十勝の活性化を考える会

     
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人を介護することについて

2019-11-06 05:00:00 | 投稿

 

 当法人の最大の“強み”は、介護保険だけに頼らない健康づくりの構築及び推進(運動指導のノウハウ=リハビリテーションスポーツ)について、行政の硬直性やノウハウなどの限界、そして壁に突き当たり気味の官から民への歩み寄りを履践しているところにあります。

当法人の対人援助(ソーシャルワーク)の一つである「ストレングスの視点」(strength perspective)は、当事者の弱点や問題点に視点をおきその不足や欠点を補うような従来の病理モデルとは異なり、当事者が本来備わっている潜在的能力や強さに焦点をあてて、協働的な関係の中で問題を解決していく手法です(能動的主体性プログラム)。

 別の言い方をすれば、当事者が自らのストレングスを認識し、あらたなエンパワメントを獲得したりするなど障害に負けない生き方(障害に打ち克つ賢さを学ぶ)を実践して行くことにあります(これらを単なる“支援”と考えず“手伝い”と捉えています)。

 とかくソーシャルワークの研修等では、講師が経験値を一方的に講義形式で進めるケースが多いと思いますが、当法人が考える『育成』とは、介護・支援を「する」人、「してもらう」人という二分法で分けるのではなく、双方向で考える姿勢。言い換えると、一方的に介護・支援を受けるばかりでなく、自分も誰かの役にたっていることを実感し、安心して共に過ごせる関係がこれからの自律支援のあり方と考えます。

 人は誰でも行動の心理的な原動力であるモチベーションが下がると、中々行動に移せないものです。このことは例外ではなく福祉に携わる人材にも言えることです。ですから、私たち一人ひとりが幸せに暮らせる社会を築くためには、双方の「学び」、「交流(体験)」が不可欠になります。私はこのことを利用者と福祉に携わる人材の『協働作業』と捉え「与えられた支援」から「双方向で考える支援」と考えています。さらに、私はこれからの自律の支援を『互いに増幅し協働する仕組み』と考え、現在担当地区の主任ケアマネと私は、これを履践しています。

2005年介護保険改正の際、「尊厳の保持」が明文化されました。このことは、それまで「尊厳」が曖昧になったということを意味しています。「尊厳」とは、全ての個人が互いに人間として尊重される法原理です。分かりやすく言えば、「人」を大切にする意味が込められています。年齢や心身の状況に分け隔てることなく、一人の“生活者”と考えればよく判りますが、とかく福祉に携わる人材は、往々にして犠牲になっているケースがあります。なぜ、国内法で最高の価値基準の「尊厳」を自ら保つことができないのか。これは戦後の社会福祉事業の変遷に理由があると思いました。

戦前の社会事業(貧困対策)は、もっぱら「善意」による個人的事業でした。ところが終戦により国内では、傷痍軍人、傷病者、戦災孤児が溢れ、国民が生活困窮している状況下、国の責任で国民を救済することが急務でした。これらを背景にスタートしたのが、制度、組織化した戦後の社会福祉事業でした。

戦後レジームの中心で構成され、社会福祉事業の法的根拠になる日本国憲法第25条(以下、「第25条」という)は、生存権(権利)と国の社会的使命(義務)の二つを規定しています。ところが、この条文では「こうなるべき」という理念規定に留まり、人の解釈(第25条1項では、『健康で文化的な最低限度』という条文)次第でいかようにもなるいびつな形で発展しました。

 第25条における社会福祉事業の問題点は、「権利」と「義務」の二つの相反する規定が混在しているため、「国の責務として国民の生存をどう確保するか」といういわば、「施し」として戦後70年経った今日でも呪縛のごとく引きずっています。また、人には生きる権利の行使があるにせよ、幸福の追求(日本国憲法第13条)には、たとえ人の権利だとしても、その権利を保持するため“努力”をすることは、人の義務として謳っています。平たくいえば、戦後70年「権利」と「義務」のバランスが不均等に発展してきました(そろそろ抜本的に考え直す、いい機会でないか)。

 とりわけ、従来の福祉基盤制度を見直し措置制度の弊害を改めるという社会福祉基盤構造改革の趣旨を踏まえて、社会福祉事業法から社会福祉法に改正され、建て前は利用者本位の契約による福祉サービス提供の仕組みとして、2003年施行された「支援費制度」という新しい制度がスタートしました。 介護保険制度が始まり民間業者の介護事業参入も認められ、異業種から介護サービス事業に雨後の筍のごとく現れ利用者は、自分が気に入ったところと契約することができるようになりました。これが「契約制度」といわれるゆえんです。

