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真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

あるニューズレターから(外国から見た日本のこと)1

2006年07月03日 22時51分17秒 | 日本のこと

なんか最近、やけに日本のことについて外国人が語っている言葉が私のところにやってきます。
先日もそんなニューズレターが手許に届きました。
今日は
発行元より掲載の了承は取り付けまして、
「国際派日本人養成講座」無料です)から紹介します。
これも何かの流れでしょうか? 


 


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       国柄探訪: 幸福なる共同体を創る知恵
    
       幕末から明治初期に来日した欧米人たちが見た日本人の幸せな生活。
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■1.「地球上最も礼儀正しい民族」■

    フランスの青年貴族L・ド・ボーヴォワールは、明治維新の前年
、慶応3(1867)年に、世界一周旅行の途中で日本に立ち寄 り、
 横浜から江戸、箱根などを回った。その見聞録『ジャポン1867年』
 の中に、次のような一節がある。
 われわれが馬からおりるとすぐに、二、三人の娘がやさ  しく愛らしく
 お茶と飯を小さな椀に入れて持ってくる。老婦人が火鉢と煙草をすすめる。
 他の小径(こみち)を通ってやって来た日本人の旅人も、われわれと同じように
 歩みをとめる。彼らはわれわれに話しかけるが、たいそう愛想
      のよいことをいっているに相違ない。当方としては彼らの美しい国を
 どんなに愛しているかを伝えられないことが残念であった。・・・
       
         それから一同は再び出発し、湾の奥深い所に見える遠い
        村まで下りていく。----そこでは、これはどの道を通る場
        合も同じだが、その住民すべての丁重さと愛想のよさにど
        んなに驚かされたか、話すことは難しい。「アナタ、オハ
        イオ」(ボンジュール、サリュ)、馬をとばして通り過ぎ
        るわれわれを見送って、茶屋の娘たちは笑顔一杯に叫んだ。
        ・・・思うに、外国人が田舎の住民によってどのように受
        け入れられ、歓迎され、大事にされるかを見るためには、
        日本へ来て見なければならない。地球上最も礼儀正しい民
        族であることは確かだ。[1,p46]

■2.「日本人の微笑」■

    アイルランドからやってきて日本に帰化したラフカディオ・ハーンは、
  日本の友人から次のような質問を受けた。

         外国人たちはどうして、にこりともしないのでしょう。
        あなたはお話しなさりながらも、微笑を持って接し、挨拶
        のお辞儀もなさるというのに、外国人の方が決して笑顔を
        見せないのは、どういうわけなのでしょう。

     ハーンは、この質問を受けた時の感想を次のように書いている。

         この友人が言うように、私はすっかり日本のしきたりに
        染まっていて、西洋式の生活に触れる機会を持たなかった。
        そう言われて初めて、自分自身がどこか奇妙な振る舞いを
        していることに気がついたのである。・・・

         日本人が言うところの「怖い顔」をした外国人たちは、
        強い侮蔑の口調をもって、「日本人の微笑」を語る。彼ら
        は「日本人の微笑」が、嘘をついている証拠ではないかと
        怪しんでいるのである。

     ハーンは長年の日本生活を通じて、自ら「日本人の微笑」を
    身につけてしまった。その経験から「日本人の微笑は、念入り
    に仕上げられ、長年育まれてきた作法なのである」と結論する。

         相手にとっていちばん気持ちの良い顔は、微笑している
        顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自
        分を良かれと思ってくれる人たちに対しては、いつもでき
        るだけ、気持ちのいい微笑みを向けるのがしきたりである。
        そればかりでなく、広く世間に対しても、いつも元気そう
        な態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活
        の規範とされている。たとえ心臓が破れそうになっていて
        さえ、凛とした笑顔を崩さないことが、社会的な義務なの
        である。

         反対に、深刻だったり、不幸そうに見えたりすることは、
        無礼なことである。好意を持ってくれる人々に、心配をか
        けたり、苦しみをもたらしたりするからである。さらに愚
        かなことには、自分に好意的でない人々の、意地悪な気持
        ちをかき立ててしまうことだって、ありえるからである。

