とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

長男・長女の異変

2008-03-13 18:41:37 | 社会
先ほど買い物に行ったときの事だ。
私が車を止める前から、駐車場のフェンスに上ったりと、やんちゃざかりの男の子と、妹であろう小さい女の子が目に付いた。
年のころは、男の子が5歳くらい、女の子は3歳くらいだろうか?

私は、スーパーの駐車場に車を止め、店に向かって歩きだすと、先ほどの女の子が左手から歩いてきた、すると、その後ろから、先ほどのお兄ちゃんが走って来た。

「妹が小さいから心配なのね」と微笑ましく思った次の瞬間・・・。
お兄ちゃんは思い切り妹の背中を押して、転ばせたのだ。
明らかに故意で転ばせた事が明白だった。
泣き出す妹、私の視線に気付いたお兄ちゃんは、何故か後ろから来るお母さんに向かって
「ごめん」と言い出した。
その後も、倒れて泣いている妹の側には居るけど、お母さんに向かって
「ごめん」を繰り返す。
で、当のお母さん。
転ぶ前から、ず~っと携帯で誰かと話中。
転んだ瞬間も
「まったく、わざと転ばせたがんねぇ」(わざと転ばせたのよ)
と、たいして怒るわけでもなく、女の子を起こす時も携帯で話しながら。
前を歩く私の耳に飛び込んだ母親の一言は・・・。
「そんなに痛くないでしょ?」


昔から、兄弟の中でも一番上の子供は、下の子を見るのが当たり前、そりゃ勿論、「お兄ちゃんなんだから」「お姉ちゃんなんだから」と言われるストレスはあったけれど、とにかく、年長者は下のものの面倒を見るという、言わば、この国の文化の様なものをちゃんと受け入れてたのがほとんどだった。

所が、最近は下の子をいじめるという上の子が増えてるらしい。
今まで、自分一人に向けられていたはずの親や周りの大人達の目が、一瞬にして下の子に向いてしまう。
この疎外感は、恐らく昔も今も変わらないと思うのだけど、何でこんなに変わってしまったのだろうか。
勿論、昔だって下の子の面倒を見ない上の子はいたけれど、数で言えば、今の方がダントツで多いだろう。

ここからは、私の推測だが、最近は子供を自由にのびのび育てるというのが主流だ。
子供の自我をどこまでも聞いてやって好きなことをさせてやる、何てったって子供には無限の可能性があるからね。
と、自由を間違って解釈している大人が本当に多い。
自由というのは、恐ろしいほどの責任が伴う。
まあ、これは置いといて。
今まで好き放題やってきた上の子が、下の子が出来た途端
「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから我慢しなさい」
と大人達が口を揃えて言い始める。
おまけに「下の子の面倒をみなさい」

冗談じゃないよね。
今まで独り占めしてきた玩具も下の子に貸さなきゃいけない、元々、我慢なんて知らずに育ってきてるので、今更急に我慢しろと言われても、それは無理。

昔も「我慢しなさい」とは言われたけれど、普段から我慢して育ってきたし、大人達も、そうは言っても上の子を立てるという事もしてきた。
下の子も下の子なりに、「おさがりばっかり」という不満はあっても、お兄ちゃん、お姉ちゃんは頼りになるし、お互い色んな我慢はあるけれど、それなりに均衡を保っていたと思う。

で、これに伴うもう一つの異変。
一人目の子供が少し大きくなったので、そろそろ下の子を・・・。
何て考えてる両親が、ある日、子供に
「下に、弟とか妹欲しくない?」と聞くと・・・。

「要らない」
という上の子も増えてるという。
それなりに知恵もついてくると、兄弟ができたら自分の立場がどうなるか解ってきているのだ。

昔なら、下にできるとなると嬉しくて、ちょっと大人になった気分で
「あれもしてあげよう」「これもしてあげよう」
と期待に胸を膨らませる子供が多かったが、今は違うらしい。

人を育てるという事が、どこかで歯車が狂っているような気がしてならない。


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