十勝の活性化を考える会

     
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サンデーモーニング

2020-05-17 05:00:00 | 投稿

先日、民放テレビのサンデーモーニングで、元巨人軍の野球選手で野球評論家の張本勲氏が、新型コロナの「イベント自粛要請」に絡んで、新型コロナウイルスの感染拡大の原因にならなくても、イベントは自粛すべきであると語っていた。

 

また、プロになった大船渡高校の佐々木朗希投手を、甲子園に向けた地方大会の決勝戦で投げさせなかったことに対して、大船渡高校の野球部監督に苦言も呈していた。なお、このことは各方面から物議があった。

 

高校時代、張本氏がいたチームは甲子園への出場を果たしたが、彼自身はいろいろな理由から、バッターボックスに立てなかったので、何かの持論があったのだろう。

 

張本氏はどちらかと言えば厳しい硬派の人だと思っていたので、上記の二つの意見には考えさせられた。張本氏本人は広島原爆の被災者で、在日韓国人二世また、二人の姉のうち一人は、被爆で亡くなっている(享年14歳)。

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 張本勲

 

張本勲は、広島県広島市出身の元プロ野球選手外野手)、野球解説者野球評論家日本プロ野球名球会会員、韓国野球委員会(KBO)コミッショナー特別補佐官。在日韓国人二世であり、本名は張 勲。

日本プロ野球初の3000安打達成者で、通算安打の日本記録保持者(3085本)。またNPB唯一の500本塁打300盗塁達成者。さらに史上最多の16度のシーズン打率3割、史上最長の9年連続打率3割の記録保持者。

[生い立ち]

両親は韓国慶尚南道昌寧郡大合面出身。1939年、母親は身重のまま、2人の姉を連れて当時日本領だった朝鮮から海を越えて内地に渡り、広島で勲を生んだ[1][7][8]。一家は六畳一間のトタン屋根バラックに住んだ。4歳の冬、サツマイモを焼くために、土手でとんどを囲んでいた際に、急にバックしてきたトラックを避けようとしたところバランスを崩してしまい、とんどに右半身から飛び込む形になり、右手の親指、ひとさし指、中指以外の自由を失う大火傷を負う。

1945年8月6日、5歳の夏、爆心地から約2kmの広島市段原新町(現在の南区段原)で被爆比治山の影となっていた段原は直接の熱線が届かなかったが、爆風に見舞われ家は倒壊した。

張本は赤い閃光を見た直後に意識を失い、意識が戻った後に記憶しているのは、張本をかばって覆いかぶさり、ガラスの破片で出血していた母の血の赤い色だった。

その直後に避難場所で経験した人肉の焼ける強烈な臭い、叫声を上げながら猿猴川に飛び込み亡くなっていく人々、夜通し続くうめき声を、今でも忘れることはないという。そして学徒勤労動員で比治山の西側にいた、当時14歳だった長女の点子は、大火傷を負い数日後に亡くなった。

点子の最後を看取った張本によれば、担架で運ばれた点子は全身にやけどをしていた。「『熱いよう、熱いよう。』母の懐でうめく点子にブドウを一房もぎ、口元で搾ってあげた。『ありがとう。』消えそうな声が最期だった」と語っている]

(中略)

 

2018年の日大アメフト部の悪質タックル問題には「この国(日本)、大和民族がやるようなことじゃないです。この国は裏切りとかを非常に嫌う。正義とか筋とか、義理とかを重んじる民族じゃないですか」と張本個人の全体的な日本人評価を述べている。

(中略)

 

TBS系列のテレビ番組『サンデーモーニング』のスポーツコーナー、「週刊御意見番」では、憤りを感じるネタには「喝!」、素晴らしいネタには、「あっぱれ」を与えるご意見番の役でレギュラー出演している。

 

歯に衣着せぬ物言いで常に高視聴率を叩き出しているが、コメントに偏りがあり、時には苦言を呈することもあり、発言内容が物議を醸すこともある。

 

放送終了後に、張本の功績実績を知らない若い世代の視聴者からのネットでの批判が集中して、ネットが炎上することも度々ある。

 

若年層からの評判が悪いにもかかわらず、長年に渡ってご意見番の地位を保っている理由としては、高齢層からの需要があるという点が大きい。

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

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