「マインド」とは
アイデンティティについてより詳しく触れる前に、マインドについて少し説明しておきます。マインドとは何かとの一定の定義はありませんが、エゴが生まれる意識構造の一つにアイデンティティがあり、これらはマインドというフィールドで息づいていると思われるからです。
マインドとは心の中で無意識に揺れるハエ取り紙のようなもので、エゴを収集して膨らんだ自我意識(小我)を司る領域、表面意識の意思を司る領域と考えたらいいと思います。
英語でマインドを動詞にすると、Do you mind… Would you mind… と相手の意思と意向を窺い仰いだり、尋ねたりするときに使います。
馴染みの「マインドコントロール」は人の判断や意向を無意識に一定の方向に向けさせるようと仕込むことです。それ自体は日和見主義で明確な自分というものをもちません。
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消失した真我の代替
普段地球人はこのようにマインドに心を奪われ本当の自分を見失っている自我状態で、当然自分の本当の価値を知るということができません。
しかし自分を見失っている自我意識だって常に自分の拠り所を求めて止まないのです。
幻想であるこの自我は光輝く永遠の自分の価値を自分の内に見いだすことができません。
そんな自我は自分の価値を外に代替するしか方法がないのです。そこでアイデンティティの出番となるのです。
アイデンティティは自己の認識にとって必要不可欠のものです。
そしてこれが執着となってエゴを生む大きな要因となっているのです。
アイデンティティとは消失した真我を代替する偽我の価値基盤です。
真理は自我が感じる五感では認識できない精妙な波動に乗ってやってきます。
だから自我に覆われた唯物論者の人類は自分の本質を見失ったままでいるのです。
このように人は本当の自分を見失っていて、自分の価値を自分自身に求めることができません。
それで他に依存してしまうのです。
小我は自分が外に依存しているものは永遠ではないことを経験上気づいていますから、常に自己の価値を投影できるものを失うことに恐怖をもってしまうのです。
これが自我の性(さが)であり、恐怖心の下で自我がアイデンティティと同一化して執着する要因なのです。
人が自分の本質が霊的実在であることを理解していれば問題はないのですが、物質社会の範疇(はんちゅう)で自分探しをしていると自分を五感で認識できるものへと代替(だいたい)する必要が生じるのです。
マインドについてもう少し講釈がゆるされれば、
他には、Right mind は日本語で正気と訳されますが、正しいマインドというよりもエゴの影響を受けない「洗われた心」という方が正しいでしょう。
いずれにしても洗心してマインドを超越していないと正気は保てないのです。
Two mind はいろいろな考えが浮かぶ迷子の状態です。
表面意識で思考している複数の自我を偽我(ぎが)だと観察して認識できずに自我に翻弄(ほんろう)された状態です。
自我意識が強く生じて観察状態が止まると本当の自分を押し除(の)けて自我が表面意識にしゃしゃり出てきます。
そして自分に饒舌(じょうぜつ)に話しかけるので、人は本当の自分を遮断されます。
Lost mind も本当の自分と繋がれず自己消失して途方に暮れた状態です。
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「この作品は私が作りました。この文は私のものです...。」と自己をアピ-ルしたくてうずうずしましたリ、自慢の出来ない状況に不満を抱いてしまいます時は、「こんな気持ちは今後本当に必要無いね。」と自分に言い聞かせては心を落ち着かせたいです。
今の地球上では、すぐさま名前が無くなりまし
たら流石に混乱してしまいましょうが、この自己主張の精神は省いて行きたいです!
有難う御座います。
アイデンティティという仕組みを正しく理解すると、それまで何となく認識していた怒りや妬みという御法度の心がとても明確に欲だと判ってきます。
自分自身がそうなってきているので、しつこく書いています。
9月号の「宇宙の理」誌にもこれを書こうか(ほとんど同じですが)と思っています。
有難うございました。
有難う御座います。
合掌
だからその元の意識に氣づいていくということはよいことだと思います。
有難うございました。