この店に初めて訪問したのは何時の頃だろう。
確か94年だと記憶している。
当時、東京支社勤務で結婚を機に谷中から谷中に引っ越したばかり。
借金もなければ貯金もない生活をしていて、たまたま近所の酒屋の空き家の張り紙を見て問い合わせたら、結構安くしてくれたので即入居。家賃補助があったので数万円で住めるので契約したのはいいが、引っ越し費用がないので、酒屋にあった大きな台車を借りて引っ越しをした。はたから見たら夜逃げか泥棒のよう。
谷中の三崎坂あがった伊勢五酒店のマンション2階で新婚生活を始めた。
独身の頃から谷中銀座あたりで呑んでいて、吉川っていうもんじゃ屋に通っていた。
そこには高田文夫師匠も来ており、一緒にお花見をさせていただいた。林家たい平師匠、林家三平師匠、春風亭昇太師匠も一緒でそれはそれは夢のような時間だった。
お皿サインを集めるきっかけもこの花見で高田文夫師匠に頂いたのが最初。色紙が無く、メンチカツを乗せていた皿にサインをいただいたのがお皿サインというわけ。立川談志師匠のお皿サインは我が家の家宝。
ノストラダムスの大予言が大外れの世紀末。
その年末に我が家に待望の子どもが生まれた。
根津の日本医科大学付属病院で生まれた玉のような男の子だった。
先々代の林家三平師匠が常連だった近所の蕎麦屋「上州屋」のおかみさんにも祝福されたっけ。
父親になったという初めての不思議な感覚で、病院の帰りに気が付くと根津の居酒屋で一升酒を呑んでしまい危うく自宅で吐きそうだった。
子どもが生まれる前から行きつけだった谷中銀座の吉川の親父さんとは馬が合い、ゴルフによく行っていた。企業ノベルティを制作している業者さんとかと栃木や埼玉のゴルフ場でプレイし、17時に谷中に戻りお店で打ち上げというお決まりのルーティーン。
ある日、スタートが早かったせいか、都内に15時くらいに着いてしまった。17時に谷中で呑むのはちと早いということで、同伴した立石出身の業者さんの手引きで立石で呑むことになる。鶏かもつ焼きかということになり、鳥房で半身揚げで一杯。僕はもつ焼きを希望したが多数決で却下。その行かなかった店が「宇ち多“」だったというわけ。
行けなかったもつ焼き屋がなぜかもの凄く気になり、ひとりでぶらっと行ってみることにした。場所もよくわからないので交番のおまわりさんに教えてもらうと「呑み過ぎないように」と敬礼された。
当時は夕方だったせいかそんなに並ばずに入店できた。藤原喜明似の厳ついおっさんに指定された席に着席すると、「何呑む?」と矢継ぎ早に聞かれ、無難なビールを注文。壁にビール、焼酎とか書かれていて、もつ焼き、もつ煮も書いてあるが、みんな色々なものを食べている。
「おかずはどうする?」と聞かれ、唯一わかる煮込みを注文。まわりは呪文のような注文を藤原喜明に投げつける。藤原喜明は聞いてないようですべての注文を焼き場に伝える。すると順番で呪文のおかずが次々と運ばれてくる。もつの部位ごとに注文でき味付けも好みで焼いてくれるということがわかったので、勇気を持って藤原喜明に「すみません」と声をかける。
完全無視。
やけくそで「レバ生!」と藤原喜明の背中越しに声をかけると、背中で「お酢は?」と返される。ちゃんと聞いてるんだ。
「すみません」とか「注文願いします」なんてもんはいらないとわかる。
初到着したもつ焼きは、串にささった焼いていない豚のレバー串2本だった。
新鮮極まりない豚レバーは刺身そのもの。
2串で170円。
味も値段もびっくり。
とりあえず周りのおっさんの注文をオウム返しのように注文。
生ものを中心に注文。
ガツ生、ハツ生、シロ生、アブラ生、なんこつ生、かしら生…
「かしらの生はない!」と藤原喜明にぴしゃりと怒られる。
ビールが無くなったので「焼酎!」と言うと、「梅でいいか?」と聞かれたのでよくわからないが「はい!」と答えると、一升瓶から宝焼酎をそのまま注がれ、変な液体を数滴垂らされる。
これがもつ焼きに合うこと合うこと!
