6年前、脳損傷者と地域住民が共に生きる社会づくりを目指す「第7回日本脳損傷者ケアリング・コミュニティ学会」帯広大会が、とかちプラザで開かれた。
道内では初の開催となった大会には、全国各地から当事者や医療・福祉の関係者ら200人以上が来場。共生社会のヒントを共有し、交流を深めた。その際、自分と同じ脳出血を罹患した中途障害者の方が登壇した。彼は官僚であったが、50歳の時に罹患しタダの人になった。
しかし、それからがすごい。彼は、障害者のためのリハビリ・スポーツに関する一般法人を作り、講演活動を行なうなど自分の役割を果たしている。そのため以前、中小企業者の経営者などで組織されている会の講師を依頼したことがあったが、見事に断られた。
その理由は確かではないが、中小企業経営者の中には、自分の企業の利益だけを追い求める企業が多いことが理由かも分からない。なぜかと言えば、彼は近江商人の経営理念である“三方良し”を常に目指しているからである。
彼が書いた“支えられることは支えること”の文章は、以下のとおりである。
『わが国も批准している障害者権利条約は、障害のある人だけに権利を与えたものでなく、障害のある人も障害のない人も、“すべての生活者”に権利を有しています。
現在私は、定期的に医療や福祉サービスを受けています。医療や福祉をはじめとして多くの社会組織には、「施す」側と「受ける」側の存在があります。そこには自ずと、上位にある側と下位にある側との関係があります。医療では、医師と患者。福祉では、支援者と障害当事者といった具合です。
それは意識の根底に、自分が他者に対して何ができるかという、いわば上位に立つ無意識の思い込みが忍び込んでいることもあります。障害のない人から見て多くの人は、障害があるから「できない」という思い込みは、気づかないうちに行動、言動に表れるもので、私は何回もそういう状況を経験しました。
最近、人が人を世話したり支えたりすることは一体どのようなことか、そして人として、そこにどのような課題があるのかを考え始めました。このことは、立場が入れ替わったときにはじめて本当に気付くものです。
現在私は里山に移住し、自分が暮らし続けたい場所で豊かな人間関係に囲まれ、社会的役割や自己肯定感をもって生き生きと田舎暮らしをしています。自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。
これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。
私は発病以来、多くの人々の支えでここまで来ることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出会いで勇気をもらい、そこから“こころのきっかけ”が生まれました。
今度は、中途障害を持ったから気づいたこと、障害があるからこそ果たせる役割があると考え行動しています。私にとってのエンパワメントは、社会的障壁や不均等をもたらす社会的メカニズムの変革を考えています。』
この文章にも書かれているように、人は”支えられることは支えること“である。私は多くの人に支えられてきた。毎日、病院に来た妻、息子、そして、毎日のように見舞いに来た同期入社の友人、多くの知人などに支えられてきた。今度は、私が支えることであると思っている。
ところで、障害があるから「できない」という健常者の思い込みは、気づかないうちに行動や言動に表れるものである。この文章を書いた障害者は、人を世話したり支えたりすることに関して、「立場が入れ替わった時に、はじめて気づくものです」と言っている。
当たり前であるが、人間は同じ境遇に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からないし、同じ境遇に置かれたとしても全て分かるものではないが、相手を思いやることが大切だろう。
「十勝の活性化を考える会」会員