王監督が胃の悪性腫瘍摘出のため戦線を離脱します。
テレビではどういうわけか横並びに悪性腫瘍と言っていますが、胃の悪性腫瘍といえばこれは間違いなく胃癌です。
王監督が胃がんと言わずに悪性腫瘍と言ったので監督に遠慮していることも多分にあるようです。
これだけ一般的に癌になる人が増えているのに、何故王監督の場合は悪性腫瘍なのか?
また何故自分も癌といわなかったのか?
よく解からないですが、ちょっと違和感を感じます。芸能人なんかはみんな癌と告白しているのに。
それよりも、
王監督の病について色々な人がコメントや励ましを発していましたが、ひとつ気になった言葉に、ジャイアンツの原監督が「負けずに(たぶん言い方からして癌と)闘ってがんばってほしい」というような言葉を言っていましたが、これにもちょっと違和感を感じました。
病気というものは自分とは別のところでおきていて、もともと自分とは別の世界にある細菌が侵食してくるように感じている人が多いからなんでしょう。どうしても戦うというイメージがあるようです。
でも考えてみれば癌細胞だって自分の肉体の一部なんです。自分の肉体の一部が変化しているんです。
病気になると何でも薬に頼ろうとするのも、そういう意識が根底にあるからとも思います。
また胃がんと言うわずに悪性腫瘍と言うのも何か「臭い物にはふたをしろ」みたいなエネルギーを感じます。
私が細かいことを言っていると思われる方もいるかもしれませんが、病に対する姿勢という観点からは結構大切なことです。
誰でも知っている解かりやすい癌という表現から逃げる、現実から逃避する、現実を見ようとしない、病気になったのは運が悪かったから、歳何だからしょうがな(これは王監督も言っていた)という意識を感じます。
こういう流れが「病気は自分自身の一部である」ということの認識から遠ざけてしまうんです。
こういう「病気は自分が作り出しているのではなくてどっかからかやってきたんだと、いう観点が、病気撲滅から遠ざけます。
一般社会では、病気がない世界なんか無いと思ってしまっているようですが、全部自分が作っているという理解ができれば、自分の心得次第で病気は撲滅できるということも理解できる筈なのです。
魂も自分、心も自分、精神も自分、肉体も自分、悪性腫瘍も自分です。自分の意思表示です。
だから、
原監督の言う「闘う」も、本当は病気と闘うのではなくて、自分の心との闘いであり、病気(自分)との会話なのと思います。
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全てが自分との戦いですよね。
これ無しでは進歩も
発展もありえませんもの。
その為にも
敵を知り己を知ることが大切なのですよね。
王監督の善戦を望みます。
と思ってしまいました。
そうですね。remainsさん。
監督の善戦を望みたいですね。