ところが、この制度の弊害として、介護サービス事業者が増え、当然ながら「競争」が生まれ、より質の高い介護サービスの展開より、事業者の経営を維持するため一番大切な『人材の教育』まで手が回らなくなりました(本末転倒、結果「人」を大切にすることができない)

 皮肉な話ですが、近代西欧の資本主義がもたらす社会問題をなくするため発展した社会福祉制度が、現在わが国でも問題になってきました。それを打開するために、原点に立ち戻り福祉サービス事業(公的介護サービス等を含む)は、一般営利目的のサービス“業”と同じようなわけにはいきません。そこには社会福祉事業の理念があり、戦前の「善意」のボランティア精神を踏襲して措置委託制度が創設したことを鑑み、それを「社会福祉」を考える上で忘れてはなりません。これが「権利」と「義務」のバランスを保つことになります。

 ホリエモンこと堀江貴文氏がかつてツイッターにおいて、「介護のような誰でもできる仕事は、永久に給料は上がらない。いずれロボットに置き換わる」というつぶやきを見せたことがあります。これは介護業界の構造的問題を指摘したに過ぎません。私は、「介護のように誰でもできる仕事」という文脈が気になりました。 果たして「誰でもできる」ことでしょうか?これが資本主義の弊害の一つだと思います。人材不足の折、巷では「誰でもできる」云々という募集が目につきます。しかし、

人と人が接する仕事がこのような安易な気持ちで務まるのでしょうか?これを「誰でもできる」仕事にするため、学び・育成、プライド(意義)を持つことが不可欠になります。

 福祉に携わる人材で一番大切なことは、自分にも相手にも誠実であり、お互い対等な関係(関係づくり)を身に付けることで、“善意”(ボランティア精神)の意味を学ぶことです。これら“善意”と“業”の違いを理解し、バランスを保てるようになります。これにより金銭的報酬(インセンティブ)より普遍的価値観が重要と思えるようになり、このことが来春からの当法人『養成』のメソッドになります。

 大きく分けリーダーには、「消耗型リーダー」と「増幅型リーダー」の二つのタイプがあるそうで、消耗型は社員(職員)を“使う”と考え、他方増幅型は“育てる”という具合で他にも、

 【消耗型】

 失敗の対応・・・ただ責める

 方向性の設定・・一方的に命令

 意思決定・・・・一方的に決定

 物事の実行・・・支配する

 

 【増幅型】

 失敗の対応・・・原因を一緒に探す

 方向性の設定・・挑戦させる

 意思決定・・・・一緒に考える(場合により)

 物事の実行・・・支える

 

 これからのビジネスは、「増幅型リーダー」が主流になり、部下の才能を伸ばし、引き出してあげられる姿があります。部下の意見を積極的に取り入れ、一緒に問題解決をすることで、たとえ直近の結果がなくても、部下の経験知(暗黙知)を積むことが出来、レベルアップにつながると結論を出しています。

 たしかに、社員(職員)の成長をテーマにした取り組みをすることで、組織全体にシナジー効果が生まれ、組織の活性化に大きく寄与していくものと感じました。

 このことは、福祉に携わる人材の『育成』にも応用が利くと思いました。というより、当法人の経営スタイルがまさしく、『増幅型リーダー』そのものです。これに「人」を大切にする気持ちを加えることで『養成』のメソッドになると思いました。私の発想の原点は、『共有主義』にたどり着きます。

資本主義でも社会主義でもない共有主義を共有経済に置き換えると、モノ・サービスなど社会資源を協働(相互作用)し、そこに『人間関係』を創り出し、地域コミュニティを形成(健康づくりや人材育成)することに寄与することだと思います。 私は、規制緩和による異業種参入もいいですが、世代(年齢)や個性(心身の状況)を超えて互いに英知や知識を共有することが重要で、あらたな地域社会の“結びつき”を育む「学び」の場として、①「努力」②「双方向」③「バランス」をキーワードに、『互いに増幅し協働する仕組み』の達成が公益認定の要になると思っています。

 里山にいると、ついつい俯瞰して考えてしまいます。この雑文を経営判断の一助になれば幸いです。              

 以 上

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