         こうして幼い頃から、義務として身につけさせられた微
        笑は、じきに本能とみまがうばかりになってしまう。

■3.上機嫌な労働者たち■

     他人に対して愛想の良い挨拶をし、微笑みを向ける日本人は、
    自分の仕事に対しても、上機嫌で取り組む。アメリカの女性旅
    行作家イライザ・R・シッドモアは、明治20年代の日本を
    『日本・人力車旅情』の中でこう描いている。

         日も暮れて郊外を走る車夫たちは、いろいろと注意を促
        すことばを口走って進む。道のわだち、穴、裂け目などが
        あったり、交差点が近づいたりする時である。こうした叫
        び声は車列の前から後へと駆け抜けていくが、それはちょっ
        と音楽的でさえある。にこにこして礼儀正しく、愛きょう
        もある小馬のような車夫。[1,p50]

     つらい仕事をしながらも、上機嫌に愛想良く振る舞う日本の
    労働者たちの姿は、外国人旅行者たちの興味を引いたようだ。
    明治11(1878)年に日本を訪れた、オーストリア=ハンガリー
    帝国の軍人で地理学研究者・グスタフ・クライトナーも同様の
    光景を描いている。

         荷物を担いでいる人たちは、裸に近い格好だった。肩に
        竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠を載せている
        ので、その重みで支柱の竹筒が今にも割れそうだった。彼
        らの身のこなしは、走っているのか歩いているのか見分け
        のつかない態のものである。汗が日焼けした首筋をしたた
        り落ちた。しかし、かくも難儀な仕事をしているにもかか
        わらず、この人たちは常に上機嫌で、気持ちのよい挨拶を
        してくれた。彼らは歩きながらも、締めつけられた胸の奥
        から仕事の歌を口ずさむ。喘ぎながらうたう歌は、左足が
        地面につく時、右足が大股に踏み出す力を奮(ふる)いた
        たせる。[1,p54]


■4.労働のリズム■

     仕事に励む我が先人たちの姿をもう一つ紹介しよう。明治初
    期の東京大学で生物学を講じたエドワード・S・モースの『日
    本その日その日』から:

         どこへ行っても、都会の町々の騒音の中に、律動的な物
        音があるのに気づく。日本の労働者は、働く時は唸ったり
        歌ったりするが、その仕事が、叩いたり、棒や匙でかき廻
        したり、その他の一様の運動であるとき、それは音調と律
        動を以て行われる。・・・鍛冶屋の手伝いが使用する金槌
        は、それぞれ異なる音色を出すように出来ているので、気
        持ちのよい音が連続して聞こえ、四人の者が間拍子を取っ
        て叩くと、それは鐘の一組が鳴っているようである。労働
        の辛さを、気持ちのよい音か拍子で軽めるとは、面白い国
        民性である。

     人力車夫のかけ声、荷物を担ぐ人夫の歌、鍛冶屋の金槌を叩
    くリズム。賑わしい労働の姿がここにある。古事記に登場する
    神々からして田植えや機織りにいそしんでいるが、それも田植
    歌や糸繰り唄を歌いながら働いたのであろう。

■5.「陽気の爆発」■

     働く女性の姿も見ておこう。クライトナーが染料の藍(あい)
    を作る工場を訪れた時のこと。

         工場の建物を出る前に、わたしたちは女工が朝食を食べ
        ているところを見物した。およそ100人が、ふだん着姿
        で、椅子や木机に腰掛けて飯を食べていた。わたしたちが
        入っていくとひとりの女工が笑い出し、その笑いが隣の子
        に伝染したかと思うと瞬く間に全体にひろがって、脆い木
        造建築が揺れるほど、とめどのない大笑いとなった。陽気
        の爆発は心の底からのものであって、いささかの皮肉も混
        じっていないことがわかってはいたが、わたしはひどくう
        ろたえてしまった。[1,p52]

     箸がころんでも笑う年頃の娘たちにとって、初めて見る西洋
    人の姿は、可笑しくて仕方がないものだったのだろう。
    『女工哀史』は一面の事実を伝えていようが、哀しい生活ばか
    りだったら、こんな心の底からの「陽気の爆発」もありえない。    

