十勝の活性化を考える会

     
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連載:関寛斎翁 イコサックルさんの死の真相を追って( 鉄砲自殺)

2020-05-29 05:00:00 | 投稿

釧路新聞 明治45年6月14日
●土人の鉄砲自殺
▽原因は病苦の結果
一昨日午後十時頃中川郡本別村字フラツナイ基線百二番地□土人土田イコサックル(四十六)は病苦のため精神に異常を呈し十数年来愛用の村田銃を以って無残の自殺を遂げたり
▼惨憺たる光景
当夜土田は何ら異なりたる様子もなく八時頃一同就寝したるが、女房アシクマトは連日亭主の看護に疲れ熟睡中突如耳元にてとどろく銃声に夢を破られ、驚き覚めて立ち上がれば、有明ランプは何時しか消えて広くもあらぬ室内は暗黒異臭に鼻を覆いて戦慄しつつ手探りに亭主の床を探ればもぬけの殻。女房はハッと胸に五寸釘打ち込まれたる心地して、手早くランプに火を灯せば、一時に現出せられたる凄惨の光景。夜具と云わず畳といわず、室内は血飛沫に汚れ、土田は銃を固く握りたるまま仰向けに打ち倒れ、付近は血汐の海と化し、撃ち貫きたる左胸部よりは刻々に薄れゆく鼓動とともに、鮮血泌沸として這出ずる有様。二目とは見られず、夢中のままに隣家をたたき起こし、本所駐在所へ急報に及べり。
▼生活難と不治療
自殺の原因に関し、土田の妻が言うところを聞くに、土田は一昨年春、肺結核に犯され医療を加えたるも病勢は日々に重くなるばかりにて、加えて余裕なき身の生活難に追われて栄養物は医薬の料にも窮し、一年経たぬにみちがえるばかりに衰弱したるにぞ。土田は病苦の結果、沈鬱症を余発し病を□するに立ち至り。自殺の数日前よりは、ほとんど絶食の有様にて唯口癖に死ぬ死ぬとのみ叫び居たりといえば、病気の経過を悲観し発作的精神に異常を呈し、悲惨の最後を遂げるに至る者なるべし。
▼全身蜂の巣
急報に接したる駐在所倉川巡査は、中島医師と共に現場に急行し検視を遂げたるが、鉄砲へは散弾を装填しあり、発砲の際筒口打揮え、身体を稍や放れたとおぼしく、致命の左胸部貫通を除き、散弾散って腹部面部を宛も蜂の巣の如くになし、一見鬼気人を襲えるものありという死体は、女房へ下げ渡さる。
(十二日本別通信)釧路新聞本別駐在所
(古文書文字起し:Tugumi)


要約すると、現在の本別町フラツナイのアイヌ居留地(本別町歴史民俗資料館長田野美妃様談)で、土田イコサックルは病苦のため精神に異常をきたし、十数年来愛用の村田銃を以って無惨の自殺を遂げた。自殺の原因は一昨年肺結核に犯され加えて生活難に追われて衰弱し、沈鬱症を発したためである。鉄砲には散弾が装填してあり発砲の際、筒口が震え身体をやや離れたようで致命の左胸部貫通を除き散弾散って腹部面部は宛も蜂の巣のようになっていたということです。
では、内容を詳しく検証してみましょう。

<<続く>>

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