十勝の活性化を考える会

     
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魚をとる道具“ウケ”

2021-12-08 05:00:00 | 投稿

 

筌(ウケ) ”とは、を誘いこんで獲るかご状に編んで作る漁具。中に餌入れて水中に沈め、中にはいった魚を捕えるようにしたものである。ウナギを獲る場合などは、 ”もんどりともいう。

   55年前の中学生の時、このウケを10日間ばかり一級河川の十勝川に、父と一緒に投げいれた思い出がある。通常は、0~2匹程度であるが、ある日、ウケを引き上げると約20~30匹のウグイが入っていた。前日に、大雨が降ったので大挙して魚がのぼったのだろう。ウケは柳の木を編んで作り、米ぬかが入った袋を餌として吊り下げたが、魚が捕れたのは米ぬかの効果ではないと思っている。

このようなウケを作ろうとしても柳の木は少なくなったし、魚も減ったような気がする。その証拠に秋になると、アイヌが採ったと言われるサケが遡上しなくなった。

中学生の頃、近くの堰堤では岸から岸までサケが手づかみできる状態であった。えん堤を遡上してきたホッチャレのサケが川に浮いていたので、採ってきた思い出がある。途中、砂地の中にあった硝子で小指を切ってしまい、そのキズは今でも残っているがきっと罰があたったのだろう。えん堤の近くではイクラを狙った密猟が、あとを絶たなかった。

私の中・高校時代は、毎日のように釣りに出かけた。近くに十勝川が流れており、ウグイ・フナ・ヤマベなどを釣ったが、ヤマベは引きが強くフナは弱かったのを覚えている。当時の日本は、橋の下には必ず人間が住んでいたので貧しかったと思う。同じ高校だった歌手”中島みゆき“さんは、“橋の下のアルカディア”という劇を作って一人芝居を行なったが、アルカディアとは “理想郷”という意味で、その橋とは帯広市内を流れる帯広川にかかる橋だと思う。なぜなら、その橋の下には理想郷のように人間が住んでいたからである。

2016年8月、台風が北海道を襲った。特に台風10号による被害は十勝地方で最も大きく、日勝峠は約1年間不通になり、開通するまで約4万人の作業員が投入されたそうである。この復旧工事で、十勝が潤ったことも事実である。従兄が日勝峠のある清水町に住んでいたので、台風10号が襲った日に見に行った。妻の運転する車で行ったが、川が氾濫し道路が川のようになっており、あとで考えると命がけの行為であった。近くの川が氾濫し私が会った人も流されたが、遺体は今も見つかっていない。

この日勝峠の不通により、占冠I.C.〜十勝清水I.C.間の約50キロが無料となったが、無料にするためには占冠I.C.と十勝清水I.C.で、一旦降りなくてはならないのである。当時の国会議員から熊が利用する高速道路と揶揄された時期もあったが、日勝峠の不通により高速道路である道東道の有難さが分かったのである。

人間は、日勝峠がこのように長期間にわたって不通になることを想定できなかったのである。胆振西部地震のブラックアウトや福島原発事故の時も想定外であったが、人災であることには変わりない。

「十勝の活性化を考える会」会員