goo blog サービス終了のお知らせ 

十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

慎む文化と煽り文化

2019-11-17 05:00:00 | 投稿

文化とは、人間が長い歴史のなかで自然に手を加えて形成してきた物心両面の結果である。広義では衣食住をはじめ科学・技術・学問・道徳・慣習・宗教などの生活様式と内容を含むとされている。

日本の文化は「慎む文化」と言われたが、いまは「煽り文化」である。スマホの普及で、SNSなどですぐに煽り炎上する。良いことで煽るのは良いが、ほとんどが悪いことばかりで、嫌な時代である。

大人や子供の「いじめ」もそうであるが、その理由は、今の社会が人間に対してストレスをもたらすことや大切なものを忘れてきたことに関係しているのではないだろうか・・・。

なぜなら、現代人は他人との比較や横並びを重視し、寛容さ・謙虚さ・慎みを無くし自分中心に生きているからだろう。外に向かって自由を求める人は、責任を忘れて自己を主張し、内向的な人はより孤独になっていく。

なお、近代経済学では「見えざる手」というものがある。資本主義の市場経済は、自分中心に行動することが結果的に効率的な資源の再配分に繋がり、幸福をもたらすそうである。但しこれは、資本と労働の協調を前提とする宗教的立場、性善説に立脚したものだが、今の日本文化はそれとはまったく逆の方向に動いている。

ところで、私の趣味はプロ野球観戦であるが、ある時のヤジが笑うに笑えないので紹介する。中日ファンが、対広島戦で「広島に原爆落とすぞ」と、信じられないようなことを言ってしまったのだ。このヤジは冗談とはいえ許さざるべきことで、厳に慎むべきことである。日本は、慎む文化なのだから・・・。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注) 見えざる手

古典派経済学の始祖 A.スミスの『道徳情操論』『国富論』に登場する有名な言葉。彼は富は労働の生産物であるから,生産的労働を使用する農工業部門に資本を投下し,分業化,機械化を進めて労働生産力を高めれば国富は増大すると主張する一方,近代的個人の利己心を経済活動の動機として認め,個々の資本家がそれぞれ最大の利潤を追求して最大の労働を維持すれば,社会の全生産物の価値は最大となり,これに相応する社会の年収,すなわち利潤や賃金も最大になる。したがって個々人は私の利益だけを追求して自由競争していくうちに,見えざる手に導かれて,みずから予期しなかった目的,すなわち社会の繁栄と調和を達成することになると考え,国家干渉の排除を主張した。スミスがこのような予定調和論を唱えた理由は,彼自身が利己心は公平な第三者の「同感」の枠内で働くものであるという楽観的信念をもっていたこと,および当時は産業資本の上昇期にあたり,また資本と労働の対立が現れていなかったという事情による。この言葉に象徴されるスミスの考え方は『国富論』に随所にみられるが,この言葉自体は前記2著にそれぞれ1度ずつ登場するだけである。

(出典 ブリタニカ国際大百科事典

十勝の活性化を考える会」会員募集   



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。