みんな『梅割り』と注文している。
謎の液体は梅シロップだとわかった。
それから図書館に通うかのように「宇ち多“」に通うことになる。
辮髪のアジャコングみたいなにいちゃんのエリアに行くと、「ハツ?ガツ?どっちだよ!」とすごまれ、「なんでもないです」と応えてしまい「何だよ!」と失笑されながら、めげずに注文していくと、いつのまにか普通に注文でき、時間で無くなっている希少部位や常連のみがたどり着けるメニューや注文の仕方がわかってくる。
何年かすると、アジャコングみたいなおっかないあんちゃんが、「そのTシャツ、スパイク・リーか?いいセンスしてんじゃん」とか声をかけられるようになる。それでもおっかないので「ええ。」とか返答し、ほぼ会話というにはほど遠いコミュニケーション。
そんな感じで何年も通っていると、逆に居心地がよくなってきて、気が付くと梅割りを5半まで認めてもらえるレベルに成長。それでもアジャコングと藤原喜明がおっかなくて話をすることなんて計算時の「ごちそうさま」止まり。
ある日、後輩を連れ立ってお店に行くと、藤原喜明の席に、須永辰緒さんとスカパラの川上さんが既に呑んでいる。二の字に着席して静かに呑んでいると、「あれ?とーへーくん?ここよく来んの?」とタツオさんに声をかけられる。店内で注文意外に大声を出そうものなら八つ裂きにされると思い、小声で「次のお店でご一緒できれば…」と対応。タツオさんも察したようでアイコンタクト。
するとおっかねえアジャコングに肩をとんとんと叩かれ「タツオさんとはどうゆう関係なんだよ!」と聞かれたので、「同郷で昔からの知り合いです。」と応えると、「なんだよ!そうゆうことか。もっと早く言えよ!少しだけ優しくしたのによ」と笑顔で対応してくれた。計算をして店を出ると、アジャコングが出てきて「これ俺の名刺。それとこれあげるわ!これでお前もチーム宇ち多“だからな!」と宇ち多”の手ぬぐいをいただいた。正月の年賀タオルじゃないやつ。
それからは普通にいじられるし、常連さんの仲間入り。
東日本大震災直後、心配でお店に日光東照宮の高い絵馬を届けて「これからも100年この店が続きますように」と言うと「要らねえよ!こんなもの!うちは1000年続くものじゃないと受け取らねえよ!ありがとな!」と照れ臭そうにしたアジャコング。
そう、アジャコングは3代目の朋ちゃんで、藤原喜明はソウさんってこと。
「宇ち多“」に通うようになり始めの頃から、ずっと思っていたことがあった。
谷中で生まれた長男が成人して酒が飲めるようになったら二人でこの店で梅割りを吞みたいと。
でも長男は、小さい頃からもつ焼きとかホルモンとかが苦手なので、半ば諦めていた。
志望校に受かり、大学生になり酒を呑むようになり、コロナ禍の厳しい状況下、俺と同じ仕事を目指して就職活動。大手広告代理店の友人を作戦参謀に付けてもの凄い可愛がりを受け、見ている親が涙出るぐらいの努力をしたもののうまいくいかず、一時は就職浪人も考えたが、何とか就職できることになった。
血筋というか酒も強く、いつの間にかもつ焼きも食べられるようになったので、念願の親子で宇ち入りすることに。
昨年の11月以来から約1年ぶり。
しかも今年初めて。
3時過ぎに到着すると、大行列!
席数を絞っているので仕方がない。
1時間近く待っていると順番が回ってきた。
先に俺が着席してビール大瓶を注文。
倅は次に呼ばれて鍋前に着席。
どうしていいかわからず、完全にびびってずっと俺のことを見ている。
そう!初めて来たときのノリオ・イグレシアスのよう。
大瓶をシェアしていると、すぐに隣の席が空いたので合流。
まずは就職祝いの乾杯を。
まずは、「テッポウ ボイル一本づつお酢」
倅はレバーが苦手と言うがひとくち頬張る。
食べ終えた串は箸置き替わりに使うことを教える。
梅割りを注文
倅にも勧める。これを呑まなきゃ始まらないから。初めは3杯くらいしか呑ませてくれないこと、俺は5杯半いけると父親の威厳をみせる(笑)。
倅はまだビビっている。
サイダーをチェイサー替わりに注文。
カシラ素焼き若焼きお酢
倅用にオーダー
すげえ旨いとの感想。そりゃそうさ!日本一のもつ焼き屋だから。
食べ終えた皿は重ねておくことも教える。
ガツ ハツ一本づつお酢
倅がガツが好きだというので注文。ハツ生にも感動していた。
生の串は一本づつあい盛りで注文でき、焼きは2本セットであい盛り注文できないと教える。
アブラ少ないとこタレよく焼き
倅が目を丸くしている。焦げすらスパイスだからと力説。
煮込みアブラのとこ
これも倅用に。俺はハツモト拾ってもらうか、白いとこ拾ってもらう。
1年ぶりの煮込みもマーベラス。
煮込みは、慣れたら部位別に拾ってもらえるが、忙しかったり遅い時間はできないと教える。
おしんこショウガのっけてお酢
アブラの後は余計に旨く感じる。
きゅうりが無くなったらダイコンしょうがのっけてお酢と注文せよと教える。
最後の締めは当然、シロタレよく焼き
残った煮込みとタレを混ぜて食べるとさらに上手くなると教える。
食べ終えたら『計算』と言い、串を重ねた皿の上に置き、梅割りの杯数を自己申告。店員が重ねた皿の枚数を数えて計算してくれて、基本200円の倍数で料金が確定されると教える。
そして必ず『ごちそうさまでした』と言うように指導。
そして何があっても店員には逆らうなと。2度とこの旨いもつ焼きにありつけなくなるからと。
この店を知ってるのと知らないのとでは、これからの人生が全然違ってくると。
あー!幸せ!
俺は梅3,倅は梅2
計算をして暖簾の前で記念撮影していると、朋ちゃんがしらっと後ろでVサイン。
「お父さんみたいになんじゃねえぞ!」と笑顔でお見送り。
次に江戸っ子のボールを呑ませたいので移動。
その前に家族用のお土産に鳥房で半身揚げ530円を注文。呑み終わる頃受け取りにと。
江戸っ子は並ばずに入店。
ボールを注文。氷無しで
全然お腹が減らないので、マカロニサラダと厚揚げを注文。
普段は話さないようなことも酒が入ると会話が弾む。
本当は、これから串揚げ100円ショップか蘭州とか寄りたかったが、かみさんから「調子に乗って息子を潰したり、吐かせるまで呑ませないでね」とラインが来た。
息子を酒で潰そうとする親なんているかと思い2軒で終了。
長年の夢がかなった、やわらかくしなやかな夜だった。