先日、サンデーモーニング“風を読む”で、評論家 寺島実男氏が最近の世界情勢について、以下のように語っていた。
「中国が、新型コロナウイルス対策のガーゼの提供支援等にも取り組みつつ世界制覇を狙い、米国は相変わらず、中国批判をしながらアメリカ第一主義を貫いている。このパンデミックの時に、世界がひとつにならないといけない時期なのに・・・」と。
“冷戦の時代”が終わり、平和の時代がやってくると思っていたが、パンデミックにより様子が一変、世界情勢に変化が起こり、人々の価値観に変化が生じたのだろう。
日本の国が、より心豊かな国に変わることを多くの人が望んでいるが、そのための一歩を踏み出すには、自覚と寛容のこころが必要である。
人間は何か大きなことが起こらないと、変わることが出来ないのではないだろうか。今回のパンデミックは、その大きなことなのかも知れない。ある人が、“なぜ一歩を踏み出せないか”ということに関連して、次のように書いている。
『人は何か「自信」や「希望」を持つと、たとえ障害があっても、人の価値は変わらないことに気づく(価値観の転換)。そして「意欲」は、心の持ちよう次第ですぐに湧いてくる。「動機づけ(モチベーション)」は、心の心理的な原動力である。
人には必ず「役割」があると思う。ここでいう役割とは、お金や時間には代えられない「生きる喜び」のことである。私は脳障害を罹患し一時仕事を失ったが、私を必要としている人とめぐり合い、「まだまだ人の役に立つ」と感じるようになった。
そして私は、一人で希望が持てるようになったのではなく、支える他者と共にいることで立ち直ることができた。私は六十を過ぎても、人として成長を続けていると思っている。』
また、令和2年5月3日付け北海道新聞(6面)「風」の欄に道新記者が、日本の政治について、以下のようにも書いている。
『緊急事態宣言発令後に性風俗店に行ったことがばれた野党の国会議員、<感染者は、殺人鬼に見える>とフェイスブックに書き込んだ関西の市議・・・・。与党から野党まで、国会から地方議会まで政治は等しく劣化しているようだ。絶望は深い。
(中略)
政治への不信が無関心へと変わり、同世代の有為な人材の多くが金融の世界や起業家を目指した。その帰結が世襲議員だらけで国民の感情を理解できない今の政治だ。
新型コロナ危機を運よく克服できたら、もう政治への無関心をやめよう。そうしなければ、この国に希望は生まれない。』
政治家は政治屋にならずに国士たれ、国民は共生の自覚が必要である。
「十勝の活性化を考える会」会員
注) 冷戦
冷戦もしくは冷たい戦争は、第二次世界大戦後の世界を二分した西側諸国のアメリカを盟主とする資本主義・自由主義陣営と、東側諸国のソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造。米ソ冷戦や東西冷戦とも呼ばれる。
1945年から1989年までの44年間続き、アメリカ合衆国とソビエト連邦が軍事力で直接戦う戦争は起こらなかったので、軍事力(火力)で直接戦う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれた。「冷戦」という語は、ジョージ・オーウェルがジェームズ・バーナムの理論を評した時に使っており[1][2][3]、後にバーナード・バルークも使い[4]、アメリカの政治評論家ウォルター・リップマンが1947年に上梓した著書の書名『冷戦―合衆国の外交政策研究』に使用されたことから、その表現が世界的に広まった。
各陣営とも構成国の利害損得が完全に一致していたわけではなく、個別の政策や外交関係では協力しないこともあったなど、イデオロギーを概念とした包括的な同盟・協力関係である。
[ベルリンの壁]
冷戦での両陣営の対立の境界であるヨーロッパにおいては、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営が東ヨーロッパに集まっていたことから「東側」、対するアメリカ合衆国を盟主とした資本主義陣営が西ヨーロッパに集まっていたことから「西側」と呼んで対峙した。
その対立は軍事、外交、経済だけでなく、宇宙開発や航空技術、文化、スポーツなどにも大きな影響を与えた。又、冷戦の対立構造の中で西ヨーロッパは統合が進み、欧州共同体の結成へ向かった。ヤルタ会談から始まってマルタ会談で終わったため、「ヤルタからマルタへ」ということもいわれる。
ヨーロッパのみならず、アジア、中東、南アメリカなどでも、それぞれの支援する機構や同盟が生まれ、世界を二分した。この二つの陣営の間は、制限されているがために経済的、人的な情報の交流が少なく、冷戦勃発当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、「鉄のカーテン」と表現した。
(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
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