     マルクスは19世紀ロンドンの悲惨な労働者階級を見て、階
    級闘争史観に基づく共産主義思想を生み出したが、同時期の日
    本の労働者の姿を見ていたら、もっと明るい平和な思想を生み
    出したかもしれない。

■6.「アングロサクソン人にとっては驚異と羨望の的」■

     働くときでさえ楽しげな日本人は、遊びの時にはもっと上機
    嫌だ。シッドモアは、花見の光景に目を見張る。

         日曜日は休息日なので、川面は小舟で一杯となり、岸辺
        では、しかつめらしい表情をした小柄な巡査が花見客の流
        れを整理する。・・・妙なかぶりもので変装をした男たち
        を乗せた小舟が次から次へと川堤沿いに、櫓(ろ)やさお
        で進む。この男たちは、叫んだり、歌ったり、手を叩いた
        り、三味線をつま弾いたりで、全くの自由奔放----アング
        ロサクソン人にとっては驚異と羨望の的である。

         酒盛りに加わる者は各自、酒びょうたん、つまり小樽を
        持っていて、これを肩からつるす。ひょうたんの中身を飲
        み干せば、手持ちのお金と意識がある限り補充する。友人、
        隣人、赤の他人、だれに向かっても、「一杯いかが」とこ
        の元気づけのアルコールをすすめる。出店も三軒に一軒は
        酒場だし、どの茶屋の前にも、こもでくるんだ酒樽がピラ
        ミッド式に積まれる。[1,p78]

     120年以上も前の光景だが、現代の花見とあまり変わらな
    い。シッドモアは「アングロサクソン人にとっては驚異と羨望
    の的」と言ったが、最近の在日外国人の間では花見の宴が流行っ
    ている、という。

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5 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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今昔 (remains)
2006-07-04 14:02:16
 かつての日本人の素晴らしさは他人から教えて頂くより、自分で確認していきたい物ですよね。

 ところで今の日本人にも素晴らしい人間は沢山いると思います。ただ、西洋かぶれしてしまった現在、その数は諸外国と大して変りのないものになってしまったのかもしれませんが。

 無条件に良さげなものを取り込む事ができるのも日本人の良さでしょうが、今まで培ってきた良い物も伝えていって欲しい物ですよね。

 全体の幸せをおもんばかる事ができる日本人がもっと増えていって欲しい物です。
返信する
西洋かぶれ (とびら)
2006-07-04 22:39:46
西洋かぶれ ということは大いにあると思います。



本当は日本の文化こそ世界の見本になるものがとても多いのに、西洋の文化に侵食されていますが、本質はそんなに変わるものではないと信じています。



このニューズレターなどは昔の日本のことなのでちっょと大げさでは? と思うことも多いですが、ほとんど日本について言っていることは大きくブレはないですね。



またお寄りくださいませ。
返信する
日本人の本質 (花かんざし)
2006-07-04 23:40:42
とびらさん~

こんばんわ!



日本人の根底にながれているものは、きっと今も変わってないと思います。



ただ、戦後の復興の後、現在の物質的に豊かな生活の中で、何かが忘れられてしまったのでしょうか。



それを一人でも多くの日本人が思い出してくれますように☆☆☆
返信する
ふと思ったのですが (とびら)
2006-07-05 07:31:20
ふと思ったのですが、

花かんざしさんが仰るように、戦後の日本の復興の中で忘れているものがあったわけですが、それでも西洋とは言葉が通じない現状の中である程度距離を保ってきたわけです。優秀な日本人の英語力がなかなか上達しな

い不思議にも、それなりの恩恵があったと思いました。

また島国ということは、今でも少しでも日本文化を守るという点では恩恵を享受していると思いました。
返信する
恩恵 (花かんざし)
2006-07-06 16:08:42
「日本文化を守るという点では恩恵を享受していると思いました。」



日本はこうして守られてきているのですね。



この恩恵に大いに感謝します。



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