とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

宗教と信者と・・・。

2006-08-10 13:56:27 | 社会
想いと言うものは時として間違って伝わってしまう事が多々あります。
私の母は、その昔「創価学会」に入っていました。
今は色々思うことがあり、会員ではなくなっています。
ただ、悲しきかな・・・学会会員時代のなごりか、日蓮大聖人の教えが正しく伝わっていないのが残念・・・と思う毎日です・・・。
ちなみに、私も子供の頃に会員にされましたが、これは私の意志ではありませんので意味はないでしょう。
ところで、何が正しく伝わってないのかと申しますと・・・。
日蓮の誕生はお釈迦様が「東の国に本当の教えを説く者が現れる」と予言してたとかしてないとか・・・。
その後、日蓮は日本に生まれるわけですが、彼は常日頃心を痛めていました。
「宗教はどの宗教も人々の幸せ、世界の平和を望んでいる、なのに宗教を元に争いが耐えない、宗教同士で争いが起きるのは何故なのだ・・・」
全くその通り・・・。
おかしなカルト宗教や新興宗教を除いて、遥か昔の歴史から名を残す宗教はどれも「人を憎まず、世界も人も平和に・・・。」
と説いている。
キリストの教えだって「汝の敵を愛せよ」と言ってるではないか。国民のほとんどがキリストを崇拝しているアメリカが戦争してる場合じゃないのだ。
実は、日蓮の教えはどうも創価学会ができる前までは正しく伝わっていた様である。
小泉八雲の著書にも「日蓮を信仰している家には神棚と仏壇がある」とある。
旅先で彼がお世話になった家の主人は日蓮を信仰していた。その近所一帯の家も日蓮を信仰していた。でも、神棚がある・・・。
創価学会の家ならそんなことはありえない、他の宗教との交わりも「ざしゅう」だとか言って拒否している。
旅行のお土産に「お守り」なんて持って行ったひには捨てられる事間違いなしだ。
勿論、今正しく日蓮を信仰している方の家にも仏壇と神棚はおいてあることだろう。
どうも学会のせいか?日蓮=創価学会と見られるのが私としてはちょっと引っかかるのだが・・・。
まあ、日蓮も「そんな事にこだわってはいけませんよ」と言うかもしれないが・・・。
要するに、日蓮が言いたいのは・・・。
「宗教は色々宗派があるけれども、根本的に想いは同じ。なら、全ての宗教が寄り添って平和・幸福を願えばいいではないか、だからと言って色々な宗教が一つにまとまる必要は無いだろう。大事なのはその願いに対して想いを一つにするという事。すべての信者や弟子達が正しく教えを理解し、自ら争いを起こさないことだ。」
簡単に言うと「平和・幸福」という本社があって、色んな宗派の支社や協力会社があるということか?
なので、他の宗教と交流をもったからと言ってバチがあたるはずもないのだ。
神社に参拝に行こうが、教会で結婚式を挙げようが、そんな事、日蓮にしたってどの宗教を開いた人だってそんな事でバチを当てるはずがない。
いつも宗教で争いを起こすのは弟子や信者ばかり。
開祖した本人は「私が絶対正しい」「他の宗教は間違ってます」何て言ってませんよ。
冷静に考えれば判りそうな事なんですけどね・・・。
それからよく言われる「拝み方が足りないからダメなんだ」
拝んだ量ではありませんよ。何でもそうですが気持ちです。
仏壇や神棚の前でやみくもに拝んでる暇があるなら人の役に立つ様な事を少しでもやりなさい。
家の前をちょっと掃き掃除したり、道を歩いていて目に付いたゴミは必ず拾うとか、困っている人に手を貸したり。
まず、自分にご利益が欲しいと思うなら自分以外の全てのものに優しくなるという事。
人に限らず、動植物・自然・・・。命を持つ全てのものに・・・。
すると、自分はいかに色んなものに支えられて生きているかということに気付きます。
そういうものに感謝をする。そして、自分も何かを支える力になる・・・。
全ての人々がそんな風に思えたら、世界はたちまち平和になるのに・・・。
人間とは、地球上で一番困った動物ですね・・・。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 蒸し暑い夜に・・・12-3 | トップ | 日光珍道中~行きはヨイヨイ編~ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会」カテゴリの最新記事