました。
エディンコさんについては、まったく手掛かりがつかめませんでした。
しかしイコサックルさんについて、ネット上でいろいろ検索してゆくと、釧路新聞のアーカイブからその記事を発見しました。それが釧路図書館所蔵のマイクロフィルムに格納されていることを突き止めたのです。

早速釧路図書館を訪問し、マイクロフィルムを閲覧させていただきました。その内容は以下の通りです。

<<続く>>

注)「土人」という表現は蝦夷地や琉球諸島、そしてアジア南方の現地の人を蔑視し差別する用語として使われていました。国内では「旧土人保護法」として1997年(平成9年)まで、法律上の公用語として用いられてきました。

『最近では、2016年10月公務中の大阪府警機動隊員の一人が沖縄米軍北部訓練場ヘリパッド移設工事反対派に対して「土人」と発言し、ワイドショーなどで問題とされた(高江ヘリパッド問題)。この発言に対して鶴保庸介内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)は「ことさら我々がこれは人権問題だと考えることではない」、「『土人である』と言うことが差別であるとは個人的に断定できない」と述べ、撤回もしていない。沖縄の地元新聞である沖縄タイムスは「本土側の沖縄蔑視、差別はこれまでもたびたび繰り返されてきた。』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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