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とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

忘れまい・・・。

2011-03-13 10:13:52 | 徒然なるままに・・・。
3月11日午後2時46分・・・。

生きてると、色んな事を経験するんだな・・・と改めて思った。

診察中だった。
私は書類の仕事をしてたので、処置室で事務の方からお薬だけが欲しい人のカルテをもらい患者さんの状況を確認してる時だった・・・。
私 「地震だよ」
彼女「受診はしないんだって」
私 「違う!地震だって!」

そんな間抜けな会話をしてると更に揺れは強くなり、棚の上に置いておいた本も落ちてきて、患者さんの様子を見つつ、正面玄関と裏玄関を開け放した。
全く揺れが収まらず、院長が「ここに居れば大丈夫だから」と・・・。

長い、長い揺れだった・・・。

いつまで続くのかと思うくらい、このままどんどん揺れが大きくなってここで死ぬのかとも思った。

その後は当然診察にもならず、地震が少し収まってる時に、今ここにいる患者さんだけでも診察しようとするが、余震が次から次へとやってくるので患者さんも落ち着いて診察を受けられない状態。

外ではサイレンが鳴り止まず、子供さんがいるパートさんを先に帰宅させる。

テレビを見ると、大津波の情報が・・・。

これまで見たこと無い「大津波警報」の文字。
それがどんな津波なのか想像もできない。
テレビ局のヘリからの映像で、迫る波から逃げ惑う人々が映し出され、波に飲み込まれる町を目の当たりにする。

お向かいの診療所の屋根が一部崩壊。

時間の経過と共に、被害状況が明らかになり、想像以上に恐ろしい状況に・・・。

院長の指示で5時15分まで診療。

と言っても、患者さんが来れるはずもなく・・・。
電話も通じず。
テレビから情報を取る。

高速が通行不能の為、国道に下りてきた車で道があふれ、肝心の国道も崖崩れでどこに行っても身動きが取れず、停電もあり、信号も消えている。
帰宅できたのが午後の10時半。

夫、信長、とら助、とら吉、じゃむの無事を確認。
電気は使えるけれど、水が使えない。

夫の実家も国道の崖崩れや、水道管の破裂などがあり、避難指示が。

国道が使えない為、緊急車両が我が家の前をサイレンを鳴らして走って行く。

その後も止まる事なく余震が続く・・・。

とにかく、家族と家が無事で良かった。

断水状態は依然続いており、復旧の見通しも立たず。
国道も未だ通行止めのまま。
ガソリンも底をつき、土曜日も仕事に向かいましたが、10時で診察終了。
帰宅途中にガソリンを入れるも、一人1000円までなので、微々たるもの。
電車もストップしてるし、道路が渋滞の為に、バスに乗ってもいつ届くのかわからない。

東北の広い範囲で被災者が拡散してる事もあって、どこまで救援されてるのかも不明。
その中でも、私が住んでる福島市はまだ被災したと言っても軽い方だ。

気になるのは、三陸や、宮城沿岸部の甚大な被害に合われた方々。


私たちは東北人です。

東北人は地味だけど、冬の厳しい寒さにも、夏の猛暑にも耐え、生き抜く底力があります。
都会の様な便利さは無い地方ですが、地道に生活する知恵があります。
今こそ、東北人の底力を発揮して、この現状を乗り越えましょう。

日本人は、あの戦争にも、あの多くの震災でも立ち直った国民です。

大丈夫。

大丈夫です。

コメント (4)
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